つくづく思ってしまうのですが、私の芸術に対する姿勢は、
何とも中途半端なものでした。気になる芸術家を徹底的に
追い求めるでもなく、その場その場の感興に任せた、実に
自堕落な態度でしかなかったのです。
しっぺ返しは、てき面、私の芸術を中途半端で自堕落な
ものにしてしまいました。そのことを反省はしているものの、
私が失った時間を取り戻すことは、もうできません。残され
たわずかな時間を、真摯に集中して生きるしかないのです。
石川啄木は、そのようにして私の心の隅に追いやられた
芸術家の一人でした。恐らく、小学校の授業で教わった時
から、妙に気になっていました。夏目漱石や森鴎外よりも、
ずっと、日本文学の気になる作家でした。
それなのに私は、啄木の人と作品については、ほとんど
何も知らないまま過ごしてきたのです。作品のごく一部を、
単なる知識として知るだけでは、とても啄木の魂に触れる
ことはできません。
偶然、今年が啄木の没後百年に当たるということで企画
された講座を受講することにならなければ、依然として、私
が啄木を「私の気になるリスト」から取り出すことはなかった
と思います。実に、ラッキーなことでした。
立命館大学の瀧本和成教授によると、今では、石川啄木
のわずか26年の半生は、ほとんど明らかになっているそう
です。国際啄木学会も設立され、同時代の北原白秋と比べ
ると、学生の人気も高いとのことでした。
[ご参考] 国際啄木学会のHPです。
それでも私は、没後百年の年にしては、書店などにおける
啄木の扱いが軽いと不満を持っています。現代の若者には、
もう啄木は、心に響かないようになってしまったのでしょうか?