私は、学生時代から現在に至るまで、ずっとノンポリを
貫いています。これは、あまり褒められたことではありま
せん。何しろノンポリとは、政治的な活動に無関心な人々
のことで、少々個人主義に偏しているからです。
それでも、今の政治情勢には無関心ではおれません。
特に今回の衆院選では、政治家たちの目まぐるしい動き
に、私は驚きを禁じ得ませんでした。その結果として、私
は選挙を棄権しました。まさにノンポリの面目躍如です。
どの政党も信頼できない。その意思表明が棄権である。
それがノンポリの屁理屈でした。ですから、投票率が前回
より10%も下がり、小選挙区比例代表並立制で過去最低
を記録したことにも、溜飲を下げたのです。
さんざん愚策を弄していた民主党が惨敗したことにも、
快哉を叫びたい気持ちになりました。今から思えば、何の
保証も理由もない期待から、一票を投じた自分への悔悟
の気持ちが、妙な屈折した感情をもたらしたのでした。
ところが、よく考えてみると、大変なことになってしまいま
した。増税による軍備拡張、対外強硬路線、憲法改正など
の右傾化や曖昧な原子力政策を公約している自民党が、
予想以上に圧勝してしまったのです。
自公で三分の二を占めたと言っていますが、公明党より、
より右傾化が懸念される日本維新の会との連携の方が、
私にはもっと心配です。
ただノンポリの哀しさは、平和な日常を失いたくないという
一念しかないことです。平和に至る道筋には、とんと疎いの
です。昨今の北朝鮮や中国の動きに、どのように対処すべ
きか、まるでわかっていないのです。
時代は大きく舵を切ったように思います。そのような時に、
ノンポリは何の力も持ちません。ただ、ノンポリであっても、
時代を創る一員です。時代の動きを見守り、時にはノンポリ
の衣を脱ぎ捨てなければならないと思うのです。