どれだけ、私の心に潜む深層を探っても、こうして今、私が
脱自動車宣言をする気になった理由は一つしかありません。
それは、ちょっとした怒りの気持ちからなのです。
もちろん、経済的なことや、自分の注意力や集中力の低下
なども、理由にならないわけではありません。環境への配慮
とか、体力づくりのためだと言えないこともないのです。
けれども、そのようなことは、衝動的な怒りに対する、私の
愚かな反応を弁護するために用意した、後付の理屈でしか
ありません。すぐにも「もう、車はいらない!」と叫びたくなる
気持ちを抑えるのにも、私は苦労しました。
いかにも下らない感情的なことです。そのために脱自動車
などという、生活の主軸になることを簡単に変えていいもの
かとの自問を、私はもう何度もしました。
それは、頭に血が上ったままに、軽薄な判断をすることは、
成熟した大人には相応しくないと思ったからです。それでも、
私の判断が変わらないのは、よほど私が執念深いか、頑固
なのに違いありません。
もっとも、脱自動車宣言と言うと大層なことのように聞こえ
ますが、要するに自分の自動車を持たないということです。
日々の暮らしで自動車を使わないという、脱マイカー宣言と
言った方が正確かもしれません。
今、我が家には、自動車が二台あります。家人が仕事で
使っている自動車と、私が、父が亡くなった後、独居暮らし
となった母親を訪ねるために購入した自動車です。もちろん、
ここでは後者の自動車だけの話です。
この、もっぱら私が乗っている自動車は、快調に9年目を
走っています。ほとんど手入れをしないという使い方なので、
みすぼらしい外見ですが、私の愛車であることに間違いあり
ません。これを手放すのです。