訃報。
大切なお知らせです…。
第12回ウルトラクイズで私たちと一緒に旅をした柴田章志さんが、
6月19日に亡くなりました。
病気療養中であったのですが…とても残念でなりません。
仲間も皆、寂しい気持ちでいっぱいです。
4月にお見舞いに行った時には、
「月末のGREEでのチャンピオン大会に使うんだけど…」と言って、
作りかけのクイズ問題を見せてくれました。
インターネットのGREEで「クイズ部屋」というコミュニティを作って、
誰でも参加できるクイズ大会を開いたり、いろいろな種類のクイズ問題をアップして、
たくさんの人にクイズに親しんでもらおうと活動をしていた、
その中のチャンピオン大会で使う問題でした。
「私も参加したいから、普通の大会もまた開いてね!」とお願いをしたのですが、
叶わぬこととなってしまいました。
「GREEでクイズ部屋開催するのって大変でしょ。
問題もいっぱい作らなきゃいけないし、大会だって大変そう!」と、
以前柴田さんに尋ねたことがありました。
「うん、すごく大変だよ。 でも今は視聴者参加のクイズ番組も少ないから、
こんな場を設けて、みんなに腕を磨いてほしいんだよね」と返されました。
柴田さん自身がクイズを大好きなことももちろんですが、
そんなふうに底辺や裾野をもっともっと広げようとしていたんです。
そして、本人も精力的にあちらこちらのクイズ大会に参加もしていました。
そこでいろいろな人と知り合って刺激を受けて、
それを自分のクイズ探究心の糧にしていたようです。
ほんの半年前のことですが、昨年末の忘年会旅行でクイズをやった時に、
「昭和のクイズをやっているようじゃダメ!」と言っていました。
常に自分を磨くことを心がけていたその姿勢に、とてもビックリでした。
中部圏に住んでいたのに12回の集まりにもできるだけ都合をつけて参加してくれて、
クイズだけでなく、仲間でいろいろな話をしたり…。
個人的にですが、一緒に富士山にも登りました。
途中、結構バテているカンジがして気にかけていたのですが、
「自分には自分のペースがあるから、気にしないで先に行ってて」と答えて、
ゆっくりとした足取りでも確実に登っているのはスゴイなって思いました。
最終的には登頂できたのですが、帰りに雨に降られてしまい、
服は着替えたけれども靴はびしょびしょのまま電車で帰るなど、
本当にタフな人なんだな~と感心しながら見送ったことを思い出します。
ホールドオン出場時に披露されましたが、
「呼出になりたかった」というほど相撲が大好きだった柴田さん。
私は実際に相撲を見たことがなかったので、
「7月の名古屋場所に一緒に行こうね」という約束もしたのですが、
残念ながら果たすことができませんでした。
でも、そのうち機会を作って追悼の意味も含めて観戦に行こうと思っています。
不謹慎ですが…葬儀の時の読経を聞きながら思いました。
「柴田さんだったら、
読経よりもクイズ問題を何問も読んだ方が喜ぶんじゃないかな?」
そのことを、あとで仲間に話すと誰からともなく、
「でも、自分が答えられないと、きっと不満だよね…」と意見が出ました(苦笑)。
いつでもどこでもクイズのことを考えて、なるべくクイズに触れていて、
誰よりもその情熱は熱かった柴田さん。
どうか、そんなクイズプレイヤーがいたことを忘れないでください。
そして…ほんの少しでいいので、柴田さんの冥福を祈ってください。
昨年末のマンオブシニアの際、
柴田さん自らの発案で、ある企画も持ち上がっていました。
その遺志を継いで、その企画を実際に立ち上げたいと考えています。
それが、私たちにできる「柴田さんが喜ぶ」弔いだと思うので…。
(こちらにはコメント欄を設けていないので、お悔やみなどがある方は掲示板の方へお願いします)
第12回ウルトラクイズで私たちと一緒に旅をした柴田章志さんが、
6月19日に亡くなりました。
病気療養中であったのですが…とても残念でなりません。
仲間も皆、寂しい気持ちでいっぱいです。
4月にお見舞いに行った時には、
「月末のGREEでのチャンピオン大会に使うんだけど…」と言って、
作りかけのクイズ問題を見せてくれました。
インターネットのGREEで「クイズ部屋」というコミュニティを作って、
誰でも参加できるクイズ大会を開いたり、いろいろな種類のクイズ問題をアップして、
たくさんの人にクイズに親しんでもらおうと活動をしていた、
その中のチャンピオン大会で使う問題でした。
「私も参加したいから、普通の大会もまた開いてね!」とお願いをしたのですが、
叶わぬこととなってしまいました。
「GREEでクイズ部屋開催するのって大変でしょ。
問題もいっぱい作らなきゃいけないし、大会だって大変そう!」と、
以前柴田さんに尋ねたことがありました。
「うん、すごく大変だよ。 でも今は視聴者参加のクイズ番組も少ないから、
こんな場を設けて、みんなに腕を磨いてほしいんだよね」と返されました。
柴田さん自身がクイズを大好きなことももちろんですが、
そんなふうに底辺や裾野をもっともっと広げようとしていたんです。
そして、本人も精力的にあちらこちらのクイズ大会に参加もしていました。
そこでいろいろな人と知り合って刺激を受けて、
それを自分のクイズ探究心の糧にしていたようです。
ほんの半年前のことですが、昨年末の忘年会旅行でクイズをやった時に、
「昭和のクイズをやっているようじゃダメ!」と言っていました。
常に自分を磨くことを心がけていたその姿勢に、とてもビックリでした。
中部圏に住んでいたのに12回の集まりにもできるだけ都合をつけて参加してくれて、
クイズだけでなく、仲間でいろいろな話をしたり…。
個人的にですが、一緒に富士山にも登りました。
途中、結構バテているカンジがして気にかけていたのですが、
「自分には自分のペースがあるから、気にしないで先に行ってて」と答えて、
ゆっくりとした足取りでも確実に登っているのはスゴイなって思いました。
最終的には登頂できたのですが、帰りに雨に降られてしまい、
服は着替えたけれども靴はびしょびしょのまま電車で帰るなど、
本当にタフな人なんだな~と感心しながら見送ったことを思い出します。
ホールドオン出場時に披露されましたが、
「呼出になりたかった」というほど相撲が大好きだった柴田さん。
私は実際に相撲を見たことがなかったので、
「7月の名古屋場所に一緒に行こうね」という約束もしたのですが、
残念ながら果たすことができませんでした。
でも、そのうち機会を作って追悼の意味も含めて観戦に行こうと思っています。
不謹慎ですが…葬儀の時の読経を聞きながら思いました。
「柴田さんだったら、
読経よりもクイズ問題を何問も読んだ方が喜ぶんじゃないかな?」
そのことを、あとで仲間に話すと誰からともなく、
「でも、自分が答えられないと、きっと不満だよね…」と意見が出ました(苦笑)。
いつでもどこでもクイズのことを考えて、なるべくクイズに触れていて、
誰よりもその情熱は熱かった柴田さん。
どうか、そんなクイズプレイヤーがいたことを忘れないでください。
そして…ほんの少しでいいので、柴田さんの冥福を祈ってください。
昨年末のマンオブシニアの際、
柴田さん自らの発案で、ある企画も持ち上がっていました。
その遺志を継いで、その企画を実際に立ち上げたいと考えています。
それが、私たちにできる「柴田さんが喜ぶ」弔いだと思うので…。
(こちらにはコメント欄を設けていないので、お悔やみなどがある方は掲示板の方へお願いします)