隔日ゴルフを楽しめました 29.2.19 | 棟上寅七の古代史本批評

隔日ゴルフを楽しめました 29.2.19

トロツキーの暗殺など共産党のマイナスイメージで、スパイものの小説が一時流行ったのは、冷戦の落とし子かと思っていましたが、今回の金正男とされる人物のクアラルンプール空港での暗殺、という事件が発生し、マスコミは大騒ぎです。
しかし、北朝鮮政府の対応を見ていると、常識がないのに驚かされます。ふつう、他国で自国民が不審死したら、その人物の死因を確かめ、刑事事件と思われたら形だけでも、「全力をあげての犯人の逮捕」を要請するのが第一と、常識では思われるのです。しかし、報道によれば、司法解剖などせずに、遺体の引き渡しを北朝鮮大使館が要請している、ということには驚きます。
下手な推理作家でも、このような流れは想定できないでしょう。このような組織を相手に「拉致被害者返還」を理性的というか常識的に要求し続けても困難でしょう。被害者関係者の心情に同情の意を表するだけきりないのは本当に残念です。
 
●今週は世界の大事件続出にもかかわらず、木曜・土曜とゴルフ場に出かけました。幸い、木曜日は小春日和ならぬ春日和。土曜日は、天気晴朗なれども波高し、的なお天気でしたが、ゴルフを楽しめました。
暖かかったせいもあり、目標の「せめてボギーペース」が達成できました。これから気温が上がれば、もう一段階上を、なとど夢見ています。
 

 ●『隋書』俀国伝について、「タリシヒコ」以外の記述についてもチェックしなければ、と思います。原文は勿論漢文です。岩波文庫や講談社学術文庫でも訳文が出ていますから、何も問題ないかと思って、始めたのです。ところが、当時の俀国の婦人の服装についてのところで頓挫してしまいました。

 

原文は次のようです。その中に、私が分らない漢字が沢山出てきます。その中に調べてもどうしてもわからないのがありました。

婦人束髪於後亦衣裙襦裳皆有竹為梳編草為薦雑皮為表縁以文皮

この文の中の、「」はいろんな字引を引いても出てきません。

岩波文庫の石原道博先生も、講談社学術文庫の藤堂明保先生も、それらの難解字を訓読されて、読み下し文にされています。

ところが、このお二人の解釈が違うのです。まず、石原先生の解釈は、この原文は「」単独でなく、「」という熟語で「ちんせん」と読み、意味は「ひだ飾り」である、とされます。

他方、藤堂先生は、「」と「」の間で文章は切れている。「」の読みは「せん」で意味は「ふちどり」である。「」は、読みは「せん」で、意味は、細くする意で、次に続く文章の動詞で、竹を細く削って櫛を造ることである、とされます。『隋書』原文には句読点はありません。

 

しかし、ネットで中国正史の簡体字訳をみましたら、句読点が入って文章が区切られています。

人束于后,亦衣裙襦,裳皆有竹聚以梳。荐,表,以文皮。

これによりますと、後者、藤堂先生の解釈が中国流に合っているようです。

しかし、「」の読みについては石原先生の「ちん」なのか藤堂先生の「せん」なのかはわかりません。

大体漢字の読みは「旁」で読まれることが多いので、「巽」で読まれるかと思いますが、そうすると「そん・せん」となりますが、旁に巽が使われている字はみな「せん」と読まれるようです。

私は、石原先生が「ちん」と読まれたのにも何らかの理由がある事と思います。しかし、岩波文庫以外にも石原道博先生の『訳註中国正史日本伝』国書刊行会1975年7月 でも同様な訳文です。

 

石原道博『訳註中国正史日本伝』の「はしがき」を読んで、その原因が分かったように思えます。

そこには、

“訳は書き下し風の現代文とした。はじめは、すくなくとも意訳した達意の現代文にしようと努力したが、じっさい訳してみると、わたくしの力不足もあって、すこぶる困難なことがわかった。そこで、むつかしい熟語などはそのままにして、ふりがなをつけたり、カッコ( )内にかんたんな訳を加えたりした。”

と極めて正直に、中国語原文の読解に悩まされたことを述べています。石原大先生でもお手上げだった、ということを知って、素人の私に手に負える問題ではないのだ、とわかり、なんだか肩の荷が下りたような感じがしました。