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2016-12-04 14:00:16

F史学の会の福岡講演会を聞いて(3)

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●例年朝日国際マラソンには近くの折り返し点まで、応援?見物?に夫婦で出かけていましたが、今日は小雨が時に降るという気象予報でTV観戦となりました。

川内選手の覚悟を決めて走る、とかいう決意が報じられていましたが、はらはらしながら折り返し点に近づく2位グループの川内選手を、頑張れガンバレとTVに向かって奥様が応援しています。3位以内で上がれればいいのに、と願っています。

 

●明日の大学同期の仲間との忘年会を皮切りに、各種忘年会が6回予定されています。それにゴルフが3回で、これから年末にかけて結構家を明けることが多くなり、外でQQシャのお世話にならないかと、奥さんに心配をかける時期になりました。

 

●F史学の会の福岡講演会の感想その3は、番外の懇親会でのKさんとの雑談から導かれた感想です。題して「二倍年歴小異見(続)」です。

 

Kさんと懇親会で雑談するなかで、「二倍年歴」の話になりました。これはKさんが昔、F史学の会会報に「孔子の二倍年歴」(新・古典批判二倍年歴の世界3「孔子の二倍年歴」F史学の会会報53号2002年12月)という論文を発表され、それを読んだ寅七が「孔子の二倍年歴への小意見」という小論を会報92号2009年6月で述べました。そこでKさんに異見を述べたのは主に次の2点です。

まずは、弥生人の寿命は50歳であったのかという点。中橋孝博九州大学教授や松下孝之人類学ミュージアム館長の関係意見から見ると。60才を越える人骨は老年として区分され、そのデータからみると50歳以上の人骨の占める割合は成人人骨全体の20%を超える、というデータも添えて、このデータからみれば、孔子の二倍年歴の立証とはならない、という異見でした。

以後、古田先生の八王子セミナーなどでKさんとは何度かお会いすることがあり、この孔子の二倍年歴の話になったことがありました。考古学の人骨の死亡年齢判定について私も調べているところです、などとKさんは言われていました。

 

今度は、もう一つの疑問点、『礼記』内則篇の、「夫婦の礼は、ただ七十に及べば同じく蔵して間なし。故に妾は老ゆといえども、年いまだ五十に満たざれば云々」、これは説明を要さないであろう、やはり二倍年歴である」と断定しているところです。これはむしろ一倍年歴の証明ではないか、と異見を述べていたのです。

 

今回あらためて懇親会の席での雑談のついでに、寅七の個人的意見として、『礼記』内則篇の記事は、むしろ一倍年歴の証明するのではないか」と、小生の周りの実例を挙げて申し上げたのですが、「それは特異値だろう」、とKさんから一蹴されました。

大岡越前の名さばきの一つに、ある不貞事件について判断に迷い、ご母堂に女性としての意見を聞かれたところ、「灰になるまで」というお答えで、名判決となったという故事もありますが。

 

ともかく、なぜKさんがかたくなに小生の「小異見」を「ないもの」とされるのか、されたいのか、Kさんの二倍年歴についての論文を調べてみました。

『新古代学』という論文集の第七集・第八集にまとめて報告されています。Kさんの二倍年歴論は『新・古代学第七集』2004年に出版されています。なにを今更「小異見」を出されても困る、ということなのでしょう。

その中の「論語の二倍年歴」は、「十有五にして学に志し云々」で有名ですし、その孔子の論文が二倍年歴となると、間違いなく目玉論文と思われます。その目玉をどうやら突ついてしまったのではないか、と思われます。いまさら「寅七の小異見」に付き合うわけにはいかないあと思われたことでしょう。

 

揚げ足とりではありませんが、Kさんは「論語の二倍年歴」(『新・古代学第八集』)で次のように述べられています。

【『論語』は、「後生畏る可し」の出典として著名。これは四十歳五十歳になっても世に現れないような者は畏れるに足らない、という意味である】と述べられています。これは全く論語の言っている意味を全く逆にとらえて解釈されています。

『論語』子罕第九に「子曰。後生可畏。焉知来者之不如今也。四十五十而無聞焉。斯亦不足畏也已」とあります。寅七には、「後に生まれた若い人は畏敬されるべきである。どのような人物になるかわからないのだから。しかし、四十五十になっても世に出ない者は畏れるに足らない」というように読め、Kさんの取り方とは真逆となります。

後から出た、四十五十歳にもなって世に出ていない人物の異見に畏れることはない、と思われたのでしょうか。

 

 

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2016-12-02 11:29:34

F史学会の福岡講演会を聞いて(2)

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●プリンターが突然「プリンターエラー発生」というメッセージが出てどうにもならず、調べてみたらまだ保証期間が残っているので、その電機やさんに持ち込みました。

検査に5日ほどかかり、保証内容の範囲内で収まるか追加費用がかかるのか、を報告します。それから修理にかかります、とのこと。新品で買っても2万円まではかからないようだけれど、追加費用が6,7千円もかかるようだったらどうしようかと悩むことになるでしょう。

ともかく、忘年会やゴルフ会の幹事役などしていると、名簿その他、プリンターが動かないと全く仕事にならずお手上げです。

 

●75年前にお世話になった、東京のN小学校から同窓会ニュースが送られてきました。パラパラめくっていたら、2年上の同窓生が当時の集団疎開の思い出を投稿されていました。

その中にひもじい日々の中で、桑畑で桑の実をたくさん食べて幸せ感いっぱいだったけれど、後で熱が出て吐いた、桑の実が原因だったのだろうか、など書かれていました。

 

それから70年後古田先生とお近づきになり、先生の著作などについて不思議に思ったことを無遠慮にいろいろお聞きしたことに連想が走りました。その中の一つに、「仙人が食したのは桑か棗か」があります。

古田先生が、『倭人伝を徹底して読む』のなかで、佐賀県桜馬場遺跡出土の銅鏡の銘文の解釈について述べていらっしゃることについてです。

先生は銘文にある、「仙人不知老渇飲飲玉泉飢食桑」を、これは桑を食すではなく、棗を食すの間違いであろう。中国の書籍には「仙人は棗を食す」とある。これは桑でなく棗の間違いであろう、と言われています。これは、金石文を第一次文字史料とされる古田先生らしからぬ説明と思われました。

”古田先生、桑を食べるというのは桑の葉を食べるのではなく桑の実を食べる、ということでしょう。当時棗が日本列島では見られず、「棗」の見当が付かず、この銘文の作者が、絹糸を作る桑が仙人の食べ物にふさわしい、と思って桑の実をたべた、ということにしたのではないでしょうか”、などと小生意気な意見を述べたことなどを思い出します。

 

●日曜日のF史学の会の福岡講演会で、会のK代表が「前期難波宮は九州王朝の副都」というタイトルで講演されました。

考古学的資料が示す前期難波宮の朝堂形式は、大和朝廷のものとは異質のもので、九州年号の「倭京」や「定居」が示すように太宰府に首都が作られたが、その形式に沿うものである、とその理由を丁寧に説明されます。

しかし、その説明は丁寧ですが、結論まで行くのには、通説(『日本書紀』に依る)の大和朝廷年代記がでたらめである、という証明の部分が今後必要ではないかな、と思われました。

『日本書紀』や『続日本紀』に残る、例えば、筑紫君薩夜馬などの九州王朝にゆかりのある人物に関する評価や、古田先生の斉明天皇九州王朝の天子説などの再評価も必要となることでしょう。、

そのように九州王朝の歴史の全体像は、まだ確たるものには至っていませんが、K代表の論旨の赴くところは、「前期難波宮は九州王朝の複都であった、もしくは、新都であった」とされた方が内容に合うように思われました。

ただ、ご本人もそこまで言及するには、なだまだ不足部分がある、と思っての「副都説」なのでしょう。今後の研鑚を期待します。

 

ところで、講演を聞いていて気になったことがあります。妙心寺の鐘と太宰府の観世音寺の鐘が瓜二つであり、妙心寺の方には「糟屋評造舂米連広国鋳鐘」という銘文がある、と説明されたところです。

そこで「あれっ」と思ったのは、「舂米連」を「はるこめのむらじ」というように読まれたことです。

まさか、「つきしねのむらじ」と読まれるべきことをご存知だったと思いますが・・・

ただ、講演されているところはその「糟屋」の地元です。地元の古代の領主「評造」の名を、読み違いに気付かれたら、やはりその場で訂正された方が良かったのではないか、と老爺心ながら気になりました。

 

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2016-11-30 23:17:30

F史学の会の福岡講演会を聴いて(1)

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●冬支度でのゴルフはこりごりだ、と前回のブログでボヤいていたのに、性懲りもなく今日も出かけました。OXシニアの会という名はついていますが、要するに近くのゴルフクラブの年寄の集まりです。

幸い天気予報が良い方に外れてくれて、寒い思いはしませんでした。しかし、久しぶりに来たKクラブはスルーザグリーンが痛みがひどく、そこでノータッチでのプレーは年寄りには厳しいものがありました。

一日遊んで、古代史の会の感想を書くのを忘れて、一日遊んで帰ってきました。古代史の会の感想が厳しいのはゴルフの成績が悪かったのとは関係ありません、ということをまずお断りしておきます。ともかくドライビングコンテスト、つまり」ドラコン賞は狙い通りゲットできましたので。

 

●一昨日大阪からたくさんの古代史の仲間が来て、天神で講演会がありました。寅七も手不足な様子なので受付など手伝いました。

古田先生が亡くなってあと、F史学の会という組織をまとめているK代表とM事務局長さんなどが講演されたのです。建前は、そのF会が出版した『邪馬壹国の歴史学』の出版記念講演会、ということでしたが、幸い前日の熊本での講演会で売れ行きがよく、今回の福岡会場にはその本は既に姿を消していました。

 

それはともかく、まず事務局長のMさんが「魏志倭人伝と邪馬壹(台)国」というタイトルで話をされました。古田武彦先生の『「邪馬台国」はなかった』での魏使の行路記事について、Mさん説を述べられます。

 

『三国志』は短里で書かれている、というところの説明は、論旨も通りうまくまとめられています。しかし、古田説と大きく違うところは「一大国から末盧国」への行路です。古田説は壱岐から呼子では千余里という記事に対してあまりにも短すぎる、と唐津港到着とするのですが、Mさんは、壱岐から呼子とされます。

 

倭人伝には一大国から末盧国までの距離は「千余里」とあります。朝鮮半島から対馬までも「千余里」、対馬から壱岐までも同じく「千余里」なのです。

現代の我々は地図を見て物差しを充てると、それぞれ、約60km、約50kmで千余里だと約80kmなのに少し足らないのです。

Mさんの説明では、それは海上では潮流があるから実際の航路の長さはいわば周旋距離となるというようなことのようです。またMさんは、海の上での距離は測れないから、船で一日で行く距離を500里というように考えたのではないか、という仮説で進められます。

ところで、壱岐~呼子間は20km程度で、短里では300里程であり、島影も視認できる距離です。直線距離でどれくらい離れているか、古代の算術書などの記述からして、当時の中国人測量関係者には推測可能であったと思われます。

 

魏使が呼子あたりに到着したということで、なにが生じるかというと、伊都国が加布里あたりになり、不彌国が今宿あたり、ということになります。加布里あたりは、古田先生が「前つ君の地」と考えられた現在の前原市の地域でもあります。

さて不彌国の南に存在するとされる邪馬壹国はちょっと無理されて、南西の地域、室見川流域から春日市あたり、とこれは古田先生の比定地に合わせられます。

 

まあ、各人各様の邪馬台国論を述べる(寅七もその一人ですが)のは自由です。しかし、今回の講演では、古田先生亡き後の新生F史学の会の九州方面の第一回のものです。

九州の古代史研究者は、古田説に触発されてできた「市民の古代研究会」以来研鑽を積んでいます。古田先生の『「邪馬台国」はなかった』を出版されて以降、いろいろの邪馬台国論が出されています。そのうちでも本質的な問題提起をしたのは、兼川晋氏の「女王国周辺の地理的考察」(『新古代学第一集』新泉社)でしょう。

 

兼川さんは、奴国が糸島平野にあったという古田説を、そうではなくて室見川流域であると説かれます。Mさんが、この兼川説を知ったうえで、このようは不彌国今宿説を述べられるなら、まず、兼川説を否定しなければ、福岡でながらく兼川晋氏の薫陶を受けた人々には受け入れられないことでしょう。寅七のみるところ、M事務局長の説よりも兼川説の方がより論理的に優れていると思います。

 

このMさんの今回の講演内容が、新生古田史学の会の公認の魏使行路でないことを望みます。

続いてK代表の前期難波宮は九州王朝の副都についての感想は、次回に述べたいと思います。

 

 

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2016-11-27 09:03:22

冬のゴルフにはお手上げ 28.11.27

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●カンパ襲来で初雪が早いとTVなどが報じています。九州地方もそれなりに寒さが増しています。先週の所属クラブの姉妹コース役員懇親会で、14度くらいで寒さは大したことはないのですが、小雨もあり、今年最悪のスコアとなりました。

飛ぶのは飛んでくれるのですが、アプローチが全く思うようになりません。グリーンの周りで思いもよらぬ方向や、思った2倍もの距離を飛んでくれたり、ロングホールの3打目からそんなことが重なりホールアウトに11打を要したり、他クラブのキャプテンさんがスイスイとイーグルやバーディを取るのを横目で見ながら、情けない一日でした。寅七にとって、今からの季節のゴルフは鬼門のようです。

 

●一昨年、昨年と喪中が続きましたが、今年は喪も明け年賀状の準備です。パソコンも変わり印刷ソフトの住所録をチェックして、亡くなった方々を外したり、なんだかだと結構住所録整理に時間を取られた3日間でした。

さて、どのような年賀状にするのか、過去は夫婦で旅行した時の写真などを入れていましたが、今年は海外には「壱岐島」に行ったきりですし、あまり良い写真もありません。

取り合えず、テストしようとプリンターを始動させようと思ったら「プリンターエラーが発生しました。マニュアルをみて対処してください」というメッセージがでます。

いろいろやってみてもどうにもならず、明日にでも修理屋さんに相談しなければならないようです。まだ5年くらいしか経っていないので、買い替えるのは勿体ないし・・・。

 

●今日は『邪馬壹国の歴史学』という古田史学の会編集の本の発売記念福岡講演会が天神であるので、大阪から下ってみえる会の方々と一緒に一日を過ごします。

家内に言わせると、講演会が終わったあとの懇親会が楽しみなのではないか、と言いますが。会場の手伝いなどで、やがて出かけます。

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2016-11-21 19:00:54

古代史よりも雑用の日々です 28.11.21

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●喪中を知らせる葉書が入るシーズンです。しかも訃報もこの時期には増えます。竹馬の友ともいえる、O君の奥さんが亡くなった、と連絡が入りました。奥さんは寅妹の高校同級生ということもあり、昔から親しくしていました。まだ若いのに歳を選ばず向こう岸からお呼びがかかるようです。

すっかり奥さんに家事全般を寄りかかっていた、亭主関白の標本みたいなO君も、今から苦労することでしょう。

 

●滅多にない外国郵便が届きました。オーストリーに居る姪のMちゃんからの、こちらが送った日本の駄菓子へのお礼の文でした。向こうにはあまり良いニュースがない、一日が無事に過ごせれば幸せと思うような毎日ということでした。

 

●このところ、ロンドンでやっているTAPワールドチャンピオンシップテニスの中継の視聴で寝不足気味です。夜中から明け方にかけてあるので、録画を取るようにしているのですが、夜中のトイレ目覚めで結局ライブを観てしまいます。

錦織選手がマレー選手とやって、最初のセットを何とか取って、これは今年は調子が良いのでは、と思ったのですが、それで精力を使い果たしたのか、それから2セット続けて取られ、その後の対チリッチ戦・対ジョコビッチ戦は見るも無残な戦いぶりでした。

体力不足に尽きるかな、と思います。それでも準決勝まで行ったことは、いくら褒めても褒め過ぎではないでしょうけれど。

 

●今日は二か月毎の血糖値関係の検診の日でした。

先日から作った干柿が、孫たちへの売れ行き?が芳しくなく、自家消費せざるを得ず、それがすべての原因ではないでしょうが、なんとかエーワンシーという指数が、少しだけですが上がっていました。

おそらく我が家の健康管理官から、干柿節食令が発令されることでしょう。(ビール節飲令になったら困りますが)

 

●古代史関係の勉強もこのところ一休みしています。

古田先生の著作を改めて読み直しています。とりあえず手に取った『邪馬一国への道標』を読んでいますが、目新しく感じられる表現が多々目に入ってきます。

親魏倭王の印が出土していた話など、読んだ筈なのですが、ほとんど脳内に残っていませんでした。

 

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2016-11-17 20:29:02

高齢者の車事故についての寸観 28.11.17

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●今日もよいゴルフ日よりでした。夜なかの錦織対マレー戦の観戦での寝不足気味でのプレーでしたが、全く気にならず、ボールが飛び過ぎて、普段なら届かないバンカーまで届き同伴競技者を驚かせたりもしました。。

7組の大学同窓OB会で寅七が最年長でしたが、何とかシニアティ使用のおかげもあって、3位賞や二ヤピン賞2個・ドラコン賞など沢山いただけ、帰りにスーパーによって冷凍餃子を手土産に帰ることが出来ました。

 

●このところ高齢者が加害者となる車事故が連日報じられています。モミジマークを付けて走った方が良いのかどうか、わかりませんが、付けておくに越したことはないかなあ、と百均で見かけたので買ってきました。付けたからといって速度制限オーバーのお目こぼしはないでしょうけれど。

もう、クラッチ付きの車に乗る機会は、普通人にはないと思いますし、最初から、ゴーカート方式で、右足アクセル、左足ブレーキと覚え込ませる運転講習をさせたらよいのではないか、と思います。アクセルとブレーキの踏み間違えは、まず起らないことでしょう。

寅七はこの方式でもう50年近く乗っていますが、踏み間違えはまだありません。(今後もないことを願っています)

 

●「タリシヒコの謎」で昔からの識者の見解を見て行っているのですが、そこで気づくのは、邪馬台国問題の基本がまだ定まっていないことに密接につながっていることです。

特に、邪馬臺(台)国はヤマトと読める、邪馬台国はヤマト国だという説がおおかたの人にこびりついていることです。

『後漢書』の「邪馬臺国」が、日本列島の人々にどう読めるかということが問題ではなく、3世紀の中国人が「臺」をどう読んでいたか、ということが問題なのです。

そのところを抜きで、万葉仮名ではどうだとか、『日本書紀』ではどうだ、9世紀の『続日本後記』には「臺をトと読んだ例がある」などの意見を述べ、「臺はトと読める」と力説する歴史研究家もいます。

そのようなことではなく、『後漢書』が著作されたころ、「臺がトに近い音であった」ということを証明して初めて「邪馬台国=ヤマト国説が仮説として成り立つと思います。

この肝心の問題を古代史の会などでも、もう一度論議してみてもよいのではないのかなあ、と思っています。。

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2016-11-12 09:58:31

西嶋定生氏は「国書と署名」についてなぜ語らない? 28.11.12

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●昨日の昔の会社のOBグループのゴルフは、秋日和の申し分ない天気に恵まれました。前日の中学校の同窓会の疲れ(内臓の?)が残っているようで、あまり調子が良い出だしではなかったのですが、エイジシュートにはだいぶ不足しましたが、一応ベスグロの結果で上がれました。

仲間の情報では、退職後家業だった英彦山の山伏の坊宿を継いだMさんの孫が、今度のドラフトで5千万の契約金でヤクルトに入いるようだ、などおめでたい話も聞くことができました。が、帰宅したら、昔の同年の企業戦友が亡くなった、という知らせが入っていました。今夜がお通夜です。そろそろこちらの番も、早晩くることと覚悟しておかなければならないようです。

 

●ほとんどのマスコミ予想を覆すトランプ大統領の出現に、今後が見えない状態になりました。最初は泡沫候補とおもわれていたのですが、アメリカ国民に潜在する「熱狂主義者」とも言うべき「ポピュリズム」という伏流があることは、西部劇俳優のレーガン大統領やSF的ヒーロー役者のシュワルツネッガー州知事の出現でも見られているわけですから、可能性は十分あり得た事態だったと思います。

昨年12月25日の当ブログで言っていたことが当たってしまいましたが、この事態に安部首相の対応力が問われます、大丈夫でしょうか。

 

●「タリシヒコの謎」の一番の問題は、なぜ定説の人たちが「国書には差出人の名前があった筈、それが姓は阿毎・字は多利思北孤、阿輩雞彌という俀国王の名前についての『隋書』の記事になった」、という理の当然の論に誰もまともに答えない、このことが一番の謎でしょう。

 

西嶋定生氏が「遣隋使と国書」・「遣唐使と国書」などについて、岩波書店から出されている『東アジア世界と冊封体制』の中で論文を書かれていますが、「国書と署名」について全く触れていないのは、本当に無意識なのか、そんなことはありえない、意識して触れないのだろう、などと、西嶋先生の頭の中を忖度すると、疲れてきます。

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2016-11-09 07:29:52

博多駅前陥没事故寸感 28.11.09

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●昨日博多駅前で大きな道路陥没事故がありました。テレビで大きく報道され、大丈夫だったの、という当方への問い合わせもありました。

最近は、奥様のオミアシ不調もあり繁華街に出かけるのも以前に比べるとグッと少なくなっているので、街中の不意の事故に遭う確率は減っては来ています。

しかしこのように、足元で何が行われているか知らぬが仏の方々が、事故にあうことも珍しいことではない危険一杯の世の中です。

 

昔の本職の知識を頭の奥から引き出し、今まで報道されていたことから判断してみました。

基本的には、トンネル工事の工法選定に問題があったと思われます。

NATM(新アーストリアトンネル工法)を採用したようですが、結果論ですが、岩盤対応型泥水シールド工法を取るべきではなかったか、と思われます。この工区での工法選定が、1メートルいくら、という過去のトンネル工事結果からの、建設工事予算に縛られた結果と思われます。

シールド工事を採用すれば、機械費がいくらになるのか、数十億は高くなるかと思いますし、カーブ路線に対する技術的な対応も難しいでしょうが、今回の復旧工事費はその数倍はかかることでしょう。

最近は、建設工事に対しても工事保険を掛けるようですが、それがこのような不安全工法選定になった遠因でなければよいのですが。

幸い一般市民にも、トンネル工事従業員にも、人的被害がなかったのは不幸中の幸いでした。もう少し工事が進んであと百メートル進んでいたら、博多駅周辺の地下街に大被害を与えていたことでしょう。

追々事故原因の究明はなされることでしょう、無責任な部外者の寸感です。

 

●急に秋冷の候が深まった感じです。ちょっと咳をしたら、「風邪を引いたら、楽しみの同窓会に行けなくなりますよ」、と奥様が風邪薬を出してくれました。

 

明日は中学校の同期同窓会です。最終的に28名の参加となります。

音楽好きだったH君から、当時の校歌の曲は覚えているけれど歌詞はほとんど覚えていない、誰か覚えている人はいないだろうか、と問い合わせがありました。

中学校のホームページを開いてみました。校歌はありますが歌詞の内容に違和感を覚えました。3人ほど同級生に問い合わせましたが、もう65年も前の事です、だれも覚えていません。

私たちの頃は新制中学制度設立当初で、校舎は居住地から4キロほど離れた旧軍の兵舎を使っていました。10年ほどののちに学区居住地に新校舎が出来、校歌も新しくその地域の風物を読み込んだものになったようでした。

曲だけでも聞けせたら、思い出してくれる子?も出てくるかも知れません。ということで愛用ハーモニカを持参し、校歌(楽曲)を披露してくれるそうです。

 

●先の日曜日、古代史の会での第二回目の発表が予定通りなんとか、江戸時代のところまで済みました。

明治維新からのいわば本論的なところは2月の例会から続けて、と言われていますので、しばらくは『隋書』から頭が離れてくれます。

 

●図書館に佐伯有清さんの『研究史邪馬台国』を返しに行き、書棚に目についた『県の歴史シリーズ 沖縄県の歴史』をめくってみました。

最近のマスコミに取り上げられている「土人」発言に見られるように、沖縄に対しての差別意識は根強いようです。

沖縄県の歴史に、隋の煬帝が朱寛を派遣したことや薩摩藩の琉球処分と表現されている侵攻がどのようにされているのか、気になっていました。

隋の侵攻略奪拉致についての記事は、ほとんどありません。ほとんど、というのは、本文にはなく、年表に「隋の煬帝が朱寛を派遣」との一行だけありました。なぜ、歴史叙述本文で取り上げないのでしょうか?

『隋書・流求国伝』のいう流求国が果たして沖縄のことか、という説があるので取り上げるのにためらいがあったのでしょうか?

執筆者たちの沖縄県の逆差別というか、被害者意識をこれ以上刺激しないための「思いやり」過ぎなのでしょうか?気になった『沖縄県の歴史』でした。まだ『隋書』から頭から離れていないようです。

 

 

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2016-11-05 19:44:03

なんだかだと結構忙しい 28.11.05

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●「九州をもっと元気に!”九州 肉デス。ガーデン” というイベントが天神中央公園でやっているので、おいしいお肉でも食べに行こうか、と夫婦で出かけました。

うかつにも、文化の日という祝日であることが念頭になく、行ってみれば、どこのグルメ店舗のブースも行列・行列。運よくゲットして食べている方に家内が味を聞くと、「一時間も並んで食べる味じゃない」とのことでした。天神を退散して、博多駅近くのいつもの店で牛タン定食を食べて満足して帰りました。

 

●金曜日は所属クラブのグランドシニア会という、ゴルフ好きの70才以上の年寄ゴルファーの会に参加しました。秋天も最たる日和で、50人近く集い結構盛会でした。

平日の朝は、小中学生の通学時間帯でもあり、土日よりもずっとコースまで時間がかかります。夜明け前から。テニスの錦織選手のパリでの試合をテレビで見ていて、二度あったマッチポイントを、ダブルフォールトなどで逃がし、負けた瞬間まで見て、ゴルフ場に向かいました。負けた錦織本人が一番悔しいだろうなあと思いながら、渋滞を何とか正常さを阿tもちながら切り抜け、スタート時間に間に合いました。

午前の部はパットが面白いほど決まってネット6アンダーで、同伴競技者から、これなら間違いなく優勝などと悪魔のささやきがあったりで、後半力が入って、上がり3ホールでダボ・ダボ・トリと貯金を吐き出し、ネット3アンダーの平凡なスコアで終わり、優勝はお預けとなりました。

 

●ゴルフの帰りに、八幡の知り合いの渋柿を分けてもらう約束をしているから、と奥様に言われて頂いて帰りました。ビニールのショッピング袋二ついただき、もっとありますが、とおっしゃるのを断って、今朝から干し柿加工作業で半日過ごしました。

●明日、古代史の会で「タリシヒコの謎」の第二回目の発表です。話がどこまで進むのか、わかりませんが、もし「新井白石」まで行くようだったら、もう少し調べておきたいと、図書館に行ってきました。

新井白石は「タリシヒコ」については何も言っていませんが、「邪馬台国」ではかなり意見を言っているようです。『研究史 邪馬台国』という佐伯有清さんの本を見つけ、新井白石が邪馬台国研究者としての嚆矢であったことを知りました。

なんとか、明日の発表までに一度、原稿を通しで音読しておきたい、と思っているところです。

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2016-11-02 07:52:37

お舟入りの儀 28.11.02

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●11月になり急に気温が下がってきたようです。インフルエンザの予防注射を早く受けなければ怖いですよ、と奥様からアドバイスを受けましたが、今度の高血圧の薬をもらう日に受ければよいだろうとズボラをきめ込んでいます。

 

●土曜日は前の会社の懇親会が菊水ゴルフであり出かけ、半年ぶりに現役社員やOB社員と旧交を温めました。同年のS監査役さんと一緒に回りましたが、往年の飛距離は影を潜めてしまっていました。お互いに愚痴をこぼしながらも、好天の下、プレーを楽しめました。

プレー後は近くの温泉宿での反省会に集うのですが、遠慮させていただき直帰しました。

昨日幹事さんからメールで結果を知らせてきました。グロスで21人中7番目でしたからまあまあでした。

 

●大学同窓同年のH氏から趣味の水彩画同好会の展覧会の案内があり夫婦で大名町まで出かけました。

沢山の展示された絵のなかでもH氏の絵は、指導先生の絵にも劣らないほどでした。

画廊はロシア料理店の裏でしたので、ロシア料理のランチ定食1700円也を奮発し奥様も満足だったようです。

 

●先日三笠宮が亡くなられて新聞で「舟入り」という儀式が行われた、という記事を見ました。インターネットで調べてみたら、竹田恒泰さんが「納棺のことを舟入りという」と、味も素っ気もない説明をしていました。

装飾古墳の壁画に「舟」や「ゴンドラ」などが描かれていることが多いのと関係があるのではないかとも思われます。

調べてみたら九州の装飾古墳に舟類が描かれているのは、福岡県19・熊本県9・大分県6・佐賀県4・長崎県3というたくさんの古墳や横穴墓にありました。

装飾古墳は関東や東北にも沢山ありますが、そこでは舟類の絵は全くなく、九州でも宮崎・鹿児島両県の装飾古墳にも見えませんでした。

大体5~7世紀の築造ですから、その時代の政治権力範囲と関係があるのでしょう。時間があったら先人の論文を探してみようか、と思いますが・・・すぐ忘れなければよいのですが。

 

●船と葬式について、以前このブログに書いたことがある記憶があります。調べてみたら、27年6月11日のブログ 「古代の舟曳き」でした。

ヤマトタケルが亡くなったときの歌謡が『古事記』にあり、その歌から、柩を船に乗せて曳く、その労働のさまを歌った、と早稲田の山路平四郎教授(故人)が論じていることを紹介していました。

興味ある方はクリックしてみてください。

 

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