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2016-08-27 08:35:47

博多は覇家臺かな 28.8.27

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●オリンピックが終わり、甲子園も終わり、あとは、ファイターズとホークスの行方だけでしょうか。

TVでは、どうやら都知事と都議会自民党との争いの行方が、しばらくは話題になるようです。

 

●一昨日は37度を超す猛暑日でした。このところコンペをすっぽかし続きでしたので、カレンダーを注意しまくってのコンペ出場でした。

このところ雨は北海道に集中していて、北九州方面は晴天続きでフエアウエイも茶色になりかけています。折角来かかった台風10号も、Uターンして再び北上の構えです。

昔の職場仲間17名のコンペで昔話をしながら気楽に回っていましたが、残り3ホールで体力の衰えかミスショットが連発し、ベスグロには2打及ばず、ネットスコアでは4位で賞品もゲットできませんでしたが、久しぶりに汗を流せました。

 

●『海東諸国紀』をめくっていたら、博多の古名らしきものが目に入りました。以前、古代史仲間と博多という地名の起源についてワイワイ言い合ったことも思い出しました。

寅七は「はんなり」という上方言葉が「華也・はななり」が変化した、ということを知り、「華潟・はなかた」が音便変化して「はかた」になったのでは、という仮説を披露したのですが、あまり同意は得られませんでした。

『海東諸国紀』では、【筑前州に博多有り。或は覇家臺と称し、或は石城府と称し、或は冷泉津と称し、或は筥崎津と称す。】とあるのですが、「覇家臺」は国人のネーミングではなく、おそらく中国人によるものか、と推察されます。良いネーミングと思います。

なぜか、博多の地名起源での話題にはあげられることが少ない、(寅七も今回初めて気付きました)ようです。

 

●「鏡王女物語」を読みたい、と奥さんの知り合いがおっしゃるのですが、PC用のCDならありますが、本はもう手元に在庫はありません。

ネットで調べたら古本屋にありましたので、800円を払って送ってもらいました。

本が届いたら、そうまでして貰うこともなかったのに、と奥様にいわれチョッとがっくりです

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2016-08-21 08:21:30

暑さのせいかな 28.8.21

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●先日、天神地下街に旅行会社の店があったので、ぶらりと寄ってみました。外国旅行のパンフレットを見ながら体調もだいぶいいし、近くならいけるかも、などと奥さんが言います。いくつかパンフレットを持ち帰り、ふとパスポートが気になりチェックしてみましたら、10月2日で期限キレでした。

外国に行くかどうかは別にして、ともかく更新だけはしておかなければ、と思いますが、10年間延長は無駄になるように思いますが、どうでしょうか。

 

●昨日またまたやらかしました。仲間とのゴルフは毎月第3日曜が定例日だったのですが、今回は土曜に変更ということでした。

ところが冷蔵庫に貼っているカレンダーには、元の日曜にゴルフの予定が書かれていました。朝、K幹事から電話があり、ボケが始まったのでしょう、皆さんに謝っておいてください、と平謝りしました。

猛暑の中なので、神様が、無理することはない、と寅七の健康を思いやってくれたのだ、と思うことにしました。

 

●タリシヒコ考、いちおう一通りの原稿は書きあげました。ただ、これをどのようにまとめるのか、今後の方向の考えなど、今からの作業が大変のようです。

 

●息抜きにと、知り合いが「面白いよ」と貸してくれた、『20世紀のファウスト』という鬼塚英昭さんの本を開いてみました。

以前、同氏の『日本の一番醜い日』を”面白い”と貸してくれたのですが、読んでみて、”ノンフィクションと銘打っているけど、「友人F氏」という人の説がベースになっていて、フィクションじゃないか”と評したので、改めて”これなら、どうだ”と貸してくれたのでしょう。

しかし、上下のべ1400頁の本です、息抜きにはなりそうもありません。おまけにオリンピックの熱戦も続いていますし、読み終えるのはまずむつかしいでしょう

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2016-08-15 06:08:04

終戦記念日 28.8.15

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●36度を超すのがこのところ当たり前の、熱中症危険域の気温が続いています。車で出かけてクーラーをかけていても暑さを感じます。高速道路も、一般道でも幹線道路はどこも渋滞です。裏道の方が幹線道路よりも早く目的地に着つける、というのもあと1,2日で平常に戻ることでしょう。

●おまけに、オリンピックのTV観戦で寝不足続きです。あまり昼寝をしない寅七ですが、昨日も買い物に奥方と出かけて、洋服の品定めをするのを店前のベンチで待っていて、ついウトウトしてしまいました。
このところ3日続きで錦織選手の熱闘ぶりを観戦しました。やっと今朝早くスペインのナダル選手を破って銅メダルを取ってくれました。
明日からは深夜の観戦はしなくてすみます。今年の今日は良い「終戦記念日」となりました。

●「タリシヒコ考」の発表原稿を読み直おすと、人名の読みがあやふやです。いちおう自分なりの読みでおかしいと思うのはPCでチェックしています。
江戸時代の藤貞幹はトウ・テイカンで、上田秋成はウエダ・シュウセイだろうと思ったのですが、念の為チェックしたら、上田秋成の方はウエダ・アキナリでした。

●前回の中国史書の「書」の読みについて、「ショ」と読むか「ジョ」と読むかは、日本語の音便によるもののようです。音便変化が行われたのは平安時代だそうです。中国の史書で日本に平安時代にそのころ知識人の中で読まれた『ーー書』という名の、中国の史書、『後漢書』・『宋書』・『旧唐書』・『新唐書』などが、ウ・ン音便で「ジョ」よみになったのでしょうか。
そうすると、『晋書』が、この仮説からはみ出します。平安時代には『晋書』はまだ移入されていなかったとか、知識人にはあまり読まれなかった、とか証明がむつかしい仮定をしなければならないようです。
こちらの方は、お手上げの「終戦記念日」でした。

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2016-08-10 16:27:01

東京からワンコが見舞いに 28.8.10

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●オリンピックが地球の裏側で始まりました。TV中継は一日中オリンピック一色の感じです。福岡地方が全国一の気温を示したりで、出かけるよりクーラーを利かせてTVやPCに向かっている方を選んでしまいます。

●7日に、東京から息子殿が長駆愛犬を同伴して老父母慰問に来てくれました。義理ある方々への、お盆前ですが、挨拶まわりをしたり、英彦山大権現境内にある義母の像を、義弟と一緒にお参りにいったり、暑い中を運転してくれ助かりました。
いつもは独酌がにぎやかになり、家内からたしなめられながらもついいつもの倍くらい入ったようです。高速道路がお盆の帰省ラッシュになる前にと、明日朝、北に向かって出発するそうです。

●天皇の生前退位が論じられています。古代史に一家言のある、明治天皇五世の孫、読売テレビ「そこまで言って委員会」で活躍中の竹田恒泰氏の『旧皇族が語る天皇の歴史』という本を改めて読んでみました。
20年以上前のことですが、韓国の大統領が来国した折の宮中晩さん会で、今上天皇が、韓国とのゆかりを感じる、と発言されました。その桓武天皇の生母高野新笠関係について、何か発言があるかな、と思いましたが全く何もありません。
全く何も書かない、ということは「天皇の問題提起を黙殺している天皇の歴史本」ということなのでしょか、そのように寅七には思われます。

●前回にも触れた史書の読み方です。オリンピックの観戦片手間に、なぜ『隋書』は「ずいしょ」で『唐書』は「とうじょ」と「書」を濁って「じょ」と読むのか、ネットや漢和辞典を調べているのですが、理由が判明しません。
「じょ」 ①漢書・②後漢書・④宋書・⑫旧唐書・⑬新唐書
「しょ」 ③晋書・⑤南斉書・⑥梁書・⑦陳書・⑧魏書・⑨北斉書・⑩周書・⑪隋書
(丸囲み数字は古い方からの順番)

調べていて、おぼろげながらわかったことは、
現代中国語では読み方に区別はない、日本での特異な読みであるようだ。
漢音・呉音のように、漢字が移入された時期の違いではない。
編さんされた時期によっての読み方の変化でもない。
日本語の音便による変化で、日本でよく読まれた史書は後続語が濁音化した。あまり読まれない史書は音便化の影響を受けなかった、という仮説が立てられるのかな、ということくらいです。

まあ、ぼつぼつと、この問題に視覚・聴覚を働かせ続けることにしましょう。そのうちにどなたかが「なんだそんなことに悩んでいるのか、それはこんなことからだよ、知らなかったの?」と教えてくださる人があらわれてくることを期待しましょう。
 
 
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2016-08-05 10:47:59

「タリシヒコ考」発表します 28.8.05

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●暑い日々が続いています。今朝9時過ぎ電話の呼び出し音で出てみると、所属クラブからでした。「今日のグランドシニアに申し込まれていますが?」ということで、冷蔵庫の扉に貼っている今月の予定表をみると、確かに9時30分スタート書いています。もう今からではとても間に合いません。平謝りに謝るしかありませんでした。
昨夜、誕生日で普段より少し飲んだのは間違いないのですが、無事に81歳を超すことが出来た、おかげさまでと奥方さまに礼を言ったのですが、「無事に」とはいかなかったようです。

●もう40年以上前、社宅が隣だった縁でWさんの娘さんと息子さんの双方の相手を見つけてあげたことがあります。そのWさんの息子さんが5日前に悪質ガンで亡くなり、お通夜・葬式と二日続きで北九州まで出かけました。
故人は、八幡の工業高校を出て、東京の営団地下鉄に就職しました。その時の上司だったM所長さんも定年後故郷の久留米に戻られていて、通夜に見えられていました。寅七も銀座で地下鉄工事に従事していた時の監督のM所長さんにはお世話になったものです。40年ぶりに久闊を叙することはできました。故人共一緒であったら尚よかったのですが。

●先日の古代史の会の集まりで、10月の例会で発表者をお願いします、と言われました。ということで、今のところ、その発表原稿を整理するのに追われています。原稿自体は、ホームページに出した時の者が骨子になっている「タリシヒコ考」ですから、作業は特にないのです。
しかし、読んでみると、いろいろと問題が出てきます。特に、古代史の関係では、人や組織や書物などの名前と読みが、いかにいい加減に読んでいたのか、自分ながらあきれます。

なぜ「隋書」は「ずいしょ」であって「宋書」は「そうじょ」なのか、「しょ」と読むのか「じょ」とよむかの、その違いの基準は何か、『日本書紀』は「しょき」で『続日本紀』の場合は「にほんぎ」と濁るのか、考え出すと結構時間を費やしたりします。
厩戸皇子を「うまやどのおうじ」と読むのか「うまやどのみこ」と読むのか、「豊聰耳皇子」はなぜ「とよとみみのみこ」と、「聰」を「と」と読むのか、結構チェックに時間を取られます。
聴衆には古代史のうるさ方も多くいらっしゃるようですから、ネットに書きなぐるようないい加減なことでは済まされないようです。

●その発表の第一回(月1回で3回の予定)は次のように決まりました。、
九州古代史の会10月例会
10月2日 13時30分から16時30分(のうち90分)
「タリシヒコ考」
ももち文化センター 3F 特別会議室
 福岡市 早良区百道2-3-15       

地下鉄藤崎駅下車1~2分の至極便利なところです。ただ、会員外は参加費500円が必要です。それに見合う内容のものにしなければ、とゴルフも忘れて準備に没頭しています。
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2016-08-01 09:12:47

福永晋三氏の「倭国(豊国)北伐考」28.8.01

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●今朝TVは初の東京都に女性知事誕生のニュースであふれています。やる気で出た彼女を都民が選んだのです。期待を裏切らないでくださいね。

●相模原の障碍者施設での大規模殺傷事件。ヒトラーの亡霊がまだ現実にさまよっていることを知らせてくれました。その昔、わが国挙げてナチス総統と組んだ歴史について言及するコメンテイターはみかけていません。

●昨日、古代史の集まりで福永晋三氏の「倭国(豊国)北伐考」というタイトルの話を聞きました。
古代王朝は田川市を中心に存在した、という豊国王朝説です。
今回の話は、『宋史』にある僧奝然が宋朝につたえたという年代紀がおおもとになっています。
天皇の年代紀については、『新唐書』にも年代記がありますが、両者の違いは、天御中主から彦瀲尊の間の、いわゆる神代のミコトたちが記されているかどうか、ということです。
『宋史』の方の神代の年代記を正しいとされ、スサノヲとアマテラスの関係が姉弟ではないことなどに視点を据えて定説を覆そうとされます。

3時間ほどの話でした。10年間、九州北部の神社などの伝承の収集に努められた結果の報告だそうです。その努力には敬服しますが、7世紀まで、北部九州が唯一の「天下」であったというような史観には、唯我独尊でなく、唯豊独尊との感が抜けませんでした。地方にはその地方の国生みから、その発展~消滅の痕跡はどこにでも残っていると思います。『日本書紀』にもたくさんの国生み神話が「一書に曰く」が残されているように。
今回が福永さんの、この話の処女報告?だそうです。となると、この寅七ブログが処女批評ということになるのでしょうか。


●『隋書』を改めて読んでいてで不思議なことに気付きました。
俀国の行政組織の説明で、伊尼翼と軍尼があり、伊尼翼は80戸を統率し、十伊尼翼が一軍尼に属す、とあります。そして全体で120軍尼がいる、とあります。
そうすると、俀国全体の戸数は、80x10x120で全体で96000戸となります。

「不思議なこと」というのは、3世紀の倭国を記した『魏志』の記事の北部九州の国々の戸数との一致です。
『魏志』に戸数を記されているのは、「対海国千余戸」「末盧国四千戸」「伊都国千余戸」「奴国二万余戸」「邪馬壹国七万余戸」です。合計九万六千余戸とぴったり合うのは偶然の一致なのでしょうか。
さて、1戸の構成が何人か、平均的に戸当たりの構成人員についての研究はまとまっていないようですが、50人とすると480万人という数字が出ます。7世紀の俀国にそれだけの人口があったのでしょうか? 7世紀末の筑前国嶋評の川辺里木簡には一戸に百二十四人の名前が記されています。古代の「戸と人口」の関係は、現代の「戸」や「家」の観念とは大きく異なるようです。まあ、こんなところかなあ、などというのは無責任かもしれませんね。今福岡県だけで500万をオーバーしていますが。
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2016-07-27 18:08:57

幹事の引退可能かなあ 28.7.27

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●梅雨が明けて、エアコンの発明者に感謝する季節になりました。ついつい外出するのに億劫な気持ちが先立つのは老いの兆候でしょうね、もう十分年は取りましたが。
午後3時頃までは、何とか狭い我が家を風が通り抜けてくれるのですが、夕凪の時間になると、エアコンのスイッチを入れてしまいます。

●明日は、昔の仲間とのゴルフの予定です。緑の風で癒してくれるかな、それともミスショットで頭に来ている上に、暑さでより逆上するか、神のみぞ知る、です。

●最近の仕事?は「幹事」です。中学校の同窓会「熊本震災復興祈念の集い」・高校の同窓会「28年秋季ゴルフ懇親会」の二つが当面の連絡幹事としての役目です。
そういえば、今夏の大学同期会の「暑気払い」の連絡をしなければならないことに気づきました。

4,5年前までは、連絡の往復ハガキや、封筒の宛名書きなどあまり苦にしていなかったと思うのですが、最近はミスが増え、おのれの老いを再確認させられています。
わが奥様からは、もうそろそろ引退させていただいたら、と言われていますが、本人がこの世から引退する時が幹事の引退という状況のようです。(つまり、どうしようもない)。

●古田説から古代史に入って、それからいろいろの理由で、古田先生から離れて行った方々も「タリシヒコの謎解き」にどのように入って貰おうかな、と悩んでいるところです。

「タリシヒコ」の謎も大体、世の中の大先生方々の意見の収録は完了しました。あとは、ではなぜ、このような、常識的な判断から外れた定説が出来上がったのか、という考察に入らなければなりません。

なぜ、『旧唐書』が記録する「倭国伝」「日本伝」の両建ての記述が受け入れられないのか、ということになります。なかなか、「タリシヒコの謎」の終わりが見えません。
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2016-07-22 09:03:32

「法華経」は妹子がもたらした? 28.7.22

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●都知事選挙も過熱しているようです。女性候補の銃殺予告やら、ジャーナリストの候補がイエロージャーナリズムに餌食にされています。浮動票には大きな影響があるのではないかなあ。

●昨日は所属クラブのシニアコンペに出かけました。雲一つない快晴でした。半ズボン姿で、頭には、うなじを隠す日除けがある帽子(家内からの借り物)、襟にはクーリングタオルを巻いての「出陣」でした。
その甲斐あってか、体もよく動きOBも出ず、ネット2アンダーで上がれました。16番で、上からのパットを、パー取ろうと欲張ってのパットミスで結局4パットを寄せて2パットで納めておけば4アンダーで入賞圏内に入れたのに、と悔やんでも後の祭りです。無事に回れただけでもヨシとしましょう。

●前回書いた香椎宮の標識、コンクリート製と書いてアップしました。後で写真を良く見ていて、待てよ、掘り込み文字が殆ど風化していない、ということに気づきました。あんな一本物の巨大な柱はきっとコンクリート製だろうと、近寄って確認をすることをせずにいました。翌朝気になってチェックしに行ったら花崗岩製の見事な標識でした。という訂正をしました。

●「タリシヒコの謎」ということで古今の論客の言い分を見て行っています。戦後の古代史界をリードした津田左右吉の意見が全く見えないのです。
ご本人が「自分は白鳥庫吉の弟子」とおっしゃっているので、白鳥庫吉と同一の見方としておいてかなあ、それでよいのかなあ、と資料を調べてみました。
著作が「津田左右吉全集」という形で岩波書店から出ているので、それを見ればよいのか、と図書館に出かけました。
幸い、福岡総合図書館の蔵書にありました。しかし、貸し出し禁止の部類に入っていています。30巻の目次をチェックしているだけでも結構時間がかかります。やっと、第23巻の雑録の付録として『国史教科書』がありました。明治35年1月に宝永館というところからの出版とあります。説明に、「中学5年級及びそれに相当する学究の教科書に用う」とあります。
一読しましたが、タリシヒコも隋書という言葉も見えませんでした。一応メモを取ろうとしたのですが、家内との待ち合わせ時間が迫っていたので次回にしました。

●四鏡と言われる歴史書のうち『水鏡』だけは「通史」だそうです。その他の三つは「断代史」だそうですので、岩波文庫の『水鏡』の「推古天皇のところを開いてみましたが、『日本書紀』の圧縮版みたいなものでした。大陸との関係では、「小野妹子をもろこしに派遣して法花経を持ち帰させた」、だけが目に留まった記事でした。
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2016-07-18 18:17:20

大山誠一先生は続日本紀を読んでいない? 28.7.18

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●今日は梅雨明け宣言が出て、「海の日」の国民休日でもあります。「海の日」も「山の日」も、その趣旨にも関心を持てなくなっている自分に、老いを自覚させられます。まして、医療機関も休日ですから、この国民休日などなくてもよいのに、など口走ってしまいます。

●「タリシヒコは足彦でカバネで世襲される」という説についてカバネの勉強を、と、直木孝次郎『カバネの成立と天皇』を読んでみました。
君・臣・連・直や庚午年籍については詳しく述べられているのですが、天武八姓についてはほとんど述べられません。天武天皇の諱に真人が入っていることについても意見は述べていないのです。
直木先生にもうまく説明できる仮説が浮かばなかったと思われます。

●先週金曜日でしたか、コンクリート彫刻家浅野祥雲が紹介されていました。その中で、愛知県南知多町の中乃院というお寺に、戦死した兵士百人の大きなコンクリート像が安置されていると紹介されていました。
戦後GHQが取り壊す、と来たので、住職などが、像の由来を伝え、壊すのなら自分たちを先に殺してからにしてくれ、と講義し、取り壊されずに済んだ、とTVの取材に答えていました。

大山誠一さんの本を読んでいると、【なぜ日本には「文字史料」が残っていないのか、日本人は文字で記録する意欲に欠けていた】などと言っています。

大山さんは『続日本紀』の元明天皇の廃書令的なろ宣命を知らないのかな。GHQの敗戦後の「黒塗り教科書」や「奉安殿」の取り壊しなど、文書や施設の廃棄命令などは、知らないでしょうが。、

我が家の近くに、大きな「官幣大社香椎宮」という高さ目測7メートル以上はあると思われる、花崗岩製の巨大な標柱が立っています。
その「官幣」が進駐軍の指令で、セメントで塗りつぶされたのですが、70年経った現在、セメントも風化し苔が生えて、かえって「官幣」を際立たせつぃるのは皮肉なものです。
官幣 クリックすると拡大します。
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2016-07-15 19:29:13

電車賃を使ってお散歩? 28.7.14

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●今朝は、博多の街の夏の風物詩、山笠のフィナーレでした。このようなお祭りが平和な空気の中で行われることのありがたさを、フランスのニースでの惨劇のニュースを聞かされるにつれ、しみじみと感じさせられます。

●先週から末娘一家全員が、アメリカのパサデナに仕事や勉強や、ついでの観光?に出かけました。帰国予定の月末までは、メールでのやりとりだけきりになります。
電話での孫たちとの会話が唯一の生きがいみたいな、我が家の主は、フラストレーションがたまりつつあるようです。
本人の携帯電話の電池の具合が悪いので、買い替えようと街に出たのですが、買い物する気にもならなかったようで、今日は電車賃を使って散歩しに行ったようなものでした。


●先回の阿輩臺の続きみたいなものです。
古田先生の『失われた九州王朝』でも、裴世清を出迎えたのは、「小徳阿臺」としています。
岩波文庫本の『隋書』では、百衲本の影印が出ていて「小徳阿臺」なのに訳では「小徳阿臺」としています。
おそらく古田先生も『隋書』の百衲本を参照されたと思うのですが、原本の影印は出されてないので、ひょっとしたら古田先生は、別の原本に「阿臺」とあったのかなあ、と釈然としない所がありました。
しかし、原本の影印は古田先生の本のどこかで見たかすかな記憶がありましたので探してみたら『九州王朝の論理』に出ていました。しかし、その影印の原本については何も書いてありません。

しかし、岩波文庫本の『隋書』の影印を拡大コピーしてと比べてみましたら、ぴったりと合いました。
結論として、古田先生はなぜか、『隋書』百衲本の「小徳阿臺」を「小徳阿臺」と間違って訳されていました。
『隋書』の定説では「阿臺」ですが、つい見過ごされたのかと思います。しかし、「北」と「比」の違いがタリシホコかタリシヒコ」かという問題に発展します。この「軰」「輩」の違いはカンムリが「北}か「非」の違いなのです。読みが同じアハタィだから、字の違いは大したことではないのかもしれませんが。
ただ、多利思北孤の「北」と、阿軰臺の、「軰」の北カンムリの字体が、素人が見ても同一の「北」という書体なのです。もちろん「比」ではなく、「非」でもないのです。
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