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2014-10-17 17:20:19

坂本太郎氏の変説はどうなった?26.10.17

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●三度目も幸運が舞い込みました。高校同窓の傘寿祝いのゴルフコンペで、ダブルペリアによるハンディキャップ戦としましたら、又もや優勝が転がりこんできました。実力的には負けていたのですが、運に恵まれました。

天気も絶好で好スコアが出る筈なのに、なぜこんなにパットが入らないの、と悔みながらのゴルフでした。まあ、久しぶりにどら根をゲットできましたし、夕方から山鹿温泉で、バスハイク組と合流してのの40名の大傘寿祝宴会では、威張ってゴルフの組で優勝できましたという挨拶ができました。


●かなりの級友に『奴国がわかれば「邪馬台国」が見える』を献呈していたので、宴席でも古代史の話題がかなりでました。

わざわざ、自分出版した本や、お礼の焼酎などをいただいたりで帰りには荷物もかなり増えました。級友はありがたいものです。


●最近Amazonから届いた、坂本太郎氏の『聖徳太子』を読んでいたら、次のような文章に行きあたって驚きました。


【(第一回の遣隋使とされる)隋との関係については特に詳しい記事を残している『日本書紀』に全く記載のないことと、使者の言の内容とから考えて、私は推古八年の隋への使者を朝廷の使者と見ないのであるが、今一つこれを支持するものは、八年という時点である。この時は朝廷が新羅征討の大軍を半島に派遣している時である。この国家多事の際に、隋への国交というような新局面を開く余裕をもち得たかどうか、甚だ疑問である。おそらくは新羅出兵で動員された九州豪族のうちのひとりが、そのどさくさのまぎれに私の使人を送ったと見る方に可能性がありそうではないか。(中略)


この考えは四十年前の旧著『大化改新の研究』、二十年前の著書『日本全史』2、古代Iに述べた所とは全く反対の説である。旧著では『馭戎慨言』を否定する立場をとったが、今は逆にその説に従う心境となった。私はこの変説を正直に告白しなければならない。


この本は坂本先生の78才の時の著述です。世の中はもう井上先生一色になっていたのでしょうか、この坂本変説にフォローしたお弟子さんは見えないようです。

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2014-10-13 08:47:20

「柿球肥(かきぎゅうひ)」の到来 26.10.13

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●先日の昔の仲間、といっても現役で活躍しているゴルフ好き、と一戦しました。レギュラーティでやろうというので、このところダブルペリアほうしきのハンディ戦で味をしめているので、チョコはダブルペリアで、という案が採用されました。

結果は、グロスではビリなのに、ネットではトップでした。チョコの大漁でダブルペリアさまさまでした。明後日の高校同窓の傘寿祝い記念ゴルフも、ダブルペリアルールで行うことにしています。3度もうまくいくかなあ?


●三連休なのに台風接近のニュースでなんだか落ち着きません。もう太秋柿も出ているのではないか、台風で落果するかもしれないから、台風前に買えるものなら買っておこう、熊本が太秋柿の本場だけれど、台風の足が速まったらやばいから、と近くの朝倉方面に向かうことにしました。

朝倉の三連水車の道の駅では太秋柿は出ていません。浮羽の道の駅に行ってみるとちゃんと売り場に箱が山積されていて、無駄足でなかったことに安心しました。味は上々でした。


●おまけに宅配便で熊本銘菓「柿球肥(かきぎゅうひ)」が到来しました。寅七も熊本育ちなのにかって味わったことのない高級なお菓子です。

献呈した本のお礼ということですが、つり合いがとれない、申し訳ない、明後日の傘寿祝いの会で会える筈だからお礼を言うのを忘れないようにしなければ、と思いつつ、つい三枚も口にしてしまいました。


●ゴルフに行くときのラジオで時々歴史上の事件を、加来耕三という方が解説しています。ネットで検索したら、『日本史「常識」はウソだらけ』祥伝社黄金文庫が99円だったので注文していたのが着きました。

最初の常識のウソは「聖徳太子は摂政になっていない」ということでした。

『日本書紀』の記事を詳しく読めば、「摂政」という役職があったわけでなく、摂政という語はあるが、「摂政」という役職ではなく、よく相談して物事を決めなさい、という程度のものであった。「摂政という役職に聖徳太子が就いたという常識はウソ」、ということでした。

そんなことよりも、聖徳太子は多利思北(比)孤である、という常識のウソを取り上げるべきではないか、とおもいました。総じてこの加来さんの常識のウソはインパクトが弱い感じです。


●まだ台風は到来しません。勅金のニュースでは、どうやら東に若干ずれて、わが棲家あたりは直撃はされないようです。

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2014-10-07 04:28:08

『三国志』は一つの書物なのかな 26.10.07

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●久しぶりに大学同学科同窓会のゴルフコンペに参加しました。若い人も多いゴルフコンペです。ウイークエンドに行われ、安い平日ゴルフに慣れている年配者には敬遠されているようです。今回も75歳以上は2人で次は12歳若い卒業年次組でした。まあ、本の販売促進を同窓に頼ろうという下心もあっての参加ではあったのですが。


台風の先触れで結構風が強かったのですが、シニアティを使わせてもらったので、まあまあのスコアで上がれました。上がりのホールが380ヤードと割に長かったのですが、なんとかボギーオンできたのですが、最後の20cmパットがカップの縁を一回りして入ってくれませんでした。あーツイていないなあ、とぼやいて上がったのです。

ところがダブペリアでハンディを決めるルールで、最後のホールが隠しホールの一つであったようです。一つ余計打ったのがハンディを0.2余計貰える結果となり、二位にネット0.2差で私に優勝が転がり込んでくれました。

「優勝の挨拶」というおしゃべりの時間が図らずももらえましたので、振り込み用紙を付けて宣伝チラシを配布し『奴国がわかれば「邪馬台国」が見える」の宣伝ができました。


●『三国志』という書物の中で、なぜ『魏書』は短里で『蜀書』は長里なのか、という問題を論理的にどのように説明できるのか、という議論を古代史仲間から吹きかけられ、自分の勉強のためにも、と思いまとめてみたのです。その論理の骨子は、


・『三国志』は一つの書物としての体裁をとっていないことは序文がないことが一つの傍証である。

・『魏書』は当然魏朝の度量衡単位で書かれているはず。その里の長さは、漢の里の長さでは、例えば「韓国は方四千里」というとてつもない大きな国になってしまう。短里という概念を導入して初めて理解できる。

・ということは、魏朝は韓の里よりも短い里を使っていた証明になる。

・蜀は、漢の里をそのまま使っていたので、陳寿はその通りに書いた。

・陳寿がそのような使い分けの説明をしていないこと自体、『三国志』が一つの書物として出来上がったものではないことの傍証でもあろう。


とまあこのような説明になったのですが、あくまでも推論の域を出ていませんので説得力には欠けるようです。


●「しらぬひ筑紫の綿は身につけて いまだは着ねど暖たけく見ゆ」の万葉集にうたわれている綿は、綿花でなく繭から作った真綿のことだ、という説がある。これははたして正しいのか、ということについて意見を読者の方から求められました。

『鏡皇女物語』で、筑紫では7世紀にすでに綿花栽培がおこなわれていたように書いていたからです。


通説では室町時代以降に綿花栽培ははじまった、とされています。

『日本後紀』延暦18年(799)に、三河国にインド人が漂着し、彼が持っていた綿の種を栽培した、という記事があります。

インドで紀元前2000年には栽培されていた綿花が我が国に到来したのは、その三河の一件だけではあるまい、と小説だから筑紫で7世紀には栽培されていた、としてもまあこれくらいいいか、と理屈付けをしたのですが、ちょっと強引過ぎたかな、とも思っています。


●台風18号が通り過ぎて秋らしくなりました。昔の仲間に誘われて今日もコースに出かけます。


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2014-10-01 08:59:37

アラがゾロゾロ 竹田恒㤗氏 26.10.01

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●先日から危ぶまれていた、昔から家族ぐるみで付き合いのあったN氏が亡くなり、昨夜通夜が営まれました。

腎臓病患者の社会復帰のために尽くしてきたN氏はあまり健康的とはいえない生活者の寅七よりも一つ若いにもかかわらず彼岸へ先立ちました。

お通夜には、北九州ではかなり大きな会場でしたが入りきれない参列者の波でした。花も200基以上あったかと思われました。花よりも、とノリキオ画白が描いてくれた絵を斎場に飾ってもらいました。

今日はお葬式でもうすぐ出かけなければなりません。


●先回の続きです。多利思北孤王の最初の遣使について、竹田恒泰氏は次のように書きます。

  【推古八年の遣隋使は『日本書紀』には記されていない。『日本書紀』の編集者は『隋書』を参照しているのだからこの『隋書』の記事を知らないはずはない。意識的に記述しなかったものと思われる。

  『隋書』によると、倭からの使者は「倭王は天を兄とし、日を弟とする」などと語り、隋の皇帝は「はなはだ義理がない」と軽くあしらったという。使者が無冠だったことも一つの原因だと考えられる。当時、倭には位階の制度がなかった。

  そこで推古十一年(六〇三)、聖徳太子により冠位十二階が制定され、わが国において個人を功労によって昇進させる制度がはじめて成立した。】


しかしこの『隋書』の記事の紹介は甚だ不完全です。


① 天を兄として云々の後に、「王の妻は雞弥と号する。後宮に女が六、七百人いる。太子を名づけて利歌弥多弗利となす。」と続いているのですけれど、なぜか竹田さんはこの肝心の当時の天皇の係累を示す貴重な資料を取り上げていません。


② この竹田さんの説明では、使者に冠位が無かった、という説明ですが、「太子を利歌弥多弗利となす。」に続いて、【内官に十二等ある。大徳、次は小徳、次は大仁、次は小仁、次は大義、次は小義、次は大礼、次は小礼、次は大智、次は小智、次は大信、次は小信、員に定数はない。軍尼一百二十人あり、なお中国の牧宰のごとし。八十戸に一伊尼翼を置く。今の里長の如きである。十伊尼翼は一軍尼に属す。】とあり、俀国には冠位もあり官僚組織も備わっていたと見られるのです。


隋との国交開始で冠位制度が整えられ、その後の説明が『隋書』の【内官に十二等云々】の記事になったと竹田さんは仰りたいのかもしれません。


しかし、小野妹子が持参した国書と竹田さんが云う「日出づる処の天子云々」の事件の前に、この「内官十二等」の記事があるのですから、どう考えても俀国に冠位制度がなかったというのは無理筋で、『日本書紀』の冠位制度創設の記事に合わせるための、強弁的説明です。


③竹田恒泰氏は次のように天皇の姓について述べます。

  【中国から冊封を受ける国の王は、中国皇帝から姓を与えられる。倭の大王もかって「倭」という姓を与えられていたとみられる。倭は律令国家を成立させる過程で中国の制度を積極的に取り入れていくも、倭が冊封体制を抜け出したことにより、大王は自ら姓をもたず、氏姓を与える存在になった。そして現在に至るまで天皇家には姓がない。】と。


しかし、『隋書』には、俀王多利思北孤は「姓は阿毎」と記しています。素直に読めば、俀王は「アメ」又は「アマイ」という姓があったということになります。それなのに「天皇には姓がない」という結論と結び付くのでしょうか。

【倭(やまと)は中国から貰った姓だから、中国の冊封体制を抜けた以降は姓がない】、と竹田さんがいうことは、日本側の記録を観ると???です。『日本書紀』『続日本紀』には連綿として、「天・倭・日本(やまと)」という和風謚号が用いられていることについて、天皇家の末裔に繋がる竹田さんはどう説明できるのでしょうか。


天皇家と多利思北孤王とは関係が無い、とか、『隋書』にある「姓」は名字であり、天皇の姓は「カバネ」の意味である、などなにかの説明をされる必要があるでしょう。


[和風謚号](皇極天皇以降)

皇極(天豊財重日足姫)、孝徳(天万豊日)、天智(天命開別)、天武(天渟中原瀛真人)、持統(大倭根子天之廣野日女尊)、文武(倭根子豊祖父)、元明(日本根子天津御代豊国成姫)・・・以下日本根子・・・、天・・・の和風謚号が続く。


ともかく、竹田恒泰氏の論述は、ちょっと調べるとアラがゾロゾロと出てきます。『奴国がわかれば「邪馬台国」が見える』の方は大丈夫か、といわれそうですが。

2014-09-26 19:33:30

竹田恒㤗氏の天皇の歴史観 26.09.27

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●やっと秋らしい聞こうとなりました。台風16号も温帯低気圧に衰弱し、ということで木曜日は、強風高潮注意違法は出ていましたが、ゴルフ可能の日和になってくれました。

火曜日の3クラブ対抗では最後に11打を打つ大崩れを演じましたが、今日はその轍を踏むまい、と心してのスタートでした。

が、やはり体力不足なのでしょう、最終ホール、ここまでティーショットに大きな乱れはなかったのですが、左ドッグレッグに合わせる形のドロースイングは不得意なのに、ついドローボール陽のスイングになってしまい、ボールは初OBとなり林に消えました。

狙ったベスグロ優勝は逃しましたが、準優勝で賞品に、孫娘に送ってやれる立派なケーキを貰えました。


●まだまだ、本についての礼状を書かなければならない先が残っています。このところ恒例になった朝の仕事です。

いろいろな本、ご自身の著作やペーパー、また、自分が気に入った本を読むようにと勧めて下さったり、はたまた、ご自分の邪馬台国論を文章にまとめ開陳される方など、返信するにも目を通さなければならず、結構一通の礼状書くにも手間取ります。まあ時間はありますけれど。


●本業の古代史本批評の方まで手が回りません。武光誠氏の本の批評も中途半端になっています。

たかじんのそこまで言って委員会のメンバーとしてマスコミに注目される発言をしている、竹田恒㤗氏が古代史に着いてかなりの本を出しています。

古事記についてもかなり面白い見かたをしていて、批評の食指は動いたのですが、竹田さんの基本が不確かのようですので、見送っていました。

しかし、復古調の世の中に水を得たのか、『旧皇族が語る天皇の日本史』という本を出されるようにまでなりました。

日本古代史の大きな謎、「多利思北孤王は何天皇なのか」について、旧皇族は自分の祖先の謎にどう迫っているのか、どのように理解しているのか、興味を持って読んでみているところです。

2014-09-21 23:18:38

古代の穿孔技術 26.09.21

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●先週の3クラブ競技役員対抗戦は心配していた練習不足に寄るドライバーショットの乱れは幸い出ませんでした。しかし、アプローチやパットの小技が前半は全くコントロールが利きませんでした。出だしのホールでアプローチミスと4パットをやらかしてしまいました。

このところ慣れない礼状書きや本の正誤表などについてのお詫びなどの文章を書くことが多く、右手首から上腕がしびれる感じで、球をうまくコントロールできずズルズルとヒッコずって前半を終えました。

後半は手首の調子も戻り、普段のスコアにまとまり、トータルでネット3アンダーで終えることが出来ました。ただ皆さんの調子もよく62名参加で14位という章にありつけませんでしたが、久しびりのグリーンで気分よい一日でした。


昔からの知り合いN氏を見舞いに末娘が千葉から来てくれました。

四十日前息子が見舞った時にくらべ、病床での状態は一段と厳しくなっているようにみえました。もう本は読めませんとのことで、チラシを見せ、次ぎの本を書きますか待っていてください、と言ったら微かに頷き手を差し伸べてくれました。


●末娘に家内が、餃子ならあそこ、回転寿司ならあの店、ピザは、やはりあそこまで行かなければ、などでB級グルメ回りの運転手役の5日間でした。家内にとっては何よりもの楽しい時間だったことてしょう。先程空港迄送ってきました、Nちゃんありがとうございました。


●本が届いた、と沢山のかたからいろいろとご意見を頂いています。本の内容についてのご意見、多くは寅七の知識の浅さからくるものですが、その事については「生後評」で納まらない分については改めてまとめなければならないか、思っています。ただ論述の論理についての指摘がないことについてはホッとしているところです。


●ご意見というかご自分の古代史に関する経験や意見について述べられていることのなかには、次のような興味ある事柄もありました。


・志賀島出土の金印の五文字のうち、漢の字だけが特に大きい。その意味も解説して欲しかった。

小豆島 は別名大野手比売と古事記にある。小豆島には大銅鐸が出土している。「野」=「奴」であれば、大野手は大ヌデ(銅鐸)ではないか。奴国がヌ国であれば、銅鐸の国という意味もあるのではないか。

古代の技術レベルは現代人の想像を超える。玉に穴を開ける技術の証拠を示す出土品を持っ

ている。玉の両側から孔を開ける作業をしてその孔が食い違っているいわば失敗作と思われるもの。

改めて志水史夫『古代日本の超技術』を引っ張り出して、古代の穿孔技術について読み直し、現物を見せてもらえないかと頼んでいるところです。











2014-09-14 19:32:03

古田先生の電話でホッとしました。26.09.14

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●やっと梅雨が明け、夏がいつの間にか過ぎて、秋冷の候となっています。

献呈本の送付先名簿の不備による返送本の処置や、校正作業の不備による正誤表の取りまとめ、販売促進のための作業などで手ん手古舞いの半月でした。


特に「校正畏るべし」という警句は明治時代に福地桜痴が言った言葉だそうですが、今回特に肝に銘じているところです。正誤表をさてどのように届けるか、今から販売する分については出版社に任せるとしても献呈本の送り先については当方が責任を持たなければならないでしょう。


●その間、沢山の方々から励ましのメールや便りをいただきました。ご自分の著作や作品を恵送いただいたり、お祝いなども頂きその対応にこの三連休をあてようとしているところです。


先日、ある古代史の会で本のPRをしていまして、「古田先生から叱られるのではないか」、と真顔で忠告を受けたりしました。「本を読んでいただくとそのような心配は無用ということが分ると思います」とこたえましたが、心の隅では古田先生の反応は気にしていました。

今夕古田先生から電話がありました。「読み終わったよ。筋が通っている論述だ、皆さんにPRしてあげようと思っています」という趣旨でした。


●これで今夜から安んじて眠れます。明日は久し振りのゴルフです。この1カ月、本の出版に伴うデスクワークでしたので久し振りにゴルフクラブを手にします。

所属コースに関係する3クラブのクラブ役員の対抗戦です。ゴルフクラブの役員は、勿論ゴルフ好きの集団の選りすぐりですから、どうなることか、古田先生の電話で張り切り過ぎるかも知れませんが、それが吉と出るか凶とでるか?



2014-09-08 19:51:42

福永伸哉氏の三角縁神獣鏡卑弥呼への特鋳説 26.09.08

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●世の中は錦織選手一色です。明日また勝てばどうなることでしょう。なんだか勝つような気もします。

60年前、日本にオーストラリアのプレイヤーが日本に興業でやって来ました。どこで見たのか田園コロシアムだったと思いますが、オーストラリアのローズウォールとセグラがメインでした。

ローズウォールの華麗なプレースタイルよりも、パンチョ・セグラの俊敏な動くに目を見張りました。これだったら日本人でもやれるスポーツではないか、と思ったことでした。見よう見まねでバックハンドの両手打ちを真似したりもしました。


錦織選手がたとえ明日負けたとしても、テニスが日本人でもデカイ外国人に対しても十分対等にやれるスポーツだということの証明を、錦織選手がやっと実現してくれました。(60年前、熊本というテニス後進地での硬式テニス揺籃時代を過ごした寅七の感慨です。)


●昨夜は地域の花火大会でした。現地の浜辺まで1キロくらいなのに、マンションの廊下から眺める、というズボラな花火見物でした。

マンション居住者の方々も同様な考えの方が多かったようで、最上階は賑わっていました。小さなマンションですが、お付き合いで本を買って下さった方も世帯数比でいくと10%強ですから、これで本の売れ行きを占えればよいのですが・・・。


ベランダから見る花火

●三角縁獣神鏡の研究で、対外的に発信している研究者としてはNO1と思われる福永伸哉さんの最近の講演内容を読みました。(学士会U7誌VOL57)


三角縁神獣鏡は卑弥呼への下賜鏡という説が、王仲殊氏の「中国産ではない、中国では全く出土していない、日本製であろう、呉の工人が日本に行って造ったものであろう」という説で滅びかけた説を盛り返すための力説のようです。


国内製ではなく、魏が卑弥呼のために特別にあつらえた鏡である証拠を、鏡の鋳造時の鈕孔の形状から、国内で発掘される三角縁神獣鏡の鈕孔の形状は、呉鏡と共通点はなく、魏鏡との共通点がある、だから王氏がいう呉の工人作製説は間違っている、やはり魏朝が卑弥呼に特鋳した鏡だ、ということのようです。


三角縁神獣鏡もその紀年解釈に問題があることは棚に上げられて論じられています。それに、王氏の立論は、①三角縁神獣鏡は中国では全く出土していない。②それなのに、未開の地の日本に三角縁神獣鏡という鏡が存在する。③だとすれば中国から(呉から)工人が日本へ渡って作製したのであろう。④呉の関与を示唆する鏡面の文字も存在するから「呉の工人」説となったのでしょう。


鈕孔の研究から呉の系統の製造工程に合わない、といって、王氏がいう「三角縁神獣鏡が中国から全く出ないから中国で製造されたものでない」という立論を覆せるものではないのでは、と思います。

日本における弥生時代のもう一つの青銅器「銅鐸」の製造技術を持っていた畿内の鋳造技術者の関与についての見解も福永氏の見解を聞きたいものです。


●やはりというべきか今回は無いだろうと思っていた校正ミスが、読者の方々のご指摘で6か所になりました。

出版社と相談して正誤表を付けるようにして、献呈先にはメールで送ろうか、と思っていたら、熱心な読者K氏が、「正誤表作製はもう一晩待って。今夜最終チェックをしてあげるから」と言ってくれますので、今夜の正誤表の送付作業は中止しました。


2014-08-31 18:54:47

本が出来あがりました、販売協力お願いいたします。 26.08.31

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●本ができあがりました。

出来あがった本


早くも知人から、出版おめでとう、Amazonに早速注文しました、と今朝メールが入りました。びっくりしてAmazonをチェックしてみましたら予約を受け付けていました。


別のブログ読者の方からも注文が入りました。献呈本の送付作業に注力していましたが、販売の方もうかうかできません。


著作者が販売する責任部数の事もありますので、出来れば当方に直接申し込んでいただきたいものです。Amazonのようにスピーディに処理はできないと思いますが、著者特権で値段は下げることが出来ます。(Amazonですと1600円+税で1748円です)


ゆうちょ銀行口座をお持ちでしたら口座間の振り込み手数料不要ですし、下記口座に1冊あたりAmazonより約350円安い、1400円の金額を振り込んでいただくと、出版社の海鳥社の方から7~10日内にお届けすることができます。是非、購入頂き、「果たして古田武彦説を越えられたか」をじっくりご検証下さい。


            記

口座名: ゆうちょ銀行  口座記号 01720ー8ー  口座番号 68662(右詰め)
加入者名: 中村通敏出版会
        (ナカムラミチトシシュッパンカイ)

金額: 『奴国がわかれば「邪馬台国」が見える』 一冊あたり1400円(送料共)を振込下さい。
       ※お届け先の住所氏名・電話番号の記入をお忘れなく。


お振り込みいただいたら、ほぼ7~10日ではお手元に届くと思います。よろしくお願い致します。

2014-08-27 18:37:12

本のチラシが出来ました 26.08.27

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●孫は来て良し、帰って良し、とはよく言ったものです。1週間の滞在が終わって昨夜最終便で帰京しました。明日から台湾の大学での若者の討論イベントに参加しなければならないというのに、ババジジと温泉巡りをして、部屋に落書きを残していったりそんな若者の特権うらやましい限りです。

帰った後ノリキオがいた部屋を片付けていたら、ふすまの片隅に西瓜の鉛筆で落書きなどして帰っていました。他所でしたら大変だなあ、と笑っておれるのは孫に対して甘やかし過ぎかもしれません。


西瓜の落書き 落書き


●山歩塾塾長のブログが終了となったようです。体力的に山登りが出来なくなったので、ということが理由というように最後の出稿で述べられていました。

山についての思い出話など書いてもらえれば良いのに、と思いますが75歳過ぎても頑張ってこられたのですから、ご苦労さまでしたとしか言いようがありません。本当にご苦労さまでした。


●『奴国がわかれば「邪馬台国」が見える』が9月1日に発売ということになりました。

出版社から「宣伝チラシ」が送って来ました。

今回の出版には海鳥社もかなりリスクがあるのを社長さんが無理して下さったので、少しでも売り上げに協力しなければ、と旧友K氏の骨折りで大学生協回りなど、青少年向けの売り込み先などの営業活動を始めているところです。


本の宣伝チラシ クリックすると拡大します。

26年夏豪雨災害で世の中は大変のようで、なんとなく申し訳ないように思ったりしています。そういえば、『鏡王女物語』の出版時も311東日本大地震の直後で、3ヶ月ほど遅らせ、その間義援金集めの活動をしたことも思い出します。


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