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2018-02-24 20:30:13

30.2.24 ノリキオ画伯の展示会

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●上京した折に、ノリキオ画伯に売れ残っている著書『奴国がわかれば「邪馬台国」が見える』の販売係りなど助けてもらい助かりました。

そのおり、自分のことにかまかけ、ノリキオが「僕、今展示会の準備で結構忙しい」というのを聞き流してしまっていました。

なんと、今日から展示会を根岸でやっているそうです。友人との二人展です。案内状が届いたのが22日なのです。「ノリキオ君そっれなちょっと遅すぎないかい」と言いたいところです。「そだね~」と返ってくるでしょうが。

 

●「きてくれる~?」というメールも来て、家内は行きたいけど、やはりちょっと無理かぁ ということで27~28日再度単身上京の予定を入れました。

 

●家内が、講演会が終わったのに、何をそんなにPCにかじりついているの?と不平顔をします。

の講演会で、論語の二倍年暦の問題で、寅七の主張が、古賀さんの反論で崩されるのではないか、ということで心配される方もいらっしゃったし、一応再反論の準備をしておかなければ、という作業を始めているのです。

 

その第一歩として、『三国志』の登場人物の平均死亡年齢の古賀さんの主張が正しいか、ということについての「悉皆調査」を行っているのです。

まだ、作業中で中間報告ですが、結構60才過ぎに亡くなっている(最長命90余歳)方も多く、古賀さんの、「当時は50歳が寿命。だから論語は二倍年暦の世界」説は厳しいように寅七には思えるのですが、甘いかなあ。

 

●新しい歴史教科書(古代史)研究会のURLは次です。

http://torashichi.sakura.ne.jp

 

 

 

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2018-02-21 19:40:14

30.2.21 何とか東京講演終わりました

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●日曜日の東京講演を、まあ、何んとか無事に終え、月曜夕方福岡へ帰ってきました。

 先週土曜日午後、ひさしぶりに長男宅で愛犬2頭に出迎えを受け、孫4人も交えての、伊万里牛(家内が前もって送っておいた)すき焼きの晩餐でした。

 孫たちもそれぞれ忙しそうです。10日後に迫った、仲間との制作展の準備で忙しいS君、ドクターコースへ行くことが決まり、ショウジョウバエの脳細胞の変化を見る研究に寝食を忘れて没頭しているH君、来月西海岸に短期留学するTちゃん、作曲作詞に余念のないT君など、若いって良いなあ、と思われる会話が飛び交っていました。

 
●講演は予定稿を15%くらい残して時間切れとなりました。まあ、古田先生とのお付き合いの懐旧談みたいな講演でしたから、どこで切れても構わないような構成でしたから、そう問題もなく、質疑応答の時間も意地悪な質問もなく終えることができました。
 以前、古田先生の八王子セミナーでお会いした、東京古田会・多元の会の方々に久しぶりにお会い出来ました。荻上先生も八王子セミナーのころを懐かしがっておられました。古田光河さんもお見えになっていて、後の懇親会で遅くまで杯を離さず、懐旧譚に花を咲かせました。
●翌日は、大学同学科同期の連中が、もう堅苦しい話は頭に入らないから、と古代史の会への参加は拒否し、寅七の羽田発の時間ギリギリまで同窓同期会を居酒屋でやりましたので、羽田から福岡まで、魔法のように一瞬で帰えり着けました。おそらく隣の席の方は寅のイビキに迷惑したことでしょう。
 
 このところ、講演の原稿にかかりっきりだったので、雑用がたまっていて、それらの処理、特に、医療費返還の確定申告に頭を切り替えるのに、苦労しました。
 おまけに税務署が「医療費還付」の手続きを大幅に変更、(税務署にとって手間が省けるように、申告者には5年もの帳票の保管義務を課す、などの変更)があっているので、去年同様というわけにもいかず、結構苦戦し、二日?三日?酔いもすっかり冷めてしまいました。
 
●東京で皆さんから、論語の二倍年暦で、K氏が寅七の論に反論されているが大丈夫ですか、と心配されているご意見もお聞きしました。
 この問題は、論語になじんでいる一般大衆の方々も納得できる論証ができるかどうか、ということが肝腎だと思います。自説が正しいのだ、という枝葉の論争にならないように、と思っています。
 
●「新しい歴史教科書(古代史)研究会のURLは次です。
 
 
 
 
 

 

 

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2018-02-16 12:33:14

30.2.16 欲張りすぎたか講演内容

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●寒波も収まって、小春日和の週末、となりそうです。オリンピックもフィギュアスケートがクライマックスを迎えます。高校・学寮・同僚にも声を掛けてしまいました。寅七のつたない古代史の話を聞きに来られる方々には感謝感謝です。

 

●明後日に迫った、東京でのおしゃべり、昨日予定原稿を読んでみたら、とても時間が足りません。ちょっと欲張りすぎたのかなあ、と思い、内容を60%にカットする作業に入りました。

まあ、「論語は二倍年暦で書かれていない」は東京古田会の今月の会報に掲載されたので、いざとなったら、この件を外してもよいかと思っています。

一応の予定している内容です。

(I)古田先生との出会い ホームページと古田先生 

松本清張『古代史疑』 上田昭氏の場合 卑弥呼は共立された? ◆大津教授のマエツキミ論 ◆安本美典氏の数理文献統計学の欺瞞性 ◆『偽書「東日流外三郡誌」事件』批評の場合 ◆森浩一氏の場合 書いていないことへの批判 「減筆」 

II)生意気にも先生に意見も 

◆筑後の飛鳥視認実験 PCでできる作業では? ◆なかった6号の場合 DVDの特質

◆筑紫郡筑紫村大字筑紫はなかった ◆ 大分君は「おおいた」君ではない ◆論語の二倍年暦批判  ◆国生み神話私案 両児島〈天両屋〉=志賀島+西戸崎・知訶島〈天忍男〉=糸島半島・女島〈天一根〉玄界島 ◆東夷伝の戸と家 どちらが人口的に大きい単位なのか ◆「奴国」の位置は糸島平野にはなかった 

―――――休憩―――――――

(III) 進化する古田先生 

◆坂本太郎氏の進化について ◆佐伯有清氏の古田評価の変化 ◆古田先生自身の進化  

 

①倭人伝の「方」の理解  ②三国志の「里」について ③『邪馬一国の証明』に見える混乱 ④隋書の阿蘇山の場合 ⑤磐井の乱の場合 

 

(IV) 泉下でご報告したいこと

◆比は北である証拠発見 ◆余談 白文の読み下しの難しさ の解釈 ◆なぜ郭務悰が太良にいたのか ◆『論語』は二倍年暦で書かれていない    結び

 

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2018-02-09 19:56:41

30.2.09 国生み神話「天之忍男」私案

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●オリンピック開幕前夜ですが、北朝鮮からの来訪者のニュースがメインになっているようです。今から2週間、貴乃花問題は、棚上げとなることでしょう。

 

●やっと寒波が引っ込んでくれたようです。お陰様で、1週間後のおしゃべりの原稿が一応まとまりました。

しかし、読んでみると、自分で書いた原稿なのに、この言葉はどう読むのか、とチェック読みが止まってしまうのが再々です。

特に人の名前です。生野真好さんは「ショウノ」は間違いないが「マコウ」で良いのかな、「マサヨシ」なんかな。同様に、織田信長の弟、織田信行は「ノブユキ」なのかな「ノブツラ」なのかな。嶋評川辺里は「シマヒョウ・カワベリ」なのか「シマノヒョウ・カワベノサト」どちらだったかな、次から次へと読みに迷う言葉が出てきます。結構時間を取られています。

 

●以前、国生み神話の「知訶島」は、近の島(クニ)と解して、糸島半島ではないか、という案をこのブログで述べています。しかし、「知訶島」は、亦の名、「天之忍男」とある事については、考えが及ばず、無言でした。

改めて、検討してみました。ネットで調べても、特にこれはという私案を披露されている古代史好きの方も見当たりません。

そこで寅七私案です。

「天之忍男」をそのまま読めば良いのではないか、意味も通じるのではないか、ということです。

そのまま読めば、「アマ(国)の忍びの男(たち)のクニ」ではありませんか。

国生みの最後に、「それらの国々を守る軍団を配置したクニ」を生んだのでしょう。

 

その証拠に、イザナギ・イザナミ両神は、国生みが終了すると、神々を生み始めますが、最初に生む神が「大事忍男神〈おほこと・おしをのかみ〉」です。「天之忍男」を守る神を第一番に生んだ、ということで理屈は通ります。

この国は、イザナギ・イザナミ両神の見込み通りの、武勇のクニとして育ったようです。『古事記』に残る、神武天皇に従軍した糸島の「久米軍団」の記事に、その片鱗を見ることができるのです。

 

如何でしょうか?

 
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2018-02-03 10:14:55

30.2.03 確定申告の時期になりました。

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●早くも立春です。春は名のみの風の寒さや、の小学校唱歌を思い出させます。

 

●このところ「貴ノ花」のニュースでもちきりでしたが、今回の正面攻撃では、守旧勢力の結束の堅さを見せつけられた形で終わりました。

 

貴ノ岩の民事訴訟に第二幕を期待する向きもあるようですが、なんとなく、三島由紀夫がふっと頭に浮かび、なぜ「三島が出てきたのか」と自分の脳の働きが不思議に思えます。

 

ともあれこのところ家事・雑用をほったらかしにしていました。特に確定申告で医療費の整理が大変です。300枚を超す、領収書の整理は思っただけでうんざりしますが、そろそろ始めなければならないようです。

 

●一応二週間後のおしゃべりの原稿をなんとかまとめ上げました。「論語は二倍年暦で書かれていない」を入れていたのですが、一昨日「東京古田会会報」の投稿していたのが掲載されていました。これお入れた、おしゃべりを予定していたので、これを外して4時間弱持たせられるのかな、気になります。その場で追加の話題を捻り出す技術はまだありませんので、その辺も準備しておかなければならないだろうなあ、と思っているところです。

 

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2018-01-25 17:27:48

磐井の乱の解釈に悩む 30.1.25

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●来月の上京は最低の滞在時間となります。幸い孫たちが私の上京中付き合ってくれる、というのでほっとしているところです。在京の大学同期生グループが折角寅七が出てくるなら、と懇親会をやろう、と言ってくれているのですが、福岡に帰る便までの時間でやりくりしてみようと言ってくれます。皆さん82歳を越しているので、当日の天気が心配です。寒気が到来しなければよいのですが。

 

●寒波襲来というのでこのところ巣ごもりして、古田武彦先生の「進化」と寅七の対応について、昔の記憶を呼び起こしているところです。ホームページを始めたころは『「邪馬台国」はなかった』とそれに続く第二書第三書の三冊だけの知識といってもよい程度でしたから、ホームページを始めてみて、古田先生が自分の考えをどんどん進化されていることに戸惑ったものでした。

 

●古田先生の進化の最たるものは、「磐井の乱」の解釈の変化でしょう。

1973年の『失われた九州王朝』では、継体天皇側が九州王朝にたいして企てたクーデター、というように述べられています。それが、磐井の墓を壊したのは、白村江の敗戦後に乗り込んできた唐軍によるものであろうと進化し、磐井の墓は二度毀されたのではないかというように変わり、最終的に2010年ミネルヴァ社のコレクション版『失われて九州王朝』に付けられた「日本の生きた歴史(二)で「論理の示すところ」この「磐井の乱」はなかった、大和朝廷側が九州王朝の存在を隠すために造り出されたもの、と進化?されたのです。

これに対して、どう対応できたのか、というところをどうまとめるか、にかなりこのところ苦戦しています。古田先生がこのミネルヴァ社のコレクション版に付けれれた「磐井の乱」の最終解釈は、過去の先生の緻密な検証に基づく論証とはかなり質が違いがあるように見えます。

 

ざっと見ても、この古田先生の解釈には、

①日本書紀に引用されている百済の史料からの引用「日本の天皇、太子・皇子ともに亡くなった」ということについての考察がないこと。

②日本書紀がいうような磐井の大敗北なら九州王朝は存在しえない。大和朝廷の思うつぼ、の効果はある。だか、「九州年号」が九州王朝の実在を示しているのだから、その「大敗北」はなかったのだ、とする論理には短絡的で論証に欠けているように思われる。

③なぜ、磐井の墓を葛子が修理しなかったのか、と先生は問われるが、天武期の筑紫大地震を考慮すれば、「葛子が修復しなかった」とは断言できない。

④白村江の敗戦後に唐軍が筑後に侵入し、王墓などを破壊したというのは確証に乏しい。

⑤筑後国風土記の成立は、日本書紀よりずっと早い、と思われるのだが、その検証もない。

 

しかし、古田先生がこの「磐井の乱」の最終仮説の提示は、2010年で、先生の84才のころです。今の寅七の現在より2歳年上の時点でした。1974年の48歳のころの『失われた九州王朝』を書かれたころの、世の中を驚かせた「緻密な論証」は望むべくもなかったのかなあ、と先生に同情したくもなります。

寅七のホームページの「磐井の乱」の再更新版は2008年9月にアップしましたが、最終稿はまだ完成していない、ということになります。上に上げた5つの問題点を検討し直して、泉下の古田先生に報告しなければ、と思っています。

 
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2018-01-19 11:15:48

中村通敏講演会について 30.1.19

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●このところ37度線を挟んで雪解けムードが進んでいるようです。

南の理想主義的大統領の出現で、北のそれに相応した方針になったのでしょう。が、五輪というイベントが終了した後、どういう風に流れるのか、太陽政策が復活するのか、五輪が終われば、ゴリンジュウになるのだろう、と思われるのですが。

ともあれ、戦争がない状態が平和なのでしょうから、平和状態が続くことを願います。

 

●関東の「古代的古代研究会」の会報が送ってきました。

そこに「中村通敏氏講演会」の案内がでていました。

日時:2月18日(日)、資料代:千円、13時開場、16時半終演

演題:進化する古田先生を追っかけた10年

場所:シティ音羽2F集会室 文京区音羽1-15-15

メトロ有楽町線護国寺駅5番出口から南へ3分、1階にロイヤルホストがあるビル

などと共に地図も添付されていました。

当日、旧友たちと旧交を温められれば、と講演の後で、おそらく持たれるであろう懇親イベントの方も期待しているところです。平昌オリンピック中日で盛り上がっている頃と思いますが、読者の皆さんとお目に書かれれば幸いです。

 

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2018-01-14 12:03:01

30.1.14 突然の訃報

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●突然のことでびっくりしました。夜半、11時半ごろ義姉からの電話でした。

兄が亡くなった、お風呂場で、ということでした。暮れの高校同窓会であったときには、明けたら天神のアクロスホールでのピアノ教室の発表会で、女性の教師さんと連弾することになった、と嬉しそうに話していましたのに、神様は無常なものです。享年88歳でした。今夜がお通夜です。

 

●来月に迫ってきた東京の講演会の原稿をまとめにかかっています。古田先生との喜怒哀楽の10年間の思い出話ですから大したことは無いだろう、と多寡をくくっていたのですが、結構、何年頃の出来事なのか、場所は、などなど結構面倒です。おまけにブログの最初の3年ほどは、削除してしまったりしているので忘備録の役目も十分に果たしてくれません。

先生に出した手紙、先生からの電話のメモや手紙類など、整理が苦手の寅七には探し出すのに結構時間がかかる作業です。

 

●何周も遅れてスタートした古代史勉強で、古田先生にいろいろ質問したことも、先生にはあまりにも初歩的なことで面倒だったと想像しますが、いろいろとよくおしゃべりしてくださいました。

その中の一つですが、古田先生から答えていただけなかったことがあることを思い出しました。

それは『隋書』俀国伝の記事「無文字唯刻木結縄」についての事でした。

ネットで見かけたキープ

キープの資格者が各地に配置されていて、人口や農産物や武器などの数値を十進法で記録していたそうですから、馬鹿にできないキープなのです。昔、南米大陸に興味があり、その地の文化を調べてみたときに、言葉の類似、例えばチチカカ湖など、と共に、結縄という情報伝達手段を持っていることを知りました。

古田先生とお知り合いになり、倭人は海を渡った、ということを、陶器や言葉や病原菌などから論理的に証明されました。

あるとき先生に、キープという情報伝達手段をアンデス文明は持っていた。これは倭人が海を渡った証拠にはならないのでしょうか、沖縄や房総半島などにも結縄と似た情報記録手段があった、ということですし、沖縄では「ワラザン」「バラザン」などと廃藩置県まで使われていたそうですなどと。

先生はもう倭人伝などは卒業されていたのでしょう、単に「聞きおく」ということにとどまっていました。『隋書』俀国伝を読みますと、不思議に思える記事があります。「無文字唯刻木結縄」です。その国には文字がなく木を刻み縄を結んで文字の代わりをしている、いう記事です。七世紀初頭ですと、わが国には既に文字文化は上層階級には普及していた、と思われるのになぜ、という記事です。

考えられるのは、中国の人士は、七世紀になるまで北朝側には倭国についての情報は3世紀の『三国志』だけだったのではないかと思われます。まあ、南朝の『宋書』の記事も少しはあったかも知れませんが。

倭人伝に記されている「裸国・黒歯国」も倭人の国の一部として認識されていたのではないかと思われます。そのように考えれば、『隋書』の「無文字唯刻木結縄」の不思議さも理解できるように思われます。

古田先生にもしお目に書かれたら、もう一度お話ししてみたいと思っています。

 

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2018-01-07 08:14:08

30.1.07 明けましておめでとうございます

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明けましておめでとうございます。

遅れ馳せながら本年も寅七ブログよろしくお願いいたします。

 

●4日夕、名古屋から帰ってきました。新聞は止めていたので多寡をくくっていたのですが、郵便受けに年賀状があふれ出ていました。最近は小型荷物の配送が多くなっているのが原因でした。

5,6日は、年賀状の整理と、改めて20枚くらい年賀状を追加したり、年始の挨拶にも出かけたりで、今日までブログの更新がお留守になってしまい申し訳ありません。

 

●名古屋で一週間過ごし、娘一家5人、高知から姑さん、東京から息子と愛犬2頭、それに福岡からわれら夫婦で、雑魚寝状態の年末年始でした。

近くの白山神社というところに初詣。

 

●名古屋は昔2,3度訪れたことはありますが、名古屋城を見物した記憶がある、という程度でほとんど知りません。名所案内的なものを見ているうちに守山区にある「竜泉寺城」というのが目に留まりました。

 

昔、最澄が建てた寺で、軍事的にも要害の地であったので戦国時代には城として使われた、という説明がありました。簡単な天守閣も復元され宝物殿として公開されている、ということでした。

これは、白村江の敗戦後に唐の軍船がどこにいたのか、郭務悰は有明海に太良にいた、と解析を進められた古田武彦説を思い起こさせました。しかし、その解析は、なぜ太良に?ということろまでは進んでいませんでした。

 

とらななが思うに、太良の竹崎港の地勢的な優位性にあるのではないか、そこは干潮時でも船舶が接岸できる北部有明海の唯一の海域だから、というところなのです。

そこに、竹崎城という遺跡もあります。その竹崎城ももとは竹崎観音寺であり、行基菩薩により建立された、という伝承があるとのことです。軍事的にも優れた場所なので戦国時代以降、「城」として使われるようになった、とのことでした。

 

古代「寺」だったものから、中世に「城」へ変わった、という点でこの二つは似ています。古代の領主の根拠地が「寺」と呼ばれていたことは、よく知られていることです。仏教不況の「寺」として創建されたのではなく、もともと、治世のための「寺」であり、後世「寺」が「城」という呼び方に代わった、と考えると辻褄が合う、この仮説をもう少し他にないか、と探してみようか、とは寅七の初夢です。

 

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2017-12-24 09:42:33

年末を実感させられています 29.12.24

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●木曜日は昔の仲間たちとのゴルフ。空気は冷たかったけれど風がなくプレーにはそう影響はなかった、と思うのですが、なにせ手がカジカンで、パットがままならないのです。

100叩きまではいかなかったのですが、ハンディが10と厳しかったので18人中17位でした。つまりブービー賞というあまり名誉でない賞、たまご一箱、を頂けました。

寒い日のゴルフは高齢者には厳しいと言いますし、周りの人に迷惑をかける、など身近から注意されていますし、来年は、暖かくなるまでゴルフはお休みにしよかな、と思っているところです。

 

●年賀状、今まで夫婦が元気に過ごせている、ということをお知らせする意味で、旅行中やお祝いの食事の時の写真などを載せていました。

今年はまり旅行もしなくなっていますので、ペアの写真でわが相棒殿の気に入る写真が見つからず苦戦しましたが、なんとか秋に、浮羽に柿を買いに行った時の写真に落ち着きました。

枚数は年々少なくなっていますが、プリントして一筆書き添えまで、終わるのに3日間かかってしまいました。

 

●今日は、義母の位牌に年末の線香上げに出かけるなど年末の行事で結構時間をとられてしまいます。年内に二月のおしゃべりの内容の、せめて目次的なものだけでもまとめようと思っていましたが、どうやら年末年始の末娘のところい作業持ち越しとなるようです。

 

●古代史の会の会報にNさんが「中国風一字諱」についての論文が出ていました。その中で「利歌弥多弗利」の古田説に対して懐疑的な文章となっていました。

中国文献について博学のNさんが、なぜ『翰苑』の東夷伝の「哥弥多弗利」を「ないもの」とされているのか、そのうちお聞きしたいものと思っています。

 

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