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2017-06-25 13:56:24

麻央さんロス 29.6.25

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●マオさんロスというものでしょうか、ブログの熱心な読者の一人が近くにいるものですから、こちらにも滅入った気分が感染してきているみたいです。200万を越すフォロワーには驚きです。

 

●昨日のゴルフはなんとか16番ホールくらいまで天気が保ってくれて、プレーを終了できました。しばらくは、このように次のコンペを天気予報を毎日心配しながら待つことになりそうです。

スコアはまあまあ、でした。相変わらず思わぬところでのOBが出てしまうので何とかしたいものです。

谷越えが3ホールあるのですが、その3ホールは無事に過ぎたのですが、何でもないホールでティショットが右に飛んでしまいました。原因は単に右に打たないように左の方に打ったつもりが、スライスが出る結果となったのです。もう何十年も反省しているところなのですが・・・・。

 

●伊藤雅文さんの『邪馬台国は熊本にあった!』を読んでいると、あまりもの仮説の多さに驚きます。

 

倭人伝の行路記事の対馬の描写に「方四百里」という、細長く上島下島と繋がって南北に細長い対馬なのに、ちょっと理解に苦しむ記事があります。それを著者は解決できた、と言います。

その理由に、魏使達が報告書を出すときに、文章による報告に付け加えて「地図」(略図)を付けたはず、と言います。

そこまでは、まあ妥当な推論と思います。

 

その地図を想像するにこのようなものであったであろう、と次のような図を付けられます。(地図の上側が南)

              (クリックすると拡大します)

【この地図は100里方格で作った地図で、魏使たちもこのような地図を付けて出したと思う。この自分が作った地図には対馬は少し小さく書いている。

このような地図があり、それを見た陳寿は対馬を「方四百里」と叙述したのではないか】と、言われます。

 

このような仮説が次々にでてくると手のつけようもありません。

著者は「対馬をすこし小さく書いた」と言っていますが、地図でチェックしましたら半分以下に小さくしていました。グーグルでチェックしたのが次の図です。

ただ、対馬の方四百里の説明には無理がありますが、末盧国から伊都国へ「東南五百里」というところの問題点、唐津から糸島へは北東の方角なのになぜ東南なのか、という疑問については、この地図によれば、唐津から東南に歩き始めるということが図からわかるから、とされています。(図表16の末路国から伊都国への記入例部分)

これは古田武彦氏が唐津から糸島方面にいくには東南の方向に行くことを示す「道しるべ」標記とされたことと一致しています。

 

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2017-06-22 08:06:35

邪馬台国熊本説の仮説 29.6.22

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●父の日というのは案外世の中に浸透してきているようです。寅七もその恩恵にあずかり、息子と娘から、お寿司の宅配便に高級ビールのひと箱が届きました。

もう一人、娘がいるのですが、時の首相も支持率50%を切る現状で、三分の二、66%を超す支持率に感謝しなければならないでしょう。

 

●梅雨は空梅雨から本梅雨に入ったようです。ずいぶんと日本列島でいろんな被害が発生しているようです。

ただ、ゴルフ場の芝は喜んでいることでしょう。ただし、プレーする側からすると、芝の雨は夜だけで、昼間はプレーできる天候を、と望むのは、手前勝手な望みでしょうか。明後日はプレー予定が入っています。

 

●80歳で20本の歯は一応確保できたのですが、月曜に3ヵ月ごとの全体のチェックを受けたら、だいぶ歯根が傷み始めているとのこと。

今のうちに治療しておきましょう、と週一、7~8週通ってください、ということになりました。仕方ありません、歯医者さんが使う機械音に耐える試練の時間と、しばらくのお付き合いです。

医療がらみのニュースが多い今週でした。年一回の赤十字病院心臓血管外来で、血管のつまり具合をCTで調べてもらいました。幸い、部分的には詰まっていますが、まあ年相応でしょう、来年また受けてください、ということでこちらは無罪?放免でした。

 

●病院通いが多かったので、その待ち時間に『邪馬台国は熊本にあった!』を読み通すことが出来ました。

 

邪馬台国を熊本に持って行くには、『魏志』倭人伝の原文解釈に、たくさんの仮定をしなければならないだろう、と想像はしていました。

しかし、この伊藤雅文さんの本は、仮定の二乗どころではなく、5乗、6乗です。

 

一番ひどいと思えるのは、「倭の五王」の遣使の使者は宋朝から事情聴取を受け、その渡航経路をしゃべった。都(大和)から不彌国まで、二ヵ月かかった、というように言ったのではないか。その記録を基に、「不彌国~投馬国~邪馬台国」の行路が二ヵ月というように改ざんされた、というように話をもっていきます。

全体を通して、古田説を排除し安本説+宮崎康平説の亜流の感じです。まあ、そのような先入観を持たずに、折角だから、この仮説の累積からひねり出されるお話を、「そりゃひどすぎるぜ」と槍玉に上げてみようか、それほどの価値もないかな、と迷っています。

 

●「新しい歴史教科書(古代史)研究会」のホームページのURLは下記です。

http://torashichi.sakura.ne.jp/

 

 

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2017-06-16 09:56:05

『邪馬台国は熊本にあった!』のか 29.6.16

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●国会の会期も大詰め、加計問題も大詰めの様相です。文科省から内閣府に責任は飛び、副長官H氏あたりが馬謖の役割を果たすことで幕引きになるのでは、という床屋政談的寅七論評です。

森友学園事件は、もうマスコミの興味を引かなくなったのかなあ。

 

●ネットで熊本に「清田ファミリー農園」というマンゴーを栽培している農園がある、という記事を見かけ出かけてきました。

玉名と植木の間の玉東町の山中に大きなビニールハウスが何棟も建てられて、中も案内してもらえました。

始めて19年になりやっと認めてもらえるまでになった、とご主人の話でした。

通販が主体というのもよくわかりました。たどり着くまでの狭い農道では、対向車がきたらどう離合できるか不安一杯の道程でした。

一個¥4桁の立派なマンゴーを横目に、孫たちへの家庭用といわれる、一個¥3桁のをたくさん買い込みました。

 

●熊本県人である寅七にとって、興味あるタイトルに惹かれて、『邪馬台国は熊本にあった!』(扶桑社新書)という伊藤雅文さんの本を読んでいます。

邪馬台国原文改竄説なのですが、一応屁?理屈は通しているようです。

著者は熊本の山鹿の方保田遺跡を邪馬台国と比定しているようです。そこに北部九州以上の弥生遺跡・出土品があるのか、という根本的なところは、まだその地域の遺跡調査が一割もできていないことを理由とされているようです。

それはさておき、なぜ、改竄しなければならなかったのか、という理由をあげてはいますが、そのあたりや、なぜその改竄が大手をふってまかりとおったのかの説明が弱点のように思われます。もうすこし丁寧に読んでみましょう。

 

●「新しい歴史教科書(古代史)研究会」のホームページのURLは次です。

http://torashichi.sakura.ne.jp/

 

 

 

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2017-06-09 13:02:03

高柴昭氏の著書をやり玉に上げました 29.6.09

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●昨日は梅雨入りから一転して、梅雨〈さつき〉晴れ、天気でした。書棚から最後の書籍をN社の図書室に運び入れました。トータル500に少し足らない冊数でした。

12年前に、この建物で仕事の合間に古代史の勉強を始めたころのことを思い出しました。

 

ホームページを始めたころは、50冊に満たない古代史関係の本でした。それでよくも古代史のホームページを始めたものだ、とその蛮勇を恥ずかしく、また懐かしく思い出しました。リストのチップも渡し、図書室で書棚の前での写真を撮りました。

出来上がった写真を見ると、頭の白髪は当然ですが、右手がまるで茶色の手袋をしているように変色しています。これも、地球温暖化の結果?かな。

ゴルフのし過ぎですよ、と身内からの声が聞こえる気がします。

 

●今日は年に一度チェックしている動脈のCT検査の予定でした。朝食抜きで出かける予定にしていました。

うちの奥さんが、検査結果をM先生から私も聞きたいので、何時に行けばよいのか、と聞きます。一年前にもらった予約表を改めて見て見ますと、驚きました。6月06日とありました。

06日をどこでどうしてカレンダーの09日のところに書き込んでしまったのでしょうか。ともかく、病院に電話を入れ、無断でキャンセルしたことを詫びて2週後に再予約が取れました。日程管理に問題がありすぎるを如実に示す出来事です、困ったなあ。

 

一日、時間が出来たので、ホームページの槍玉をアップできました。

 

●今回、ホームページに上げたのは、高柴昭氏の『邪馬台国は福岡平野にあった』です。

この本は、発刊以来2年経っています。この本には古田武彦師の著作を参考にしたと思われる文章が処々方々にみえるのですが、参考文献にあげられているのは、第一書『「邪馬台国」はなかった』と谷本茂氏との共著『古代史の「ゆがみ」を正す』のみです。この点が一番の不満なところでした。

まあ、折角の処女出版に水を差すのも、とホームページに上げるのを遠慮してきましたが、もう2年経ち販売営業も収束したでしょうから、とHPに上げた次第です。

 

URLは次です。クリックしてみてください。

http://torashichi.sakura.ne.jp/yaridamasono61.html

 

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2017-06-04 10:19:30

竹田恒泰氏『現代語訳古事記』 29.6.04

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●先週金曜日の所属クラブのグランドシニア会に出ました。まあまあでっ進んでいたのですが#13、#14とバンカーつかまり、それぞれ脱出に3打を要し万事休す、でした。筋力の衰えを感じさせられました。

 

●今朝は、区役所から家内の介護支援について調査に来られ、体の調子やいろいろと質問されていました。

私に、「息子さんですか?」と聞かれ「そんなに若く見えますか」と答えましたが、調査員さんの判断力大丈夫かな?

 

●ずいぶん前、竹田恒泰さんを取り上げたことがあります。生前退位が成文化されることになり、最近も竹田さんがいろいろと意見を述べています。

竹田さんの『現代語訳古事記』が全国の中学・高校で学習補助書籍として推薦されている、ということで、一度まとめてみなければなるまい、と思っています。

寅七が『古事記』の疑問に思っている点を竹田さんがどのように解説されているのかを見ていきたい、と思っています。

ざっとおさらいしてみましたら、次のような事柄が上がってきました。

①『古事記』が日の目を見なかった理由

②序文偽作説

③天照大神が女性という記述がないのだが

④神話の舞台の地域について

⑤神武東征の理由

⑥二人のハツクニシラスについて

⑦天皇の悪行をなぜ書いているのか

⑧継体新王朝説

⑨倭の五王の比定

⑩石井の乱

 

少しずつでもまとめて、出来上がったらホームページ」にあげようと思っています。

 

●新しい歴史教科書(古代史)研究会のURLは次です。http://torashichi.sakura.ne.jp/

 

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2017-05-31 19:04:51

29.5.31 高柴昭氏の女王国の在処について

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寮友の集いの写真の編集を安請け合いしました。2年ぶりの作業です。ソフトの画像処理手順をすっかり忘れていました。まあ、トライアルにやりながらマニュアルのお世話にならないですみました。時間は以前の3倍くらいかかったようですが。

 
●世の中で「共謀罪」の立法が大詰めに来ているようです。故古田武彦氏がこの状況でどのような発言をなさっただろうか、など思いを馳せています。
福岡でも反対のデモが行われた、と新聞が小さく報じていました。
 
卑弥呼の墓のありか

高柴昭氏の『邪馬台国は福岡平野にあった』で女王国の在り処などについて次のようにいわれています。

 

結論的に邪馬臺国は、【倭人伝の里程及び行程や地形・遺跡分布状況、また、先進技術の集積など、あらゆる面で日本全国の中で福岡平野の那珂川流域に広がる遺跡群が邪馬臺国であり、その中心部が春日市にある須玖岡本遺跡群で、そこが女王国の最有力な候補地であることがご理解いただけたのではないかと考えます。倭人伝の里程を地形や遺跡の分布状況等をなどを考えながらそのまま読めば、あえて無理な仮説を導入しなくても、自然に邪馬臺国へ行きつくのです】と。(同書p259)

高柴氏の倭人伝行路読み解きは、遺跡の解釈を地形と倭人伝記述とを読み合わせて、国々の場所を比定し、それに合わせて後付けの倭人伝行路解釈を行った、ということのように小生には思われました。

 

そのうえで、「親魏倭王の金印はどこに」という項をたてて、次のように述べられます。

【親魏倭王と刻されていると思われる金印が出土すれば、邪馬臺国論争と言われるものに即座に決着がつくと思われますが、その候補地として最も有力な場所が熊野神社を含めた春日丘陵の一角である、という可能性を呈示しておきたいと思います。熊野神社の地番に普通名詞としての「山」が固有名詞として使われ、今でも残っています。これは春日丘陵の一帯が「山(邪馬)」と呼ばれていた名残だと考えられます。熊野神社の由来は今ひとつハッキリしませんが、かなり古くから崇敬されていたことは疑いないと思います。その一角は金印を埋納する場所として相応しいと思うのです】と。 

この高柴昭氏の女王国の位置及び墓所についての結論部分について異論はないのです。

ではなにか問題があるのか、というと、実はあるのです。

地番として残る「山」について、女王国との関係を指摘したのは、古田武彦氏です。1984年に出版された『古代は輝いていた I 風土記にいた卑弥呼』に概略次のようにそのいきさつを書かれています。

【春日神社の宮司さん(熊野神社の宮司も兼任)に熊野神社関係の古文書をみせていただいたら、そこには何カ所も「筑紫郡春日村大字須玖岡本山」という地名の記載が見られた。筑紫野市の法務局で確認したら春日村須玖(大字)岡本(中字)山(小字)であることが確認できた】

この「山」についての高柴氏の書き様は、古田武彦さんの著作を読んでいない人には、あたかも高柴さんの発見のように思われることでしょう。 

この「須玖岡本山」についての高柴さんの文章は、古田武彦の著作からのいわばコピペと思わざるを得ないようです。

故古田武彦氏は、自説をコピペされても、世の中にそれだけ自説が浸透すればそれはそれでよし、とされるでしょう。

しかし、「科学の目で見えてきた日本の古代」をホームページで展開されている氏には、その標榜するモットーに合わない所業だなあ、と思わざるを得ません。

 

須玖岡本遺跡やその地域の小字名が「山」であり「ヤマ壹国」と関係があるのでは、などすでに30年以上前に古田武彦氏が発見していたことなのですから。やはり、ここは一言「古田武彦」を入れておいた方が、著者の度量が示せてよかったのではないのかなあ、と思われました。

 

まあ、高柴氏の「邪馬台国九州福岡説」という結論には文句はないのですが、「対馬北端上陸~南へ陸行説」とか、「松浦半島北端魏使上陸説、ただし通常の倭人の航路は唐津湾」、とか、恣意的な倭人伝解釈が気になる高柴昭氏の本でした。

この本を出される前に、どなたかお仲間に読んでもらったならば、対馬の行路の件や、糸島付近の国道の件や、古田武彦氏の取り扱い、など、修正した方がよいところなどを指摘して貰えたのではないか、と思われてなりません。

 

結論的には、以上述べましたように、寅七の感想が高柴氏の著述と異なるところは、小生の古代史関係史料と考古学的資料などからの古代史再生へのアプローチについての判断基準が、高柴氏と異なることにあるようです。

そのような違った立場からの読後感想は、著者高柴昭氏にとっては何の痛痒も感じないかもしれませんが、古田武彦勝手連的応援団の立場から、忌憚のない感想を述べさせてもらいました。     

(この項終わり)

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2017-05-26 15:19:37

i忙しかった一週間 29.5.26

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●この一週間は年金暮らしの無職人には結構忙しい週でした。

・日曜日には所属クラブの理事会と懇親コンペがあり、1#ホールでガードバンカーにつかまり、脱出に3打を要したことにはじまり、散々でした。が、ダブルペリアという運が大きいハンディ決めのルールで、優勝賞品はゲットできましたが。

 

・月曜日には先週木曜日の高校同期のゴルフの結果の報告書を作って送付する作業に終日係りっきりでした。

 
・火曜日には、昭和29~30年に過ごした学寮時代の旧友たちとの年一回の懇親会でした。Sホテルという修学旅行用の和室大部屋で、50数年前同様にに雑魚寝でダべリングや烏鷺を戦わせたりしました。
東京・大阪・広島からも集まり、最年長86歳のSさんは体調不良で欠席で、「ああ玄海の浪の華」と寮歌をがなった仲間もだんだんと少なくなってきています。来年も集まろうや、ということにはなりました。
・木曜日は、大学同学科OBのシニアゴルフ会でした。佐賀と福岡の県境からちょっと入った北山CCというコースでした。寅七がいつの間にやら最年長なっています。
一個下のIさんが時間になっても見えません。Iさん宅に電話したら、奥様が「用事があるとさっき出かけましたが、ゴルフではありません、普通の格好でしたから」とのこと。だんだんこの種のことが増えてきますので、年寄の会の幹事役は大変です。
スコアはまあまあでしたが、今日もダブルペリアルールで、今回は運に恵まれず、18名中11位でした。ニヤピン2個だけはゲットできましたが。
ただ、朝早く家を出たので、街もまだ車が少なく、ふつうは、都市高速~三瀬有料トンネルを通るのですが、一般道だけで行けたので有料道路料金片道約1000円往復2000円が節約できました。その分で、我が家の奥さんが好きな室見川へりの焼き鳥屋で豚バラの串焼きなどを買って帰れました。
 
・今日金曜日は、寮仲間の記録を整理して、各人に送る作業をしています。
 
●先日本屋に寄って見たときに、古代史コーナーで、安本美典さんの『卑弥呼の墓は既に発掘されている!』という本を見かけました。
もう7,8年前になりますが、何冊か安本美典さんの本をホームページに取り上げています。
今から見て自分の批評が的を射ていたのか、気になり、ホームページの原稿チェックをしました。
2個の文字変換ミスや、ダブった表現などマイナーな変更すべき点は見つかりましたが、論旨で修正すべき点は見つかりませんでした。
久しぶりのホームページのアップ手順に手間取りましたが、これも寅七に老人力が付いたせいでしょう。
 

 

 

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2017-05-19 20:21:16

磐井の乱の定説は? 29.5.19

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●昨日は久しぶりのゴルフ。晴天に恵まれ、高校同級生との年二回のゴルフ懇親会です。会場の玉名CCに、熊本・福岡・宮崎から8名が集いました。

 

10年前には30人を超す参加者があったことを思うと淋しい気もしますが、まだ元気にラウンドする同年者と回ると、気分も若くなります。

久しぶりに振り回して、OB2発を出しました。これも気分が若返った徴しと思うことにしましょう。秋の予約をし、再会を約して別れました。

 

●錦織選手が、バルセロナではジョコビッチとの戦いを避け棄権し、ローマでの3回戦、リオの銀メダリスト、デル・ポトロとの対戦が一昨日でした。大相撲の高安をスリムにしたようなゴツいデル・ポトロの剛速球サーブに対応できずうちの奥さんの声援も甲斐なく、ストレートで敗れてしまいました。

負けはしたのですが、急きょスイスオープンに参加申し込みをした、とネットが伝えています。錦織選手もまだまだやる気は残っているようでうれしく思いました。

 

●今日は、二か月毎の検査でクリニックで血圧・血糖値の結果を調べてもらって、処方箋をもらって帰ります。「節制されていますね、結果はOKです」と言われました。が、帰りに、薬局に寄って帰るのですが、今日はすっかり忘れていて、帰宅して気付き、薬局に引き返しました。だんだんこの手のことが増えてきているようです。

 

●寅七のホームページの記事を改めて読み直しています。

その中でも気になるのは「磐井の乱」です。特に古田先生が、『失われた九州王朝』での「磐井の乱」の見解は間違っていた、と30年後に「磐井の乱はなかった」という論文を出されたことです。

古田史学の会でも伊東義彰氏が論文を出したり、九州古代史の会でもシンポジウムを持ち、論集にまとめたりもしています。

 

寅七が記憶しているのは、古田先生が当時久留米大の講師で九州にお見えの時に、”「葛子が墓の修復をしなかった」ことを、その理由の一つに挙げておられるが、たとえ葛子が修理したとしても天武期の筑紫大地震で石人など倒壊はまぬがれなかったでしょう”、と寅七述べたところ、同行されていたO氏に”そのようなことはあったのか”、と聞かれました。O氏が”『日本書紀』には確かにあります”と答えられたところ、先生は”ふ~む”の一言のみで終わりました。

 

古田先生はお多忙でこの件について、その後、述べられたことは無いようです。

九州年号との関係や考古学的出土品の変化の有無などの研究はどうなっているのだろうか、など気になります。

 
「磐井の乱」HP記事は下記URLです。

http://torashichi.sakura.ne.jp/yaridamasono12.html

 

 

 

 

 

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2017-05-12 16:05:42

対馬は不思議な島 29.5.12

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●国民学校3年の頃の学童集団疎開仲間で、成人して東京勤務時代に付き合いが復活したS君、彼は大会社の会長まで上り詰めた男です、が、そのSさんから電話があったんだけど、と奥様がなんとも言えない顔をして伝えてくれました

「この前、息子の嫁さんが、集団疎開した別所村に連れて行ってくれたんだけれど、お寺や学校などが分らなかった。幸ちゃんならよく知ってると思って電話してみるが、通じない。」

ということで我が家への電話となった、とのこと。「できれば音頭取って同窓会を別所温泉で」と寅七に伝えてほしい、いうことでした。

 

幸ちゃんはもう亡くなって30年近くなります。彼の葬式にもT君は列席しているのですが。

T君の電話は「じゃあまた明日電話する」と切れたそうですが、次の日にもかかってきません。家の人が気付いて止めたのかも知れません。東大現役入学の秀才でしたが、脳の老化には如何んともしがたい、人生はむごいものです。

 

四半世紀前に、文芸春秋の同級生交歓のグラビアページに、T君と一緒に出て、その文章にも「幸ちゃんがいてくれないのが残念」と寅七が書いているのですが、その写真で笑顔を見せている4人の仲間が、寅七のみがまあ現世に残れている、ということになってしまったようです。

 

 ●蔵書と言えるほどのものではないですが、大半の本を移し終わり、書棚はガランとなりました。

ブログはともかく、ホームページに載せる場合、ネットでなく書物自体に当たらなければならなくなる場合もあることでしょうし、中国の辞典関係も必要でしょうが、もう書評を喜んで読んでくださったF先生もいらっしゃらないし、「F先生もボケたなあ」、など心中、独りごちたF先生の晩年の年代に少しづつ近づいています。ボツボツ、過去ログの整理位に縮小せざるをえないなあ、とは寅七の独り言です。

 

●高柴昭さんの『邪馬台国は福岡平野にあった』という本が出て、2年になりました。

出た当時本屋で立ち読みして、「邪馬臺国」とあることや、「魏使たちは対馬の北端に上陸した」、などとあるところが気になりました。

 

対馬は南北に細長い島です。浅茅湾が南寄りの中ほどでくびれこんでいて、一見二つの島です。

今は、二カ所で開削された瀬戸が通じていて、実質は三つの島です。その瀬戸間の島部分は別にして、北の方の島が南の島より大きく、上島と呼ばれていて、浅茅湾の南の島は下島と呼ばれています。

昔は、逆に、南の島を上島、北の島を下島と読んでいたそうです。対馬海流は常に南から北に流れるのでそう呼ばれたのではないか、と想像されます。

大和朝廷による列島支配になって、都に近い方が上島となったと思われますが、郷土史などにそのような記事はまだ目にしていません。

 

もう一つ不思議なのは、行政区画上県郡・下県郡の境界は(古代の国境も同じ)、この二つの島で分けられているのではなく、浅茅湾の約15km北方あたりで郡境があるのです。

 

ともかく、対馬市のホームページなどから、対馬の遺跡などを調べていたら、弥生~古墳時代の遺跡が集中している区域その境界線に沿っているように思われました。

図にしてみました。(クリックすると拡大します)

 

この図を眺めていると、魏使たちが対馬を訪問するのに、対馬の北端を目指し、上陸したのちに陸路を南下した(高柴昭氏説という説を立て得るということ自体が信じられません。この中央部を直接目指したとしか寅七には思えないのです。

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2017-05-08 10:11:29

GWも人並みに 29.5.08

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●東京から長男一家と、大分でパイロット訓練中の義甥S君が、それも二頭の猟犬つれで5日に来福というので、とても狭い我が家では対応できず、宗像の玄海Rホテルに部屋をなんとか確保し、夕食の場所も確保できました。

ホテルの近くの「ひびき」での、タイとシマアジの生き造りを前にした皆さん。

翌日は浜辺で磯釣りや浜辺で犬たちと戯れて過ごしていました。
孫娘Tちゃんとニライ・カナイの二頭とも久しぶりの御対面です。
8日からの仕事をさぼるわけにはいかない、と6日午後に出発し、渋滞の中を辛抱強く運転して、7日午前中に無事帰京できた、とお嫁さんからメールがはいりほっとしました。
一行と別れ、頭の体操のM教室へと急ぎ、お陰様でGWも人並みに忙しく楽しく過ごせました。
まあ、7日、GW最終日は、寝正月なみにゆっくりとGW疲れを癒すのに、我が家の女主人様は終日横になっていましたが。心地よい疲れではなかったかな、と思います。
 

●多元的古代研究会の会報「多元」139号が届き、トップにある「天皇はアマキミと呼んだ」という川端俊一郎氏の論文に目をとおしました。

「法隆寺のものさしは中国南朝尺」などという論文で知っていましたが、今回の論文には違和感があります。

 

『隋書』の記事にある「阿輩雞彌」を、『翰苑』の記事で「天児」とあることから、このようなタイトルになったようです。

しかし、『翰苑』の誤字脱落字などが多い写本であることは有名です。

『隋書』では、「姓は阿毎、字は多利思北孤、阿輩雞彌と號す」とあるのですが、『翰苑』(残翰)では「姓阿毎、名自多利思比孤、其國號阿輩雞彌、華言天兒也」とあるのです。

この翰苑の著者の解説については諸説あるようです。

全体として、「この国の王の名は、中国語の「天児」という意味なのだ」、という解釈を寅七は取っています。

しかし、問題が多い『翰苑』の記事を採るよりも、『隋書』の記事そのまま「阿輩雞彌」=「アハケィミ・アハキミ」と読んだら如何なものでしょうか。

(出身地の)阿波君・(粗食に甘んじる)粟君・(田畑を守る)畔君など、和語としても十分通用する「阿輩雞彌」という號ではないかと思います。

*(畔:【あ】:田のあぜ。「営田の畔〈あ〉を離ち」古事記 三省堂大辞林)

 

まあ、誰しも己の思い付きに合う解釈を求めるのですから、川端さんだけを責めるわけにもいかないでしょうが。

 
 

●ホームページに、張莉・出野正『倭人とはなにか』の批評をアップしました.

下記URLをクリックください。

http://torashichi.sakura.ne.jp/

 

 

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