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2017-02-23 19:19:12

古代史の会が近づきました 29.2.23

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●もう税務署の確定申告提出会場も、少しは空いているかと思って出かけました。

結構込み合っていましたが、チェックされた箇所もなく、無事受け取ってもらえました。

期待通りに医療費還付が受けられたら、今年の晩酌用のアルコール代くらいは期待できそうです。

 

●石原慎太郎元知事さんも、どうやら豊洲問題で都議会の百条委員会に出頭させられるようです。知事選の時の、相手陣営の応援演説での、「大年増の厚化粧」の一言が招いたことでしょうか、そうではないとは思いますが?

物の言い方には、寅七も注意しなければ、どこで人の恨みを買うかわかりませんね。

 

●来月の古代史の会での「タリシヒコの謎に挑んだ人たち」の講演の最終回が近づきました。来月5日です。

おしゃべりの後の、反省会?の会場も予約しておかなければならないなあ、と「たべログ」などを検索して、安くてよさそうなお店を探さねば、と思っているところです。

この前の場所は、料理の味は良かったのですが、値段が年金生活者にとって夏目漱石4枚はちょっと厳しかったかな、と反省していますので。

 

●前回のブログで、『隋書』の読み下い文について、問題点を挙げた文章に、「」を「繊」と、手偏だったのに糸偏で間違って記していました。

そのブログの記事の中に、「」という字が辞書に見えない、とボヤいたことについて、このブログ読者の久留米在住のIさんから、

”久留米市図書館で調べたら、諸橋漢和大辞典には出ていました。渡部温氏の康煕字典にもでています。”

と詳細に教えていただきました。

I さんとは、昨年の久留米大学の市民講座で、京都の古田史学の会の古賀さんたちが講師で見えられて、久留米の居酒屋で夕方からの懇親会でお会いした記憶がかすかにあります。そのご縁もあってのアシストに感謝感謝です。

 

福岡市総合図書館の蔵書にはなかったので、久留米市の方が「文化の深度」は高いのかな、と思い、福岡県率図書館で蔵書検索したら”諸橋大辞典”の方はありましたが。

 

I さんが教えてくださったお陰で、石原道博氏の岩波文庫で「」と熟語として取り扱っているのは、間違っていて、藤堂明保氏の読み下しの方が正しいだろう、ということが分かりました。

 

ところで、よく自分の前回のブログ文章を見てみると、手偏を糸偏にしてしまっていることに気付いた次第です。お詫びして、前回のブログ記事の「繊」を「攕」と訂正したことを報告します。

 

 

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2017-02-19 07:47:51

隔日ゴルフを楽しめました 29.2.19

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トロツキーの暗殺など共産党のマイナスイメージで、スパイものの小説が一時流行ったのは、冷戦の落とし子かと思っていましたが、今回の金正男とされる人物のクアラルンプール空港での暗殺、という事件が発生し、マスコミは大騒ぎです。
しかし、北朝鮮政府の対応を見ていると、常識がないのに驚かされます。ふつう、他国で自国民が不審死したら、その人物の死因を確かめ、刑事事件と思われたら形だけでも、「全力をあげての犯人の逮捕」を要請するのが第一と、常識では思われるのです。しかし、報道によれば、司法解剖などせずに、遺体の引き渡しを北朝鮮大使館が要請している、ということには驚きます。
下手な推理作家でも、このような流れは想定できないでしょう。このような組織を相手に「拉致被害者返還」を理性的というか常識的に要求し続けても困難でしょう。被害者関係者の心情に同情の意を表するだけきりないのは本当に残念です。
 
●今週は世界の大事件続出にもかかわらず、木曜・土曜とゴルフ場に出かけました。幸い、木曜日は小春日和ならぬ春日和。土曜日は、天気晴朗なれども波高し、的なお天気でしたが、ゴルフを楽しめました。
暖かかったせいもあり、目標の「せめてボギーペース」が達成できました。これから気温が上がれば、もう一段階上を、なとど夢見ています。
 

 ●『隋書』俀国伝について、「タリシヒコ」以外の記述についてもチェックしなければ、と思います。原文は勿論漢文です。岩波文庫や講談社学術文庫でも訳文が出ていますから、何も問題ないかと思って、始めたのです。ところが、当時の俀国の婦人の服装についてのところで頓挫してしまいました。

 

原文は次のようです。その中に、私が分らない漢字が沢山出てきます。その中に調べてもどうしてもわからないのがありました。

婦人束髪於後亦衣裙襦裳皆有竹為梳編草為薦雑皮為表縁以文皮

この文の中の、「」はいろんな字引を引いても出てきません。

岩波文庫の石原道博先生も、講談社学術文庫の藤堂明保先生も、それらの難解字を訓読されて、読み下し文にされています。

ところが、このお二人の解釈が違うのです。まず、石原先生の解釈は、この原文は「」単独でなく、「」という熟語で「ちんせん」と読み、意味は「ひだ飾り」である、とされます。

他方、藤堂先生は、「」と「」の間で文章は切れている。「」の読みは「せん」で意味は「ふちどり」である。「」は、読みは「せん」で、意味は、細くする意で、次に続く文章の動詞で、竹を細く削って櫛を造ることである、とされます。『隋書』原文には句読点はありません。

 

しかし、ネットで中国正史の簡体字訳をみましたら、句読点が入って文章が区切られています。

人束于后,亦衣裙襦,裳皆有竹聚以梳。荐,表,以文皮。

これによりますと、後者、藤堂先生の解釈が中国流に合っているようです。

しかし、「」の読みについては石原先生の「ちん」なのか藤堂先生の「せん」なのかはわかりません。

大体漢字の読みは「旁」で読まれることが多いので、「巽」で読まれるかと思いますが、そうすると「そん・せん」となりますが、旁に巽が使われている字はみな「せん」と読まれるようです。

私は、石原先生が「ちん」と読まれたのにも何らかの理由がある事と思います。しかし、岩波文庫以外にも石原道博先生の『訳註中国正史日本伝』国書刊行会1975年7月 でも同様な訳文です。

 

石原道博『訳註中国正史日本伝』の「はしがき」を読んで、その原因が分かったように思えます。

そこには、

“訳は書き下し風の現代文とした。はじめは、すくなくとも意訳した達意の現代文にしようと努力したが、じっさい訳してみると、わたくしの力不足もあって、すこぶる困難なことがわかった。そこで、むつかしい熟語などはそのままにして、ふりがなをつけたり、カッコ( )内にかんたんな訳を加えたりした。”

と極めて正直に、中国語原文の読解に悩まされたことを述べています。石原大先生でもお手上げだった、ということを知って、素人の私に手に負える問題ではないのだ、とわかり、なんだか肩の荷が下りたような感じがしました。

 

 

 
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2017-02-14 16:40:01

仮説と検証 29.2.14

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●先日友人の病室にお見舞いに行ったときに、寅七から「酒ゼリー」を届けたことを書きました。それに加えて、うちの奥様からは、大粒のチョコレートキャンディ一袋も、「これで厄払いの豆まきをして」と渡されていました。
その同じキャンディ袋が、バレンタインディ前日に、寅七にも到来?しました。たまたま、TVチャンネルで、「高血圧に効く食物の第一位はチョコレート」と報道されていました。ありがたく食後に一粒ずついただくことにしました。
来月の検診の時にチョコレートが高血圧に本当に効くのか、その仮説の検証となります。(影の声:焼酎のつまみの塩分量との関係の検証が必要ではないのか)
 
●久々のゴルフネタです。
安倍首相とトランプ大統領がフロリダの別荘で、27ホールもゴルフに興じた、とマスコミが報じています。
トランプ氏はシングルハンディで安倍さんはアベレージゴルファーだそうですから、トランプ氏は気持ち良く「おもてなし」ができ、さぞご機嫌が良かったことでしょう。
安倍首相に、日本にはないアメリカのゴルフルールのことを教えてあげた人がいたのかなあ、と気になったことがあります。
それはマリガンという慣習です。プライベートなプレーで、もし緊張のあまり、スタートホールでの第一打が思いがけないミスショットが出た場合、「マリガーン」と叫べば、打ち直しが無罰で許されるのです。
サンフランシスコに出張して、休日に営業所の同僚に誘われ、プレーしたとき、同僚の打った球が海に消え、これでチョコに勝てたなと思ったら、「マリガーン」と叫んで打ち直し、結果負けてしまった記憶があります。
それがアメリカでは、より発展して、チャリティゴルフなどでも「マリガン券」を事前に購入しておけば、ミスショットをマリガン券1枚で勘弁してもらえる、という話も聞きました。
安倍首相も、「マリガーン券は無いのですか?」と聞いてみればミスショットを気にせず、プレー出来たのに、と思いますが、知ってても、気質的にマリガンを使うことはなかったと思いますが、どうでしょう。
明後日は久しぶりのゴルフの予定が入っています。マリガン券を発売しようかな。
 
●「タリシヒコに挑んだ人たち」のおしゃべりをK古代史の会でしています。最後にどのように収めようか、悩んでいることの一つが、そのK古代史が出版した『倭国とは何か II』が採録している「タリシヒコ観」の論文です。
大体、古代史好きの方々は、それぞれ好みの仮説を発見し、それを文献・伝承・考古学などから、その仮説を立証されます。次の段階では、その仮説の発展に役に立つ他人の仮説を借用して、ご自分の仮説を発展させます。その結果が既存の説と合わなければ、その説の方が間違っている、とされます。
その過程における検証が、論理的に科学的に行われているか、という自己検証が十分になされているか、ということについては、仲間内ですからお互いに厳しく検証されることなく、あたかもその仲間内での承認済み、となり、次の新仮説段階へと進んでいくように思われてなりません。
 
●『隋書』に、最初の遣使の時は「俀王」とあり、次の遣使の時には「天子」と名乗っている。つまりタリシヒコ王がタリシヒコ天子になったのか、それとも二人は別々なのか。K大先輩は「タリシヒコ」は「カバネ」であるとされるから、複数の「タリシヒコ」がいてもおかしくないわけだ。
というように、論を進める方の意見を読んでいると、まあ、「タリシヒコの謎」のまとめに、一言「最後っ屁」としてでも、仮説と論証について一言、入れておかなければなるまいなあ、と思っているところです。
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2017-02-11 10:00:31

終活の開始 29.2.11

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●今週末は連休というのに寒波襲来です。ゴルフの予定は入っていなかったのは幸いですが。
昨日は終活第一弾で、書棚から70冊ほどを、以前関係した会社の図書室に納めました。
ほとんどが古代史関係ですし、興味をもって読む人は、オーナーのA氏くらいのものでしょうが。
あと5,6回持ってきます、と伝えたら事務員さんはびっくりしていました。奥方も、着物をどうしようか、など終活始動の気配です。
 
●先週、昔からの家族ぐるみのお付き合いがある同じ年の八幡のMさんが、肺気腫で入院が長引いています。
好きなお酒も飲めなくなられたようで、お見舞いに、嘉穂の酒造メーカーが共同で開発した「酒ゼリー」を以って行きました。
Mさんの奥様がスプーンで掬って口に入れてあげますと、眼をつぶって「いい香り」、とつぶやかれました。引き続きスプーンを口に近づけられますと、「ゆっくり味あわせて」、と悦んでいただけたのには、嬉しく思いました。いずれわが身でしょうが。
「酒ゼリー」というネーミングは何とかならないものかなあ、「清酒のかおり」をイメージできるネーミングを、と思いました。(アルコール分は1%未満だそうです)
黒田武士や寒牡丹などの酒造メーカーで直販していますし、嘉麻市の道の駅「うすい」でも販売されています。
 
●朝から雪もちらついていますし、朝風呂に入ってゆっくりと、一休みです。来月の古代史の例会の「タリシヒコの謎」の発表原稿を整理しておかなければと思っています。
昼までには雪も止むようですから、久しぶりに天神の地下街でも散歩しようか、と奥さんの意見を聞いているところです。
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2017-02-07 09:42:58

東京大改革の中身は?29.2.07

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●このところ昔の会社での戦友たちで、福岡に住まいしていた方々の訃報が続きます。今年に入って3件です。
まだ70半ばでの往生は、長寿社会になった今では早逝と言えましょう。揃って脳梗塞ですから、寒さが影響しているのかもしれませんが。
こちらもいつお呼びがかかってもよいように、と終活を始めなければ、と思って蔵書の片付けからぼつぼつはじめようと思っているところです。
 
●税務署に医療費払い戻しの手続きの時期になり、結構面倒な作業が控えています。
そのうちでも面倒なのは、ネット通販で購入した薬品類の支払い証明です。
普段の整理整頓にもっと気を配っていれば、など反省しながら医療機関からの領収書を整理しています。
まあ、還付される医療費は、支払った国税の額以内ですから、わずかなものなのですが。
 
●東京の千代田区の区長選挙がおわり、小池知事が応援した75才5選目の現職の方が当選されました。
普段でしたら、区長選挙がそれほど耳目を集めなかったと思われますが。今から夏の都議会議員選挙までは、小池知事がニュースに出ない日はないように思われます。
東京大改革の中身が問題にならず、旧体制批判ばかりが目立つように思われますが、議会が変わってから、ということなのでしょうか。
天変地異が東京大改革終了まで待ってくれればよいのですが。
 
●先の日曜日でK古代史の会での「タリシヒコの謎に挑んだ人たち」の三回目の発表が済みました。来月で(3月5日於:ももち文化センター13時半より)終了予定です。
「岩波文庫」(石原道博)とか『失われた九州王朝』(古田武彦)とか「聖徳太子はいなかった」(大山誠一)などについてのタリシヒコ論の紹介など盛り沢山なので、時間内に終了できるか心配です。
 
●古代史に関係ない知己も呼び出したりしていましたので、市民センターでの発表会のあと、古代史関係者も交えて反省会?を近くの居酒屋でやりました。8名という小人数でしたので、アルコールが入るほどにいろいろ議論が飛び交いあっという間の「飲み放題2時間」でした。又やろうよ、という声が多かったようですが、耳が悪くなって良いことしか聞こえないようになっているのでしょうか?
 
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2017-02-01 19:24:12

トランプ旋風に恐々のようですが、29.02.01

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●早くも1月が通り過ぎ、如月の2月に入りました。TVは、アメリカ新大統領が頻発する「大統領令」のニュースに追われているようです。
近視的には日本経済環境に大きな変革の大波が来ていることには間違いでしょう。
過去にも1971年のニクソンショックと言われる大変革がありました。寅七は当時ワシントン州の山奥のダム工事に従事していて、日本の本社から送られてくる、わずかなドル給与を辛抱して1年半後の予定勤務を終えたら、お土産を買って帰ろう、とためたドルが、2割近く目減りしました。
又、時が過ぎ、1985年の、いわゆるプラザ合意とやらで、日本が急激な円高に見舞われました。当時香港政庁から香港ドル建てで契約していた、寅七の担当した香港地下鉄工事が、その受注金額が一瞬のうちに30%ほど目減りしました。
そのような状況からすると、今回のトランプショックはショックとなるかどうか、日本の為政者の、変化に対する対応力が試されることになりそうです。
 
●昨日は、天気は荒れ模様でしたが、青物とうまくいけば新鮮な魚介類も欲しい、と奥方の要望で久しぶりに、糸島から七山~三瀬と一回りしました。
どこの農産物や海産物の直販店も駐車場の車の姿もまばらで、商品も淋しいものでした。それでも、一回りしたら、結構目的のものも手に入り、車のトランクも、まあ満たされました。
 
●宗像の沖ノ島の世界遺産登録などの機運に乗じて国立博物館でも特別展示を計画しているようです。
古代のことを郷土の村興しに使おう、ということに文句をつけることはありませんが、沖ノ島の文化遺産を、みんな大和朝廷に結び付けて説明していることには、古代史研究者としては何か一言申さなければならないのではないか、など思っています。
 
●今度の日曜日には、古代史の会での「タリシヒコの謎」の第三回目の発表です。もともとは3回程度、ということで始めたのですが、しゃべりの整理が下手なのでしょう、脱線が多く、4回目を3月にも続けることになりました。
会の後、折角寅七の話を義理にでも聞きに来てくださった、方々と”一献”の段取りをしています。奥方様にはあまりお気に召さないようですが。
この「タリシヒコの謎」の最大の問題は、「タリシヒコの謎」解き、の今後です。それを、どうまとめようか、ということに今、頭を悩ませています。、
 
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2017-01-28 08:07:29

稀勢の里おめでとう 29.1.28

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●稀勢の里がめでたく横綱になり、昨日のTVは明治神宮での手数入りを各局が競って放映していました。
調べてみたら、平成22年の九州場所で白鵬の64連勝の記録をストップさせた翌朝、当時の鳴戸部屋の練習場が香椎宮の一角にあり、散歩のついでに寄り道をしたら、そこで早朝から普段通りに若い衆たちと一緒に稽古場に出てきている稀勢の里の姿をみた感想を述べていました。
怪我をせずに、せめて3年は綱を締めていてほしいものです。
 
●錦織選手がスイスのベテラン、フェデラーに負けて全豪オープンテニスに関心が無くなっている向きもあるようですが、準決勝戦はどちらも見ごたえがありました。
昨夜のディミトロフ(ブルガリア)とナダル(スペイン)の試合はフルセットにもつれ込み、5時間近くかかる熱戦をナダルが制しました。錦織選手は、ナダルにはリオ五輪の三位決定戦で勝っています。デミトロフにも昨年確かカナダで勝っています。錦織選手にも時の運が味方してくれればメジャー大会でトップに来れる可能性はあると思います。
 
明日はフェデラーとナダルとの決勝です。夫婦ともフェデラーのフアンですが、5時間の熱闘のあとやく40時間後連戦になるナダルには、それに加えて24時間の休息が得られたフェデラーと比べると、ものすごく不利な日程設定だと思われ、せめてもう一日くらいナダルに休ませてあげたら、良い試合も見れるのにと思います。
 
●2月初めの古代史の会での「タリシヒコの謎に挑んだ人たち」の発表原稿を、一応チェックし終わりました。
テニスの試合をTV観戦しながらの作業でしたので、もう一度読み直しておく必要があると思っています。
今回は明治維新から敗戦まで、と思っていたのですが、「敗戦から現代まで」に取り上げる論者が十数人になるので、3月例会で終われないかもしれない、という気がしました。
会長さんにお願いして、今回ペースアップして、石原道博・古田武彦の二大論者の前までを済ませておくことにし、レジュメもそのようにしました。
 
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2017-01-22 09:29:03

スポーツウイーク 29.1.22

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●トランプ政権誕生で世の中は騒然としています。これほど既成メディアを敵に回して大丈夫なのかなあ、いろいろとプライベート面で問題を内蔵しているようですが。日本では朝日の天声人語では8年間の政権を覚悟しなければ、と言っていますが。

 

●このところ『倭人とはなにか』で倭人伝の再検討で追われていましたが、一段落させて先週はスポーツウイークでした。

天候に恵まれ、木・土と二回ゴルフコースに出かけることもできましたし、風もなく温かくもあり、初打ちの惨敗から、スコアも元に戻ってくれました。

大雪で雪下ろしなどの作業で大変な北国の方々には申し訳ない思いです。

家に帰っては、錦織選手はじめ多くの日本人選手がメルボルンで頑張っているのを茶の間応援し、気分だけでも一時的に、大昔の高校のクラブ活動時代に戻ることができました。

また、どうやら久方ぶりの日本人横綱誕生の可能性が大きくなり、モンゴルさん横綱時代も終わりかけているようです。

 

●先日の井上信正さんの太宰府の条坊の変化についての講演を聞いていて、不思議に思ったことがあります。新しいところに所謂遷都するのであればともかく、同じ場所に新しい規格での条坊の設定がいくら専制政治の下であっても難しいのではないのだろうかと。

大火があったとか大地震などでほとんど壊滅した、とかいう、そういう目で調べてみた人もいるのではないか、を、調べてみたいと思っています。

 

●来月第一日曜の古代史の会での発表内容のレジュメを見直しています。なんとか今度で石原道雄氏の『隋書』倭人伝岩波文庫の前まで進めておいて、3月の例会で石原道雄氏や大津透教授と古田武彦師を対比させる、ということに持って行きたいと思っています。

 

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2017-01-17 07:32:31

『倭人とはなにか』の批評その7 29.1.17

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一昨日の古代史の会は、太宰府の条坊の変化について太宰府市教育委員会の井上信正さんの講演で皆さん興味深く聴いておられました。「聴いて」ではなく多くの方がスマホやタブレット端末をかざして映し出される画像などを収録されていました。

前座と前置きされて木村会長が「百人一種の謎」というタイトルでの話も、昔々カルタ取りに熱中した中学生時代に戻していただけました。

次回は「タリシコの謎に挑んだ人々」の第三回目の発表です。井上さんの発表のように皆さんの興味を引き付けることが出来るのか、ともかくレジュメを再考することにしました。

 

●お年玉付きの念がハガキの当選番号が日曜日にあり早速チェックしてみました。例年の通り切手シートが7セット当たっていました。このくじ付きハガキが始まってどれくらいになるのかな、と調べてみました。

1956年から一般の年賀ハガキに付けられたそうです。(寄付金付き年賀はがきは1949年から)サラリーマンでまあ上級管理職になるあたりから結構年賀はがきの数も増え、千枚に達したこともありますが、30年で500枚としても1万5千枚ですが、切手シート以外当たったという記憶はありません。来年には福が来るのでしょう、きっと。

 

●『倭人とはなにか』の感想その7(最終回)です。

韓国内を陸行するのが難しかったのでしょうか。倭人伝の記事では、対海国や末盧国の道路事情について、まるで獣道のような表現が見られます。しかし、韓諸国については陸路についての表現はありません。

朝鮮半島内の陸路についての表現がないのは、水行だったからなのでしょうか?それとも中国人にとってあまり難儀しない道であったので何も書かなかったのか、どうなんだろう?

 

朝鮮半島の古代道路研究について、『古代東アジアの道路と交通』鈴木靖民ほか(勉誠出版 2011)によりますと、韓半島の東と西を隔てる太白山脈及び小白山脈の山地域には無数の山城があり、戦闘のためのものが多く、そこに至る道があったのは間違いないが、古代の史書に記載が多い戦闘記事で侵入軍が、どこでそれらの山脈を越えたのかについては確説はまだないようです。

ただ、地形的には九州地方より穏やかで、統一朝鮮の時代の道路図を見ますと、九州北部地方よりはるかに道路密度は濃いように見えます。

陸行が厳しいから、西海岸を水行することを選んだ、という理由は地理的条件からは見られないようです。

 

 

●「歴」について、出野正・張莉説を見て見ます。

 

【私は、郡より狗邪韓国にいたる行程は陸行ではなく、水行だと思います。それはなぜか。問題は「韓国を歴て」です。「歴て」を使ったのはそれなりの意味がある筈です。「歴」は「説文解字」二上に「過也(よぎるなり)」とあるので、「過」に置き換えることが出来ます。そうすると、「韓国を歴て」は船で韓国の地を過ぎて行ったと解釈することが可能です。

『史記』の索隠注に「歴、度也(歴、度るなり)」とありますので、これによれば、帯方郡から船で一気に海を渡ったとも解釈されます】(p151)

 

寅七の解釈が間違っているのかもしれませんが、著者たちが「歴」という意味から「よぎる」と解釈できる、とされ、「郡を出発して狗邪韓国に着く」という記事には「水行」という動詞しかない。もし陸行したのであれば、「然後陸行」などという語が挿入されるべきというように言われます。

 

「韓国を歴て」の解釈として、「船で韓国の地を過ぎて行ったと解釈することが可能」とか、『史記』の注には「度たる」とあるので「一気に海を渡ったとも解釈できる」と説明されます。

あくまでも、可能性としてこのような解釈もできる、と説明していらっしゃるようなのですが、その後の論の発展は、それが確証的なものにすり替えられているように受け取れますが、寅七の受け取り方が間違っているのでしょうか。

 

著者は、この文章には水行という動詞しかない、陸行したのなら、「然後陸行」などの文章が挿入されるべき、と言われます。そうかもしれませんが、この「倭人伝の行路記事」にはほかにも「落ち」ているところが多々あります。

古田武彦さんがその解決に頭をひねった、対海国や一大国には陸路の記事があるのに「陸行」の漢字は見えず、すべて「水行」という漢字しか見えないこともその「落ち」の例でしょう。

 

「歴」について、「歴観」という派生義でなく、本義の「よぎる・へて」に随うべき、というような論議(p153)について深入りするのは、寅七の己を知らなさすぎで、何とも言えませんが、派生義で解釈した方が文章全体の本意としては妥当だ、ということであれば、本義にこだわるのはどうかな、と思いますが、論語読みでもない論語知らずが口を出すことは控えておきましょう。

 

ともかく、前回述べたように、朝鮮半島をL字型に航路することは、東夷伝によれば不可能なのです。韓国を歴するには陸行のみが可能なのです。

 

「接」というのは陸地と繋がっているという意味ではない、という論議はなさっていないようですから、著者たちも、韓は、南では「倭」と陸地で接していて韓半島の南岸は韓国エリアとは思ってはいないようです。

でしたら、郡から半島西海岸沖を一路南下して、半島南端で東に回頭しますと、そこはすぐ「倭」国領域であり、その西端部に着くことになります。その後、「倭」の南岸沿いに進むことになります。

倭人伝の記述「韓国を歴るに乍南乍東」と異なる解釈になります。まず、この点についての考察が必要なのではないでしょうか。

 

やはりここは「歴」の本義にこだわることなく、古田武彦氏の、派生義の「歴観」として解釈する方が、文意に沿った理解となるのではないでしょうか。

 

そのことによって、総行程「水行十日陸行一月」との齟齬もなくなります。「陸行一月」は「魏使が列島の倭人に聞いた話」(p158)、など子供だまし的な説明、と「それが本当かどうか知る由もありませんが」(p158)という無責任な言い逃れも不要になるのです。

 

今まで見てきたように、著者たちは、古田武彦流の「道行き文」の解釈を否定しているようですが、「狗邪韓国」は倭人国の旁国の一国として、韓国内陸行とすれば「倭人伝の行路」は矛盾なく解釈できます。

朝鮮半島内の「倭」と「倭人」は書き分けられていた、という仮説の当否については、現在の与えられた情報からはどちらとも言えないようにおもわれます。

 

特に古代朝鮮の史書には倭人と倭は書き分けられている、と『三国史記』の「倭人」「倭兵」の調査から、「倭人」は列島の倭、「倭兵」は半島の倭、とされますが、その当否はともかく朝鮮半島内に倭という国があったとは『三国史記』のどこにも書いてないようですし、寅七の『三国史記』訳本が不正確なのかもしれませんが、「倭」という単独語も見えないようです。。

 

北朝鮮や韓国の公式の歴史書には、任那や半島に漢の四郡が存在したなど記載されていません。中国の史書は中華意識で書かれていますし、韓国の史書には強烈な民族意識が底にあるように思われます。『魏志』と同じレベルで『三国史記』などの朝鮮関係の史料を同列においての論議で正解を得ることができるのだろうか、と不安を感じます。

 

著者たちの意見、「倭」の複合語、例えば「倭地」の解釈が、朝鮮半島の「倭地」なのか、「列島の倭地」なのか、その「本義」が不明確です。

常識的な理解としては、「倭地温暖冬夏生菜」という説明から、北部九州の説明かと思われますが、なぜ倭人の地と書かれていないのか、今後の研究の課題と言えましょう。

 

また、朝鮮半島と日本列島との通交は、半島―北部九州の倭とだけではなく、倭人の国も30以上の国名が記されていますし、列島の東の方には「倭種の国」とも当然あったことでしょう。「一般的な倭種の国々・人」、という意味で朝鮮半島の各史書は、「倭人」と表現していたとも思われます。

しかし、朝鮮半島の南端にあった「倭」と「倭人国」との関係は倭人伝の記述からはわからない、というのは著者のいう通りだと思います。

 

今回はただ、狗邪韓国への行路についての著者たちの理解に疑問があり、それを中心にその理解に対しての疑念について意見を述べた次第です。

 

仮説を立てて研究し、それが合理的でない結果となれば、仮定が誤っているか、研究過程が誤っていたのか、情報不足で誤ったのか、改めて仮説の組み立てなおしが必要ではないのかなあ、と寅七には思われます。

しかし、『倭人とはなにか』を読んでいると、「仮定」というのではなく、著者たちが行きついた「真実」を展開させた結果であり、その結果も間違っているはずがない、という「信念」が伝わってきます。

それを安易に「仮定」として、寅七の常識論で計ろうとしたのは失礼だったかなあ、とも思います。

 

「倭」は半島にあった国で「倭人」は北部九州にあった国、という本論についての論議に深入りすることなく、倭人伝の行路記事中心に終始してしまった感ですが寅七の限界でしょう。

 

この本のメインテーマの「日本人のルーツについて」にも多くの仮説が提示されています。

倭人伝関係でも、いくつか取り上げなかった問題があります。

例えば、「倭」について、『三国史記』では「倭」と「倭人」は書き分けられている、とあります(p141)が、寅七が『三国史記』(佐伯有清)を参照した限り、「倭」という単独で使われていた例を見ることが出来ませんでしたし、倭人伝の記事の中に見られる「倭地」「倭種」などの複合語についての著者の説明もはっきりしていません。

 

時間がある時折々に、この『倭人とはなにか』を開いてみて新しい感想が出てきたら又その時にブログにあげてみたいと思っています。

 

ともかく、年末年始の無聊をかこつ時間帯を、脳をアルコールで寝かせるのではなく、結構フルに使うことが出来たことに『倭人とはなにか』の著者に感謝します。

(完)

 

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2017-01-15 08:50:46

『倭人とはなにか』批評その6 29.1.15

テーマ:ブログ

●寒波襲来の週末です。TVは雪の中でのセンター試験がトラブルのなかで行われていることを伝えています。

孫娘ちゃんも大変だろうなあ、とジジババは無責任につぶやくのみです。

 

●最近はTV番組でも老人の終末期の問題を良く取り上げます。今朝もTBSを視ていたら、認知症の兆候についていろんな専門家が教えてくださっていました。

その中の「兆候」の一つに、性格が変わること、攻撃的性格が丸くなる、とか、その逆とかが上げられていました。

このブログも論調が「丸く」なったら寅七の認知症の始まりと自覚しなければならないのでしょう。今日は古代史の会の集まりです。懇親会でも古代史の勉強と認知症についての論議も出ることでしょう。

 

●さて、今回は出野正・張莉『倭人とはなにか』の感想その6「乍~乍~」の解釈について調べたことについて述べます。

 

『魏志』東夷伝を読んで、常識的に、というと著者たちに叱られるかもしれませんが、なぜ西海岸をL字形に朝鮮半島を船で行く、という理解になるのだろうか、と疑問に思うのです。

「韓国は方4千里」という記事、それに、東と西は海で限られていて南は倭に接す、とあります。また韓人の国々が沢山名前が上げられています。

その東夷伝倭人の条の記事での「郡から韓国を歴て倭に向かう」のに全行路水行説を実験された記録、『わが心のヤマタイ国』という角川春樹氏の記録があります。

潮汐流が激しい西海岸を、三世紀当時どのような装備があったかは不明ですが、専門家たちの意見に従って、18人の漕ぎ手の古代船を再現し実験した角川春樹氏の記録を読む限り、沿岸をL字形に直行することは不可能に思われます。

 
多島海で潮汐流の激しい朝鮮半島に西海岸を夜間航海することは勿論、夜間洋上停泊も不可能でしょう。沿岸でなく沖合を航海したと仮定しても条件は同じで、やはり不可能でしょう。

 

又、そのL字の行路を、曲がったところは「韓人の国」ではなく「倭」なのです。著者たちは何もこの矛盾に気付いていないのでしょうか。L字形の水行で韓国を歴ることは、『魏志』東夷伝の記事に随うと、ありえないことではないでしょうか。

ともかく、著者たちの主張に随って、その主張されるところを見ていきます。

 

著者たちは①「歴」と②「乍」の解釈から韓国内水行とされます。そして、③「其の北岸」は当然狗邪韓国の北岸とされます。「其の北岸」については、既述しました。

 

また、著者たちの主張は、韓国内を水行とすると、陸行1月の説明が付かない、ということになるのですが、その説明は、【「水行十日陸行一月」は、郡使たちが日本列島の人から聞いた情報とすれば別に不思議でもなくなります。もっとも、それが本当かどうか知る由もありませんが。漢文は非常に厳密にできていますから、その真意をまず読み取るべきです。漢文の文意からみると、「南至投馬国水行二十日」及び「従郡至倭循海岸水行歴韓国乍南乍東・・・・・其の北岸狗邪韓国」の意味するところは、明らかに帯方郡から狗邪韓国へは水行だったことに間違いないと思います。私たちはこのことを問題提議したいと思います。そのうえで「水行十日陸行一月」を考えてみたいと思います。安易に「水行十日陸行一月」を正解として、それに合わない漢文を捻じ曲げて我田引水に読むのはよくありません。】(p158)

 

しかしこれは、夜間でも航海できたと証明できなければ、全くと言ってよいほど理が通らないのです。論理の赴くところに基づいた結論が理に適わないのであれば、その論理の道筋に誤りがある、ということになります。

 

基本的に、「道行き文」という理解が正しいのかどうか、ということになります。古田武彦氏が例にあげられる『漢書、地理志』や『新唐書、地理志』の行路記事の解釈も間違っていることになるのでしょうか。

 

全体の行路とは別に個々の問題、上記①及び②について改めて調べなおしたところを報告します。

【韓国を歴て、乍(あるい)は南しながら乍(あるい)は東し、其の北岸狗邪韓国に至(ママ)る七千余里】とし、乍~乍~という文型は、あるいは~あるいは~と解されています。

【「乍」は佐藤進ほか『全訳 漢辞海』では「二つの状態が交互に現れることを示す表現」としており、それならL字型の航路を最初は南に行き、然る後に東に行く水行の航路だとしても何の不思議もありません】(p154)

 

古田武彦氏は、「乍~乍~」は「タチマチ~タチマチ~」という熟語的構文とされていて、南に行ってすぐに東に行ったりするとしています。

「乍」および、「乍~乍~」という構文について調べてみました。とりあえず手持ちの辞書、『辞海』(上海辞書出版)・『日中大辞典』(愛知大学)・『学研漢和大辞典』で調べてみました。

その結果、「乍A乍B」という構文については、すべて古田武彦説の通りでした。です。「あるいは」という読みは「古訓」としてある、と『学研漢和大辞典』にありましたし、岩波文庫版『魏志』ほかにも見えますが。

 

●「乍」を辞書で調べた結果

『辞海』上海辞書出版社1979年版(簡体字を当用漢字に変換by寅七)

①剛;初。如:新来乍到;初学乍練。于謙〈遇題〉詩:“山雨乍晴時。”

②恰;正。張翥〈真珠帘〉詞:“凉透小帘ロウ(木扁に龍)(下注)、乍夜長遅睡。”

忽然;驟然。如:乍晴乍雨〈孟子。公孫丑上〉;今人乍見孺子将入于井、皆有怵惕惻隠之心。“

④聳竪。白仁甫〈梧桐雨〉第二折;“諕的我戦欽欽遍体寒毛乍。”

⑤見;“乍可”

⑥“作的古字”

(注)帘ロウ(木扁に龍)はカーテンの懸った窓の意(文語的表現)

 

『中日大辞典』愛知大学辞書編纂処1980年版

①・・・したばかり。・・・しはじめ。〔~看很好〕 ちょっと見には良い。

たちまちにわかに。不意に。急に。~晴~陰照ったり曇ったり。~冷~熱急に熱くなったり寒くなったりする。

③思い切って。大胆に。〔~着胆子做〕思い切ってやってみる。

 

『学研漢和大辞典』

①読み;たちまち:急に。さっと。・「今人乍見孺子将入于井=今、人乍ちの将に井に入らんとするを見れば」(孟・公上)

②読み;たちまち:乍A乍Bの形で、Aがおこるかと思えば、急にBがおこるの意を表すことば。「先王之道、乍存乍亡=先王の道も、乍ち存じ乍ち亡ず」(史記・日者)

③読み;ながら(国語):・・・にもかかわらず。また、・・・しつつ。

▽万葉仮名では、乍A乍Bの場合の意味を誤解して「・・・しつつ」と訓じたため、のち「・・・ながら」の訓が生じた。

古訓:アルイハ・オノツカラ・シハラク・タタニ・タチマチニ・ナカラ・マタ・ミル(観名)

 

出野正説のように「乍」を例えば岩波文庫本のように「あるいは」と解しでも文章としては成り立つのです。シバラク南に行きまたシバラク東に行くが陸行行路の描写としては日本語的だと思いますが、それはさておき、韓国の西海岸の地理的条件は、乍南乍東という行路動作を可能とするか、というところには大きな問題があります。

 

上の図は、以前某氏の韓国内水行説に対して、「乍南乍東」ということでは水行は不可能ということの説明に使った図です。(井上秀雄『古代朝鮮』を参考に作成)

夜間の多島海航海が当時の船で可能か、ということと、沿岸に夕方寄港し早朝出発が可能、(今回の出野正・張莉説も同様)とした場合、どうしても「乍南乍西」という動作が「乍南乍東」同様に必要になってくるのです。

南船北馬と言いますが、北馬の国の魏使達の一行が、多島海を夜間停泊したり夜間航海したりする危険について無神経だったのでしょうか。後代の遣唐使船でもその成功率は50%とも75%とも言われています。九州島に比べてもずっと平坦な地形の南朝鮮です。常識的には陸路を人々に輿を担がせての行列行進であったことでしょう。

(次回は「韓国を歴る」について検討した結果を報告します。)

 
 
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