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2014-07-25 11:16:55

福永晋三氏の九州王朝説は基本がおかしい 26.07.25

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●梅雨が上がり暑い日々が続いています。2年前のこのころの暑い日にエイジシュートがでたことを思い出し、家内の「この暑い日に出かけるの?」的な眼を後に、昨日久し振りにコースに出ました。

午前中はまあまあ、だったのですが、後半の途中でシューズが暑さのせいか、糊が剥げベロンとなってしまい、あり合わせのビニール袋を紐にねじって括ってなんとかプレー続行しました。

残り4ホールで3OBが出て、万事休す、でした。熱射病にもかからず無事帰宅できたことを良しとしなければならないでしょう。


●日曜日、福永氏の九州王朝説を聞く機会がありました。

古田武彦説への批判もさることながら、その話の根拠が脆弱なものに寄りかかって構築されているような感じがしました。


彼の説は、邪馬台国は九州にありそれがヤマト国である。それが7世紀まで続いていた、ということで成り立っています。


その基本は、『邪馬臺国はヤマト国』、ということが根拠になっています。

疑問点は、

① 臺が「ト」と読めるのか、ということと

② 3世紀段階で臺はトと一般に読まれていたのか、

さもなければ、臺の読みには「ダイ」と「ト」の二通りがあったのか

③ なぜ、陳寿は「ヤマト」を、他の国々のように「イトコク」を「伊都国」、「コウコトコク」を「好古都国」と「ト」に「都」を使い、「ヤマトコク」に「邪馬臺国」と「臺」を使ったのか、常識では考えられない。


ということがクリアーされなければならないでしょう。


福永氏の疑問①についての説明は、

万葉集で「臺」が「ト」と読まれた例がある。臺に草カンムリがつくと、薹が立つというように「とう」と読まれている、と。


しかし、万葉集では臺が「ト」と読まれている例を挙げられていません。万葉集をかって通読した経験もありますが、「臺」を見かけたことも無く、ネットで検索してもそのような例の報告はありません。

また、「薹」の読み「とう(たう)」で和語であり、漢和辞典を引いても読みは“「臺」におなじ”とあり、「トウ」という読みはありません。


疑問②の答えとして、“いや、三世紀の中国では一般的に「ト」と読まれていたのだ”と福永さんは仰るかも知れません。


しかし、中国の辞書にそのような形跡がないことは、古田武彦氏と学研社漢和辞典編集者藤堂明保氏とのやりとりからわかるのですが、根拠薄弱なのです。


もし、「ダイ」と「ト」の二通りがあったとすれば、陳寿もしくは裴松之が どこかに注書きをいれないと、魏朝の官吏達には、東夷伝倭人の條の「臺」のみは「ト」で読む、と理解することは難しかったことでしょう。


疑問③ については、福永さんが論理的に答えることは難しいと思います。福永説は、常識的というか論理的におかしい、としか言えません。


このような、極めて不確かな、というか、誤りと思える仮説に基づいた立論は、物語としては面白いかもしれませんが、「歴史」としては「誤った歴史」と思われました。






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2014-07-17 10:28:12

沖ノ島の世界遺産登録ならずは当然 26.07.17

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●今週はW杯ブラジルーオランダ戦、決勝のドイツーアルゼンチン戦と早起きでした。Jリーグの試合よりも肉弾戦的で、外国でプレーしている本田その他の日本人プレイヤーの苦労がしのばれました。


かなり暑い中でプレイヤーの苦労もひとしおだったと思いますが、殆んどの国のコーチ陣もジャケットにネクタイ姿でこれも大変だったことでしょう。その中で、ドイツのレーヴコーチがノーネクタイ、ノージャケットで采配を振り優勝しました。今後のコーチ陣の服装基準が変わるのかなあ、どうでしょう?


●眠いワールドカップが終わりましたが、引き続いて博多山笠の櫛田入りが早朝からあり、ついTVに見入ってしまいました。

山笠も女の子は小学4年まで参加できるそうですが、それ以上は参加できないそうです。それはともかく、沖ノ島の世界遺産登録の選考に外れた、と先週新聞が報じていました。

女人禁制が現代まで続いている、ということでは、女性にとって恥辱遺産でこそあれ、世界に誇れる遺産ではないでしょう、推進している方々にその感覚が欠如しているのではないでしょうか。


●古田史学会論集の原稿2校が届きました。さて、これと海鳥社の本とどちらが先になるのか分りませんが、この2冊共11月の八王子セミナーには間に合うでしょうから、古田先生にどのような講評を頂けるか(頂けないか)今から緊張しているところです。


●HPの「槍玉」の全ファイルをチェックしていて思ったのは、この50程の各人への批評ファイルを、古代史の問題点ごとに整理したらどのようになるかな、と思いつき、やりかけてその作業の膨大さにいささかたじろいているところです。

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2014-07-12 09:31:38

古田先生はお元気でした 26.07.12

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●大学同学科同期の七夕の夕べに旧交を温めようと声をかけた8名の内6名が、天神の居酒屋に集いました。アラエイ年代にしては遠く高松からの参加もあり出席率は高かった方でしょう。あいにく台風8号の前哨の雨模様でしたが、時間がたつほどに昔に帰って元気になりました。


そのうちに小生の古代史研究がどうなったのか、ということから古代史の話になりました。F氏は、「季刊邪馬台国」のバックナンバーをそろえている、というように古代史には昔から興味があるが、東日流外三郡誌問題以来古田武彦が信じられなくなったといいます。


あのネガティヴキャンペーンが古代史好き人種に与えた影響の大きさを改めて知らされました。小生のHPの『偽書「東日流外三郡誌」事件』の書評を読んでみてくれ、とURLを知らせましたが、次回の集まりの時に意見を聞いてみましょう。


●列島を、丸で、防災が充分であるかをチェックするかのように台風8号は、日本列島沿いに北上しました。

なぜ鹿児島の甑島沖で北上を止め、東に90度転じたのか、原因をキッチリと解説してくれた予報士はいなかったようです。原因をつかめると、先々、台風のコントロールも可能になるのでしょうが、原子力発電所の修理もままならぬ先端技術の現状では、まだ数世紀先のことでしょうか。


台風の接近予測が外れても学校はお休みになったようで、理髪店に行ったら中学生で混んでいました。


●本屋で文芸春秋を立ち読みしていて、塩野七生さんの随筆の中で次のように述べられていたことが心に残りました。

内容の大意は次のようなことだったと記憶します。(老人力のせいで間違っているかもしれません)

高坂正堯氏の思い出として、高坂氏が』塩野さんが歴史を取り扱っていることから、”歴史を取り扱っていると、メランコリーになってきて自殺したくなる、とアルノルド・ツヴァイクが言っていたよ”、と言われたそうです。

勝者によって書かれた歴史を、勝者が現存しているときに歴史を著わにすることの難しさをいっているのかなあ、と勝手に解釈したのですが・・・。


●「新しい歴史教科書(古代史)研究会」のホームページの整理に手間取っています。50以上のファイルをひとつひとつ検査していくと、リンクを張っていたつもりが切れていたり、内容が一部消えていたり、自分でも驚いています。時間をかけてでも、きちっとしておかねば、と思っています。


●古田先生から久し振りに電話がありました。「奴国のありか」の発表はどうなっている、などの話でしたが、3月、宮地獄神社のイベントでお見えになった時よりも、先生の口調からはお元気のよに思われました。11月の八王子セミナーもこの分なら大丈夫と思わせるものでした。

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2014-07-05 19:59:40

歴博の「新」時代区分はおかしい 26.07.06

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●家人がTVの音が最近高くなった、と耳の検査を進められ、補聴器屋さんに出かけ検査を受けました。聴力は中の下くらすで、補聴器の試着をしました。なるほど、小さな声も拾えるのですが、雑音も大きく聞こえます。値段も結構高い、(最高級は80万円などと言われていました)まあ、あと1~2年経って又お伺いします、ということにしました。


●ホームページの文章校正は一応終えたのですが、その過程で3つのホームページのファイルに欠損部が生じているのを見つけ、この2日間かかりきりになりました。

5年前の外付けデヴァイスが故障した時に修復した時のミスがそのままになっていたようです。


●學士會会報最新号に国立歴史民族博物館の副館長・研究総主幹の藤尾信一郎氏の「新しい弥生時代像の構築」という文章が載っていまいた。

一読すると、弥生時代はBC10世紀に始まった、C14法に寄るよる遺物の時代判定を尊重し、従来の通説と異なるに時代区分を提案されていました。


日本列島は一様に文化が発展したわけでなく、各地方によってかなり違う、とまあ真っ当な話をされています。そして数のような「弥生時代の多様な文化」という表を掲げて説明されます。


どちらかと言うと、関東や東北地方の文化発展について述べられ、「水田稲作文化時代」や

「続縄文時代」などの新しい時代区分を提案されています。


藤尾 クリックすると拡大します。


「弥生時代」定義そのものがあいまいの上に「水田稲作文化時代」など重ねるのは余計ごちゃごちゃするのではないかなあ。


政治体制による時代区分が難しい古代は、石器時代・青銅器時代・鉄器時代など道具による区分にした方がすっきりするのではないか、と思われました。


また、藤尾氏によると、西日本がひとくくりにされています。纏向遺跡と北部九州の弥生遺跡とを同時代に置かなければならない「何かの」事情が存在するのだろうなあ、とゲスの勘繰りをしました。





2014-06-30 19:24:39

八王子セミナーの案内が来ました 26.06.30

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●ワールドカップも日本の出番がなくなり、他国のみのゲーム観戦となりました。しかし、客観的に見れますので結構面白く見れます。少なくとも心臓への負担はぐっとすくなくなるので、年寄りにとっては日本の敗退も体には良かった、という面もあるでしょう。


●自分のホームページの文章の校正作業を思いたって作業を始めて1週間になります。結構量が多くくたびれます。量の多い『偽書東日流外三郡誌事件』と『天皇の歴史01神話から歴史へ』は後回しにして、それ以外は一応終わりました。


一応、というのは、文章チェックにWORDの文章チェック機能を使ったので、テニヲハや日本語的でない文章はチェックしてくれますが、熟語自体に変換ミスがあっても見過ごされることが多いのです。


ホームページ作成ソフトで作成されているファイルを一度WORDファイルに変換して、ミスをチェックし、ついでに変換ミスが無いかもチェックしていきました。一つの「槍玉」で少なくとも20個くらいの修正箇所が見つかりました。


おまけに、なぜか、ホームページの槍玉のファイル自体が行方不明のが2ファイルありました。それらは現在のネットに出ているものからコピーして、改めて再度ファイルを造り直さなければならない羽目になりました。5年前、外づけハードディスクがアウトになった折、なんとか修復したのですが、そこでミスが生じていたようです。


今回全部の槍玉ファイル見直し校正作業を思い立ったので、このことにも気づけたということです。しかし、校正作業はくたびれます。


●校正作業に集中していたら、もう今年は半ばを過ぎようとしています。今日、八王子セミナーの案内が届きました。古田先生がお元気なのには驚きます。11月8~9日だそうです。それが終われば2015年を迎えるということになります。時の流れは速いものです

2014-06-24 12:59:15

文章校正と見直し作業中 26.06.24

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●先日の前の会社の懇親会に続いて昔の会社の福岡OB会のコンペでもすっきりしない結果です。なんたってパットが悪い。木曜日のコンペでは、最初に10mくらいのバーディパットが入り、これは幸先よい、と思ったのが間違いの元のようです。以後、打てども打てども入らず、で結局46パットもしてしまいました。

ハンディの事もありますが、初めてBMの位置にまで落ちてしまいました。今後、なんとか這いあがれるかどうか、結果が出るまでは、ゴルフについてのコメントは差し控えることにします。


●6月5日の「深町なか」のことについての記事について、何人かの読者の方から、そんなバカなことがあるのか、とか、もっと詳しい事情を知らせろ、などという意見を頂いています。

先日のブログに書いた以上のことでもなく以下でもなく、特に付け加えることはありません。ネットの世界に生きる寅七も注意しなければならないでしょう。


●読者の方から、寅七の文章のチェックの甘さからくる変換ミスが沢山指摘されています。ブログはともかく、ホームページの方まで変換ミスが多いようですと、寅七自体の信用問題です。先に進むよりもまず足元を、と、このところホームページの校正を始めていますが、かなりくたびれる作業です。あと1週間もかけたら終えることができるかな、というところです。ご指摘いただいたH・Kさんありがとうございました。


●ホームページの見直しの中で特に気になったのは、語句ではなく、論旨について歯切れが悪い盤井の乱についてのところです。

九州古代史の会では盤井の乱について意見を一冊の本にして出していますが、きちんと寅七の心におさまる論は見当たらず、古田史学の会でも、古田先生が意見を変えられて以降、伊東義彰氏が論集に「倭王になろうとした盤井」という文章を出された以外、意見は出ていないようです。

何よりも、いろいろな論者(古田先生も含め)その論述の中に、盤井の墓の破壊について、いわゆる天武紀の筑紫の大地震が及ぼした影響が入っていないことが気になります。

2014-06-18 16:37:36

文芸春秋を買わなくなりました 26.06.18

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●高校同期会・中学同期会それぞれの傘寿の祝いの会の案内を今日郵送を完了しホッと一息ついたところです。

それぞれ、開催日まで4,5ヵ月あるので、それまでに当方の体調不良などが生じたらどうなるのかな、などということは考えないことにします。


●昨夕は経済界で重きをなした旧知のM氏を囲む会に出席しました。昼間の会合はぐっと減ったけど夜の部は依然と変わらない、秘書が入れてしまうので、と言っていましたが、体力的にも大変だなあ、まあそれが彼氏の今の生き甲斐なのだろうから、仕方がないでしょう。


●夕方の会合にちょっと時間があったので暇つぶしに、見かけた書店に立ち読みに入りました。

文芸春秋も最近は買うのはやめています。宮城谷三国志も終わり、阿川弘之氏の随筆も終わり、今興味を持って読み続けているのは、塩野七生の随筆と赤坂太郎の政界情報の頁くらいになりました。880円を払うより立ち読み20分ほどで済ませています。


●ある集まりでなにか話す種は持ってないか、といわれ「奴」の読みについてなら少しは喋れるかも、といったらさっそくお願いする、といわれ慌てて原稿をまとめているところです。


その作業の途中で、「邪馬壹国」は魏朝の命名なのか倭国側が名乗ったのか、倭国側が「やまいこく」と名乗り、(卑弥呼がどのような文字で書き表したかはわかりませんが、)魏朝側がそれを「邪馬壹国」と書き表した、ということだけははっきりしています。このあたりの問題について、古田先生も何かに書かれていたという記憶があり、気になって調べてみていますがなかなか見つけ出せずにいます。 


やっと朝日ゼミナール『古代史の宝庫』で、次の文章を見つけ出しなんとなく安心しました。

【まず第一は、どうしても国名問題です。私が「邪馬台国」問題に入ったのは国名問題からです。つまり『三国志』の「魏志倭人伝」には、「邪馬臺〈たい〉国」という名前は全くない。そこには「邪馬壹国」(ヤマイコクと読むと思うのですが、発音の便宜上ヤマイチコクと字音を、発音することとします)しかないということ、これが出発点です。“「臺」と「壹〈いち〉」の字が似ているから間違ったのだろう”ということでいいのかと、問題を調べていきますと、意外にも、「そう簡単にこれを直すわけにはいかない。やっぱり『邪馬壹国』といわなければいけない」という答えになってきたわけです。】


ただ、倭国側がどのように国名を自称したのか、魏朝側の命名なのか、についての意見は述べられていませんでした。

2014-06-13 18:52:29

幹事業務が集中して本業?に手がまわりません 26.06.13

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●月曜日に熊本に出かけ、高校同窓会同期の会に出席してきました。今秋予定されている傘寿祝いの会の打ち合わせがメインでした。

バスハイク中心の一泊旅行という基本案に、ゴルフ会もオプションとして入れて、と欲張ったお願いをしたので、結局ゴルフの会については幹事役をやらざるを得なくなりました。


また、昨年から卒業した中学校も同様な傘寿祝いの企画をしていました。熊本に行ったついでに計画はどのように進んでいるのか調べてみたところ、会長役、連絡担当役の双方が老齢に伴う病に冒され、傘寿の会どころではない状態、ということが分りました。


数人の主だった同級生に連絡してみたら、「OOしゃん、あたがやってはいよ」と幼な友達に頼まれる始末で、結局この秋に中学校の傘寿の会の幹事役まで引き受ける始末になりました。


高校卒業生の方は、半分はメールで連絡が出来ますが中学卒業生の方はメールで連絡できるのは1割にも満たず、連絡名簿作成からやらねばならず人数も結構多いので、これまた一仕事です。

大学同期の中四国九州の「暑気払い」会も企画しているので、しばらくは幹事業務に専念しなければならない状況になっています。


●とはいえ、奴国からみの校正原稿が2社から重なって入り、その作業に入っています。特に、寅七の手造りの地図などが、出版するには解像度が不足、と出版社から指摘されていて、5枚ほど造り直さなければならない状況です。これが一番時間が食いそうです。


●という近況で、古代史本批評という本業?にはとても手が回らない状況、ということを説明してお詫びをしているつもりの寅七です。

と言いながら、全米オープンの松山選手の活躍ぶりやブラジルのワールドカップなどの映像も見たいし、明日は、前の会社の一泊泊まりのゴルフ懇親会に出かけるつもりにしているのですから、首尾一貫した弁明にはなっていませんがお許しください。


2014-06-09 09:01:10

トウガラシは魔よけになる?26.06.09

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●先日長兄の日本語おもしろ講座あれこれという話を聞きに出かけ、その後の居酒屋懇親会での話です。外国人に日本語を教えるボランティア組織の皆さんですが、主には中国人対象とされているようで、中国語の方言の話となりました。


40年前上海へ仕事で行っていた時のことですが、北京から来た官僚が街では中国普通話が通じず、私用でも上海出身の通訳を同行させていました。

字を書けば通じるかといっても、漢字の意味も違うこともあるので困ります。日本語でも中国語(北京語)でも、「儂」は自分のことを意味しますが、上海では「あなた」を意味します。

覚えている上海語は少なくなりましたが、上海人は「サヘニン」で日本人は「ゼポンニン」でした。


そのような話をしながら、当時、懲越戦争の軍歌が電波を占領していて、何かの公式集会で歌のうまい軍人が得意げにベトナムをやっつけろ的な歌を歌っていた、華国鋒時代のことも思い出されました。歴史は繰り返す?


●先週金曜日ゴルフ場に出かけ、財布を忘れたことに気付きました。幸い行きつけ?のゴルフ場で次回まとめて払ってくだされば良い、と言って下さいました。ツケでの飲食は昔よくしていましたが、ゴルフのツケ払いは初めてです。

忘れ物といえば、この前、パブリックゴルフ場でキャデーなしのセルフで回ることになり、1番ホールを終え2番ホールでティアップの準備をしていた時、何気なくホールアウトした1番ホールでグリーン周りの手入れをしている草刈り機のオペレーターがゴルフクラブを拾い上げている姿が目に入りました。


ハッと自分のキャディバッグを見るとサンドウエッジと11番アイアンが見えません。慌てて50m程走り戻ってオペレーターに拾って貰ったお礼を言ってプレイを続けることが出来ました。もし、この二本がなかったら、この日のゴルフはゴルフにならなかったことでしょう。

最近この種のミスが、文章の校正ミス同様増えてきたようです。


●昨日は夫婦ともお世話になっているドクターが、絵描きという共通の趣味を持つお父様と、親子展をやっている、というので、鳥栖の花やしきというレストランに出かけました。

日ごろのお礼も兼ねて、お父様のトウガラシの絵、トウガラシは魔よけにもなるそうで、その小品一枚購入しました。売り上げの収益はそっくりユニセフに寄付されるということでした。


トウガラシの絵

絵の観賞はともかく、その花やしきレストランのみごとな庭を観賞し、ピアノとオカリナの演奏を聞きながらという贅沢なランチをいただきました。(ビールが飲めないのが残念でしたが)


●先日古代史仲間のKさんから、太宰府出土の木簡記載の進大弐という位階名と授号者についての問題についててどう思うか、ということの話がありました。

『もしその気があれば検討してみたら如何か』というような話がありました。古田先生のように、常に新しい発見を求めて行動を継続されていく知の巨人と異なり、ゴルフとアルコールと古代史という寅七ですので、今のしかけたものをまとめてから、もしくはゴルフをギブアップした後でないと、新しいターゲットに向かうことは難しいようです。


●奴国問題について出版社と話をしています。タイトルをどうするか、ということで出版社と意見交換をしているところです。

出版社は、邪馬台国という語をタイトルに入れたいようです。古田先生が第一書を出版されるときに朝日新聞の出版局と、その邪馬台国をタイトルにどう入れるか、ということでいろいろやりとりがあったそうですが、今回の寅七の出版も、括弧つきの邪馬台国という形で処理する方向にせざるを得ないかな、と思っているところです。


●今日は、今秋予定されている高校同期の傘寿祝いの打ち合わせで熊本まで出かける予定です。

2014-06-05 21:06:14

乗っ取られた「深町なか」 26.06.05

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●6月に入り予定されていたかのように梅雨入りが九州でも発表されました。ゴルファーにとってはつらい季節になりますが、晴耕雨読人種にとっては、この雨模様で、晴耕を取るか、雨読の方を取るか迷うことが多くなる季節です。幸い、あすの天気は曇りですのでゴルフ場に出かけるには迷うことはありません。


●孫娘Tちゃんがネットでマンガを投稿していること、それが「ほのぼのログ」という形でネット上で6桁のフォロワーがつくようにネット社会の一部で受け入れられていることも知っていました。

楽天ショップでそのほのぼのログ画集が出版されたことを知り何も知らせてくれなかったなあ、と思いながらも注文して聞いてみたら、聞いて驚きました。誰かさんがネット上の画像を編集して出版社に持ち込んで出版された、というのです。

おまけに、サイン会までひらいているそうで空いた口が塞がらないとは正にこのことです。

確かに、孫娘は著作権など念頭になく学業の傍ら暇つぶしにネットに投稿していたのですから、いちゃもんをつける訳にはいかないでしょうが、何となく釈然としません。

殆んどパクリなのですが、似せて書いているイラストはともかく、Tちゃんの字に比べると字が下手なのには「原作者」の名誉を傷つけるものでしょう。

孫娘Tちゃんは、また別の人格を造り出すから良い、と健気にも言っています。乗っ取られたのは「深町なか」です。


●武光誠さんの史観についていって理解しようと努めているのですが、なかなか理解できずにいます。

『魏志』倭人伝の卑弥呼への過大とも思える評価について、【司馬仲達は自分の功績を誇張するために邪馬台国を実際以上の大国として魏の宮廷に報告したものでしょう】とおっしゃいます。(p49)


しかし、そのような誇大報告をするにしては卑弥呼の朝貢の品が貧弱すぎていて、矛盾するように思うのですがその辺の矛盾はまったく気にされないようです。


しかし卑弥呼が生きた時代を書いた『古事記』には卑弥呼のことは記載がなく、日本初の正史として編纂された『日本書紀』にさえ触れられていない理由はについてはこのように説明されています。
”卑弥呼の存在を隠し、中華思想に反発した日本”が基本にあったと。

【『古事記』や『日本書紀』には、三世紀に中国と通交した卑弥呼の物語が出てこない。これは邪馬台国九州説に立てば当然のことであろう。しかし邪馬台国大和説をとれば、卑弥呼は皇室の先祖のひとりということになる。大和朝廷では、卑弥呼に相当する女王の伝承が全く失われてしまったのだろうか。


聖徳太子の時代の頃の朝廷の知識層が、卑弥呼のことを知っていたのは確かである。その時代の学者は、中国の歴史書を学んでいた。『三国志』の中の『魏志倭人伝』に書かれた卑弥呼だけでなく、『宋書』などの歴史書に出てくる、倭王・讃、珍、済、興、武の倭の五王も日本に知られていたと考えてよい。


しかし、『古事記』などがまとめられた七世紀末の皇室の人々は、卑弥呼や倭の五王の通交を触れられたくない恥ずかしい過去と考えていた。中国の皇帝が古くから、中国を世界で最も優れた国とする中華思想をとってきたからだ。


中国では、卑弥呼や倭の五王は皇帝に従う倭国という属国の王として扱われていた。ところが五世紀末ごろから朝廷で、自分たちの指導者である大王〈おおきみ〉をひとつの天下の主〈あるじ〉とする考えが広がっていた】と。(『日本神話の地図帳』 p76)


しかしながら、倭王武は雄略天皇とされるのですから、宋書の倭王武の上奏文に述べられている授爵の要求など【日本書紀】が隠す理由にはなりえないと思われます。おまけに、自分で勝手に権力を揮える「開府儀同三司」に仮叙しているのですから。

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