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2016-09-23 09:03:47

坂本太郎の馭戎慨言評 28.9.22

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●台風一過の秋空、とはいきませんでしたが、ゴルフには良い曇り空の無風でした。所属クラブの役員の懇親会で33名のゴルフ好きの集まりでした。

ルールは皆レギュラーティということで、普段のシニアティよりも長くて、ついつい力が入ってしまいます。

3発のOBを出してしまい、真ん中の順位でした。結果をみますと、OBを出さなかったなら2位か3位の入賞だったことを知り、改めて己のゴルフの荒っぽさを反省させられました。

明日は、昔の仲間たちと同じゴルフ場で、シニアティからのゴルフです。反省を生かせて、ノーOBで済ますことが出来るか、な?

 

●人見知りしていた最年少のT君も高2になり学園生活に融け込めたようです。学園祭で仲間5人でバンドを組んで、ヴォーカルをつとめ、最優秀賞をもらった、とメールで写真やビデオが届きました。

まるで人が変わっています。マイクを持って歌いながら聴衆に語り掛ける様子は、普段のT君とは別人です。「男子三日会わざれば刮目して見よ」という格言を地でいくような成長ぶりでした。

本人は女子高生のフアンが増えて嫌だ、などゼータク言っている0そうですが。

 

パソコンを買い替えて、なかなか操作になれませんが、容量の大きなビデオなど雲閣受け取れるなど、その高性能には感謝しなければならないでしょう。

 

 

●先回の図書館での「馭戎慨言」を読んだ時の話の続きです。

 

この『本居宣長全集』筑摩書房には、B6版くらいのサイズの「本居宣長全集」というタイトルのパンフレットがつけられています。

「馭戎慨言」は第八集に掲載されています。その第八集に「月報13」が付いていました。

学界のお偉方三方の推薦の弁が記せられていて、そのトップが坂本太郎でした。

「本居宣長と国史学」というタイトルで、本居宣長の「古事記伝」や天皇の「漢風諡号」について宣長の業績を述べ、「馭戎慨言」についても次のように述べています。

 

【初めから歴史的な事実を課題として取り組んだ「馭戎慨言」「眞暦考」「国号考」の類が、国史学の著述として高い価値を持つことは言うまでもない。「馭戎慨言」は全篇を貫く尊内卑外の精神によって誤解される面もあるが、歴史事実の考証にかけては、すこぶる的確で、後日尚、生命をもつ学説が見受けられる。

有名な魏志倭人伝の邪馬臺国の九州説が立てられているのがこれであり、そこに不弥国を宇美に、投馬国を日向の妻にあてる説までが述べられている。

倭の五王の宋への通交を、朝廷の関知したことでなく、任那日本府の役人の私のしわざであるという解釈は、今日の学会では受け入れられていないが、推古八年、隋の開皇二十年の遣使は、わが西辺の国の人が、倭王の使いと偽わって発遣したものと解しているのは、一概に無視出来ない、なお考慮の余地のある解釈だと考える。(以下、国号について、略)】

 

この月報13は「昭和47年4月」の発行となっています。1972年です。古田さんの「邪馬壹国」は1969年の史学雑誌に出されて、『「邪馬台国」はなかった』が1971年秋に出版されています。

坂本太郎著『人物叢書178 聖徳太子』吉川弘文館 昭和54年(1979年)12月【旧著では『馭戎慨言』を否定する立場をとったが、今は逆にその説に従う心境となった。私はこの変説を正直に告白しなければならない。】と書かれていますが、それに先立つ、タリシヒコの遣使に対する見解、として注目に値する、と思われます。

坂本太郎は1962年に東大を定年退官しています。1970年代は井上光貞全盛期です。坂本太郎史観は日の目を見られなかったのは残念です。

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2016-09-20 19:30:46

馭戎慨言を読み直す 28.9.20

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●昨日は三連休、敬老の日、でしたが、台風16号接近というニュースで、遠出は難しい状況でした。

来月の古代史の会、の「タリシヒコ考」の発表に、原稿を読んでみますと、何しろ1年前に書いたもので、読み返すといろいろと問題が見つかります。本居宣長さんの件で気になったので、

とりあえず、市の図書館に行って確かめてかなければ、と、夕方わが奥様とはショッピングセンターで待ち合わせの約束で出かけました。

 

●というのは、タリシヒコの謎解きには、なんといっても、本居宣長の『馭戎慨言』が嚆矢とされるべきでしょう。この本は古代史の本にいろいろと引用されたり紹介されています。

しかし、他人の本からの孫引きでなく、直接当たろうと、いろいろ探してみました。

 

幸い、福岡市総合図書館で『本居宣長全集』筑摩書房がありました。しかし、江戸時代の言葉で書かれています。

そこで手っ取り早く「現代語訳」をさがして、それによって「本居宣長」の古代史史観をつかもうと思い、種々探してみました。

 

まず『現代語訳 本居宣長選集二 馭戎慨言―日本外交史』 多摩通信社 山口志義夫 訳 や、安本美典氏の『江戸の「邪馬台国」』柏書房でも『馭戎慨言』の現代語訳が入っています。これらをAmazonで見かけ、読んで参考にさせてもらっていました。

 

しかし、『隋書』俀国伝の掉尾の、「此後遂絶」の宣長の解釈がどうも気になるのです。

山口氏は、「此の後遂に(遣隋使は)途絶えた」と訳していましたし、安本氏は、「此の後遂に(朝貢は)絶えた」としています。

 

これらは、それぞれ訳者の主観を入れた、「踏み込んだ」解釈でしょう。特に後者は、タリシヒコが隋に朝貢していた、という前提で訳しているわけですが、宣長の「尊内卑外」の精神とは相反する「訳」と思われ理解しかねます。

 

図書館に出かけ、本居宣長の『馭戎慨言』の中で、宣長が、そのような「説明」を入れているかどうかをチェックしました。宣長は「その後遂に絶えた」と、自身の解釈は入れずに、『隋書』の記事をそのまま紹介していました。

 

わざわざ図書館に出かけて、『本居宣長全集』を改めて読んだことに、おまけがありました。

その全集の推薦文的な文章を、坂本太郎氏が書いているのですが、なかなか興味ある文章なのです。これは、次にお伝えします。

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2016-09-18 09:15:53

一応発表原稿は出来上がりましたが

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築地市場の豊洲移転問題でこのところTVは大賑あいのようです。用地選定時の誤りをいまさら言っても仕方ないことでしょうが、「環境問題」の軽視が当事者にあったが根本原因でしょう。

1970年のころ、アメリカ人から、アースデイについての日本の認識について聞かれ、なんのことやらわからなかったことを思い出しました。

 

その5年後、北九州の工業用地を宅地に転用する計画が持ち上がり、その工事担当をさせられました。

その造成用地の廃棄物処理方法で、デベロッパー営業関係者と意見が衝突しましたが、土地情報を隠さず、購入者に基礎構造に注文を付けさせたことを思い出しました。

よくも、若造の意見を取り入れてくれた、と感謝しています。

 

●来月初めの「タリシヒコ考」の第一回分の発表原稿は出来上がりました。何しろ一年前の素稿ですので、改めて読んで、気になったところを再チェックしたり、で結構時間がかかります。

 

例えば、本居宣長が「日出ずる処の天子云々」の国書を、「聖徳太子が出した(はずの)と書いている」と書いていたのですが、気になってチェックしたら、全体のトーンからはそんな感じは確かにするのですが、文章では何もそう書いているところはありません。

 

●そのような個所をつぶしていくのと、ただおしゃべりだけで2時間近く古代史を語るのは、しゃべる方はともかく、聞く方も大変だろう、と思います。

間に雑談というか余談的な話も入れようか、などと思うとなかなかキリが着きません。

 

●発表の後、兄も見に?行く、と言っていますし、ビールを飲めるところも段取りしておかねば、とこの方の準備は苦になりません。

 

 

 

 

 

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2016-09-09 19:22:52

28.9.09 4年ぶりのエイジシュート 

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●世界文化遺産に沖ノ島関係を!、ということでユネスコの関係者が現地調査に来た、とマスコミが伝えています。

TVで調査団を拝見しますと女性も混じっています。女人禁制の沖ノ島に上陸調査をされるのでしょうか、興味あるところですが、そのあたりのことはマスコミから聞こえてきません。

 

●小池都知事が無電柱都市を目指すそうです。ずいぶん昔、40年以上前、デベロッパーに基本計画で電線地中化の町を提案して、実施計画を作ったのですが、電力会社から現在の電力配送の基本にもとるし、実例もない。技術的には設計計画はできても実施となると、メンテナンスなどのことも考えると費用は莫大だし、宅地の売り代価格にも大きくはねかえる。許可を受けるのに多くの困難があるし時間がかかる、、ということで断念したことを思い出しました。

その10年後、香港でトンネル工事をやる時に、工事用電力を電柱を立てて円場まで引き込む計画をしたら、電力会社から「地中化」に変更しろ、と言われました。幸い現場が市街地から離れていたので、空中架設を認めてくれました。

小池知事は1期では無理でしょうが、10年20年かかっても、やり遂げる計画をぜひ立ててほしいものです。

 

●昨日朝、錦織対マレー戦をネットで検索したら、5セット目の大接戦です。ゴルフ場に出かける時間が迫っているので気にしながらコースに着き、スマホを持っていたT幹事に全米テニスの結果を聞くと、「金星」ということで、うれしくなりました。

途中茶店で「祝杯」を挙げました。気分よくコースも回れ、久しぶりに38というスコアが出ました。後半最後のホールで、ショートカットに失敗してOBとなり7をたたき、70台のスコアに1打不足の結果でしたが、それでも4年ぶりのエイジシュート達成できました。良き日でした。

 

●ゴルフ仲間にの古代史の会での発表の話をしたら、聞きに行こうかという人も数人いました。素人にも分かるように話せるかしらん、と心配ですが、いまさら気にしてもしょうがないことでしょう。

 

●一応、レジメ原案を会の方に送りました。明日からは、発表原稿の最終チェックをやらなければ、と思っています。何時間も声を出し続けられるかしらん、昔のように小林旭のキイキイ声に挑戦していたころならともかく、カラオケにも全くご無沙汰の現在ですから。まあ、ゴー・フォア・ブレークの心境です。

 

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2016-09-07 19:06:41

博多の古名「石城府」と『日本世記』の「東朝」から 28.9.05

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●今年は台風の当たり年なのか、次から次にTVの気象担当者の仕事を増やしてくれるようです。当方の地元にはこのところ被害をもたらす台風の訪れもなく、明日は今夏?最後の昔の仲間とのゴルフの予定です。幸い、我が家から近いところのゴルフ場なので、朝、家のちっかうのバス停からバスで0分で行けるところです。今日ゴルフバックをゴルフ場に届けてきました。

「明日は診療予定があるから車おいておくよ」、と言うと、「車で行けばよいのに、バスで行きたいのはビールが飲めるからでしょう」、と誰かさんが言っているのは図星です。

 

●このところ、古代史の会の月例会で「タリシヒコの謎」についての話を、来月から2,3回しゃべることになって、その原稿をまとめたりレジメを作ったりする作業に(精神的に)追われています。

 

古代から現代までのいわば『隋書』の解釈の変遷を追うので、結構な量になります。それをレジュメにまとめる途中で、いろんなミスや追加したいことなどに気付き、原稿を変更していくと、今度はレジメもそれに合わせて変更しなければならなくなります。

 

4,5年前だったらなんでもない作業ですが、一つの作業に集中していると、前の作業の成果を忘れてしまっていたり、いろいろ後戻りの作業が多くなります。

 

●昨日の古代史の集まりで、「豊前王朝」の話題が出ていました。大芝英雄さんが、『日本書紀』の中にある「東朝」が豊前王朝のことだ、とされたということです。

ずいぶん前に読んだので詳しくは記憶していなかったのでもう一度調べてみました。

 

斉明紀七年夏四月のところに、「釈道顕の日本世記に曰く、百済の福信、書を献じて、其の糺解〈くげ〉を東朝〈みかど〉にお願いするという」とあります。

 

この糺解君が百済の豊章王子と同一人物かどうか、という問題もあるようです。この糺解君は天智天皇二年(663)夏五月にも出ています。

 

「犬上君〈名を闕せり〉。馳せて兵事を高麗に告げて還る。糺解を石城に見る。糺解、仍りて福信が罪をかたる。」と。

ところが、豊章はその時、半島にいて避城から州柔へ移動したことが天智二年春二月に記されているのです。したがって、糺解が豊章と同一人物であるのであれば、「州柔=石城」である、ということになります。もし、「州柔=石城」でなければ、糺解が豊章と同一人物でない、ということになるのです。

 

もし、『海東諸国紀』にあるように、博多の古名が「石城府」なのだから、「糺解」は百済には帰らなかった、博多(石城府)に留め置かれていた、ということになる。そうなると、「糺解」と「豊章」は別人ということになるのかなあ、など頭に浮かびます。

 

それはともかく、「東朝」とは、『日本世記』の高麗僧もしくは福信の立場からみた「東朝」でしょうから、論理的には大和朝廷を指す、ということになるのかなあ。豊前王朝とするのはちょっとむりかなあ。まあ、小説的な展開が広がるような『日本世記』の「東朝」の記事ではあります。

 

 

 

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2016-08-31 11:17:16

中国の漢字は難しい 28.8.31

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●台風10号の影響でしょうか、北部九州には久しぶりにまとまった雨をもたらしてくれました。しかし、台風は東北地方に上陸の予想です。今年はとんだ風の神に見込まれてしまった東北・北海道地方のようです。

 

●このところ雨で出かけるのは図書館くらいで、PCに向かっているのが殆どでしたが、下記のように大した成果は上がりませんでした。

 

●隋書のタリシヒコ関係の記事を中心に見てきて、『隋書』全体について、整理してみよう、と己の分際をわきまえず、逐語訳を試みてみました。

 

たくさんの方が読み下し文や現代語訳を著わしています。参考に読んだ、岩波文庫と講談社学術文庫の読み下しは、まあほとんど同じような読み下し文です。

 

途中で引っかかったのが、女性の服装の描写のところです。なにしろ、「字」が辞書にない字が原典(影印)にあるのです。

 

これを、石原道博氏や藤堂明保氏などが現代語訳を付けています。このところの原文は「字」がありませんので、両氏とも、それぞれ「字」の活字を出版社に作成させたものと思います。

 

このところの影印を見てみますと、「婦人束髪於後亦衣裙襦裳皆有AB竹為梳編草為薦雑皮為表縁以文皮」とあります。その読めない「字」は〔衣扁に巽〕(A)という字と〔手扁に繊の旁〕(B)の字です。

漢和辞典類や白川先生の『字通』にもなく、中国の『辞海』にも見えず、ネットで調べてもヒットしません。

字義の面からみれば、〔A〕は衣関係で巽・供える・従う・踏むなどを表現し、〔B〕では、手で行う繊細な動作ということでしょうか。九州古代史の会で20年ほど前に『隋書』俀国伝の講読会が催され、この2字の解釈で論議があったようですが、その詳細は記録されていないようです。

おまけに、漢文には句読点がありません。最近では、日本に倣ってか?句読点を用いるようになりました。しかし、その日本の発明の恩恵について、中国が何か日本人に対して「お礼」的なコメントを聞いたことはないように思います。(あるのかな?)

中国語のネットに「国学罔」というサイトがあり、そこでの『隋書』原文ではちゃんと句読点を使って読みやすくしています。(ずるいぞ!?)

 

ところで、文節の切り方が、石原〔岩波文庫〕・藤堂〔講談社学術文庫〕のお二人でも違うのです。二人の読み下し文を見れば違いが歴然です。

 

【岩波文庫】

 【婦人は髪を後ろに束ね、また裙襦・裳〈しょう〉を衣

 

)〈き〉、皆[A]〈らん〉[B]〈せん〉あり。竹にて梳

 

)〈そ〉を為

)〈つく〉り、草を編みて薦〈しとね〉となす。

雑皮にて表をつくり縁〈ふちどる〉に文皮を以てす。】 

とあり、Aには〈らん〉というふりがなも書いてあります。このことからすると、何らかの辞書にそのような字があったことでしょう。しかし、その情報はなにも注書にありません。また、〔A〕〔B〕で〈らんせん〉という熟語として訳しています。

 

【講談社学術文庫】

【婦人は髪を後ろに束ね、〔彼女らも〕亦た裙襦を衣〈き〉る。裳〈もすそ〉には皆[A] 〈せん〉〔ふちどり〕有り。竹を[B] 〈せん〉して梳〈くし〉を為

)〈つく〉り、草を編みて薦〈しとね〉と為し、皮を雑

)〈まじ〉えて表〈敷物の表面〉と為し、縁

)〈ふちど〉るに文皮〈模様のある毛皮〉を以ってす。】 

この読み下しでは、〔A〕と〔B〕の間で文節が句読点で切られています。ただ〔B〕の字義についての説明がありません。

 

どちらが正しいのか、寅七の素養ではとても判断できません。では、中国人はどう読んでいるのか、それを調べてみました。中国語版の『隋書』はもちろん簡体字で書かれています。

まず、先ほどの〔A〕・〔B〕の字のところを調べてみました。

妇人束发于后,亦衣裙襦,裳皆有襈。躭竹为梳,编草为荐,杂皮为表,缘以文皮。(「国学宝典」より)

 

どうやら、講談社学術文庫の方は、この『国学宝典』を参考にしているようです。

ただ、国学宝典は、〔B〕を躭としていますが、竹を躭して櫛をつくる、ということになるのですが、躭が〈細くする、細く削る〉などの意があるのか、躭=耽ですが、さてどうだろうか、と悩むところです。中国人も困惑しているのでしょう、きっと。

 

実は、『隋書』俀国伝には、もう一ヶ所この後に辞書にない字が、裴世清の俀国への道行の記事にあらわれています。済州島のことかと思われますが、身扁に〈ぜん〉という字です。

この字を〔C〕としましょう。これをどう読むのか、読み変えるのか、は『北史』に例が見えます。

『隋書』に「〔C〕羅国」とあるのを『北史』では「耽羅国」としています。そこで、後世の中国の人たちは、『隋書』の〔C〕を「耽」と読むことになったと思われます。

 

ところで、『北史』で〔A〕・〔B〕はどうなのか、と言いますと、

人束于后,亦衣裙襦,裳皆有竹聚以梳。荐,表,以文皮。(国学宝典より)とあり、〔A〕は、〔B〕はとなっています。中国の辞書『辞海」で「」を引きますと、「女子の手が繊美だという形容」などの意とありました。

 

『北史』では〔B〕に「」という簡体字が使われているのに、なぜ『隋書』で〔B〕を「耽」としたのか、中国のこの国学宝典の『隋書』と『北史』の担当者が異なっていて、相互のチェックが行われていなかった、ということを示しているのでしょうが、これ以上調べるのは無理のようです。

 

ともかく、岩波(改訂版1985年)より講談社(2020年)の方がず~と後の出版ですから、講談社学術文庫の『隋書』の方がより正確になっていると言えるでしょう。

 

これだけ調べるのに、図書館に行ったり3日まるまるかかりました。古代史に踏み込むことは確かに暇がなくなるのは間違いないようです。

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2016-08-27 08:35:47

博多は覇家臺かな 28.8.27

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●オリンピックが終わり、甲子園も終わり、あとは、ファイターズとホークスの行方だけでしょうか。

TVでは、どうやら都知事と都議会自民党との争いの行方が、しばらくは話題になるようです。

 

●一昨日は37度を超す猛暑日でした。このところコンペをすっぽかし続きでしたので、カレンダーを注意しまくってのコンペ出場でした。

このところ雨は北海道に集中していて、北九州方面は晴天続きでフエアウエイも茶色になりかけています。折角来かかった台風10号も、Uターンして再び北上の構えです。

昔の職場仲間17名のコンペで昔話をしながら気楽に回っていましたが、残り3ホールで体力の衰えかミスショットが連発し、ベスグロには2打及ばず、ネットスコアでは4位で賞品もゲットできませんでしたが、久しぶりに汗を流せました。

 

●『海東諸国紀』をめくっていたら、博多の古名らしきものが目に入りました。以前、古代史仲間と博多という地名の起源についてワイワイ言い合ったことも思い出しました。

寅七は「はんなり」という上方言葉が「華也・はななり」が変化した、ということを知り、「華潟・はなかた」が音便変化して「はかた」になったのでは、という仮説を披露したのですが、あまり同意は得られませんでした。

『海東諸国紀』では、【筑前州に博多有り。或は覇家臺と称し、或は石城府と称し、或は冷泉津と称し、或は筥崎津と称す。】とあるのですが、「覇家臺」は国人のネーミングではなく、おそらく中国人によるものか、と推察されます。良いネーミングと思います。

なぜか、博多の地名起源での話題にはあげられることが少ない、(寅七も今回初めて気付きました)ようです。

 

●「鏡王女物語」を読みたい、と奥さんの知り合いがおっしゃるのですが、PC用のCDならありますが、本はもう手元に在庫はありません。

ネットで調べたら古本屋にありましたので、800円を払って送ってもらいました。

本が届いたら、そうまでして貰うこともなかったのに、と奥様にいわれチョッとがっくりです

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2016-08-21 08:21:30

暑さのせいかな 28.8.21

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●先日、天神地下街に旅行会社の店があったので、ぶらりと寄ってみました。外国旅行のパンフレットを見ながら体調もだいぶいいし、近くならいけるかも、などと奥さんが言います。いくつかパンフレットを持ち帰り、ふとパスポートが気になりチェックしてみましたら、10月2日で期限キレでした。

外国に行くかどうかは別にして、ともかく更新だけはしておかなければ、と思いますが、10年間延長は無駄になるように思いますが、どうでしょうか。

 

●昨日またまたやらかしました。仲間とのゴルフは毎月第3日曜が定例日だったのですが、今回は土曜に変更ということでした。

ところが冷蔵庫に貼っているカレンダーには、元の日曜にゴルフの予定が書かれていました。朝、K幹事から電話があり、ボケが始まったのでしょう、皆さんに謝っておいてください、と平謝りしました。

猛暑の中なので、神様が、無理することはない、と寅七の健康を思いやってくれたのだ、と思うことにしました。

 

●タリシヒコ考、いちおう一通りの原稿は書きあげました。ただ、これをどのようにまとめるのか、今後の方向の考えなど、今からの作業が大変のようです。

 

●息抜きにと、知り合いが「面白いよ」と貸してくれた、『20世紀のファウスト』という鬼塚英昭さんの本を開いてみました。

以前、同氏の『日本の一番醜い日』を”面白い”と貸してくれたのですが、読んでみて、”ノンフィクションと銘打っているけど、「友人F氏」という人の説がベースになっていて、フィクションじゃないか”と評したので、改めて”これなら、どうだ”と貸してくれたのでしょう。

しかし、上下のべ1400頁の本です、息抜きにはなりそうもありません。おまけにオリンピックの熱戦も続いていますし、読み終えるのはまずむつかしいでしょう

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2016-08-15 06:08:04

終戦記念日 28.8.15

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●36度を超すのがこのところ当たり前の、熱中症危険域の気温が続いています。車で出かけてクーラーをかけていても暑さを感じます。高速道路も、一般道でも幹線道路はどこも渋滞です。裏道の方が幹線道路よりも早く目的地に着つける、というのもあと1,2日で平常に戻ることでしょう。

●おまけに、オリンピックのTV観戦で寝不足続きです。あまり昼寝をしない寅七ですが、昨日も買い物に奥方と出かけて、洋服の品定めをするのを店前のベンチで待っていて、ついウトウトしてしまいました。
このところ3日続きで錦織選手の熱闘ぶりを観戦しました。やっと今朝早くスペインのナダル選手を破って銅メダルを取ってくれました。
明日からは深夜の観戦はしなくてすみます。今年の今日は良い「終戦記念日」となりました。

●「タリシヒコ考」の発表原稿を読み直おすと、人名の読みがあやふやです。いちおう自分なりの読みでおかしいと思うのはPCでチェックしています。
江戸時代の藤貞幹はトウ・テイカンで、上田秋成はウエダ・シュウセイだろうと思ったのですが、念の為チェックしたら、上田秋成の方はウエダ・アキナリでした。

●前回の中国史書の「書」の読みについて、「ショ」と読むか「ジョ」と読むかは、日本語の音便によるもののようです。音便変化が行われたのは平安時代だそうです。中国の史書で日本に平安時代にそのころ知識人の中で読まれた『ーー書』という名の、中国の史書、『後漢書』・『宋書』・『旧唐書』・『新唐書』などが、ウ・ン音便で「ジョ」よみになったのでしょうか。
そうすると、『晋書』が、この仮説からはみ出します。平安時代には『晋書』はまだ移入されていなかったとか、知識人にはあまり読まれなかった、とか証明がむつかしい仮定をしなければならないようです。
こちらの方は、お手上げの「終戦記念日」でした。

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2016-08-10 16:27:01

東京からワンコが見舞いに 28.8.10

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●オリンピックが地球の裏側で始まりました。TV中継は一日中オリンピック一色の感じです。福岡地方が全国一の気温を示したりで、出かけるよりクーラーを利かせてTVやPCに向かっている方を選んでしまいます。

●7日に、東京から息子殿が長駆愛犬を同伴して老父母慰問に来てくれました。義理ある方々への、お盆前ですが、挨拶まわりをしたり、英彦山大権現境内にある義母の像を、義弟と一緒にお参りにいったり、暑い中を運転してくれ助かりました。
いつもは独酌がにぎやかになり、家内からたしなめられながらもついいつもの倍くらい入ったようです。高速道路がお盆の帰省ラッシュになる前にと、明日朝、北に向かって出発するそうです。

●天皇の生前退位が論じられています。古代史に一家言のある、明治天皇五世の孫、読売テレビ「そこまで言って委員会」で活躍中の竹田恒泰氏の『旧皇族が語る天皇の歴史』という本を改めて読んでみました。
20年以上前のことですが、韓国の大統領が来国した折の宮中晩さん会で、今上天皇が、韓国とのゆかりを感じる、と発言されました。その桓武天皇の生母高野新笠関係について、何か発言があるかな、と思いましたが全く何もありません。
全く何も書かない、ということは「天皇の問題提起を黙殺している天皇の歴史本」ということなのでしょか、そのように寅七には思われます。

●前回にも触れた史書の読み方です。オリンピックの観戦片手間に、なぜ『隋書』は「ずいしょ」で『唐書』は「とうじょ」と「書」を濁って「じょ」と読むのか、ネットや漢和辞典を調べているのですが、理由が判明しません。
「じょ」 ①漢書・②後漢書・④宋書・⑫旧唐書・⑬新唐書
「しょ」 ③晋書・⑤南斉書・⑥梁書・⑦陳書・⑧魏書・⑨北斉書・⑩周書・⑪隋書
(丸囲み数字は古い方からの順番)

調べていて、おぼろげながらわかったことは、
現代中国語では読み方に区別はない、日本での特異な読みであるようだ。
漢音・呉音のように、漢字が移入された時期の違いではない。
編さんされた時期によっての読み方の変化でもない。
日本語の音便による変化で、日本でよく読まれた史書は後続語が濁音化した。あまり読まれない史書は音便化の影響を受けなかった、という仮説が立てられるのかな、ということくらいです。

まあ、ぼつぼつと、この問題に視覚・聴覚を働かせ続けることにしましょう。そのうちにどなたかが「なんだそんなことに悩んでいるのか、それはこんなことからだよ、知らなかったの?」と教えてくださる人があらわれてくることを期待しましょう。
 
 
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