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2016-04-29 07:25:25

春雨じゃ濡れて行こうは死語?28.4.29

テーマ:ブログ

●昨日は、なんとか天気も「春雨じゃ濡れて行こう」(これももう死語?)程度で、雨の予報で欠席通知があった4名を除いて16名になりましたが時に小雨が降るなかで、昔の会社OBのコンペができました。

濡れてもよいように手袋を4枚持っていったおかげか、グリップが緩まず、スコアもまあまあで、3等賞をゲットし家へのお土産ができました。


やはり熊本に、会社でも元同僚親戚知人がいる参加者がほとんどで、話は「運不運」の話になります。まだ避難所暮らしを余儀なくされている友人、とか、家に赤紙が貼られ車上生活を余儀なくされている方などの話が沢山聞かれました。


日本列島という火山帯や地震帯が通り、台風の通り道という処にに住んでいるのですから、災害に遭わずに一生を過ごせたら、それだけで幸せと思わなければならないでしょう。


●新しいPC、結局初期化しました。とりあえず古いPCのファイルなどを移す作業は終わりました。ただ、メール設定が結構面倒で試行錯誤しています。このゴールデンウイークは暇つぶしの種は尽きません。

明日は孫ノリキオがPC回復助っ人に来てくれます。家内は早速どこに何御食べさせようか、とその方に集中しています。



●戦後の「タリシヒコ」論を誰から始めようか、ともかく戦後の古代史をリードしたとされる東大文学部国史科の井上光貞先生だろうと、井上先生の『日本の歴史1 神話から歴史へ』中公文庫と、『飛鳥の朝廷』講談社学術文庫に改めて目を通しました。


井上先生はホームページの「槍玉」に上がって貰っていません。井上先生のずっと後輩の大津透先生も槍玉にあがって貰ったし、井上先生何するものぞ!とこのところ時間があれば読んでいました。


『日本の歴史』の方は、7世紀初めまでで、「神話時代」が主です。しかし、「はじめに」のところで、明治時代の明治憲法がいかに歴史研究を束縛し、敗戦によりいかに自由に研究をされるようになったのか、を述べられていて参考になりました。


『飛鳥の朝廷』は6,7世紀を中心にして述べられるのです。いろいろと改めて勉強させられています。例えば、


【『隋書』によると開皇20年(600年)にアメタラシヒコが洛陽の朝廷に訪れたという】(243ページ)とありります。

30ページ程読み進むと、【推古朝の15年(607)(中略)妹子は隋都長安にたどりついたが云々】(269ページ)とあるのです。


推古15年は、大業3年では煬帝の時代で、隋都は長安(当時の地名で大興)だったはずなのに、と思って調べると、文帝の時代に大興城が計画され煬帝が完成させ、洛陽は東都とされたことがわかりました。井上先生は間違っていず隋都=長安と早呑込みをしていた寅七が間違っていたことを知りました。

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2016-04-24 18:44:13

熊本に行ってみました 28.4.24

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●最初の地震から10日。もうだいぶ落ち着いているのではないか、母の墓がどうなっているのかも確認したい、と出かけました。

出かけるにあたっては、可児から無理なことは止めて、と懇願されたのですが、もう落ち着いていると思う、みんなが活動始める前に出かけるから午前中には帰ってくる、と5時半に出かけました。


●高速道路はガラガラでした。菊水ICの近くの菊水GCまではいつも1時間10分ほどかかるのですが、1時間で和水町に入りました。国道3号は混むかも、と思い、玉名から有明海沿いを走り、熊本市南区の飽田町に7時過ぎに入れました。


●この道程で、民家の瓦屋根が落ちているところを見かけることもなく、ところどころ路面の亀裂を応急補修をしたであろう処は見えましたが、墓地の墓石の倒壊を見るまでは、被災地ということを忘れるところでした。

本家の墓は墓石が散乱していましたが、分家の当方の墓は新しいからでしょうか、全く無傷でした。

新しいからという理由ではないかもしれません、ただ運が良かったのでしょう、隣に最近建てられた真新しいお墓の墓碑銘板は飛び出していましたので。


●帰り道、キャンセルしようかと思っているゴルフ場の様子を見に寄ってみました。

時々小雨がパラッとくる天気でしたが、ゴルフ場は普段のように営業していました。

幸いゴルフ場は被害もなく、メンバーのみなさんも震災復旧に努められて、一段落したのかこの週末はご覧のようにプレイする方も普段に戻っています、ということでした。


●山鹿の安い給油所で106円で給油し、山鹿の物産店などを訪ねてみましたが普段の週末のように、というか朝早いのに結構混みあっていました。

イキナリダンゴ・カラシレンコンに植木西瓜も一個買って我が家に帰りついたのは11時前、5時間強の駆け足旅行でした。

帰りの高速道は支援の帰路なのか自衛隊の車列が続いていて若干渋滞気味でしたが、普段の週末程ではありませんでした。


●ブログ読者のK・Tさんから、HPに上げた「タリシヒコの謎」第二部についての講評と、恐れていた、変換ミスなどのご指摘が10ヵ所ほどありました。

熊本に出かける前に慌てて修正してHPに上げましたので、また、再度のミスが発生していないか、今チェックしているところです。


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2016-04-21 13:08:57

タリシヒコ考第二部HPに出稿 28.4.21

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●昨日朝のTBS系のテレビに30数年前に一緒の職場にいたすっかり年老いてはいるものの懐かしい顔が、南阿蘇村で元気にしている姿を見ることができました。


1980年代後半当時のグループバンド、CCBの人気は大したものでした。ドラマー兼ヴォーカルの笠クンを息子に持つ笠さんは、雀が鷹を産んだようなものだと同僚一同から大いにうらやましがられたものでした。


今回の大地震で幸い自宅は無事だった(かなり立派な住宅でした)、棚から器物が落ちていくらか被害が出た、と現在は農作業にいそしんでいるという笠一家とのインタビューの映像がずいぶん長く流されていました。


●パソコンは買い換えたものの、設定ミスというか、パスワードの入力(記憶)ミスで、どうやら初期化をしなければならないようです。

前回ホームページの設定をした作業がすべて初期化されてしまいます。もう一度最初からやりなおす、というので前回の手順を覚えているノリキオクンに再度来てもらうことにしました。

まあ、とりあえずは古いパソコンで用は足りていますので、のんびり構えています。


●「タリシヒコの謎」について、一応明治維新から太平洋戦争敗戦時までの分を第二部としてホームページにアップしました。

URLは次です。クリックしてみてください。変換ミスは充分チェックしたつもりですが・・・http://www.torashichi.sakura.ne.jp/tarishihikokou2.html  


明治憲法のもとでは、万世一系の天皇が大八洲を神代から統治していた、というくびきからはみ出ることが難しかった、ということがよくわかりました


ずいぶん昔、このブログで取り上げた本居宣長が天照大神が世界を照らすというのに、世界地図を見てみればそんなことはあり得ないことがすぐわかる、と反論した上田秋成との論争についても、明治時代の神国日本の堅苦しさと対比させるために改めて取り上げました。

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2016-04-19 11:05:01

吉野ヶ里遺跡とメガソーラー訴訟 28.4.19

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●熊本地震で44人の方が亡くなられたうちに、中学校の同級生が入っていました。熊本市内中央区の自宅での被災だそうです。

名前を聞いてもクラスも一緒になったこともなく、卒業した小学校も違い、印象が全く残っていません。卒業以来同窓会にも出てこなかった方だった、というコメント付きの同窓会のS幹事からの知らせでした。不運に見舞われたT氏にただ合掌するのみです。


●一昨日高校同級生のT女史から電話があり、大牟田でも地震の被害があったのか、と一瞬思いました。

要件は全く違うことでした。

吉野ヶ里遺跡の周辺で佐賀県がメガソーラー発電所を造っている。それに反対する訴訟の第二審が福岡高裁で明日あるから、応援に傍聴に行って欲しい、その活動の主が医科大学の同級生(女医)で、福岡在住者の動員を頼まれたので、ということでした。


家内の腰痛のMRI検査の予定が入っていましたが、家内は車の運転はOKなので自分で行ってもらうことにし、高裁に出かけてみました。同じように動員をかけられた同級のTK氏も見えていました。

吉野ヶ里遺跡は、ずいぶん昔、佐賀県が神埼工業団地計画を進める途中で弥生遺跡が出てきて、吉野ヶ里遺跡として国の史跡指定を受け、観光名所にもなっているのは有名な話です。


どうも、佐賀県は、工業団地として買い上げた土地のうち史跡公園として利用されているところ以外の土地を、太陽光発電所として利用することによって、工業団地計画で投資した分を回収しようとして、内内に進めて議会も協力してきて、環境団体などが気付いた時には時すでに遅し、で出来上がってしまっていた、ということがことの発端のようです。


吉野ヶ里周辺の居住地遺跡や縄文時代の水田遺跡などまだまだ沢山の遺物が存在している。これらを引き続き発掘調査して世界遺産にもって行きたい、と主催者は抱負を述べられていました。


為政者が進めて出来上がってしまったものは、天草の熊本県路木ダムの訴訟と同様、訴訟の行く先は厳しいようですが、応援することに否やはありませんが。


次回の公判は6月20日14時から福岡高裁です。次回には滋賀大学名誉教授小笠原名誉教授、国学院の鈴木教授などが意見書を出されるそうです。古代史・吉野ヶ里遺跡に興味のある方の傍聴をお薦めします


佐賀の著名な高島忠平先生は、県に気兼ねされてか表に出てくれない、とリーダー的存在の女医にして元県議の大田女史はぼやかれていました。最近吉野ヶ里方面に出かけることがなく、そのような問題があるとは全く知りませんでした。


そういえば、天草の路木ダムの第二審も福岡高裁で来週月曜に、おそらく結審となると思います。学生時代の寮仲間U氏の長年の努力が少しでも報われればよいのですが。



2016-04-16 09:45:05

地震お見舞い御礼 28.4.16

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地震のお見舞いのメールや電話を沢山いただきました。ありがとうございました。


幸い今回の地震では寅七の棲家では、揺れはかなり大きかったけれど、棚から物が飛び出すようなこともなく、携帯電話に入る地震警報に眠りを妨げられた、というのが唯一の被害という幸いに恵まれました。


ふた昔前の神戸を襲った地震の時には大阪の枚方に住んでいて、家内が大切にしていた什器などが棚から落ちたりの被害が出ましたが、その時に比べてもはるかに揺れは小さく、2度眠りから覚めさせられただけでした。


熊本地方、特に阿蘇地方の被害は甚大のようです。

熊本城も石垣やしゃちほこが崩れるなどで、近くに住まいする従兄弟に電話してみたら、幸いみなさん無事で、家の屋根瓦が落ちたので雨が心配。まあ地震保険には入っているけれど、ということでした。

旧友も沢山今回の震度が高かった地域に住んでいますが、今のところ大きな被害の話は伝わってきていません。ただただ無事を願うのみです。


10時現在また熊本で震度6強の地震と報道されています。今回の「28年熊本地震」はまだまだ続いているようです。

今回の一連の地震が終息したとは思えませんが、ともかく地震に対する身構がは改めて出来たとは思われますが。


熊本の地震から大分や阿蘇へと震源も移っているようです。大昔679年の筑紫地震では久留米の水縄断層が動いたとされ、丘上に住んでいた人が、目が覚めたら丘自体が動いていたと記録されています。幅約2メートル長さ約5キロの亀裂が入ったとも記録されています。


私たちは活断層や火山などで作られている国土に住んでいることを嫌でも実感させられます。断層の移動量などの研究も進んでいるようですが、その方面からの研究で地震予測技術がいつになるでしょうか、実用段階になるのは難しいのかもしれませんね。



2016-04-13 07:35:22

アンブレムA案大丈夫? 28.4.13

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●東京オリンピックパラリンピックのエンブレム案が4つ出てきてTVなどでは品定めが白熱しているようです。

ただ、A案という日本の文化を表す市松模様をベースにしたという説明があっていましたが、???です。もちろん日本の古代の装飾古墳にも同様なモチーフが赤や黒色の幾何学模様で描かれてはいます。

しかし、スピード狂はカーレースでのチェッカーフラグを思い浮かべのではないでしょうか。いまのところこの点に言及されている識者はTV上では見かけていませんが、大丈夫でしょうか?、


●パソコンを買い換えて、HPを新しいPCに移す段取りはできているのですが、ちょっとのミスで手古摺っています。

メールアドレを新しいPCに設定するときにパスワードをPC画面で要求されるままに、簡単な言葉を入れておいたのですが、さてそれが脳細胞に残っていません。

孫がせっかく新しいレイアウトでHPを設定してくれたのですが、そのPCに入れません。いろいろと100語ぐらい試してみてもだめで、結局、メーカーのお助け部署に電話して、何とかPW変更する手続きに入りました。

が、それの申し込みのチェックに24時間待って、と返信があり、このところ、自分のボケ具合は棚に上げて、PCに向かって毒づいてばかりです。


●今まで使っていたPCの中身も整理しなければ、と始めています。結構「アカ」がたまっていて反応速度もきわめて遅くなっています。

今度で我が家のPC7代目になります。もう買い換えて8年になるのだなあ、もう今回で買い替え時の設定の苦労も終わりにまちがいないでしょう。


●「トンでも日本史」的な本を3冊買った、ということは先日来報告しています。そのうちで「タリシヒコ」という言葉が見えたのは「「暗黒の日本史」(青春出版)だけでした。

しかし、書いてあるのは『隋書』にあって『日本書紀』にはなに「タリシヒコ」とはいったい誰なのか、という問題提起で終わっていました。

もうしばらく待ってよ、寅七がまとめてみますから、と心の中で答えておきました。

こんな本でも3年間で6刷まで行っているので、日本人の歴史の謎への興味は、まだまだ馬鹿にしたものではないようです。


2016-04-08 20:23:21

北島選手頑張りましたね! 28.4.08

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●昨日は昔の会社のOBゴルフ懇親会、の予定でした。朝から天気予報通りのかなりひどい雨です。それのもかかわらず10名程集まりましたが、皆さんとコーヒーでおしゃべり会をし、来週金曜日に延期することにして散会しました、

今朝天気予報をみますと、来週金曜日あたりにも雨マークが見えます。1週間先の予報は当たらないことが多いので、多分、大丈夫と思うことにします。


●年寄りには、家中が一番危険な場所と言われます。

一昨日、普段と違う位置に高さ10センチほどの金物がたまたま置いてあり、それに躓き右足の薬指を痛めました。指先は真っ黒になっていますが、それほど痛みはないので骨折はしていないと自己診断で放置しています。

昨日のゴルフに影響があるだろうとは思いましたが、ゴルフシューズは履けるので大丈夫と思って参加のつもりでしたが、延期になって一番ホッとしたのは寅七だったかも知れません。

患部の写真は撮りましたが、足指の黒ずんだ写真など見ても誰も喜ばないでしょうからボツにしました。


●リオオリンピック代表に北島康介選手が標準記録を突破して5度目のオリンピック出場なるのか、TVも眺めながらの原稿書きです。

結果は5位でしたが、よく頑張りました。


●「タリシヒコの謎の原稿書きの頭休めに、「トンデモ古代史」的な本を読んでみました。

その中のGakken社の『封印された闇の日本史』には、「東日流三郡志」「唐人駄馬」「日本中央の碑」「津波に沈んだ十三湊」など、古田先生も取り上げられた話題もあり、一般人の興味を惹くような書き方で出ていました。もちろん古田説の見方とは違いますし、そのような見方の紹介は「十三湊」以外では見られませんでしたが。


●戦前戦後にかけての古代史は津田左右吉を除いては語れないとは思います。

しかし、彼の著書を読むとかなり自分の評価についてフラストレーションを感じているかと思われます。

自分は早稲田の前身東京専門学校を出て、その後ずいぶん経って早稲田大学の教授に迎えられたが、自分は早稲田の学風とは違っている。早稲田の教授たちとも付き合いもない。自分の先生は東京帝大を卒業されて4,5年後の白鳥先生から直接ご指導をうけ、先生の名前で教科書の原稿を書いたりもした、などと述べ、言外に自分は東京帝大の白鳥門下と言わんばかりの文章に出くわします。

タリシヒコ関係の発言も白鳥庫吉以上のものも見出していませんので、「タリシヒコ考」として直接取り上げることもないかな、と思います。

ただ、やはり戦後の古代史の流れのなかで、タリシヒコの謎のバックグラウンドの説明には不可欠だとは思いそのような構成を考えているところです。

2016-04-04 10:35:59

助っ人が来てくれました 28.4.04

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●先週火曜日から孫ノリキオが来てくれ土曜日に帰京しました。寅七のHPの混乱を見て、見ぬふりができず、新しいPCへの取り込みに取り組んでくれました。

新しいPCに改めてホームページビルダーをインストールしてHPを立ち上げようとしたのですが、プロバイダーさんがいつの間にか管理費の値上げをしていることに気づき、別の安いプロバイダーに乗り換えることにしました。

とりあえず骨格だけをノリキオが造ってくれ、後は寅七にまかされました。とりあえず、「タリシヒコの謎第二部」のアップ時点までに使えるようにしようと思っています。


●八幡のM夫妻から、近くの槻田川の桜並木がきれいだと花見に誘われ出かけました。花もきれいでしたが「都や」というお店での食事は、口うるさい人種にも何も言わせないものでした。

お酒が飲めない四人にお構いなく、寅七だけがアルコールをたしなみましたのはいささか不謹慎だった、と反省しています。孫の運転もうまくなっていて安心してハンドルを任せて無事香椎に帰りつきました。


お花見

●昨日の日曜日は花曇りの中での所属クラブの開場記念コンペでした。競技委員のシングルプレイヤーと一緒で、レギュラーティから回らせられたので、結構くたびれました。

うまい人のショットに知らずに張り合って負けずにクラブを振って、たまにはうまくいってもミスショットが増えます。

それでも気温が上がったのが良かったのか腰も動いてくれて、ネット2オーバーで納まったので、これならシニアティからだったらアンダーでまわれたのかなあ、と変なところで自信を付けることができました。

何、パーオンが無理なので、ボギーオンをよいか、ということ後半無理をしなかったのでひどいスコアにならなかっただけのことなのですが。


●昨深夜のマイアミオープンの錦織対ジョコビッチの決勝戦を見ようと思って、NHKにチャンネルを合わせて横になったら眠ってしまい、トイレ目覚めで、起きていた奥さんに聞いたら「負けた」の一言でした。

今朝再放送を見ましたが、すべての面で劣っていたと思わざるを得ませんでした。体力の差を技倆でカバーするのももう限度なのでしょうか。でも、もっともっと頑張って欲しいものです、フレーフレーニシコリ!


●「タリシヒコの謎」第二部明治~敗戦迄扁に取り掛かって50%程出来上がりました。

ノリキオがBookOffに行こうと言うのでついて行ったら、イエローペーパーというのでしょうか、「トンデモ日本史」的なものが目に付き、これも「タリシヒコの謎」の番外編として面白いかと3冊各250円で買って読んでみています。

そのタイトルは、「封印された闇日本史」「「歴史常識のウソ」「暗黒の日本史」です。


2016-03-29 08:08:44

今の話はXで昔onlyの同窓会 28.3 29

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●先週金曜日は、息子どののところに泊まり、久しぶりに一家と寿司屋でテーブルを囲みました。世の中に出て行く孫娘の今後が話題の中心でしたが、才能もあり芯が強い子ですから心配することなないようです。孫坊主の方も高校で軽音楽部の仲間に入れてもらって楽しくやっているようでした。親の若いころと同じような行動だなあ、とおかしくなりました。その息子どのが今はしかめっ面の校長先生となって、PTAとか外部団体との折衝などもあり大変のようです。


●先週土曜日の午後は、疎開するまで在籍した東京の小学校の同級生との同窓会でした。女性7名男性4名の出席でした。吉祥寺のTデパートの中のUという豆腐料理で有名なレストランで、という案内でした。

やはり危惧したように、一人が遅れ、携帯に電話したら、今JRの阿佐谷駅で降りてTデパートを探しているところ、という返事。

阿佐谷で降りたらだめだったのだよ、吉祥寺まで来たらすぐわかるよ、と伝えたら、無事に15分くらいの遅れで無事着きました。

「昔」の話で3時間過ごしました。誰も「今」の話をしません。迂闊にも寅七が、Tさんご主人如何ですか?と話を振ったら、他の女性からX印が出されました。旦那様が亡くなられたのにそんな話題を振るなんて、と非難の目々でした。

「今」が話題になったのは、もう10年前に亡くなった同級生H君、老舗お菓子屋「萬年堂」当主のことでした。その後を息子さんが立派にノレンを守り、皇室御用達の和菓子「御目出糖」の納入も続いている、という報告とともに、その爽やかな甘みのお菓子をお土産に頂いて、羽田に直行して無事迷うことなく福岡に帰り着けました。


●東京の往復に津田左右吉の『津田左右吉歴史論集』(岩波文庫)を読んでいました。

タリシヒコの謎の戦前の論者に入れるべきか、戦後華々しく歴史界をリードしたので戦後に入れるべきか迷っていたのですが、やはり津田史観が醸成された明治末期から大正デモクラシーの時期に合わせて、戦前の歴史家の分類に収めておくべきではないか、と思われました。


●津田左右吉の自叙伝的な部分に、自分はシラトリ先生の弟子で、先生が多忙で義理ある書肆の執筆の依頼を断れず、自分が苦労して代筆した、と書いています。

これは、書くべきことではないのではないかなあ、今だったら週刊誌タネになるのではないのかなあ??



2016-03-25 08:49:55

長沼先生の『邪馬台と大宰府』 28.3.25

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●断捨離の時期になったのかな。本の片づけをしようと思っても、なかなか捨てられず、衣類を捨てることにしました。アルミ缶や古着を、地域の子供会へ、との協力を呼び掛けるポスターもマンションに貼ってあります。

まず、不要間違いなしのモーニングを筆頭にひとかかえ出しましたが、あまり片付いたという感じはまだ湧きません。


●昨日は久し振りのゴルフでした。寒の戻りとかで冷たい北風の中でのプレーでした。最近乱発するOBを何とか0に収めることを目標にしたのですが、3ホール目で早くも挫折、ということでまだまだ春遠し、のゴルフでした。10位賞玉子ひと箱はもらえましたが。


●明日は昭和20年春に疎開で別れた国民学校同級生の同窓会です。今のところ、参加するのは女性7名、男性4名だそうです。遠くは岡山、それに福岡、あと9名は地元東京です。

葬式に出かけるよりも、生きているうちに、大昔の思い出話のひと時を楽しみに・・と思ってみなさん来るのではないかな、寅七もそう思って今日上京します。

●長沼賢海先生のタリシヒコ論は、と改めて長沼先生の『邪馬台と大宰府』の中を探してみました。

長沼さんは、「卑弥呼」も「倭の五王」も筑紫の倭国とされますが、筑紫君磐井が継体天皇に敗れて、『旧唐書』にあるように、「日本はもと小国、倭を併わせた」のだ、と論じられています。

「日出づる処の天子・・・」の国書は聖徳太子が礼儀上天子を名乗ったものだとされています。


聖徳太子が大宰府を造営した、ということなど、太宰府の西高辻家の蔵書群からいろいろと大宰府の歴史を再構築されています。


著書の中に『隋書』俀国伝に関して記述がありますが、その「俀」は初めて見る字でした。扁がニンベンでなくサンズイ扁になっている字をわざわざ活字を造らせていました。そんな『隋書』の版本があって長沼先生がそれにこだわれたのだろうな、など変なところに気を回しました。


オン年86歳の時の著作です。最後に、「耄碌の侘びごと」として、”ずいぶんと不行き届きなところもあろうが、読者諸賢ゆるしたまへ”とありました。


前回のブログの「菜の花」の花見の画像です。糸島福吉、ふくふくの里です。






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