1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2016-07-27 18:08:57

幹事の引退可能かなあ 28.7.27

テーマ:ブログ
●梅雨が明けて、エアコンの発明者に感謝する季節になりました。ついつい外出するのに億劫な気持ちが先立つのは老いの兆候でしょうね、もう十分年は取りましたが。
午後3時頃までは、何とか狭い我が家を風が通り抜けてくれるのですが、夕凪の時間になると、エアコンのスイッチを入れてしまいます。

●明日は、昔の仲間とのゴルフの予定です。緑の風で癒してくれるかな、それともミスショットで頭に来ている上に、暑さでより逆上するか、神のみぞ知る、です。

●最近の仕事?は「幹事」です。中学校の同窓会「熊本震災復興祈念の集い」・高校の同窓会「28年秋季ゴルフ懇親会」の二つが当面の連絡幹事としての役目です。
そういえば、今夏の大学同期会の「暑気払い」の連絡をしなければならないことに気づきました。

4,5年前までは、連絡の往復ハガキや、封筒の宛名書きなどあまり苦にしていなかったと思うのですが、最近はミスが増え、おのれの老いを再確認させられています。
わが奥様からは、もうそろそろ引退させていただいたら、と言われていますが、本人がこの世から引退する時が幹事の引退という状況のようです。(つまり、どうしようもない)。

●古田説から古代史に入って、それからいろいろの理由で、古田先生から離れて行った方々も「タリシヒコの謎解き」にどのように入って貰おうかな、と悩んでいるところです。

「タリシヒコ」の謎も大体、世の中の大先生方々の意見の収録は完了しました。あとは、ではなぜ、このような、常識的な判断から外れた定説が出来上がったのか、という考察に入らなければなりません。

なぜ、『旧唐書』が記録する「倭国伝」「日本伝」の両建ての記述が受け入れられないのか、ということになります。なかなか、「タリシヒコの謎」の終わりが見えません。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-07-22 09:03:32

「法華経」は妹子がもたらした? 28.7.22

テーマ:ブログ
●都知事選挙も過熱しているようです。女性候補の銃殺予告やら、ジャーナリストの候補がイエロージャーナリズムに餌食にされています。浮動票には大きな影響があるのではないかなあ。

●昨日は所属クラブのシニアコンペに出かけました。雲一つない快晴でした。半ズボン姿で、頭には、うなじを隠す日除けがある帽子(家内からの借り物)、襟にはクーリングタオルを巻いての「出陣」でした。
その甲斐あってか、体もよく動きOBも出ず、ネット2アンダーで上がれました。16番で、上からのパットを、パー取ろうと欲張ってのパットミスで結局4パットを寄せて2パットで納めておけば4アンダーで入賞圏内に入れたのに、と悔やんでも後の祭りです。無事に回れただけでもヨシとしましょう。

●前回書いた香椎宮の標識、コンクリート製と書いてアップしました。後で写真を良く見ていて、待てよ、掘り込み文字が殆ど風化していない、ということに気づきました。あんな一本物の巨大な柱はきっとコンクリート製だろうと、近寄って確認をすることをせずにいました。翌朝気になってチェックしに行ったら花崗岩製の見事な標識でした。という訂正をしました。

●「タリシヒコの謎」ということで古今の論客の言い分を見て行っています。戦後の古代史界をリードした津田左右吉の意見が全く見えないのです。
ご本人が「自分は白鳥庫吉の弟子」とおっしゃっているので、白鳥庫吉と同一の見方としておいてかなあ、それでよいのかなあ、と資料を調べてみました。
著作が「津田左右吉全集」という形で岩波書店から出ているので、それを見ればよいのか、と図書館に出かけました。
幸い、福岡総合図書館の蔵書にありました。しかし、貸し出し禁止の部類に入っていています。30巻の目次をチェックしているだけでも結構時間がかかります。やっと、第23巻の雑録の付録として『国史教科書』がありました。明治35年1月に宝永館というところからの出版とあります。説明に、「中学5年級及びそれに相当する学究の教科書に用う」とあります。
一読しましたが、タリシヒコも隋書という言葉も見えませんでした。一応メモを取ろうとしたのですが、家内との待ち合わせ時間が迫っていたので次回にしました。

●四鏡と言われる歴史書のうち『水鏡』だけは「通史」だそうです。その他の三つは「断代史」だそうですので、岩波文庫の『水鏡』の「推古天皇のところを開いてみましたが、『日本書紀』の圧縮版みたいなものでした。大陸との関係では、「小野妹子をもろこしに派遣して法花経を持ち帰させた」、だけが目に留まった記事でした。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-07-18 18:17:20

大山誠一先生は続日本紀を読んでいない? 28.7.18

テーマ:ブログ
●今日は梅雨明け宣言が出て、「海の日」の国民休日でもあります。「海の日」も「山の日」も、その趣旨にも関心を持てなくなっている自分に、老いを自覚させられます。まして、医療機関も休日ですから、この国民休日などなくてもよいのに、など口走ってしまいます。

●「タリシヒコは足彦でカバネで世襲される」という説についてカバネの勉強を、と、直木孝次郎『カバネの成立と天皇』を読んでみました。
君・臣・連・直や庚午年籍については詳しく述べられているのですが、天武八姓についてはほとんど述べられません。天武天皇の諱に真人が入っていることについても意見は述べていないのです。
直木先生にもうまく説明できる仮説が浮かばなかったと思われます。

●先週金曜日でしたか、コンクリート彫刻家浅野祥雲が紹介されていました。その中で、愛知県南知多町の中乃院というお寺に、戦死した兵士百人の大きなコンクリート像が安置されていると紹介されていました。
戦後GHQが取り壊す、と来たので、住職などが、像の由来を伝え、壊すのなら自分たちを先に殺してからにしてくれ、と講義し、取り壊されずに済んだ、とTVの取材に答えていました。

大山誠一さんの本を読んでいると、【なぜ日本には「文字史料」が残っていないのか、日本人は文字で記録する意欲に欠けていた】などと言っています。

大山さんは『続日本紀』の元明天皇の廃書令的なろ宣命を知らないのかな。GHQの敗戦後の「黒塗り教科書」や「奉安殿」の取り壊しなど、文書や施設の廃棄命令などは、知らないでしょうが。、

我が家の近くに、大きな「官幣大社香椎宮」という高さ目測7メートル以上はあると思われる、花崗岩製の巨大な標柱が立っています。
その「官幣」が進駐軍の指令で、セメントで塗りつぶされたのですが、70年経った現在、セメントも風化し苔が生えて、かえって「官幣」を際立たせつぃるのは皮肉なものです。
官幣 クリックすると拡大します。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-07-15 19:29:13

電車賃を使ってお散歩? 28.7.14

テーマ:ブログ
●今朝は、博多の街の夏の風物詩、山笠のフィナーレでした。このようなお祭りが平和な空気の中で行われることのありがたさを、フランスのニースでの惨劇のニュースを聞かされるにつれ、しみじみと感じさせられます。

●先週から末娘一家全員が、アメリカのパサデナに仕事や勉強や、ついでの観光?に出かけました。帰国予定の月末までは、メールでのやりとりだけきりになります。
電話での孫たちとの会話が唯一の生きがいみたいな、我が家の主は、フラストレーションがたまりつつあるようです。
本人の携帯電話の電池の具合が悪いので、買い替えようと街に出たのですが、買い物する気にもならなかったようで、今日は電車賃を使って散歩しに行ったようなものでした。


●先回の阿輩臺の続きみたいなものです。
古田先生の『失われた九州王朝』でも、裴世清を出迎えたのは、「小徳阿臺」としています。
岩波文庫本の『隋書』では、百衲本の影印が出ていて「小徳阿臺」なのに訳では「小徳阿臺」としています。
おそらく古田先生も『隋書』の百衲本を参照されたと思うのですが、原本の影印は出されてないので、ひょっとしたら古田先生は、別の原本に「阿臺」とあったのかなあ、と釈然としない所がありました。
しかし、原本の影印は古田先生の本のどこかで見たかすかな記憶がありましたので探してみたら『九州王朝の論理』に出ていました。しかし、その影印の原本については何も書いてありません。

しかし、岩波文庫本の『隋書』の影印を拡大コピーしてと比べてみましたら、ぴったりと合いました。
結論として、古田先生はなぜか、『隋書』百衲本の「小徳阿臺」を「小徳阿臺」と間違って訳されていました。
『隋書』の定説では「阿臺」ですが、つい見過ごされたのかと思います。しかし、「北」と「比」の違いがタリシホコかタリシヒコ」かという問題に発展します。この「軰」「輩」の違いはカンムリが「北}か「非」の違いなのです。読みが同じアハタィだから、字の違いは大したことではないのかもしれませんが。
ただ、多利思北孤の「北」と、阿軰臺の、「軰」の北カンムリの字体が、素人が見ても同一の「北」という書体なのです。もちろん「比」ではなく、「非」でもないのです。
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-07-10 18:42:12

ウインブルトンと参議院選挙 28.7.10

テーマ:ブログ
●このところウインブルトンのテニスで深夜にTV視聴をすることが多くなっています。今夜は英国のマリーとカナダのラオニッチの、もと英連邦の選手同士の決勝戦です。イギリスは盛り上がっていることでしょう。

今夜は参議院議員の選挙速報も見ながらのテニス観戦となるので、昨夜のようにS・ウイリアムズの女子決勝戦を眠気で見損なった、ということの再現はないことでしょう。

●先日、先代旧事本記関係を調べていて、『上記』に集められた古文献名に「阿波田村記」が上がっているのに気づきました。
岩波文庫の『隋書』の石原さんの輩世清を迎えた「阿臺」の注釈では、原文(影印)を「阿臺」としています。そして『北史』の何輩臺を採用して大河内なにがしか、などとしています。
なぜ、そのまま「アキタィ」と読んで「秋田」とか「飽田」とかよめないのか、と先日書いこのたブログに書いたところです。

今日の先代旧事本紀の記事から、仮に、阿冀臺を阿輩臺の誤りとしたとして「アハタィ」と読んだ場合、「阿波田」「阿波田村」などという地名もあるのに、と石原道博氏に教えてあげたかった。

●タリシヒコはカバネである、とされる兼川晋さんの説を読んでいて、「カバネ」についての知識があやふやなことを知り、昨日図書館に行ったついでに山尾幸久さんの『カバネの成立と天皇』1998年吉川弘文館を借りてきて読み始めています。
「カバネ」がいつから使い始められたのか、どのような性質のものか各節があるようです。ここで「九州王朝」という補助線を引いたら、何かポンと答えが出ればよいのですが、古くなった脳からはアイデアは出てきません。
「タリシヒコ」をカバネとすると、古代天皇に「足彦」という諱が多いのですが、「足彦」単独の諱では見られないし、「タリシヒコ=カバネ」説はもうすこし論証を深めなければ賛同を得るのはむつかしいのでは、などと思いながら読んでいるところです。
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-07-06 08:35:09

運転免許証更新しました 28.07.06

テーマ:ブログ
●バングラディッシュでのテロ、JICA関係の方々が無言の帰国です。インフラ整備の関係の方々です。もっと若かったら、もし古代史に目が行かなかったら、寅七も出かけていたかもしれません。さぞ無念だったことでしょう。真剣な再発防止策が行われることを為政者に期待します。合掌。

犯人たちは富裕層の子弟、高学歴の若者だそうです。20年ほど前の麻原ショーコーのテロ集団を思い出させます。
彼らはラマダンの最中に日中食事する人々は間違いなくアッラーの神を信じない者たち、ということで襲撃場所に選んだのでしょう。ラマダンに聖戦をとのISのメッセージに、どういう意味があるのか計りかねていましたが、このような解釈もあったのかということを知りました。

イスラム世界に身を置いたら、ラマダン期間の外食やこっそりとアルコール飲むことまで気を使わなければならない時代になったようです。もうイスラム世界に出かけることもない寅七ですから無用の心配でしょうが。

攘夷を叫ぶ人斬り包丁を腰に差している集団がたむろする江戸末期に、日本に来た外国人の自衛方法・手段はどうだったのでしょうか?

●錦織選手4回戦2セット目のリタイヤでした。体調万全でも体格で劣る外国人選手との連戦で、ランキング上位をキープするのは大変な努力が必要なのでしょう。
ゆっくり体力を回復してから、コートに戻ってきてほしいものです。リオ五輪も無理せずに若い人に任せたらよいのに、と思いますが、家内は体力が戻れば早くコートに戻ってきてもらいたいようです。

●昨日運転免許証の更新に行ってきました。3年間有効とあります。すっかり老人顔になった新しい免許証の写真を見ながら、この免許証の期限が切れまでと、神様がくださっている期限と、どっちが先なのかなあ、という思いが頭をよぎりました。

●「タリシヒコの謎」で直木孝次郎氏の意見をチェックしてみましたが、特に定説と異なる意見は見られませんでした。
ただ、戦前の天皇機関説と古代天皇の不執政論について述べているところがありましたのでメモしました。
【古代の天皇は宗教的に神聖な存在であり、直接政治に携わるのは皇太子や蘇我氏などの天皇外戚の有力者であり、天皇不執政が原則であった、というような論が行われている。
その研究の延長に、現在明治憲法の下での天皇の地位について、国会が政治を行い、天皇は元首であるが国を代表する最高機関に過ぎないという天皇機関説に根拠を与える、ということで家永三郎などの進歩的研究者の古代天皇不執政についての研究は当局からにらまれた。】(『日本の歴史2 古代国家の成立』直木孝次郎 中公文庫 74頁「天皇不執政論と天皇機関説」より要約)

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-07-03 19:38:37

8年前の自分の文章を読み直す 28.7.03

テーマ:ブログ
●錦織選手も脇腹の痛みを抑えながら頑張っています。昨夜、ロシアの選手との3回戦がNHKから放映される、ということでした。
放映開始は12時過ぎということです。ネットで調べたら、試合開始は日本時間21時となっています。22時ごろネットで速報をチェックしたら2セット取って3セット目に入っていました。まあ大丈夫だろう、と夢路に入れました。
今度のチリッチ選手との4回戦をしのげれば、次に当たると予想されるのはフェデラー選手です。何とかここまでは来てもらいたいものです。

●去年の今頃、玉名のはずれでマンゴー農園でできたマンゴーを求めました。先日、ぼつぼつ当園のマンゴーも熟してきました、お見えになりますか、と農園主から家内に電話があり、久しぶりに熊本
の河内まで足を伸ばし、玉名~山鹿~南関と回ってきました。
何カ所もの直販店を回り、結構トランクを重くして帰宅しました。あとは、お見舞いに行かねばならないところも数カ所ありますし、明日からの仕事ができたということです。


●「タリシヒコの謎」に兼川晋さんも登場してもらおうか、と『百済の王統と日本の古代』(不知火書房)久しぶりに読み直してみました。
ちょっとパラパラとめくってみて簡単に手に負えるものではないことを知りました。ずいぶん前ホームページに感想を書いた記憶がありますので、HPの文章を改めて読み直しました。

8年前だったから、この難解な兼川ワールドについていけたのか、と思います。古代史の大先輩にたいして失礼になっていないかな、と心配しましたが、どうでしょうか?
http://www.torashichi.sakura.ne.jp/yaridama38kanekawashin.html
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-06-30 18:11:02

思い出のウインブルドン散策 28.6.30

テーマ:ブログ
●ウインブルトンも天気に恵まれないようです。昨夜は真夜中から錦織選手の試合がある、とわが奥様、目をこすりながら起きていましたが、雨で順延になりました。
既に夢の中に入っていた寅七でしたが、「雨で順延、あ~あ」との声で目が覚めました。TVは、錦織選手の試合の代わりにフェデラーの試合を流し、そのあとにはジョコビッチの試合も流してくれましたので、結局明け方近くまでテニス観戦となりました。

30年ほど前、ロンドンに出張したおり日程に一日空きが出ました。テニス少年だった昔、「聖地ウインブルドン」見学に出かけてみたことを思い出しました。一人だと何かあったら困るので、同行者を一人募って、電車を乗り継ぎ、最寄りの駅から20分以上かかったと思いますが、道を聞きながら徒歩で訪ね行きました。

秋も深いころで、テニスシーズンではなく、ゲートはしまっていました。しかし、日本では見られない威容のあるテニスコトであることはよくわかりました。あたりの郊外の趣のある家々のたたずまいなど、その時撮った写真はどこへ行ってしまったのか見当たりませんが、脳裏には残っています。

●今日は昔の会社の福岡近郊在住者OBの懇親ゴルフの日でした。午前中大雨の予想ははずれてくれました。
ティーグランドに立ったら、深夜のテニス観戦の眠気は消え、腰の痛みもほとんど感じずスタートできました。この分ならエイジシュートもいけるかな、と前半終わったときに思ったくらいでした。
後半に入っても調子は良かったのですが、後半4ホール目でボールの行方をキャディさんも見失い、ラフも深く、ロストボールの処理をせざるを得なくなり、結局エイジシュートに3打およばず終了、でしたが、久しぶりに優勝や二ヤピンなどの賞品はいただけました。

●後出しじゃんけんのように最初手を挙げた候補は落ちる、と言われている東京都知事選挙ですが、小池百合子衆議院議員が手を挙げたようです。
やりたい候補よりも、させたい候補を、とよく言われます。前任の知事よりはるかにましかもしれませんが、どうも「やりたい」が前面に出る方じゃないか、とは個人的な所感です。

●長沼賢海さんの『邪馬台と大宰府』を再度チェックしようとして、本棚をさがしてみましたが見つかりません。狭い書架です、このブログを始めたころは十分余裕のあった書架ですが、10年ほどの間に、二段重ねに押し込んだり、あまり引っ張り出そうとしない本は、段ボール箱にいれたりしているので探がすのも一苦労です。
総合図書館の蔵書を検索したらあるようでしたので、一走りして借り出してきました。

邪馬台国はヤマト国とされますし、奴国は「ナ」国で、いわゆる通説と変わりません。一応、倭人伝の記事から邪馬台国は筑紫とされています。
『隋書』の記事から、筑紫の倭国と近畿の倭国があったとされています。

長沼先生は太宰府の宮司、西高辻家と親しく、太宰府の蔵書も調査されていたようです。しかし、西高辻家に伝わる『翰苑』の残翰の話があるかと思いましたが、残念ながら見えませんでした。
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-06-26 11:35:11

沖縄独立論は? 28.6.26

テーマ:ブログ
●英国のEU離脱が現実のものになり世の中が騒然としています。この動きがカタルニヤのスペインからの独立や、スコットランドの英連邦からの離脱などの勢いが増す、というような意見が多く聞かれます。
しかし、琉球の独立については腫れ物に触りたくないのかTVのコメンテーターも口をつぐんでいます。
そういえば、九州独立論も終戦直後水平社運動の闘士松本治一郎によって唱えられましたが、GHQに抑えられたようです。その後裔の龍氏の話題は、東日本震災の復興相としてミソを付けて以来、噂もききません。今回の参議院の選挙で社会党も消滅するのでしょうか。

●先週の木曜日、天気予報では大雨注意報が出ていました。しかし、スタートするころには雨も上がって支障なくゴルフが楽しめました。
今回のコンペ参加予定者は18名でしたが、天気予報を信じる派で今回欠席したもの2名で、あと16名はなんとかやれる派で、さすが戸外での仕事を生業にしてきた者たちです。
ただ老年者には、雨に濡れ重くなったラフからの脱出には力不足だったようで、筋力の衰えを実感させられた一日となりました。
今週末にはこの反省を生かして、と思っていますが、忘れずにいれたらよいのですが。

●大山誠一さんの聖徳太子架空説を確認しておこうと思って『聖徳太子と日本人』(角川ソフィア文庫)を読み直してみました。

聖徳太子の事績とされるものはみな後世に作られたもの、というところには熱が入っていますが、「日出づる処の天子云々」の国書を出したのは誰か、となると時の為政者蘇我入鹿だ、とされますが、そうすると出てくるタリシヒコ関係の数多くの疑問には全く言及されません。知らぬ顔半兵衛をきめこまれていました。

ただ、戦後の学界について批判しているところがあるのに気づきました。自分は久米邦武・津田左右吉の実証史学の系譜を継ぐ、と自負されている文章です。ちょっと長くなりますが、紹介しておきます。

【ところで、戦前の天皇制であるが、誰もが信じたわけではなかった。森鴎外に「かのように」という小説がある。
主人公の五条秀麿は学習院から東京大学の歴史家に進み、優等生として銀時計をもらって卒業し、ドイツに留学する。
帰国して歴史学者になるが、そこで記紀の神話の虚構性と自身が貴族の一員であることの矛盾に煩悶することになる。
結果として、自分に期待している父親など周囲をおもんばかり、神話を信じている「かのように」生きることとする。(中略)

さて、鴎外の五条秀麿は「かのように」という生き方を選んだが、「正直にまじめにやろう」としたものもいた。明治の碩学、久米邦武は、岩倉遣欧使節の記録係として『米欧回覧実記』を執筆したことで名高いが、歴史学専攻の帝国大学教授であり、聖徳太子研究でも、多大の功績がある。

彼は、聖徳太子の関係史料は数多いが、多くは仏教徒による奇異の仮託であるとして、研究対象としては、わずかに「憲法十七条」や法隆寺に残る若干の史料に限るべきとした。しかし、そういう態度が、神道家や国学者に嫌われ、「神道は祭天の古俗」の論文が攻撃され、教授は休職(その後辞職)、論文は発禁処分とされる。まだ明治24年のことであった。

また、実証史学を大成し、『記・紀』を正確に論じた津田左右吉も、皇室の尊厳を損ねたということで早稲田大学教授を追われ、その著書は発禁処分となされた。昭和15年のことである。

このような弾圧が行われては、少なくとも戦前においては、聖徳太子に対する実証的な研究は進展しなかったことは仕方ないことであったと思う。

問題は、その結果として、聖徳太子に対する自由な研究が阻害され、それに結果的にせよ、加担することになった研究者がその後の学界を支配し、その後継者が今日の歴史学の主流となっていることである
。(後略)】
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-06-22 09:56:12

岩波文庫の冠位十二階は正しいかⅢ 28.6.22

テーマ:ブログ
●熊本地震から2か月余りです。やっと電気温水器の取替工事に来てくれました。これで今夜から風呂も食洗器も使えるようになります。しかし、日帰り温泉に出かける楽しみの機会が少なくなりますが。

●寅七の不摂生は食生活から、動脈硬化を心配するわが奥様の勧めで年一回動脈のCTスキャンを受けることにしていて、昨日日赤病院に出かけました。
結果は、昨年と比較してそれほど悪くなっていない、また1年後に見てみましょう、ということでした。血液サラサラの薬を飲めという友人の医者もいますし、飲まない方がよいという友人の医者もいますが、何はともあれ飲む薬が増えないで済むことは何よりです。

●タリシヒコの謎解きに、石原道博さんの岩波文庫の訳文の問題点に取り組んでいます。
古田先生も『失われた九州王朝』で検討されているのですからそれをリトレースすればよいのですが、まあ、最初からとあらためてと取り組んでいます。

その中で、冠位の順番の相違以外、あまり問題にされていない「内官十二階の冠位」についてちょっと気になりました。

石原道博は、この『隋書』の冠位の記事の記載を、わが国の『日本書紀』が記す冠位十二階を述べたものとしています。
しかし、『日本書紀』の記述によれば、推古11年(604年)12月にに制定し、翌年の正月に初めて諸臣に授けた、とあります。
『隋書』の記述によれば、俀国の最初の使者がいろいろと俀国の事情を述べた記事のにあるというように取れます。つまりそれは開元二十年(600年)のことなのです。

600年のころに推古朝ではまだ冠位十二階は制定されていなかった、と思われます。『日本書紀』の記述が正しければ、中国との直接通航するためには冠位制定が必要と思った推古天皇が俀国に真似て冠位をしたということになろうかと思われます。そのせいで『隋書』が伝える俀国の十二階の冠位と、『日本書紀』が伝える推古朝の冠位とは、位の順位が違ってしまった、ということになったのではないでしょうか。
このような問題があることに石原道博は全く気付いていないようです。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。