錦織選手ちょっとはらはらさせられました 28.5.14 | 棟上寅七の古代史本批評

錦織選手ちょっとはらはらさせられました 28.5.14

●孫が帰って老夫婦二人の生活に戻りました。

●東京都知事の公私混同の無駄使いんどがマスコミの良い餌食になっています。北九州市の出身だそうですが、北九州市長選挙に出たらきっと通らなかった、と良い評判が聞かれない方が、遠い東京の都知事選挙に通ったことが不思議で、責められるべきは選挙民でしょう。

●ローマオープンでの錦織選手の調子は良いようです。準々決勝の試合を早起きして、期待して観戦しました。相手はフェデラーを倒して出てきた伸び盛りのティエム選手22歳です。
第二セットの途中、ブレークポイントの一打をアウトのコールでしたが、ボール跡を確認した主審がインと訂正したのですが、ポイントとはならず、プレー再開で、けっこくそのゲームを取れなかったのですが、錦織選手はこれにクサらず、勝てたのはさすがです。次の相手はジョコビッチです。お互いの体力勝負となるのではないかな。

●昨日は、「タリシヒコの謎」第三部の原稿にかからなければ、と終戦前後の、歴史研究に関係ある出来事を改めてチェックしています。
敗戦後は「ポツダム宣言」に盛られた政策が実施されたのですが、その宣言を読んだ記憶がなかったことに自身驚きました。
公職追放された方々をチェックしていて、原田大六氏が、戦時中の憲兵だったことから、中学校教職の職を解かれ、「考古学者」として生きる決心をされたことも知りました。
ついでに、原田大六氏が、調査結果をまとめ『日本国家の起源』を東大出版会から出した時の妨害などのネット記事を興味深く読んだりで、原稿書きは後回しになりました。