老年老い易く 28.1.15 | 棟上寅七の古代史本批評

老年老い易く 28.1.15

●久しぶりの上京なので、と、高校同期の在京メンバーに声をかけ、横浜中華街での同窓会でした。ずっと以前は横浜山手テニスクラブで汗を流してから夕方から中華街と繰り出したものですが、寄る年波でテニスコートには寄り付けなくなり、いつもの山東料理屋さんへ直行でした。

アルコールが進むほどに年齢は若返り、話題は古くなり、何度も聞いた話が今回も繰り返えされますが、それがちっとも気にならないのは不思議です。結構いただいたのですが、割り勘3500円でした。


●成人の祝いで、孫娘といとこのS君と成人になる二人の家族親族が集まって、新宿の中華料理店で総勢22人のにぎやかなお祝いの席となりました。三世代目の若い人たちが、司会の二世代目の指示で、自分のやりたいことをしゃべっています。パイロットになりたい、学校の先生になりたい、役者になってテレビに出たいなどのを聞いてうらやましく思いました。老年はますます老い易くなり学なりがたし、の感しきりです。


●福岡から羽田に飛ぶ間、藤尾慎一郎氏の『弥生時代の歴史』を読み返しました。この本は、縄文から弥生に入る時代の叙述については、なかなか筋が通っているように思われますが、弥生後期になると無理なところが目立ちます。

モノ自体から判断しているころの叙述はよいのですが、倭人伝などの文献と照合させて歴史を語り始めると、無理な解釈と思われるところが目立ちます。

物から見ることを貫けばよいのに、というのがどうやらこの本を読んでの結論的感想です。詳しくはホームページに書こうかと思っていますが、さて根気が続くかなあ、とちょっと弱気になっています。


●娘のところに逗留しています。高2の孫に日本史の教科書を見せてもらいました。「日本史A」でした。うかつにもA,Bの区別にそれほど注意を払っていなかったのですが、読んでみて驚きました。聖徳太子は出てきますがタリシヒコが出てこないのです。

進学先が理系の場合は「日本史A」、文系の場合は「日本史B」を選択するそうです。国民の約半数には「タリシヒコ」の存在すら知らされていない、という事実を知り愕然です。


明日で東京を離れ、日曜には大阪で古田先生の追悼会です。