奴の悉皆調査はくたびれます 25.09.27 | 棟上寅七の古代史本批評

奴の悉皆調査はくたびれます 25.09.27

●先日の古田先生の出版記念講演会のあと、懇親会に出席されませんか、とミネルヴァの方から誘われました。その懇親会が始まるまで結構時間があり、古田先生といろいろお話ができました。


口は災いのもと、というのに当たっているのかもしれません。「上代の奴の読み」に関連して、藤堂明保氏の漢和辞典の編集態度は、石器捏造事件の藤村某氏と匹敵する悪行ではないかなどで話が弾み、「何が得られるかどうかわからないけれど、『三国志』の奴について悉皆調査を始めたところです」などと口走ったり、「学士会の松木氏の邪馬台国論を批評しようと思っているのですが、同窓会会報の小論にかみつくのもどうかなあ、と思っている」と言いましたら、「そんなことはない、あの会は単なる同窓会ではないから、是非やってみなさい」とご意見を頂いたり、思いもよらぬ貴重な時間となりました。


●「戸」と「家」の違いについての論文も投稿予定と申し上げたので、それを仕上げたり、この3日間は『三国志』を眺めて「奴」探しでパソコンの前に座りっきりで、体重計も1キロほど跳ね上がりました。一応『魏書』だけは完了しました。

『魏書』三十巻の内、「奴」という字が入っている巻は14巻で半分以下です。最後の東夷伝の巻には「奴」は集中していますが、他の巻には匈奴・奴婢以外は殆ど出てこず、目がくたびれるだけでした。


それでもいろいろと、今まで気づかなかったことを発見しました。

卑弥呼は単に「ミミカ」の当て字か、と思っていましたが、将軍の名に「卑衍」という卑という姓があるのだ、ということや、雍奴県という地名が中国にあることや、「匈奴」はあっても「胡奴」はない(胡や胡人と記している)ことなどです。ちくま学芸文庫『三国志』を、ざっと読みしているだけでは気付けなかったと思います。


●「奴」探しを、『蜀書』・『呉書』まで進めようかどうか迷っていますが、松木氏の邪馬台国批判を次にやって、「奴」の悉皆調査の続きは、時間つぶしのタネに取っておこう、取りあえず『魏書』だけの分でまとめ、古田先生に報告しようと思っています。まあ、明日のゴルフコンペに出たいがための後回しでもありますが。