學士會会報松本武彦氏の論文を読んで 25.09.10 | 棟上寅七の古代史本批評

學士會会報松本武彦氏の論文を読んで 25.09.10

●世の中は2020年東京オリンピック開催決定で湧いています。当方は、11歳若い I さんが食道がんの疑いで入院した、と聞き大村まで見舞いに出かけました。あいにく病院には不在でした。携帯に留守電でしたが伝言を入れておいたら、手術することになったので、その前に家族と雲仙にきて団欒のひと時を過ごしている、と返電がありました。

元の会社のOB会のホームページの訃報欄には、60台での死亡記事が結構多いようです。最近では65歳まで何らかの形で現役で働けているようですが、仕事をやめてすぐの彼岸行きは可哀想に思います。 I さんには、現役時代難しいトンネル工事に対し成功を収めたと同様に、病気に対しても頑張ってもらいたいものです。


●帰りは唐津回りで帰り、菜畑遺跡(末盧館は休館日でした)、今宿五郎江・大塚遺跡(今宿小学校校門に写真入り説明板があるのみ)と巡ってかえりましたが、さして収穫はありませんでした。


●學士會会報最近号に「邪馬台国論争は決着がつくか?」という小論文が巻頭に載っています。論者の松木武彦氏は岡山大学隊学院社会文化科学研究科教授で大阪大学卒業の方だそうです。

内容は完全に学会定説に軸足をおいたものです。


結論として、【近年の考古学の知見は、いま述べてきたように、邪馬台国近畿説の確定に向けて一手一手と駒を詰めているかの感がある。ただ、将棋と違って完全に詰めきることは決してできまい。なぜなら、邪馬台国は、根本的には文字資料に基づく文献史学の問題であり、物言わぬ土中の非文字資料を扱う考古学では、最終的には決着できないからである。纏向遺跡群の傍らに三世紀中頃に築造された巨大前方後円墳の箸墓を女王卑弥呼の奥津城とみる考古学者も多いが、墓誌銘をもたぬ日本列島の古墳で被葬者の個人名が完全に判明することはない。邪馬台国論争は、勝負がつきそうに見えて永久に詰まるところのない将棋の攻めと守りを繰り返すように、いつまでも続いていくのであろう。】と結んでいます。


この學士會会報に同じ武彦という名の古田武彦氏の「九州王朝の史料批判」という論文が、7年前の2006年857号に掲載されています。その論文は、邪馬台国論には多くのページは割かれていませんが、卑弥呼のその後に展開する九州王朝について述べられています。

単に邪馬台国探しでなく、日本古代史全体を論じた古田武彦氏という先達を、完全に無視して邪馬台国を論ずる松木武彦氏は、後年ピエロの役をさせられていた、と気付かれることがあるのかなあ、と思ったりしています。