魏使は海沿いの道で伊都国へ行ったのか 25.07.15 | 棟上寅七の古代史本批評

魏使は海沿いの道で伊都国へ行ったのか 25.07.15

●今朝は早くからTVが山笠の櫛田入りを中継の元気のよい掛け声で起こされました。明日からは町も静かになることでしょう。


●昨日は三連休中日で、納涼のために都心部の地下街は、おそらく山笠祭りで混雑しているだろう、と買い物もあり、福津市郊外の巨大ショッピングモールに出かけました。

人が考えるのは誰しも同じで、広大な駐車場ですが、駐車スペースを探すのに手間取り、中に入って二度ビックリ。物凄い家族連れの買い物客(納涼客)の群れです。これでは、地方都市の商店街がシャッター通りになるのも当然と思われます。

なんたって街中クーラーが利いているのですから。ベンチで昼寝している人も結構いましたし。


●古田先生から留守電がはいっていて、私の”両児島探し”、と”奴国探し”について、何らかの形で自分の考えを明らかにしたいし、八王子セミナーで話すことになるかもしれない、ということでした。とても、先生には太刀打ちできないと思いますが、せめて間違いがないようにしなければ、と気を引き締めなければ、とアルコール量も減らさねば、と思っています。


唐津から糸島へのルートですが、全て海岸沿いにいったのかかなあ。今の国道202号を取って見ても、古代にはとても人が通れるようには思えないような崖路が何箇所もあります。

それとも玉島川河口あたりから、丘陵部を登り、今の二丈カントリークラブあたりの、恐らく当時は「倭人伝」の末盧国の記事「濱山海居草木茂盛行不見前人」という状態の山路を通り、福吉海岸当りの平野部の入り口に下り立った、というルートの方が可能性が高い、と思われます。


ともかく、海沿いに行ったとした場合、西唐津から福吉まで、比較的急曲線のない鉄道と、海岸沿いにクネクネ曲がっていく国道、どちらが長いのか、検討してみました。

感覚的には鉄道の方が短い、と思ったのですが、福吉駅前から国道202号線沿いでカーナビ測定したら、道路の方が若干短い、という結果でした。

地図でよく見てみたら、鉄道ルートは虹の松原沿いはかなり海岸から離れていて、松原の中を走る国道とは、円弧の径が違うのが距離の差になっている、と思われます。

海岸沿いでなく途中で丘陵部を通ったとした場合は、直線距離は短くなるでしょうが登り降りの屈曲部が加算されるでしょうから、結局は、海沿いのルートと距離は差不等かな、というのが結論です。