暑中ゴルフ 25.07.12 | 棟上寅七の古代史本批評

暑中ゴルフ 25.07.12

●昨日も猛暑日でした。半ズボン・サンダル式ゴルフシューズ・ストローハット・首にはクールグッズと暑さ対策を充分していったつもりでした。久し振りに暑さの中で汗をかくことの基分の良さを感じましたが、やはり、かなり疲れました。それにしても、優勝した2歳年上のK原さんがあと2打でエイジシュートだったのに、と残念がっていました。準優勝はS藤夫人でした。同組でしたので、つい良い所を見せようと気負ってつまらぬOBを出したり、バーデイチャンスも沢山あったのに、ことごとく外し、返しも入らず3パット連発で、5位に止まり、昨日は私にとって体を動かしただけの体育の日でした。


●先日から紛失した手帳を探すために、最近の行動を思い起こして紛失したであろう場所のメモをテーブルに置いて、ゴルフに出かけました。プレー中に携帯にメールが家内からはいり、北九州のO会館に聞いてみたら保管している、というので送ってもらうように手配した、ということで、ひと安心です。
いろんなパスワードを書きこんでいたので、一つ一つ確認していくのは大変だなあ、と思っていたので助かりました。
置き忘れたO会館は老舗なのに、お客が忘れた手帳の所有者の氏名と電話番号も書いてあったのに何故連絡してくれなかったのか、と安心したら、今度は不満心が湧きおこりました。


●伊都国の位置について古田先生が書いていらっしゃるのを見ていっています。『古代史のゆがみをただす』吉武高木遺跡と穆天子伝p46 に次のような記述があります。


【「不弥国」が里程の書いてある最後の国です。ですから、不弥国が邪馬壱国の玄関にあたるくにであることは最初からきまっていたわけです。「不弥国」の位置を算定するときに、糸島郡の伊都国から一里を九〇メートルでとれば、博多駅ちょっと東によるぐらいにいき、七五メートルでとると姪浜の室見川下流ぐらいにしかいかないわけです。伊都国の範囲は前原からどんなに突き出しても伊都神社のあたりという結論になっていたわけです。】


さて、伊都神社とはどこにあるのか、と調べてみると、「伊都神社」という名前の神社はなく、「伊都国宮地獄神社」のことであろうか、と思われました。しかしそこは前原から1.5km(20魏里)程唐津寄りで、西唐津から約30km(400魏里)のところです。


先日、その「伊都国宮地獄神社」に行ってみました。糸島市神在の釜塚古墳のところから登り始めましたが、片道3000歩強でしたが、高低差110mの参拝道は後期高齢者にとっては結構な道のりでした。神社のある山頂からは、樹木に遮られなければ、糸島平野を眺め渡せる良い位置だ、ということは判りました。前原市街や一貴山古墳にも近く、神在という地名も、この神社が古代、それなりの神社であったことをうかがわせます。


棟上寅七の古代史本批評-伊都国宮地獄神社

伊都国宮地獄神社