打ち納め不発 22.12.26 | 棟上寅七の古代史本批評

打ち納め不発 22.12.26


今日はホワイトクリスマス寒波が続く、というような天気予報でした。気温は低いけれど、大した雪はないのではないか、と気象庁のホームページの降水予測を見ながら思いました。


今年の打ち納めに名門Kゴルフに行きませんか、とM氏夫妻から誘われていたのですが、新聞の雪予報に恐れをなしてか、キャンセルしたいと朝7時過ぎにMさんから電話がありました。呼吸器に若干問題を抱えるMさんのことを思えば、ゴルフ場がクローズしなければ当然プレイしようとする寅七も、今朝はゴルフ中止に同意しましました。


さてどうしようか、高速道路での遠出は無理だろうし、と、わが奥様と意見が一致したのは「相棒」の劇場版を観に行こう、ということでした。テレビよりも画面が大きく音響効果もそれなりでしたが、内容はそれほどでもなかったのですが、まあまあ満足でした。


夕方映画館を出たら、雪が降っていました。明朝は雪が積もっているのではないか、と思いますが、カマクラを作ったり、雪合戦をする相手を、はるか東京から呼び寄せるわけにもいかないのは残念です。


TVが伝える政権与党の首脳会談は、連合のボス殿は中立でなく、どうやら小沢さん側に立っていたようです。流れを読めていないと配下の組合員から見放されるのではないかと心配です。

http://www6.ocn.ne.jp/~kodaishi/<BR >
『なかった 真実之歴史学 第3号』の西村俊一教授の「福沢諭吉の学問のすすめ」についての論文をホームページ原稿に移す作業などをしました。


その文章は次のようなものです。【(前略)ついでながら、筆者は、公共哲学京都フォーラムにおける議論の中で、福沢諭吉の『学問のすすめ』の冒頭の一文「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり」は、米国の独立宣言」からではなく、『東日流外三郡誌』を含む一群の『和田家文書』からの借用であるとの説もあることに言及した。ところが、即座に丸山真男門下の平石直昭が侮蔑的な言葉でそれを遮ったのであった。それは平石直昭・金泰昌編『知識人から考える公共性』(東京大学出版会、2006年)にも記録されている。


しかしながら、筆者は平石直昭が前期文書を実地に考証したことを寡聞にして知らないし、何よりもこのような応接は極めて無礼であった。最近、安川寿之輔は、その著『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(高文研)において、この一文を福沢諭吉の思想であると誤解させたのは丸山真男が創作した「丸山諭吉」神話であるとし、むしろそれは『和田家文書』からの借用である確度が高いと論じている。丸山真男は、吉本隆明がまさに指摘するように、「方法の原理的な一貫性と整序性」に拘泥するあまり、福沢諭吉を新たな時代の生んだ近代的知識人の典型として過度に理想化した。そして、それを平石直昭がこの旅の「寛政原本」の発見にどのように対応するか見守りたい。(後略)】


「偽書」と決めつけて、「寛政原本」が出た、といっても知らんぷり、で済むのかなあ、と偽書説を煽った方々に聞きたいものです。