コミケ期間中の修羅場と疲れにより更新が滞ってしまったのが無念ですが、加えてこの作品について語ることもまた難しく、筆が止まる一因でした。
しかし、それでも今作は強く推したい一作です。



母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。
宮川さとし
新潮社 バンチコミックス

僕の仕事の自慢話を
飽きもせず我が事のように
聞いてくれる存在は
おそらくこの世で母親ただ一人――

くらげバンチにて、1~3話と特別マンガが読めます。


くらげバンチが開設して最初にタイトルを見た時、「どんな狂気的な話なんだろう」と思いました。
多くの人はぎょっとする題名だと思います。
しかし、読めば一目瞭然なのですが、これはどこまでも暖かい愛のお話でした。

この作品は、筆者が母親の死を通して体験したこと、感じたことを朴訥に描いたエッセイマンガです。

「母の遺骨を食べたい」。
それは掛け替えなく大事な人を自分の一部にして、いつまでも共にありたいというプリミティブな欲求でした。

母親に限らず、心から大事にしている人が存在するならば、この気持ちは多少なりとも理解できるものでしょう。
このタイトルは編集者には女性に引かれるとダメ出しをされ、それでも貫いて押し通したそうです。
私はこのタイトルで良かったと思います。
この、一見異端に見えながらも、非常に実直な想いだからこそ伝わるものも確実にあります。


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ずっと元気でいると思っていた、母親がある日末期ガンであることを宣告されてしまう。
そして、筆者が33歳の時に逝去。
生前の日常から変わってしまった日々の風景、そしてその後の人生――

いつも根拠の無い自信を持っていたのに、急に弱気になってしまう母親。
病気を治そうという気概が見えず、先を諦めてしまったようなその態度に、良くないと解っていても理不尽に当たってしまう……

深夜にしつこく携帯が鳴ったり、帰って来ると家の電気が点いていたり、それがどれだけ有り難いことなのか、喪くしてから解る……
母親の字が書かれた容れ物や、レシートなどの生きた痕跡に感じ入ってしまうこと……
本当に、そうなんですよね。
一つ一つの描写に、自らの過去を振り返りながら共感を覚えます。

あの、棺桶に入れられ死化粧をされて冷たくなった姿。
火葬場で焼かれ、骨だけになって出て来た時の圧倒的な喪失感。
もう二度と、触れ合うことも言葉を交わすこともできないのだということを、これ以上ない形で突き付けられるあの瞬間を想い出し、泣きながら読みました。
私は、食べたいとこそ思いませんでしたが、せめてその骨の欠片だけでも側に置いておきたいとは強く思いました。


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人は生きていれば、大事な人の死と向き合わねばならない瞬間が訪れます。
しかし、それとは無関係なように回る世界も一方であります。

兄弟や父親、恋人との関わり。
仕事。
母親の死を通して進んで行く物。

永遠に思える悲しみに囚われても、それも様々なことに追われやがて月日が経つ内に薄らいで行く感覚も描かれます。
それでも、時折訪れる空虚感。
この辺りの描写が実に絶妙です。

そして、一度だけ激しい態度を示した母が遺してくれたある物に、また泣けました。
当時、余計なお節介だと思えたものが、今にしてみればそんなにも有難い。
逆に、その選択肢を残すことを頑なに拒否していたならば、募った後悔はどれ程だったでしょうか。
大切な人が心から自分の為を思ってしてくれることを、変なプライドで拒むものではないというのは確かなことだと思います。

最終話の手紙は、名文です。

それにしても、『さよならタマちゃん』(紹介記事)といい、こういった時に伴侶が居てくれる心強さといったらないですね。
逆に、独り身で兄弟もいない時にこういう状況になったら、何を縁に再起するのだろうといつも考えてしまいます。


もし、まだ大切な人が健在であるならば、この作品を読めば今までよりもっと大切にしたいと思うことでしょう。
そして、いつか来るその日への気持ちの備えをさせてくれる筈です。
逆に、既に大切な人を喪ってしまった人は、これを読むことで在りし日のことを思い返しながら、挫けつつも先へと進む筆者の姿に勇気を貰い、そして自分も故人に恥じないように頑張ろうという力を貰えるでしょう。

多くの方に手に取ってみて頂きたい一冊です。


80点。