イノサン 1
坂本眞一

この世に夢は無い
絶望と共に生きろ


公式サイト
1話の試し読みも可能です。


私選の「このマンガが素敵」2011年の5位に挙げた『孤高の人』で、卓越した画力・表現力によって人間の精神世界の深淵を呈して見せて下さった坂本先生。
文字通り、孤高の領域に達してしまった坂本先生が次に描かれるのは何なのか、非常に気になっていました。


そして、満を持して始まったのが、この『イノサン』です。

熱心な『ジョジョの奇妙な冒険』好きであれば、『スティール・ボール・ラン』の主人公であるジャイロ・ツェペリはシャルル=アンリ・サンソンがモデルとなっていることをご存知でしょう。
荒木飛呂彦先生が帯を書いた『死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男』を読んだこともあるかもしれません。

今作『イノサン』は、その本を元に坂本眞一先生がシャルル=アンリ・サンソンの運命を描いた物語です。

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『孤高の人』が描かれていく中で、元々高かった画力が更に極まって行くのを目の当たりにしていましたが、その粋が1話目から見られてしまう『イノサン』。
18世紀フランスの、服飾や建築が精緻なタッチで描かれて行きます。
最初の数ページのサイレント部分から、まるで美術館で絵画を鑑賞するかのように一枚一枚の絵の一本一本の線の美しさに見惚れる想いでした。


試し読みで是非ともご覧になって頂きたいのですが、ヤングジャンプを開いて最初の見開きカラー扉を見た瞬間に私は息を呑んでいました。
右手に白薔薇、左手に聖書を携える、後に3000人余りを処刑する死刑執行人シャルルの姿。
その死のイメージからは対極的に掛け離れた、聖人のような聖性すら感じさせます。

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『死刑執行人サンソン』で書かれていた通り、シャルル=アンリの中には、神父から教わったキリスト教の教えがあったといいます。
「汝、殺すなかれ」と説くキリスト教。

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されど、サンソン家に生まれた者の運命、一族の掟は彼の意志など介しません。
そこでは、ありありと一人の人間の大いなる苦悩が生まれます。

死刑を執行するのもまた人間。
何故、人が人を殺さねばならないのか。
正義の名の下で人を殺し続けて生きねばならないさだめ。
そんな余りにも重く冥いテーマの中で、否寧ろこのテーマであるからこそ、逆説的に際立って描かれる人間の純粋さ。
またしても、坂本先生は遥かに高い領域へと登頂しようとしています。

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時に言葉を排して見開きで描かれる画の力に、言葉以上に雄弁に語る意志を感じます。

「イノサン」とは、英語の「innocent」のフランス語読み。
純白の中で際立つ美麗な坂本先生の絵。
表紙・装丁も雰囲気に合致しています。


現在の日本の死刑制度では、執行人は複数人でボタンを押して誰が実際に殺したのか解らぬようにして呵責を和らげるといいます。
しかし、この時代、ギロチンの登場もまだであり、自らの振るう剣で断罪をし続けねばならなかったシャルル=アンリの気持ちは如何許でしょうか。

『孤高の人』を経た後に描かれるものとして実に相応しく、またその文学的重厚さが様々な物を与えてくれます。
純粋に、この挑戦に喝采したいです。

3000人を手に掛けた男の業や、彼に処刑される事になる王族たちがこの先どのように描かれて行くのか。
最大級の期待を今後に持ちます。

美しい絵を観たい方、深いテーマの作品が好きな方、歴史物・西洋史が好きな方にお薦めです。


80点。