バランスポリシー 1巻
吉富昭仁


そのうち数百人の男子が女に改造されるんだよ

俺みてーに…



「地球の放課後」(1巻75点 2巻75点 3巻70点 4-5巻70点 6巻75点 )がとても面白く完結した、吉富昭仁先生の新刊という事で楽しみにしておりました。



世界中で少子化が進み、特に女児の出生率が著しく低下。

日本の人口も4000万人に落ち込み、新生児も一年当たり1万人を割るようになってしまった近未来。

これ以上の人口減少を食い止めるべく、先進国では「適合者」に対して男性でも子供を出産出来るようにする施術を試験的に始めていた。


14歳の主人公・真臣と1年ぶりに会った健二は、見事に女性になっていた――


マンガソムリエ兎来栄寿のブログ 先刻の箚記(さっきのさっき)-image


性転換をテーマにした「TSコミックス」の一角を担う今作。

近年流行の「男の娘」等を嗜好する層がメインターゲットではあると思いますが、そうでない人も吉富先生らしいSFテイスト、心理描写を楽しめる作品になっています。


もしも、幼馴染が性転換して目の前に現れたら?

今まで通りに振舞おうとしても、思春期の少年少女にそれはなかなか難しい事。

その辺りの微妙な部分を、上手に描いています。


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健二が男になってしまった事に戸惑いと苛立ちを隠せない幼馴染のミーコ。


一方、健二の憧れである、真臣の姉・ちとせは、「優しいちー姉ちゃん」のままで接してくれる。


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ちー姉ちゃんの、人生の先駆者としての味わいのあるセリフは素敵。
それだけに、体は女の子になっても心が男のままで叶わぬ憧れを抱き続ける健二の切なさが伝わって来ます。


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病院で健二が出会った、同じく女体化手術を受けるゴロー。

彼(彼女?)が幼馴染の友和に「練習させろ」と迫るシーンはドキリとします。


黒髪ロング成分が沢山補給出来るのは個人的に嬉しいです。


日本の現在の新生児の数は一年で100万人程ですから、1万人まで減った世界というのはどれだけ異常かと思います。

この状況が更に進むと、萩尾望都先生の「マージナル 」ですね。


当初は1話の6ページだけで完結予定だったということで、そこまで膨らむ余地は少ないかもしれませんが面白かったです。


設定に興味が有る方はどうぞお手に取ってみて下さい。



70点。



無敵のツァラトゥストラ 1巻
野口芽衣


万人の為の書でありながら

それでいて誰の為のものでもない

人類に与えられし最高の進物



19世紀ドイツの哲学者ニーチェが何の因果か永劫回帰に失敗し、現代日本に来てしまった。

そんな彼と邂逅を果たす、哲学嫌いの主人公棕沢十和を中心に描かれる学園ストーリー。


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帯を見て、電流が走りました。



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ニーチェ、ルソー、孔子、荘子!

ニーチェ以外はコードネームなのですが、彼らが一堂に会しレクリエーション部として活動するという設定は面白そうでした。


哲学大好きで学生時代はドイツ哲学を、取り分けニーチェを中心に学んだ私にとっては必読でした。

しかもニーチェが金髪青眼の美少年ですからね!


作中や巻末言でも紹介されている通り、昨今はニーチェ本が流行っております。

ニーチェの言葉は、その断片であっても強い力を持っており支持されるのも解ります。


しかし、最もベストセラーになっている「超訳 ニーチェの言葉 」等は、ニーチェの思想を無視し表面上の言葉だけを抜き出して、浅薄な解説文を付けた内容となっており、本当にニーチェを解そうとするのであれば忌避すべき物です。


「人生には苦と快の両方がある. 苦しみと快さが入り混じっている場所、そこが人の生きる場所、人がかろうじて生きることのできる場所なのだ」

「この瞬間を楽しもう できるだけ幸福に生きよう。そのためにも、とりあえず今は楽しもう。素直に笑い、この瞬間を全身で楽しんでおこう」


これらの言葉は、単体で聞けばとても耳触りが良く人生の傍らに据えておくのに適しているように思われます。


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実際、この物語のスタートは、「どうせ人はいつか死ぬんだから嘆き悲しむ事なんてオペラの役者にでも任せておけ!」というセリフを気に入った、十和の祖母から。


私も、その言葉に勇気付けられた気持ち自体は否定したくはありません。

よく解ります。

いい言葉である事に間違いはありません。


が、しかしニーチェの多くの著作において、彼自身の言葉ではなく登場人物の言葉である事も多く、文脈もあっての言なので、それらを無視して全て「ニーチェの言葉」という括りにしてある本は受け入れられる物ではありません。

例えるなら、「ジョジョ」の登場人物の言葉を「荒木飛呂彦の言葉」として勝手に本にし、

「過程や…! 方法なぞ…! どうでもよいのだァーーーッ」

というDIOの言葉に、「潔い荒木氏の態度が伺える」と注釈を付けるような物です。


ニヒリズムやルサンチマンはそんなに生易しい物ではないぞ、と。



幸いにして、今作ではその事を


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ニーチェ自身が「それは他人の言葉を断片的に切り売りする盗人の書だ」と咎めるシーンがあり、溜飲が下がる思いでした。


とはいえ、全体的にはこの作品もニーチェをファッショナブルに扱っている嫌いは拭えませんが……

ただ、とても平易にニーチェの思想の一端に触れられるという側面での価値はあると思います。


作中のニーチェ本の帯に付いている、「一生に一度は読め!」という言葉通り、人として今の世に生まれ出たならば一度はニーチェの著作に触れてみて欲しい物です。

「道徳の系譜」「善悪の彼岸」「ツァラトゥストラはかく語りき」「この人を見よ」辺りを順番に押さえ、永井均先生や竹田青嗣先生の解説本も読むと良いでしょう。



って、漫画の話から掛け離れてしまいましたが。

漫画の内容に話を戻しますと……


教会で「神は死んだ」と口走ってきたエピソードや、ニーチェがニコニコ動画的なサイトに「シューベルト魔王やってみた」的な動画を作ってアップする様は面白いです。

芸術を愛する彼が現代にいたら、本当にそういった事をやったかもしれないなぁ、などと。


ルソー、孔子、荘子も、それらしいかと言われると首を傾げますが、キャラとしては良い感じに立っています。


この作品は、「哲学やニーチェってよく分からないけど、ちょっと興味ある」位の人が読むのに丁度良いかと思います。



65点。