●あの頃 | ★迷彩服の操体師!いざわっちの憂鬱★

★迷彩服の操体師!いざわっちの憂鬱★

      「何でもいいから、まずやってみる。
             それだけなんだよ。」岡本太郎

●そう、中学生のころ

この曲が入ったカセットテープを聴いていた

歌詞は今でもよく覚えている

Midnight
Not a sound from the pavement
Has the moon lost her memory

ミッドナイト

静まり返った音だけが道から聞こえる


この頃って、だれが好きだったんだろう?





昨日、夕方こんなことを書いた

フェイスブックにどうしても書きたくなった

なぜだかわからない

でも、ずっと 想いつづけていたことだ



『今どんな気持ち?』ってこの欄には書いてある
何も書いていない時はいつもだ

どんな気持ちかと聞かれれば
ずっと想っていることがある

今先生のところでお世話になるときに教材としていただいた
「操体法~生かされし救いの生命観~」

この中129ページにこんな記述がある...

先生(故橋本敬三医師、操体法創始者)は教え子に向けて、「世界
に広めていく伝道師になれ」とも言った。「治療家には多くを期待
しない」とも・・・。
真の弟子とは、「真実の応用貢献をより多く、成すもの」と言われ
ている師のコトバ・・・

仙台に操体法を学ぶためによく乗った高速バス
その中で広げたページ
多分1年ほど前のこと
その中で、この1文に目がとまった。
「治療家には多くを期待しない」

整体師に憧れ
操体法を知り
自衛隊を退職

操体法の道に足を踏み入れ
操体法の効果のすごさに驚きの日々を送っていた

でも「治療家には多くを期待しない」
この言葉に衝撃を受けた

そして「治療など下の下」とも

操体法は自然法則と言われる

短期間ではあるけれど
さまざまな経験・学びの中で共通項が見えてきた

操体法は

リラックス法でもあり
自然治癒力の発揮でもあり
カウンセリングなどで見つけ出す自己でもあり
能力の開発・発揮でもあり
成功法則でもあり
本来の宗教が目指す世界でもある

あの『7つの習慣』とも共通している

自然法則=原則なのだから
数えだしたらきりがない

原則はヒトそれぞれの活かすべき個性を最大限引き出す方法でもある

では操体師とはいったい何だ?

『必然性』と『無限の可能性』

これを師匠の今先生は

『操体はホドコシにあらずハカライなり』という言葉にしたのだろう

この『ハカライ』を感じて

小さくこころに決めたことがある

『故橋本敬三の真の弟子になろう』

現実にはすでに他界して叶うことではない

そしてもう一つ

まだ、それを実行する勇気はない


師匠の今先生から

コメントをいただいた

人間が人間の弟子になるのではなく、天然自然の弟子になれ。

というのが私の言うハカライ。

操体は「踏切り板」。

踏切り板は、自分が跳ぶための道具。

私が橋本先生から習った操体とはそういうこと。

師匠は常に天然自然。

そこのところをこぴっと伝えていってください。(^^♪



グッと胸の底からこみあげてくるものがあった

正直に言うと泣いた

この左右の涙腺にはすでに蓋というものは存在しないらしい

実は今も書きながら涙が流れている

やれやれ情けない男だとつくづく思う


最近『肩こり専門』と表現してみた

胸の奥、真ん中の辺りが何やら言っている

やっぱり何かが違う

何を伝えたいのか?


『自分の中にある可能性を最大限発揮して

人生を自分で自分らしく生きていけるようになること』


残念だけれど

操体師としてその部分を伝える器は今の自分にはまだ少ないようだ

そしてそのタイミングでも


きっとこれも『宇宙のハカライ』なんだと想う


そして昨夜はフルムーン満月だった