一度アップしたネタですが、前回はあまり手ごたえがありませんでした。私としてはどうしても私が感じた不思議感を他の人に理解してもらいたいのでもう一度アップすることにしました。


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夢というのは本人にとっては奇妙なものですが、他人に話してもなかなかその感覚は伝わりません。実際それは話にしてみるとたわいもないストーリーなのですが、少し我慢して読んでいただきたいと思います。

私は自動車で出掛けようとしていました。妻が助手席に座っています。
エンジンをかけて、アクセルを踏んだのですが、車は前に進みません。私は必死に原因を突き止めようとしているのですが、訳が分かりません。

その時妻が「サイドブレーキがかかっているわよ。」と言ったのです。

私はサイドブレーキを確かめました。かかっていません。
「何を言っているんだ、かかっていないじゃないか。」と少しいらだって言いました。


すると妻は「ほら」と自分の左側を指差したのです。なんと、助手席の向こう側にもサイドブレーキがあるではありませんか。

それから間もなく私は目覚めました。


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最初にことわったように、聴いている方はまことに詰まらん話だとは思うのですが、私はとても不思議に思えたのです。


夢はすべて私の意識の中でおこっていることです。ということは夢のシナリオもすべて私自身が考えたことに違いありません。ということは妻のセリフもしぐさもすべて私の演出ということになります。

問題は、妻が「サイドブレーキがかかっているわよ。」と言った時、私は「そんなバカな」と本気で思ったことです。しかし、その時には助手席の向こうにもサイドブレーキがあった、という結末が用意されていなければスムースな話の展開にはなりません。

つまり、私は2つ目のサイドブレーキという結末を用意しながら、「そんなバカな」と驚いて見せる、という自作自演をしていたことになります。



もう一度整理します。


①妻が「サイドブレーキがかかっているわよ。」と言った時には既に、助手席の左側にもサイドブレーキがあるという結末が用意されていたはず。


②私は助手席の左側にもサイドブレーキがあるということは念頭になく、運転席のサイドブレーキを確認して妻に「何を言っているんだ、かかっていないじゃないか。」と言った。


③妻が「ほら」と自分の左側を指差した時に初めて二つ目のサイドブレーキに気がついた。


①の時点で、助手席の左側にもサイドブレーキがあるという結末が用意されていたなら、そのシナリオを描いたのは私自身であるはずです。しかし私は②で運転席のサイドブレーキを確認することしかしなかった。つまり私は自分で考案したはずの「2つ目のサイドブレーキ」を知らないふりをしたわけであります。


夢から覚めて考えたことは、潜在意識は顕在意識から自立してものを考えることができるのか、それとも、私は自分で自分をごまかしながら驚いて見せたのだろうか、ということです。
意識が希薄な中でおこったことですので、本当のことはなかなか分かりません。自分で勝手に記憶を作り出している可能性も否定はできません。ここは心理学者の意見を聞いてみたいところです。

なんとなく、多重人格というものがあり得る、ということが分かったような気がします。


↓くりっく、ぷりーず。


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