矢野久美子の「ハンナ・アーレント」を読んだ! | とんとん・にっき

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矢野久美子の「ハンナ・アーレント 『戦争の世紀』を生きた政治哲学者」(中公新書:2014年3月25日発行)を読みました。ハンナ・アーレントについては、映画「ハンナ・アーレント」を観て始めて知りました。岩波ホールで僕がこの映画を観たのは2013年11月14日 のことです。矢野久美子の「ハンナ・アーレント」を映画を観る前に読んでいれば、もう少し映画の見方が変わっていたかもしれません。それにしても映画の中でのアーレントは、あたり構わず煙草を吸い続けている、もの凄いヘビースモーカーでした。


矢野久美子の「ハンナ・アーレント 『戦争の世紀』を生きた政治哲学者」について、このブログに書くことは正直言って僕には荷が重い。ということで、ブログに書くことを延ばし延ばしにしていました。ところが、タイムリーというか、救いの手というか、7月6日の朝日新聞「ニュース3Q」に、「考えることで強くなる・・・哲学者アーレントの魅力」(今村優莉)という記事が載っていました。これを手掛かりに、なんとか書いてみようと思います。


「政治学者ハンナ・アーレントがいま、見直されている。昨秋公開された彼女の生き様を描いた映画を契機に、著作や関連本が売れている。『考えないことの罪』を説いたドイツ系ユダヤ人。何が魅力なのか」という書き出しで、朝日の記事は始まります。まず飯田橋のギンレイホールには映画「ハンナ・アーレント」を観るために長い列をなしていたこと。63年、ナチス先般アドルフ・アイヒマンの裁判傍聴レポートの騒動、傍聴席から見たアイヒマンは「凡庸な人間だった」こと。関連書籍の売れ行きがよいこと。何冊か紹介したあと、今年3月に出た矢野久美子の「ハンナ・アーレント」はすでに4度重刷、計3万4千部で、今年に入って一番の人気作、哲学書の中でも異例の売れゆきだと、中公新書の担当者は話したという。


もちろん「ハンナ・アーレント」の著者矢野久美子(フェリス女学院大教授・思想史)へのインタビューは欠かせません。矢野によると、「アーレントの著書の読み直しが最初に起きたのは90年代。東西ドイツが統一し、冷戦が崩壊。体制が変わって人々が新しい考え方を必要としていた時期にあたる」という。続けて、「映画の中でアーレントが『考えることで強くなる』と学生たちへの講義で説く場面が印象的。考え続けることは容易ではない。でもアーレントはそれをやめない。今の日本で起きている政治的な出来事と結びつけながら干渉した人もいたのではないか」。そしてアーレントが今、この日本で生きていたら何と言うだろうかという問いに、矢野は「議論を尽くさず、現実をないがしろにすることに反対し警鐘を鳴らしただろう」と答えています。


朝日の記事は、映画「ハンナ・アーレント」に沿った記事になっていますが、そのなかで2冊の関連書籍をあげています。一つはアーレントの「イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告」(みすず書房、1969年)、そしてもう一冊は仲正昌樹著「今こそアーレントを読み直す」(講談社新書、2009年)です。


矢野久美子の「ハンナ・アーレント」を僕が知ったのは、6月1日の朝日新聞の読書欄でした。「映画でも話題になった政治思想家ハンナ・アーレント。ドイツ哲学に学んだ後、ナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命した彼女について、簡にして要を得た評伝が出た」として、杉田敦(政治学者・法政大学教授) は、「理論中心のアーレント論とは異なり、本書では、2度の結婚の相手を含む友人たちとの交流が丹念に跡づけられる。厳しい条件の中で、人びととの具体的なつながりが、彼女にとっていかに大切であったかが読むものに迫ってくる」と述べています。


建築の世界でもハンナ・アーレントから、その考え方を学んでいるようですが、それらがいかに有効かどうかは、僕には分かりません。最近知ったことですが、横浜国立大学大学院Y・GSA教授を経て、現在工学院大学教授の山本理顕が何かとハンナ・アーレントを引き合いに出して語っているようです。山本理顕は「横須賀美術館」を設計したことでも知られています。


直接存じ上げないので詳しいことは分かりませんが、アーレントの著作「人間の条件」から、たとえばシンポジウムの基調講演で、「(財の)分配としての/(空間の)区画割りとしてのノモス」について語りつつ、仮設住宅における公共圏の貧困、そしてそれに対抗する自らの試み(理論としての「地域社会圏」と釜石市での実践)について語った、という。(日本建築学会復旧復興支援部会主催のシンポジウム「復興の原理としての法、そして建築」)


また難波和彦(安藤忠雄の後任だった東京大学名誉教授)によれば、山本は現代の建築空間は官僚制的統 治システムによって縦割化され「施設」になっていると言う。施設とは「単一類型=単一敷地」によって切り分けられた建築空間である。施設化された建 築空間の中で人間は「あらかじめ定められた行動様式」に意識的・無意識的に従っている。施設化された建築空間とそこにおける行動様式とが結びついて、建築 空間は「表象の空間」となる。この辺りの議論を山本はハンナ・アレントを参照しながら展開している、としています。(『atプラス』に山本理顕が書いた「建築空間の施設化:「一住宅=一家族システム」から「地域社会圏」システムへ」を読む)


本のカバー裏には、以下のようにあります。

『全体主義の起原』『人間の条件』などで知られる政治哲学者ハンナ・アーレント(一九〇六―七五)。未曽有の破局の世紀を生き抜いた彼女は、全体主義と対決し、「悪の陳腐さ」を問い、公共性を求めつづけた。ユダヤ人としての出自、ハイデガーとの出会いとヤスパースによる薫陶、ナチ台頭後の亡命生活、アイヒマン論争――。幾多のドラマに彩られた生涯と、強靭でラディカルな思考の軌跡を、繊細な筆致によって克明に描き出す。


矢野久美子:略歴

1964年、徳島県生まれ。2001年、東京外国語大学大学院博士後期課程修了。学術博士。現在、フェリス女学院大学国際交流学部教授。思想史専攻。

著書:「ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所」(みすず書房、2002)

訳書:「アーレント政治思想集成」1・2(アーレント著、共訳、みすず書房、2002)

    「反ユダヤ主義―ユダヤ論集1」(アーレント著、共訳、みすず書房、2013)

    「アイヒマン論争―ユダヤ論集2」(アーレント著、共訳、みすず書房、2013)

    「なぜアーレントが重要なのか」(エリザベス・ヤング=ブルーエル著、みすず書房、2008)

    ほか


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