国立新美術館で「セザンヌ―パリとプロヴァンス」展を観た! | とんとん・にっき

国立新美術館で「セザンヌ―パリとプロヴァンス」展を観た!


国立新美術館で「セザンヌ―パリとプロヴァンス」展を観てきました。行ったのは4月2日月曜日、もう1週間も前になります。セザンヌ、といえば、ブリヂストン美術館の所蔵する何点かの作品がよく知られています。「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」(1904-06年頃)、「帽子をかぶった自画像」(1890-94年頃)、「鉢と牛乳入れ」(1873-1906年頃)の3点は、だいたいいつ行っても展示されている作品です。他に鉛筆と水彩で描かれた「水浴群像(今回出品作)」(1897-1900年頃)や、インクや水彩で描かれた「休息する水浴の男たち」(1875-77年頃)も所蔵しています。セザンヌといえば、ブリヂストンのこれらの作品が、どうしても僕らの頭に“すり込まれている”というわけです。


2010年に国立新美術館で開催された「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」では、特に「セザンヌとセザンヌ主義」というコーナーが設けられて、8点ものセザンヌの作品が展示されていました。そこに出ていたのが、意表を突いたモーリス・ドニの「セザンヌ礼讃」という作品。画商ヴォレールの店に集うナビ派の画家たちが、セザンヌの静物画を囲んでいるものです。図録には「当時のドニは、セザンヌの画面のもつ堅固さ、統一性、客観性に深く魅了されるようになっていた」とあり、「このタブローは、セザンヌ、ルドン、ゴーギャンに敬意を捧げるオマージュである・・・」とあります。この展覧会にセザンヌの「ドラクロワ礼讃」という」作品も出ていたのが面白い。セザンヌは、ドラクロワを生涯にわたって讃美し続けたと言われています。


もちろんセザンヌのことですから、世界中の美術館が多かれ少なかれその作品を所蔵しています。横浜美術館もセザンヌの所蔵作品を数点持ち、美術館には「ブランクーシとセザンヌのある部屋」があります。今回印象に残った横浜美術館所蔵作品では、Ⅳ肖像の章にある「縞模様の服を着たセザンヌ夫人」(1883-85年)でした。実は見逃した展覧会に、横浜美術館で2008年から2009年にかけて開催された「セザンヌ主義 父と呼ばれる画家への礼賛」展があります。「国内外でセザンヌから大きく影響を受けた巨匠たちの作品をセザンヌ本人を合わせて、約100点ほど集めて開催される展覧会」だったようです。


「セザンヌ―パリとプロヴァンス」展を観た後、本棚を見たところ、1974年に国立西洋美術館で開催された「セザンヌ展」の図録があるのが目に入りました。1974年と言えば昭和49年、なんと38年も前の展覧会です。これには僕自身も驚きました。実はあまり印象に残っていない展覧会です。同じ年に東京国立近代美術館で観た「アンドリュー・ワイエス展」の方はよく覚えています。それはそれとして、今回も出ていましたが、セザンヌが死ぬ2日前まで使っていたという「セザンヌの最後のパレット」(パリ、セザンヌ・コレクション)が出ていました。1974年の「セザンヌ展」は、油彩61点、水彩27点、デッサン40点、版画10点、計138点が出品されていた本格的な展覧会でした。


図録の表紙は「“カード遊び”のための習作」(1890-92年)、最初にカラーで載っているのは、初期のセザンヌのロマン派的な暗い情熱をしのばせる大作のひとつ、「黒人シビオン」(1867年)です。序文には、「西洋美術の歴史におけるセザンヌの意義は、ジオットやファン・アイク、レオナルドやレンブラントといった偉大な存在に、比肩しうる重要さを持つものであります。ごく限られた人びとの理解を別とすれば、生前には誤解され無視されつづけてきた、この孤独なエクスの巨匠の芸術は、死後ようやく熱烈な尊敬を受け、その衝撃から現代美術の方向が定まったということができます」とあります。


展覧会の構成は、以下の通りです。

Ⅰ 初期

Ⅱ 風景

Ⅲ 身体

Ⅳ 肖像

Ⅴ 静物

Ⅵ 晩年


さて、今回の「セザンヌ―パリとプロヴァンス」展、初期と晩年を除き、年代順に作品を並べるというのではなく、セザンヌの作品をそのテーマ別に、「風景」「身体」「肖像」「静物」として分類され展示されています。これは偶然にもブリヂストン美術館の所蔵作品に対応しているといってよいでしょう。セザンヌの初期作品の特徴のひとつに、絵の具の厚塗りがあります。「岩盤の水浴の男」の丸みを帯びた躍動的な筆遣いは、ルーベンスやドラクロワからの影響が窺われるという。またパレットナイフを用いた描き方によって、さらに厚塗りを試みた例として「砂糖壺、洋なし、青いカップ」があります。


僕がアッと驚いたのは、父親がジャス・ド・ブッファンに購入した邸宅の大広間に、青年時代のセザンヌが描いた「四季図」です。これを観て「これって、セザンヌが描いたの?」と、一瞬思いました。テーマも西洋絵画の伝統的な「四季」であり、幅1m、高さ3mの大きさの4枚のパネル、各パネルには若い女性の姿が四季それぞれに割り当てられているものです。それは「春夏秋冬」ではなく、思いがけない順序で並んでいた、という。


Ⅳ肖像の章には、セザンヌの「自画像」の他、妻オルタンスの肖像画2点と息子ポールに似た少年を描いた作品、等々がありました。やはりセザンヌの「自画像」は、圧巻です。セザンヌは「自画像」を自らの意志でおよそ25枚の「自画像」を描いたという。今回出されている「自画像」(1875年頃)と、ブリヂストンの「帽子をかぶった自画像」(1890-94年頃)と比較して観るのも面白い。セザンヌの最初の自画像は1860年頃、従って、今回の自画像は中期の作品、ブリヂストンのは後期、晩年に描かれたものといえます。数の多さは画業の折々に、自己省察の場をしばしば求めた結果であろう。一方で、モデルを使うことを不得手としたという現実的な問題もあった。したがって唯一他者を意識せず、純粋に対象として人物を見るという造形的探求の行為でもあったのだ」と、ブリヂストンの「あなたに見せたい絵があります。」の図録にあります。


今回の展覧会は「パリとプロヴァンス」として、セザンヌが活動したその「場所」を取り上げて比較対照しているのが特徴的です。


Ⅰ 初期



Ⅱ 風景


Ⅲ 身体


Ⅳ 肖像


Ⅴ 静物

Ⅵ 晩年



レ・ローヴのアトリエ・セザンヌ


「セザンヌ―パリとプロヴァンス」展

「セザンヌ-パリとプロヴァンス」展は、「近代絵画の父」と称されるポール・セザンヌ(1839-1906年)の画業を、パリとプロヴァンスという2つの場所に注目して振り返る大規模な個展です。南仏のエクス=アン=プロヴァンス(以下「エクス」と略)に生まれたセザンヌは、1860年代のはじめに、画家としての成功を夢見てパリに出ます。1870年代に入り、セザンヌは、当時世に出た印象派の輝くような明るい色彩に大いに感化される一方、形態と空間の表現に創意を凝らしました。そして、伝統的なアカデミスム絵画とも同時代の印象派とも袂を分かつ、全く新しい絵画を確立したのです。1880年代以降のセザンヌは、パリに背を向け、故郷のエクスにこもって制作した孤高の画家と見なされてきました。しかし、実際には、1861年から晩年に至るまで、20回以上もパリとプロヴァンスの間を行き来していたのです。フランス南北間の頻繁な移動は、これまで注目されてきませんでしたが、セザンヌの創作活動に決定的な役割を果たしたと考えられます。本展は、セザンヌの芸術的創造の軌跡を、北と南の対比という新たな視座から捉えなおそうという画期的な試みです。


「国立新美術館」ホームページ

とんとん・にっき-ceza2 「セザンヌ―パリとプロヴァンス」

図録

編集:国立新美術館

    日本経済新聞社

発行:日本経済新聞社






とんとん・にっき-ceza1 「セザンヌ展」

1974年3月30日(土)―5月19日(日)

図録

監修:国立西洋美術館

発行:読売新聞社