トークショー「羅漢応援団、狩野一信を応援する」を聞く! | とんとん・にっき

トークショー「羅漢応援団、狩野一信を応援する」を聞く!


5月7日、土曜日の午後2時から、江戸東京博物館で、トークショー「羅漢応援団、狩野一信を応援する」を聞いてきました。というか、観てきました、と言った方がいいほど画像が盛りだくさんでした。トークショーの参加者はお馴染みの赤瀬川原平(美術家、作家)、南伸坊(イラストレーター)、そして司会・進行は山下裕二(羅漢展監修者・明治学院大学教授)でした。 山下が画像の解説を次々と行い、それに対してお二人がコメントを少し入れる、というものです。「日本美術応援団」に引っかけて、「羅漢応援団」と称し、団長は山下裕二、団員は赤瀬川原平、そして今まで出した本の装丁のほとんどをやっているというおむすび頭の南伸坊が応援団の応援団、コメンテーターという役割か? 


「日本美術応援団」の時は、本の表紙の写真を見ると、山下も赤瀬川も若かったと感慨深げ。赤瀬川はますます「老人力」がついてきたという。今回の3人、その頃は30代、40代、50代だったが、今では50代、60代、60代だとか。トークショーの最初の進行と、パソコンで画像を出している人は、浅野研究所の広瀬麻美さん、図録を見たら「企画協力」となっていました。この「五百羅漢」展を最初に企画した人だとか? (基本的に山下裕二の話は、芸術新潮5月号「特集:五百羅漢の絵師 狩野一信」によっています。従って、下記の画像もほとんどはそこから頂いています)。 



山下:25年前に初めて観ました。100幅は今回が初めて、増上寺でも掛けるスペースがない。

赤瀬川:エネルギーの総量に圧倒された。そもそも羅漢を知らなかった。その上で観ているからわからないことが多かったが、展覧会で観てよくわかった。

南:今回初めて観たが、やはり凄いね。1枚だって疲れますよ。見ている人は静かでしたね。

山下:情報量が多いから、見ている人は集中度が凄い。

南:たしかに黙っちゃうよね。

赤瀬川:「モツの煮込み」と言ったことがある。栄養がある。だけど普通は食べないよね。

山下:500羅漢は、よく似た人に会える。南さんがいます。その横に赤瀬川さんもいます。

赤瀬川:イヤリングをしています。えらがもう少し張ると。

山下:赤瀬川さんの体脂肪率はイチロー並みでしょ。会場の設営をやった小林さんもそっくりでした。



山下:第20幅、別の宗教の経文を焼いています。右は食い千切っています。雑誌などで見た人はけばけばしいと感じるようですが、実際観てみると現物はしっとりしています。

南:曾我蕭白は逆だね。1970年頃観た。

山下:紙じゃなく、絹だということ。1970年というと、小田急でやった展覧会ですね。その頃は伊藤若冲も曾我蕭白も、ほとんど無名でした。第22幅、狩野一信の「五百羅漢像」は、20幅台でクライマックスが来ます。巻き起こした風で火を消そうとしている。最後にザーッと風を刷毛で描いた。一信はアドレナリン全開です。

南:羅漢さん、歌舞伎の「見え」、どうだという顔です。
赤瀬川:火に油を注いでいる。



山下:第45幅、羅漢さんの修行の様子です。この陰影がどう考えてもおかしい。こなれてない故の生々しさ。

赤瀬川:北斎の娘・阿栄。

山下:画号は応為といい、父の北斎から「オーイ、オーイ」と呼ばれたことによる。夜景がうまい。

南:幕末の頃は、陰影表現がまだできていない。

山下:着物の柄、一人一人違っています。白目の表現に青を使っています。青と赤を使い分けています。

南:五百羅漢にどうして普通の顔をした人が出てこないのか?羅漢像を描く人は、面白い顔を描く。顔だけは違って描いています。一信は、全方位に変えて描いています。

山下:羅漢とは何か?どういう人なのか、という定義はなかなか難しい。「アラカン」を省略したのが「ラカン」。第49幅、これまた陰影が不思議な作品です。月明かり、夜景の表現。裏から金を塗っています。裏彩色です。絹だからできることです。絹では古くから一般的にやっていました。

南:全体に保存状態はいい。



山下:第53幅、首吊り死体をおろそうとしている羅漢さん。涎と鼻汁の白いところはゴフン、貝殻をすり潰したものです。この表情は異様な執念です。江戸時代は死体を見ることは普通のことでした。面白い話を思い出しました。河鍋暁斎、9歳の時、神田川に流れてきた生首を描いて、母親から叱られた。親もそれではまずいと思って、狩野派に入れました。

山下:今回の展覧会には、増上寺はたいへん協力的でした。一信はあと4幅まできて死んでしまいました。3月15日から今回の展覧会を予定していましたが、3月11日に東日本大震災があり、4日前のことでした。何かあるんじゃないかと、「美術の窓」で触れたが、予感がしてました。他にも、岡本太郎の「明日の神話」、メキシコから持って帰ることが決まったすぐ後に、岡本敏子さんが亡くなった。

赤瀬川:濃密なもの、骸骨の本を出すときに、数字的な符合がありました。

山下:NHKの番組、スタジオに100幅全部持ち込んで、実現しました。この時の体験もあって、今回も乱立しているように配置しました。

南:逆回りができない展覧会。全部が同じくらいに凄いので。

山下:音声ガイドは大滝秀治さん。86歳ですが、素晴らしい人です。

赤瀬川:音声ガイド、あの方式は改善の余地ありです。会場でやるから渋滞する。聞きたい人だけ集めて別の部屋でやればいい。



山下:全国に立体の五百羅漢があちこちにあります。目黒の「五百羅漢寺」、ご存じですか? 本所から目黒に、明治になってから移転してきました。一信は見ていたんじゃないかな?

南:中国から来たのでしょうが、どうしても違って作ろうとしますが、500も違えることはできない。

山下:本所にあった羅漢寺、現在も石碑がありますが、真ん中に二重らせんの「栄螺堂」がありました。目黒の「五百羅漢寺」に行くと、お腹を裂いている羅漢があります。腹を裂いて「どうだ」と自慢しています。小田原には「五百羅漢」という駅があります。そこに「五百大羅漢」という曹洞宗のお寺があります。川越には「喜多院」があります。一信がここを見ていた可能性があります。胸を裂いている石像の羅漢さんがいます。千葉県には「日本寺」の羅漢がありますが、残念ながらかなり寂れています。





山下:京都には若冲の「石峰寺」があります。五百羅漢ワンダーランドです。石峰寺の羅漢が数体、目白の椿山荘に移してあります。兵庫県加西市のの羅漢寺、これはほとんどモアイ像です。「北条五百羅漢」、外国人的な顔立ちで、これはお薦めです。





山下:「五百羅漢」展の準備の途中で、新しい一信の作品がいくつか出てきました。「村林彦治郎像」、煙草入れからキセルに煙草を詰めています。衣服の陰影が素晴らしい。ディテールを執念深く描いています。村林彦治郎が誰なのかは分かっていません。「東照大権現像」、「家康像」、徳川宗家に伝わっています。これはよくある下ぶくれではなく、まともな家康の顔です。増上寺経由でこういう仕事が入ったのではないか。「観爆図」は、狩野派的な水墨画です。法橋一信とあります。




山下:当初は3月15日からの予定でした。増上寺本堂に掛けて、「記者発表」をしました。3月11日に地震が起こりました。私は羅漢さんが東北へ行かれたと思うことにしています。一信も安政の地震を体験しています。随分酒飲みだったようです。いつも「奥さんに叱られていました。大分の耶馬溪に「羅漢寺」があります。これは日本で一番古い、南北朝時代のものです。顔をメリメリと剥がす羅漢さんや、口の中に羅漢さんがいるものもあります。14世紀、500年前にこれがある。中国のスタイルをダイレクトに移しています。今回は、成田山から巨大な「釈迦文殊普賢四天王十大弟子図」や、「十六羅漢図」(双幅)が借りられました。これで仏教世界が表現できました。水墨画に金が入れてあります。展示は1分半のサイクルで、光が変化します。

南:金が使ってあるので、方向も変えてあり、展示がよかった。

山下:100幅全部を、一挙に世に出したかったので、それができてよかった。

赤瀬川:「羅漢めぐり」、発掘する楽しみがある。これを機に「五百羅漢ブーム」がくるのがいい。

山下:これ(胸を裂いて開ける)、Tシャツをめくると仏様が見えるようなTシャツを作るとよかったかも? 「五百羅漢」展は大きな機会でした。来年は「決定版白隠」の展覧会を、東急文化村でやります。日本美術応援団も小休止でしたので、これを機会に再開したいと思います。




「江戸東京博物館」ホームページ


「五百羅漢」展、公式ホームページ


とんとん・にっき-ou17 「芸術新潮」2011年5月号

特集:知られざる超大作の扉が開く!

    五百羅漢の絵師 狩野一信
第1部 江戸絵画の最終ランナー

     狩野一信再発見

第2部 一信に導かれて

     全国の五百羅漢を旅する









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