INAXギャラリーで「にっぽんの客船 タイムトリップ展」を観た! | とんとん・にっき

INAXギャラリーで「にっぽんの客船 タイムトリップ展」を観た!


INAXギャラリーで「にっぽんの客船 タイムトリップ展」を観てきました。タイムトリップとは言い得て妙、なかなか刺激的な展覧会でした。インテリアデザインという分野が確立していない時代に、客船のインテリアデザインを担当したのが建築家、建築家はその時代、何でも来いのオールマイティでした。ましてや世界一周航路の客船のデザインをすると言うのは、今で言えば新幹線の設計か、あるいはジャンボジェット機のデザインをするようなものだったかもしれません。いや、ちょっと違うかな? それはそれとして、コルビジュエやレンゾ・ピアノは車のデザインをしていますし、アルバー・アアルトはヨットのデザインをしています。ノーマン・フォスターは橋のデザインをしています。今でも、西欧では建築のデザインとインテリアのデザインの境界はないようです。


なんと言っても日本の客船と言えば、世界一周航路の客船「あるぜんちな丸」「ぶらじる丸」です。往航は横浜を発し、神戸、香港、シンガポール、コロンボ、ダーバン、ケープタウン、リオデジャネイロ、サントス、モンテビデオを経てブエノスアイレスまで。復航はブエノスアイレスから北航、サントス、リオデジャネイロ、ベレン、パナマ運河を経て、ロサンゼルスに寄港、横浜、神戸へ帰着します。10カ国、3万里にわたる航程をおよそ3ヶ月で航破します。一周運賃は784ドル(約2720円)からで、乗船券の通用期間は2カ年あります。(料金はちょっと安すぎるようですが?)


客船のデザインとして今回出てくる建築家の名前は、「村野藤吾」「松田軍平」「中村順平」、そして「本野精吾」の4人です。前の3人はよく知られた建築家ですが、本野精吾の名を知る人はそう多くはいないのではないでしょうか。僕はたまたま「小住宅集―小さくても豊かな住まい―」(住宅建築別冊39)という雑誌の中で石田信男の解説・編で「戦後小住宅図集」というのを見ていて。その最初にに本野精吾の「乾構造小住居試作」(1936年)という計画案が出ていたので、記憶していました。


他に、「クルーズ船の設計」として、レンゾ・ピアノの事務所にいた岡部憲明のインタビューも掲載されています。会場の展示は、写真と模型が主でしたが、けっこう凝っていました。村野藤吾や松田軍平の、手書きの透視図や図面が展示されていました。長旅の乗船客の心を和ませる、おもてなしのサービスとして、「花毛布」や「飾り毛布」が出ていました。現在もクルーズ船「にっぽん丸」に、花毛布は継承されているという。


村野藤吾:1891年佐賀県生まれ。1910年小倉工業学校機械科を卒業後、八幡製鉄所に勤める。1918年早稲田大学理工学部建築学科卒業。同年、渡辺節建築事務所入所。1929年村の建築事務所開設。1930年建築研究のためソ連、アメリカ、ヨーロッパに外遊。主な作品に「日本生命日比谷ビル(日生劇場)」「宇部市渡辺翁記念会館」(重要文化財)「千代田生命本社ビル(現・目黒区庁舎)」「新高輪プリンスホテル(現・グランドプリンスホテル新高輪)」等がある。2006年「世界平和記念聖堂」が戦後建築として初の重要文化財に指定された。文化勲章受章。日本芸術院賞、日本建築学会賞など受賞多数。1984年没。


松田軍平:1894年福岡県生まれ。1918年名古屋港棟工業学校建築科を卒業後、清水組に入社。1921年清水組を退社、渡米。コーネル大学建築科卒業後、渡ローブリッジ&リヴィングストン建築事務所に入所。三井本館の設計に従事、工事監理副主任に就任。1927年帰国。1931年、平田重雄ら4名で松田建築事務所を開設。1942年に松田平田建築設計事務所に改称。日本建築家協会初代会長、日本建築設計監理協会連合会初代会長などを務める。主な作品に「石橋徳治郎邸(現・石橋迎賓館)」「ブリヂストン本社ビル」「日本銀行本店」など。1981年没。


中村順平:1887年大阪府生まれ。名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)建築科卒業後、1910年曾禰・中條建築設計事務所に入所。在所中の作品に「一ツ橋如水会館」がある。1921年日本人として初めてエコール・デ・ボザール(国立パリ美術学校)に入学し、わずか1年半で優秀な成績で卒業。1925年横浜高等工業学校(現・横浜国立大学)の建築科の教授に就任。同年、中村塾(アトリエ)という私塾を開き、後進を育てた。1977年没。


本野精吾:1882年東京都生まれ。1906年東京帝国大学工科大学建築学科卒業。三菱合資会社に入社。1908年京都高等工芸学校図案科の教授に就任。1909-1911年図案学研究のためベルリンに留学。1913年同校の図案科長に就任。主な作品に「西陣織物館」「本野邸」「鶴巻邸」「京都高等工芸学校」など。1944年没。


会場風景(INAXギャラリー名古屋での展示)




*上の4枚の画像はINAXギャラリーのホームページより


「あるぜんちな丸

1939年5月竣工。当時、最高峰と謳われた、大阪商船(現・商船三井)の世界一周航路用の大型貨客船。建造は三菱重工業長崎造船所。流線型の優美な外観と原題日本様式の豪華な内装が特徴。姉妹船(同型船)「ぶらじる丸」は同年12月竣工。ともに基本設計は大阪商船の和辻春樹。一等101名、特別三等130名、三等670名、合計901名。両姉妹船とも、船体、主機、機器、船内装飾のほぼすべてに最高水準の国産品が使用された。全長166.26m、全幅21.9m、総トン数12760t、スピード21.48ノット、MSディーゼル機関(11気筒、8250馬力)2基。




「橘丸」

1935年(昭和10)竣工。伊豆七等をめぐる東京湾汽船(現・東海汽船)の客船。建造は三菱重工業神戸造船所。旅客定印1230名。流線形の外形とモダンな船内装飾画人気を博し、「東京湾の女王」と称された。外形の基本意匠と船内装飾の両方を、建築家の本野精吾が担当。国内で初めて機械通風装置が導入された。全長(垂直間長)76m、全幅12.2m、総トン数1772t、スピード18ノット、ディーゼル2基。







「にっぽんの客船 タイムトリップ展」

船旅の黄金時代を彩った 

日本独自の客船たち 

贅を尽くした、もてなしの空間
現代のように飛行機が広く普及する以前、船は世界へ渡るほとんど唯一の手段でした。日本における客船づくりは海外を模倣することからはじまりましたが、大正後半から昭和初期にわたって国の威信をかけたものとなり、さらには造船技術の習得と開発が進んだことにより、日本独自の設計やデザインによるものへと大きく発展を遂げていきました。本展では、とりわけ日本のデザインの完成形をみることができる客船として、世界一周の航路をとった大阪商船(現・商船三井)の客船「あるぜんちな丸」(1939年竣工)と、東京から伊豆へ航行した東京湾汽船(現・東海汽船)の「橘丸」(1935年竣工)を中心に、戦前日本の客船と、搭乗を許された限られた人たちの船旅の様子をご覧いただきます。「あるぜんちな丸」の基本設計は、大阪商船の和辻春樹が手がけました。、和辻は独自の様式の客船を目指して、日本の近代建築を牽引した中村順平や村野藤吾を起用します。彼の言う独自性とは、欧風の踏襲でなく、伝統的な和風を持ち込むのでもない、新しい日本デザインのよさが自然と滲み出るような洗練された客船のことであり、「あるぜんちな丸」はその集大成ともいえる円熟した設計の実現となりました。「橘丸」は東京湾の女王と呼ばれた客船で、その美しさから現在でも高い人気を誇ります。三菱重工神戸造船所の副所長であった南波松太郎が流線型の船体を設計、南波の下、建築家の本野精吾が手がけたモダンで優雅な室内外のデザインが見所となっています。近代日本らしい時代の空気とともに、当時の客船の有様や船旅での行き届いたもてなしの空間を体感していただける展覧会です。 今回の展示・取材にあたり、関係のみなさまには多大なるご協力を賜りました。この場をかりて厚く御礼申し上げます。


「INAXギャラリー」ホームページ


とんとん・にっき-kya10 INAX BOOKLET

「にっぽんの客船 タイムトリップ」

発行日:2010年12月20日

企画:INAXギャラリー企画委員会

制作:株式会社INAX

編集:石黒知子+浦川愛亜

発行所:INAX出版