横浜美術館でコレクション展2010「イサム・ノグチと20世紀の彫刻」展を観た! | とんとん・にっき

横浜美術館でコレクション展2010「イサム・ノグチと20世紀の彫刻」展を観た!


映画「レオニー」が、11月20日(土)、全国ロードショー公開されます。シネマ・トゥデイによれば、以下のような映画です。


世界的彫刻家イサム・ノグチの母親であるアメリカ人女性、レオニー・ギルモアの波乱の生涯を描いた伝記ドラマ。ドウス昌代による「イサム・ノグチ~宿命の越境者」に感銘を受けた『ユキエ』『折り梅』の松井久子監督が、14稿に及ぶ脚本の推敲(すいこう)を重ね7年の歳月をかけて完成させた。主演は、『マッチポイント』のエミリー・モーティマー、レオニーが愛した野口米次郎には歌舞伎俳優の中村獅童。そのほか原田美枝子、竹下景子、吉行和子など実力派が脇を固める。


横浜美術館で「ドガ展」を観た後に、常設展である「コレクション展2010」を観ました。「イサム・ノグチと20世紀の彫刻」のコーナーがありました。横浜美術館が、イサム・ノグチの作品を6点所蔵していることを、その時に初めて知りました。イサム・ノグチの彫刻作品、代表作はなにかと問われても、僕は答えられません。名前だけは1960年代から、よく聞いていたので知っていました。ほとんどが丹下健三の建築作品に附随して置かれていたように思います。


もっともよく知られているのは、岐阜市長の依頼で、岐阜提灯からヒントを得てつくられたという「あかり」シリーズ でしょう。建築空間に使われたこの提灯を見ると、イサム・ノグチだとすぐ分かります。イサム・ノグチの日本での最初の仕事は、リーダーズダイジェストの庭園の仕事だったようです。札幌のモエレ沼公園の計画は、よく知られています。酒田の土門拳記念館の庭園は、僕は観に行きましたが、イサム・ノグチが関わっていたことは、ごく最近知りました。いわば「ランドスケープ・アーキテクチュアー」ということになります。



僕の中ではイサムノグチは、石を使った彫刻家としてのイメージしかありませんでした。高松の庵治町牟礼にアトリエを作って、ニューヨークと往復して活動していたことは知っていました。大きな庵治石を使ったそのアトリエが素晴らしい。写真で見ただけですが。ウィキペディアを読んでみると、以下の箇所がイサム・ノグチを理解する上で重要だと思いました。それはすなわち、映画「レオニー」に繋がる古都になるのですが・・・。


1941年、第二次世界大戦勃発に伴い、在米日系人の強制収容が行われた際に自らアリゾナ州の「日系人強制収容所」に志願拘留された。しかし、アメリカ人との混血ということでアメリカ側のスパイとの噂がたち、日本人社会から冷遇された為、自ら収容所からの出所を希望するも今度は日本人であるとして出所はできなかった。彼は後に芸術家仲間フランク・ロイド・ライトらの嘆願書により出所、その後はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにアトリエを構えた。


1951年、広島平和記念公園のモニュメント(慰霊碑)にノグチのデザインが選ばれたが、原爆を落としたアメリカの人間であるとの理由で選考に外れた。しかし彼のデザインの一部は、平和公園にある丹下健三設計の「原爆慰霊碑」に生かされている(丹下はこのプロジェクトにノグチの起用を推挙した)。また、戦災復興都市計画に伴い計画され、平和公園の東西両端に位置する平和大橋・西平和大橋のデザインは、ノグチの手によるものである。彼は後年、アメリカ大統領の慰霊碑を設計したこともあるが、こちらは日系であるとの理由で却下された。







「イサム・ノグチと20世紀の彫刻」

横浜美術館では、イサム・ノグチの彫刻作品6点を所蔵しています。日本の詩人野口米次郎とアメリカ人レオニー・ギルモアの間に生まれたイサム・ノグチは,少年時代に茅ヶ崎に住み、横浜のカトリック系小学校に通っていました。ノグチは、彫刻が現代社会に果たす役割とは何かを常に考えていました。彫刻は、それ自体が単独で完結しているというよりも、彫刻が置かれる空間と一体になって、見る人の想像力が働く活き活きとした空気を作り出す力を持っています。都市空間では、彫刻が置かれることで、そこに人々が集い語らう広場(ピアッツァ)ができるとノグチは語っています。


「横浜美術館」ホームページ


とんとん・にっき-reo 「レオニー」

監督:

松井久子
出演:

エミリー・モーティマー

中村獅童

原田美枝子

竹下景子


11月20日(土)

全国ロードショー