横浜美術館で「ドガ展」を観た! | とんとん・にっき

横浜美術館で「ドガ展」を観た!

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横浜美術館で「ドガ展」を観てきました。観に行ったのは10月4日の月曜日、もう2週間も前のことです。東京では美術館は月曜日はほとんど休館日ですが、なぜか横浜美術館は開館しています。


「ドガ」と言えば「踊り子」、踊り子の画家としてよく知られています。実際に観てもいないのに、僕もその程度の理解でしかありませんでした。ところが先日開催された「オルセー美術館展2010」で、会場に入ってすぐに展示されていたドガの小さな作品でしたが、「階段を上がる踊り子」を観て、衝撃を受けました。驚きました。奇妙な構図の油彩画です。階段を上がり稽古場へ向かう3人の踊り子、向こうには背中を向けて踊る踊り子たちがいます。「なんか、すごい!」と、一瞬のうちに思ったわけです。他に幾多の目玉作品が並んでいるにもかかわらず、この小さな「階段を上がる踊り子」は、僕の中では異彩を放っていて、忘れられません。


ドガの絵、今まで一度も観ていなかったのかなと、古い図録を引っ張り出してみました。なにしろドガは「第1回印象派展」から続けて出品していたとのですから、日本で開催された「印象派展」のどこかに混じってあるはずだろうと思いました。1974年に松坂屋銀座店で開催された「印象派100年展」に、ドガの作品が2点出ていました。「バレーの舞台」(1885年頃)と、ドガには珍しい風景を描いた「サン=ヴァレリ=シュル=ソム近傍の村の道」(1895年頃)です。


もう一つ、1984年に日本橋高島屋で開催された「印象派・後期印象派展 ロンドン大学コートールド・コレクション」をみると、ドガの作品が5点も出ていました。「窓辺の女」(1871-72年頃)、「舞台の2人の踊り子」(1874年)、「浴後、腕を拭う女」(1889-90年頃)、「髪を整える女」(1884年頃)、「パラソルをさす婦人」(1870-72年頃)です。「舞台の2人の踊り子」は「エトワール」と同じような手前を広く開けた構図ですが、踊り子は2人、1人は爪先立ちをしています。このテーマの作品は、何度も「描き直し(ペンテイメンテイ)」されているようで、他にも同じような作品が何点かあるようです。


そうそう去年、横浜美術館で開催された「フランス絵画の19世紀」展にも、あまり注目されませんでしたが、ドガの「ばら色の踊子」(1878年、アサヒビール株式会社)が出品されていました。エドガー・ドガ(1834-1917)とは、どんな人なのか? 「踊り子」や「馬」を描くということではロートレックを、「浴女」を描くということではボナールを、思い浮かべました。ドガの略歴を、「ロンドン大学コートールド・コレクション」の図録から、以下に引用しておきます。


パリに生まれる。裕福な銀行家の家庭に育ち、最初、法律を学ぶが、これを放棄し、21歳から画家に転向。翌年から3年間イタリアに滞在し、15、16世紀のフレスコなど、模写を行う。アングルの影響のもとに歴史的な主題を扱っていたが、次第にそれを現実の生活の中に求めるようになる。1861年以来、マネとの親交が始まり、74年以降開かれた8回の印象派展のうち、7回出品する。印象派の作家として、グループの中で最も早く名声を得たが、実際には彼は外光とか自然は、背景として用いる以外、ほとんど興味を示していない。主題を競馬、サーカス、劇場、踊り子、浴女、カフェの情景などに求め、ことに動的瞬間を大胆な構図のうちに表現したところに彼の特質が表れている。これは、日本の版画や写真による影響が大きい。1880年代から視力が衰えはじめ、パステルや、彫刻へと表現手段を拡大していった。


以上を読むと、ドガの略歴が簡潔に記されています。昔、展覧会も観てるし、図録も読んだはずなのに、ほとんど憶えていないというこのていたらく、自分でも情けない。他にもドガの作品を観ているかとも思いますが、今回はここまでにしておきます。が、しかし、ドガの唯一の彫刻作品である「14歳の小さな踊り子」、確かにどこかで観た記憶があるのですが、それがずっと思い出せなくて、気持ちが悪い思いが続いています。と思って、さんざん探したところ、やっとわかりました。2007年10月から12月に東京都美術館で開催された「フィラデルフィア美術館展 印象派と20世紀の美術」に出ていました。他の華々しい印象派の作品に混じって、ドガの「14歳の小さな踊り子」は、何の脈絡もなく場違いにポツンと置かれていたのを思い出しました。


展覧会の構成は、以下の通りです。

1.古典主義からの出発

2.実験と革新の時代

3.綜合とさらなる展開


「ドガ展」のみどころは、以下の通りです。

①国内で21年ぶりに開催されるドガの大回顧展。

②傑作「エトワール」の日本初公開。

③オルセー美術館から選りすぐりのドガの名品45点が出される。

④油彩画、パステル画約50点を含む、ドガの作品約120点を展示。

⑤海外からの借用が難しいパステル画、ドガ撮影の写真作品が出品される。

⑥踊り子たちのエレガンス、水浴する裸婦の輝く素肌、競馬場のざわめき等、ドガの魅力が堪能できる展覧会。


1.古典主義からの出発

1834年、裕福な銀行家の息子としてパリに生まれたドガは、大学で法律を学ぶも、画家を志して中退。1855年にパリ国立美術学校に入学し、アングルの弟子ルイ・ラモートに師事。ルーヴル美術館でフランスの古典絵画を模写し、またイタリアを訪れ、ルネサンス絵画を研究します。1862年にはマネと知り合い、カフェ・ゲルボアに集う革新的な画家グループと接触し、やがてその中心人物となります。1865年にサロンデビューしたドガは、初期には歴史画や肖像画を描いたが、やがて同時代的主題へと移行してゆきます。


「画家の肖像」はドガの肖像画です。ドガに多大な影響を与えたアングルの自画像のポーズを真似て描いています。画家を志して間もない頃、手元にはデッサン帳と木炭があり、しかしいわゆるボヘミアンな芸術家ではなく、服装はブルジョワ階級の装いです。「障害競馬―落馬した騎手」は、近代生活の象徴である競馬、しかも落馬という劇的な場面を描いた野心作、しかしサロンに出品されたが、批評会の反応は冷たく、ほとんど注目されなかったという。「エドモンド・モルビッリ夫妻」、ドガの6つ年下の妹テレーズと、その夫を描いた作品で、この夫婦の微妙な心理的関係を暗示しているという。「マネとマネ夫人像」、寛いだポーズで退屈そうなマネの隣に、ピアノを弾く夫人が描かれています。しかし、夫人の横顔を含む右側の画面は切り取られて、その部分は地塗りのあるカンヴァスが継ぎ足されています。絵を切断したのは夫人の出来映えが気に入らなかったマネ自身でした。







2.実験と革新の時代

伝統的なサロンに不満を持ったドガは、1874年に仲間たちと独自の展覧会(印象派展)を組織します。ドガは、8回開催された印象派展のうち7回に出品します。屋外で風景を描いた印象派の画家たちとは異なり、アトリエ内でデッサンを再構成し、緻密に計算して画面をつくりました。ドガはアカデミックな歴史画と決別し、都市の日常的な情景をテーマとして、踊り子や馬の動きの美を画面に描き留めました。また、クローズアップや断ち落としなどの大胆な構図、版画とパステルを併用した新しい技法の研究など、既成の美術の枠に囚われない実験を重ねて名品の数々を生み出し、絵画の近代を切り開きました。


「綿花取引所の人々(ニューオリンズ)」は、ドガがアメリカのニューオリンズを訪れたときに、一族とその仕事仲間の集団酒造画を依頼されて描いたもの。フランスのアカデミズムにおいては、決して描かれないテーマです。「バレエの授業」は、オペラ座の稽古場でレッスンをする踊り子たちを描いています。それまで絵画の主題としては低俗と思われていた踊り子たちのリアルな日常をスナップショットのように描いています。「美術館訪問」は、ルーヴル美術館を訪れたメアリー・カサットとその姉を描いたもの。油彩の特長を生かした素早い筆致で色彩が重ねられ、背景は柔らかくぼかし、前景の人物を際立たせています。「エトワール」は、油彩ではなくパステルで描かれたもの。稽古場ではなく、ボックス席のような高い位置から見た公演の模様が描かれています。背後に舞台裏で休むバレリーナたちとともに、黒い装いで舞台の袖からエトワールを見つめる男性が見えます。この絵の光のあたり具合を実感するには、美術館へ行くほかない。「14歳の小さな踊り子」は、ドガの生前に発表された彫刻作品では唯一のもの。モデルはオペラ座の踊り子で、貧しい家の娘であった。オリジナルは蝋製で、顔の一部に彩色が施され、理念のコルセットにモスリンのチュチュ、練習用のトウシューズと、靴下をつけていた。髪の毛は暗い色のかつらで、サテンのリボンが結ばれていたという。ドガの没後、1922年頃に鋳造されたもの。発表当初は、賛否相半ばしたという。







3.綜合とさらなる展開

最後の印象派展が開かれた1886年前後から、ドガの芸術は転換期を迎えます。対象を間近に見る視点がとられ、構図がより単純化され、それまでの実験の成果が集約されてゆきます。踊り子と並び入浴する裸婦を主要なテーマとして、身体の柔らかなフォルムや輝くような皮膚の質感を描きました。次第に視覚が衰えてゆくなかで、着彩と素描が同時に可能なパステルが重要な画材となってゆきます。さらに、90年代以降は、強いコントラストの色彩、単純なフォルム、表現力豊かな描線で、大きな画面に裸婦や踊り子を描きました。」また、以前から関心のあった写真を自分で撮影し、写真から直接インスピレーションを受けた作品も制作します。この時期には、触覚的に制作できる彫刻を多数手がけ、立体的にバランスや動きの表現を追求しました。


「浴盤(湯浴みする女)」は、第8回印象派展に「入浴したり、体を洗ったり、乾かしたり、拭いたり、髪を櫛でとかしたり、とかしてもらう裸婦」と題された一連のパステル画のうちの1点。あたかも鍵穴から覗かれているような裸婦です。右側の垂直に配されたテーブル上部の表現は、ドガの日本美術への眼差しを読み取ることができるという。「浴後(身体を拭く裸婦)」は、モデルとよく似た姿勢で写された裸婦の写真が発見されたため、この作品は写真をもとに制作された可能性が高いという。ドガ旧蔵の鳥居清長「女湯」からの影響を指摘する人もいます。「14歳の小さな踊り子」は展示することを目的に制作されたが、その他のドガの小さな蝋の彫刻について、ドガは「私の絵画やデッサンをより表現豊かにsh、情熱と生命力を与える。これらは絵画制作のための習作である、資料以外のなにものでない。売るためものものなど一つもない」と語ったという。





「ドガ展」開催概要
冷静さと機知をあわせ持ち、客観的な視点で近代都市パリの情景を描き残したエドガー・ドガ(1834-1917)。ドガは、印象派展に第1回から出品し、そのグループの中心的な存在でした。しかし、屋外で光と色彩に満ちた風景画を描いた多くの印象派の画家たちとは異なり、主にアトリエの中で制作し、踊り子や馬の一瞬の動きや都市の人工的な光をテーマとして、知的で詩情あふれる世界を築きました。油彩の他、パステル、版画、彫刻など様々な技法を研究し新しい表現を試みると同時に、日本美術や写真など、当時紹介されたばかりの美術の要素を取り入れ、近代絵画の可能性を大きく切り開いた画家といえるでしょう。このたび、オルセー美術館の全面的な協力を得て、国内では21年ぶりとなるドガの回顧展が実現することとなりました。オルセー美術館所蔵のドガの名品45点に、国内外のコレクションから選りすぐった貴重な作品を加え、初期から晩年にわたる約120点を展観いたします。生涯を通じ新たな芸術の可能性に挑戦しつづけた画家ドガの、尽きぬ魅力を堪能できる展覧会です。


「横浜美術館」ホームページ


とんとん・にっき-doga2 「ドガ展」

図録

編集:フィリップ・ソニエ

    横浜美術館

    読売新聞東京本社

発行:横浜美術館

    読売新聞社東京本社

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