「諏訪湖博物館赤彦記念館」と、藤森論文「信州の山河は、なにを?」 | とんとん・にっき

「諏訪湖博物館赤彦記念館」と、藤森論文「信州の山河は、なにを?」


諏訪湖のほとり、ちょうど昼飯時、ラーメンでも食べようと車を止めたその横に「下駄スケート発祥の地」の碑がありました。その横には諏訪湖に面してゆるやかにカーブしたアルミの屋根を持つ建物が目に入りました。伊東豊雄の設計した「諏訪湖博物館赤彦記念館」でした。もちろんこの建築は、今回の小旅行で観る予定に入れていました。写真では見たことがあり知ってはいたのですが、現地で観たのは初めてのことです。残念ながら休館日で、建物の中を見ることはできませんでしたが。


藤森照信は、「人は、人が大人になってからなす表現というものは、・・・かならず生まれ育った幼き頃の環境を映すに違いない」と言う。45の歳まで建築史家であった藤森、45を境に設計をするようになって藤森の造る建築は、たしかにそういうことが言えなくもありません。実際、茅野市へ行って藤森の実家や育った環境、あるいはデビュー作である「神長官守矢史料館」を見る時、素材や形について納得するものがあります。


茅野市美術館で開催された「藤森照信展」の図録、巻頭には「信州の山河は、なにを?」という藤森の論文があります。そこで藤森は飯田育ちの原広司と、下諏訪育ちの伊東豊雄を取り上げて、上のような「生まれ育った幼き頃の環境を映すに違いない」という考えを述べています。原広司が伊那谷を見降ろす地に設計した「飯田市立美術博物館」を観に行ったことがあります。下の画像はその時のものです。藤森が言うように、銀色に輝く凸凹の屋根は、たしかに南アルプス連峰を思わせるものがあります。原広司は、出世作「ヤマト・インターナショナル」や、「京都駅」がありますが、同じような南アルプスの連峰を思わせるものがあります。


今回、伊東豊雄が設計した諏訪湖のほとりにある「諏訪湖博物館赤彦記念館」を(外観だけですが)観ました。藤森が、伊東に下諏訪の幼少期の思い出を聞いたところ、「諏訪湖だよ。冬の凍った様子はとりわけ心に残っている」と語ったという。伊東の代表作である「仙台メディアテーク」の基本的造形感覚は絶対水平感があり、その感覚のもとをただせば諏訪湖の水面に行きつく、と藤森は言います。「諏訪湖博物館赤彦記念館」も、諏訪湖を意識した建築であることは間違いありません。


原広司や伊東豊雄と比較して、「藤森照信には何があるだろう」と藤森は考えます。昔は諏訪郡宮川村高部、今は茅野市宮川の高部、戸数で70戸ほどの集落です。南アルプスは見えない、諏訪湖からも遠いが、八ヶ岳はきれいに見える。原広司には「生まれ育った環境の反映として建築の表現を説明するのはやめた方がいい」と釘を刺されたそうです。たしかに同じ光景を見て育っても、なにが心にしみるかは各人各様だし、その後の体験も大きな働きをしているに違いない。


藤森は「高部の村の扇状地のディテールが、光景と手触りとニオイと音と温度と、そして人をともなって、キリもなく浮かんでくるのである」、従って「私の心にしみているのは、そうしたディテールの光景にちがいない」と行きつきます。ではあるが、「生まれ育つ家庭で目にしたものが根本にあることも疑いない」、この辺の秘密を何とかさぐり当てたい、と結んでいます。









「諏訪湖博物館赤彦記念館」ホームページ


「飯田市美術博物館」ホームページ


「神長官守矢史料館」ホームページ