東京造形大学附属横山記念マンズー-美術館で「SIRAI,いま 白井晟一の造形」展を観た! | とんとん・にっき

東京造形大学附属横山記念マンズー-美術館で「SIRAI,いま 白井晟一の造形」展を観た!

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東京造形大学附属横山記念マンズー美術館で「SIRAI,いま 白井晟一の造形」展を観てきました。桑沢デザイン研究所系列の東京造形大学が八王子の山中にあることは知っていました。「東京造形大学キャンパス指名設計競技」が開催されたのは1987年(昭和62年)のことで、当時大いに話題になりました。その記録が残っているわけではないのでうろ覚えですが、コンペは磯崎案が採用されたと思います。実際行ってみると、エントランスあたりのアーチにコンペ案を見た記憶がよみがえってきましたが、しかし、こんなに狭い場所だったのか、中庭を挟んで周りに教室等が並んでいますが、いかにも過密でキツキツの印象です。


いま「ウィキペディア」で調べてみると、「設計:磯崎新。途中諸事情により計画が変更された為、初期の設計施工予定とは異なっている」とありました。実際出来上がったキャンパスは、どういう事情かは分かりませんが、大きくコンペ案よりも後退したのでしょう。まあ、それは仕方がないとして、白井晟一が「マンズー美術館」の計画をしていたことは知りませんでした。実際に白井晟一がどこまで設計にかかわっていたかは存じあげませんが、さすがは磯崎新、いちばんいい場所に「マンズー美術館」を配置しています。


今回の展示で「マンズー美術館」の平面図と立面図が出されていましたが、それを見ると現在の「横山記念マンズー美術館」とほとんど変わったところはないように思えます。東京造形大学側では白井については「美術館原案設計者」としています。そうした関係から開催された今回の「SIRAI,いま 白井晟一の造形」展、やはり目玉は白井の代表作「原爆堂」でしょう。「原爆堂」計画は昭和30年に発表されたものです。白井のなかでも特異な存在で重要な位置を占める作品です。配置図、平面図、立面図、断面図、そして透視図が残っていました。これに基づいて大学側で「模型」を製作、展示されていました。透視図は他に「秋田労働会館」と「雄勝町役場」が出ていました。建築関係のスケッチでは「聖キアラ館」や「親和銀行長崎支店」、等々、これらで50点弱、これらは入って右側の展示室に展示されていました。


あと半分、入って左側の展示室には、ほとんどが「書」、そして「装丁のためのデザイン」、あるいは「レンダリング」、等々、いずれも迫力のある、素晴らしいものばかりでした。幼少期に黄檗山万福寺で「書」を学んだ白井は、生涯「書」を書き続けました。建築とは異なる白井の内面的世界の表出として、約20点が展示されていました。装丁関連作品・・・中公新書をはじめとする一般的な装丁から特装本まで、白井が優れた装丁家であったことは意外に知られていません。白井の内面世界を探る手がかりのひとつとして、初の装丁作品をはじめとする約30点の装丁作品が展示されていました。今回の「SIRAI,いま 白井晟一の造形」展、白井の作品が全部で113点、十分堪能してきました。また「原爆堂 配置図」を表面に、裏面は全面「原爆堂 透視図」を配した「ポスター」というか「チラシ」がまた凄い、これはいわば「完全保存版」です。










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開催趣旨
本展覧会は、「桑沢洋子生誕100周年記念事業」の付帯事業として、本学美術館原案設計者の白井晟一(1905-83 京都生まれ)をさまざまな角度から検証する展覧会です。


「東京造形大学」ホームページ


とんとん・にっき-shi1 「SIRAI,いま 白井晟一の造形」展

図録(500円)

企画:東京造形大学 白井晟一展実行委員会

編集:東京造形大学 白井晟一展実行委員会

発行:学校法人桑沢学園 東京造形大学

2010年