明治神宮文化館宝物展示室で「菱田春草」展(前期)を観た! | とんとん・にっき

明治神宮文化館宝物展示室で「菱田春草」展(前期)を観た!

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明治神宮文化館宝物展示室で「菱田春草」展を観てきました。明治神宮文化館なるものがいつ出来たのか、大鳥居をくぐって砂利敷きの参道を少し歩くと、白い半円形の建物が右側に見えてきました。明治神宮の森にはまったくそぐわない現代的な建物、「なんじゃこれは!」という感じでした。よく観ると、バスで来る観光客をさばくターミナルのような機能を持っているようです。お土産物屋やレストラン、休憩所やトイレなどが備わっていました。機能は機能として必要なのでしょうが、もう少し神宮の森にふさわしい建物の方がよかったのではないでしょうか?


それはそれとして、菱田春草の名を聞くと、どういう作品を描いていたのかはまったく知らずに、日本画壇の大御所、大家という印象を持っていました。今回の「菱田春草」展、「ごあいさつ」には、次のようにありました。


明治という時代を駆け抜けた早世の画家、菱田春草。春草は、岡倉天心門下として、斬新な絵画技法の研究に取り組みつつ、惜しくも36歳で病に倒れました。


「え~っ、36歳で!」、岡倉天心門下、横山大観と行動を共にしていた春草、そうしたことから大御所と思っていたのですが、なんとなんと、これじゃあ大御所どころか、ほとんど若手ですよ。先日、山種美術館で観た、僕がやはり日本画の大家だと思っていた速水御舟も、40歳で亡くなったというので驚きました。酒井忠康は、こちらは日本近代洋画家ですが、「早世の天才画家」という著作を中公文庫で出しています。菱田春草36歳、速水御舟40歳、若くして後世に残る仕事をしていたということを気づかされました。




さて、明治神宮文化館・宝物展示室、どういう主旨でこういう美術展を催しているのかわかりませんが、菱田春草と明治神宮とのつながりは、あるいは今回の春草展の主旨は、やはり「ごあいさつ」には、次のようにあります。


本展では、明治天皇御遺愛品と伝わる屏風(雀に鴉)をはじめ、春草終焉の地であり、明治神宮鎮座地ともなった代々木の自然を描いた諸作品など、その短い人生のなかで生み出された珠玉の作品を展示します。


つい最近、BSテレビで横山大観生涯を描いた2時間番組を偶然観ました。岡倉天心とのかかわり、東京美術学校での排斥運動、日本美術院の設立、茨城県の五浦への移住、貧困生活、ローマ旅行、等々、そして日本画壇の重鎮になっていく姿が描かれていました。そのなかでいつも一緒に扱われていたのが菱田春草でした。なかでも「朦朧体」が生まれた過程や、その技術的な手法を解き明かしていたりもしました。横山大観の番組でしたが、僕には菱田春草の理解に、大いに役立ちました。


今回はやはり代々木時代、亡くなる間際の「落葉(未完本)」が未完ですが大作で、目を引きます。たまたま松岡美術館で「大観と観山と日本美術院の画家たち展」を観に行ったら、松岡美術館所蔵の菱田春草の作品が何点か出ていました。大作で「落葉」という作品が目を引きました(これは永青文庫所蔵のものを本画とした「功藝画」だそうです)。今回の春草展に出ている「落葉(未完本)」と同じような作品でしたので、下に画像を載せておきます。他にも、地方の美術館が所蔵する同様の作品が幾つかあるようで、会場に写真で展示してありました。図録によると、永青文庫所蔵の重要文化財「落葉」と、福井県立美術館が所蔵している作品のようです。やはり図録には部分的な作品ですが、代々木を描いた作品が、滋賀県立近代美術館蔵の「落葉」や、茨城県近代美術館所蔵の「落葉」が載っていました。


今回の「菱田春草」展、前期・後期で多数の作品が入れ替わりますが、前期33点、後期34点が展示されます。とりあえず僕が観た前期の印象に残った作品を、春草の歩みが分かるように並べて、下に載せておきます。今回の展覧会は、日本画家菱田春草だけではなく、明治期の近代の日本美術の進展が、岡倉天心から始まり、横山大観や下村観山など、菱田春草の周辺で起こっていた出来事を知ることが出来ました。


*NHKハイビジョンで僕が観た番組は、10月29日(木)9:00~11:00に再放送された、シリーズ天才画家の肖像「横山大観~ミスター日本画の話題作人生」でした。

近代化の幕開け―東京美術学校時代






改革のとき―朦朧体







代々木にて










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