丸岡大介の「カメレオン狂のための戦争学習帳」を読んだ! | とんとん・にっき

丸岡大介の「カメレオン狂のための戦争学習帳」を読んだ!

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いゆる文芸誌、例えば文藝春秋社の「文学界」、講談社の「群像」、新潮社の「新潮」、河出書房新社の「文芸」がそれにあたりますが、僕はほとんど買って読んだことがありません。芥川賞の「選評」と「受賞作」が掲載される「文藝春秋」は、昔からの習慣で必ず買って読んでいます。がしかし、時々ですが、出版社が主催する「新人賞」が掲載されるときは、買って読む場合もあります。本棚をみてみたら、3年前からの「群像」が数冊ありました。2007年6月号からです。講談社の「大江健三郎賞」の選評が「群像」に掲載され、2007年6月号は「群像新人文学賞」は同時に掲載されていましたが、次の年からは5月号に大江賞の発表、6月号に新人賞の発表となりましたが、「群像」を買って読んでいます。


ちなみに2007年第50回新人賞は諏訪哲史の「アサッテの人」、2008年第51回新人賞は松尾依子の「子守歌しか聞こえない」でした。「群像新人文学賞」が特異なのは、「小説部門」と「評論部門」があることです。同じ選考委員が両部門を選考するので、当然選考する側も人によっては得手不得手があるようです。「選評」でも「評論部門」に関してはほとんど言及しない選考委員もいます。芥川賞の対象となる作品は、上半期は6月号の掲載作品まで、下半期は12月号まで、だそうです。まあ、文芸誌の「新人賞」をとると、「芥川賞」にもっとも近いということでもありますが。


さて、第3回大江賞の受賞者は安藤礼二の「光の曼荼羅」でした。安藤礼二と大江健三郎の「公開対談」を聞きに講談社へ行ってきました。発表が載っていた2009年5月号には「アサッテの人」で芥川賞を受賞した諏訪哲史の「ロンバルディア遠景」がありました。さて6月号ですが、第52回群像新人文学賞の発表です。「小説部門」の当選作は、丸岡大介の「カメレオン狂のための戦争学習帳」でした。ちなみに「評論部門」の当選作は2作、永岡杜人の「言語についての小説―リービ英雄論」と伊東祐吏の「批評論事始」でした。果たして僕に読めるかどうか、安藤礼二の「光の曼荼羅」も半分しか読んでいないというていたらくなので。


丸岡大介の「カメレオン狂のための戦争学習帳」、目次には「組合と寮の対立に戦争の兆しを感じ取る。不条理に組み込まれた高校教師の悪戦苦闘」とあります。まず「要するに、戦争とはまったくカメレオンのようなものである カルル・フォン=クラウゼヴィッツ」と文頭に掲げてあります。この作品の最後にも「前衛の兵士が着ているのは砂と泥土を擬した迷彩服だ、カメレオンのようにすがたを消すこと」とあります。


「バイク操縦者たちは車体に取り付けた圧搾空気式ミュージックホーンを奏し、さまざまなメロディを夜空に轟かせる」。暴走集団が鳴らす暴力的な騒音をバックに、高校教師の田中は深夜、机に向かいます。独身教師だけが入る男子寮住む田中は、鈴木と柳田との三人部屋に住んでいます。寝るときは三人の男たちが川の字に布団を並べて寝ています。寮は、「未来のための市教育憲章」に基づいて設立された一律の修身教育寮で、市内の全ての小中学校、高校に勤務する20代30代の独身教員のための合同宿舎です。入寮者か否かが勤務評定にひびくとも噂され、「ちゃんと先のことを考えなくちゃだめ、貯蓄もできるし、土日は会えるんだし」と、田中が寮に入るようにすすめたのは彼の恋人でした。


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田中は市の教育委員会から特別な任務を負っています。田中が教育委員会へ記録し、定期的に報告すべき事柄は、彼が入居する教員合同寮内における生活模様です。また、寮内における田中自身の精神生活の模様についてです。入寮者自身による寮内調査というかたちであり、思うように書いていただきたいと、田中は教育委員会からは言われています。すでに寮内にはいわゆる「目安箱方式」で、寮内の様々な声は届くようにはなっています。寮のモットーは「自育自律を旨とせよ」で、寮には寮長や寮理事が、各部屋には1名ずつ、室長15名がいて、寮内の自治が行われています。


寮長の合図で「われわら修身教員寮員は朋友相信じ、恭倹己を侍し、博愛衆に及ぼし、学を修め業を習い、以て教員同士ならびに生徒の智能を啓発し、徳器を成就すべし」と、寮員全員で唱和し、それからラジオ体操を行います。それが終わると寮長が新聞記事紹介から訓話をはじめます。「教師はちゃんとやるのが当然、という通念だけが残存している」として、町内の清掃活動を行いその礼状が届いたことを報告します。これは田中が鈴木室長と共筆で、一般人を装って県内紙に投書したもので、生活欄「県民の声」に載ったものでした。


田中は学校では一人だけの時間を欲し、昼休みには人の寄りつかない裏庭で一人でパンとフルーツ牛乳で昼食を食べています。そこへ古文の沼沢エリカがふいに弁当を持って現れます。田中は理事の加藤から、なぜエリカが女子寮に入らないのかと問われたりします。「女子寮なんかレズビアンの巣窟と化している」と言います。男子寮内で同性愛が流行の兆しを見せたら、理事会はあらゆる手を尽くして男色者を処罰するだろうと、田中は思います。教員同士の恋愛、結婚の多さは、他業種のオフィスラブの比はないと田中は思います。校舎裏で二人で弁当を食べていると、生徒集団に見つかり、「おたくらデキてんですか?」と教師をナメた態度で聞かれたりします。


教育委員会から指名されてレポートを提出する作成者は、どうも田中一人ではないらしい。レポート作成者はお互いの正体はわからないが、担当官から出されたヒントでは、入寮1ヶ月未満の者で、国語の教員で、クラブ活動顧問でない者、らしい。寮内には、前市長の息子である寮長の支持派、心酔者、顔色をうかがう者、そして組合活動にはげむ者、組合活動批判派、そして精神修養を説く者など、入り乱れて次々に出てきます。田中がレポートを提出すると偽名で返信が届きます。いつも「たしかに受理した」、「たいへん興味ぶかく読んだ」とあります。


あるときから田中がレポートを送っても、一週間経つのに偽名の通知書が届きません。田中はレポートが届かなかったのかと不安になり、またなにか手違いがおきたのか、何者かの妨害か、あるいは「組合」の仕業かなどと疑念が頭をよぎります。組合の仕業でなければどんな勢力が田中の密書を奪い、委員会との通信を妨害したのか?机の下で隠し読んでいた生徒の本を没収すると、フォン=クラウゼヴィッツ著の「戦争論」でした。軍事研究家であり、プロイセン王国軍の参謀長として実戦経験の持つ男のまとめた戦争論です。部分的考察と共に絶えず全体的考察をすすめるというその方法は、田中のとるべき方法でもありました。


「それでも田中は教育委員会にあててレポートを送り続ける以外にないが、教育委員会からは『ひじょうに興味ぶかく読んだが、きみは激務からくる神経圧迫等でだいぶ疲れているようだからすぐに寮を引き払い休職するとよい』と返信が来た。病院への紹介状まで同封する年の入りようだ。これが権力側のやり方であって彼らは田中を収容しようというのだ、寮とはまた別の檻に」。鈴木は狂っていて、鈴木が狂っていると報告する田中は狂っていないのか、鈴木は狂っておらず、鈴木が狂っていると報告する田中こそ狂っているのか。ここでわれわれという名を名乗るわれわれ自体がしょせんは紙の上の存在にすぎません。


寝ているものと思った鈴木が突然、「なにを書いている。おまえは組合のスパイだ、組合の犬め。それをよこせ」と言い出し、田中は手首を掴まれます。「離せキチガイ」「黙れ犬」ともみ合いになります。柳田も起き出して、「うるさいぞ、このキチガイども、いい加減にしないか」と戦闘に加わります。田中は仰向けに倒れて、バタバタと立ち騒ぐのを聞きながら、天井の木目を見上げます。木目が地図の等高線に見え、さらに航空撮影地図となり、上空から市のはずれの峠を見下ろしています。峠にはオートバイと車高を低くしたスポーツカーの集団がエンジンを切らないまま停車しています。オートバイの騎兵隊は深夜の軍事演習を始めます。聞こえるのはけたたましくも野蛮なる進軍ラッパの響きです。


「群像6月号」では丸岡大介の「カメレオン狂のための戦争学習帳」の他に、本谷有希子の「あの子の考えることは変」という作品を読みました。「文学界6月号」のシリン・ネザマフィの「白い紙」を加えて、この3作は次回「芥川賞」受賞の最短の位置にいるように思えます。とはいえ、芥川賞候補作の発表もまだですが。