Bunkamuraザ・ミュージアムで「国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア」を観た! | とんとん・にっき

Bunkamuraザ・ミュージアムで「国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア」を観た!

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いや、知りませんでした、「忘れえぬ女」がもう7度目の来日だとは!初来日はまだソビエト時代、日本橋・三越での「ロシア・ソビエト国宝絵画展」で、1976年のことだというから今から33年も前のことです。ちょうどそのちょっと前ですが、日本橋・三越の店内を歩いていると家人の知り合いの人に声をかけられ、開催していた展覧会に入れてくれ、図録をたしか数冊いただきました。と思って本棚を探してみると、出てきました。「1972現代ソビエト絵画 ヒューマンリアリズムの流れを追って」(月光荘ギャラリー)、同じく「1973原題ソビエト絵画」、「ロシア・ソ連 ヒューマンリアリズム絵画の流れ 近代から現代へ ソ連美術史概説」(月光荘ギャラリー)、そして「新たな希望への芽生え 1974ハンガリー絵画」(日本橋・三越)、共に編集責任者として美術商・中村曜子の名が見えました。彼女はピアニスト中村弘子の母(?)で、当時、月光荘を所有・経営し、大物国会議員との交流も深く、共産圏の絵画を日本に紹介していました。僕がその時三越で観たのはそうなるとたぶん1974年のことで、「ハンガリー絵画」だったようです。「忘れえぬ女」が初来日した頃、その展覧会に月光荘ギャラリーが関係していたかどうかは僕には分かりませんが、たぶん何らかの関係があったと思われます。


記事の一番下左の「忘れえぬ女」の画像、実はこれ、1990年6月1日から7月22日まで笠間日動美術館で開催された「19世紀ロシア絵画展 レーピン、スーリコフ、クラムスコイとその時代」の時の図録の表紙です。今回はあまり気が進まず、図録は買いませんでした。月光荘ギャラリーのいただいた図録を探していたら、その横にこの図録があったので驚きました。「忘れえぬ女」を観たことも、どうして笠間日動美術館までわざわざ出かけたのか、それも今は思い出せません。しかし、この図録を見直してみると、今回のザ・ミュージアムの「忘れえぬロシア」展をしのぐとも劣らない、すばらしい展覧会でした。1990年といえば今から19年前のこと、笠間日動だけの開催ではもったいない展覧会でした。この時「忘れえぬ女」が来日したのは4回目。同じ年、たぶん、池袋のセゾン美術館にも「忘れえぬ女」は来日し、西武線の電車の吊り広告に載ったそうですが、僕はそのことは知りません。


そんなわけで今回の「国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア」と、笠間日動美術館に出された作品を比較してみると、なんと同じ作品が相当数出されていました。いちいち数えるのは面倒なのでざっと拾い上げると、「眠る子どもたち」「見知らぬ女」「裕福なキルギス人猟師」「女子学生」「メンチェルの肖像」「告白」「冬」「女鉱夫」などめぼしいものが見つかりました。他に同じではありませんが、ニコライ・ゲーの肖像画や、シーシキンの風景画がそれぞれ数点出されていました。丹念に見比べればもっとあるかもしれません。まあ、19年前のことですから、過去に開催されたものと同じような展覧会が開かれても仕方がないことなのでしょう。


それはいいとして、作品のタイトルが微妙に変わっています。一番大きなものは笠間日動では「見知らぬ女」でしたが、ザ・ミュージアムでは「忘れえぬ女」に変わっていることです。原題は「見知らぬ女」だったのが、なんども来日し、いつの頃からかははっきりしませんが、日本では「忘れえぬ女」に変わったようです。一説には初来日の時に「忘れえぬ女」になった、と書かれているものを見ましたが、少なくても1990年の笠間日動では「見知らぬ女」でした。いずれにしても今回の「国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア」の目玉は、「忘れえぬ女」であることは言うまでもありません。僕は順番に観ていって、「髪をほどいた少女」の前で足が止まり、じっくり見入っていると、なんとその横に「忘れえぬ女」が突然現れたのでびっくりしました。しかも同じイワン・クラムスコイの作品だったので二度びっくりしました。


サンクトペテルブルクの凍てつき寒々しい大通りを描いた作品。批評家のP.M.コヴァレフスキーの解釈を引用すると、「高価な毛皮とベルベットに身を包み、豪華な馬車の上から人を蔑むような官能的な視線をこちらに投げかける、挑発的なほど美しい女。」とし、続けて「純血と引き換えに手に入れた衣装をまとう卑しい女たちを生み出し、街路に放つ大都会。彼女はこの大都会の産物に他ならない。もし彼女らがこの社会を軽蔑の念をもって見ることができるというなら、それは社会そのものに責任があるのだ。この作品は暴露的な性格の色濃い肖像画であるということができよう」、としています。ひどいのはこの「見知らぬ女」を「馬上の妾」と呼び、「高価な椿(高級娼婦の意)」とも呼んだ批評家もいたそうです。また一方、モデルの女性は、トルストイの「アンナ・カレーニナ」の女主人公や、ドストエフスキーの「白痴」のナスターシャと、諸説入り乱れています。「モナリザ」同様、神秘性のある彼女の名を突き詰めようとする謎解きがいまも続いています。解釈は時代と共に変わりますから、仕方がないことですが。


レーピンはロシア絵画の巨匠、今回も数点の肖像画が出されていました。また「ピアニスト、ゾフィー・メンターの肖像」と「画家レーピンの息子、ユーリーの肖像」は、共に構図が見事、特に「ユーリーの肖像」はちょっと上すぎるのではないかと思わせるほどの、珍しい構図です。マコフスキーの「愛の告白」には、いつの時代も変わらないものだと笑っちゃいました。他に目についたのは、ペーロフの「眠る子どもたち」、カサトキンの二つの作品、「女鉱夫」と「恋のライバル」、共にロシア的な印象が色濃く反映している作品に思えました。いずれにせよ出展された75点、日々の生活からロシアの風景、肖像画、等々、特に「忘れえぬ女」は、91年のソ連崩壊後、世界各国に貸し出され、トレチャコフ美術館の財政立て直しに貢献しているようです。


第1章 抒情的リアリズムから社会的リアリズムへ


第2章 日常の情景



第3章 リアリズムにおけるロマン主義




第4章 肖像画







第5章 外光派から印象主義へ






とんとん・にっき-ru1 「19世紀ロシア絵画展」

レーピン、スーリコフ、クラムスコイとその時代

図録

1990年6月1日~7月22日

笠間日動美術館









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