汐留ミュージアムで「ウイリアム・メレル・ヴォーリズ」展を観た! | とんとん・にっき

汐留ミュージアムで「ウイリアム・メレル・ヴォーリズ」展を観た!


ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880-1964)は日本近代建築史において独特の存在感を放っている建築家です。
アメリカ・カンザス州に生を受け、1905(明治38)年に来日したヴォーリズは2年間、滋賀県立商業学校(現在の滋賀県立八幡商業高等学校)で英語講師を務め、その後も近江八幡の地にとどまって、幅広い活動を繰り広げました。建築事務所や現在の近江兄弟社へとつながる事業を立ち上げ、建築家や実業家として活躍する一方、地道で熱心な伝道活動を続けました。また彼は軽井沢にも拠点をもち、毎夏、避暑に訪れる外国人宣教師らと交流して人脈を拡げ、全国各地に数多くの名作建築を遺しました。
ミッションスクールや教会、商業施設から個人住宅まで多岐にわたるヴォーリズ作品は、いずれもそこに集う人々への深い思いやりにあふれています。
本展では、今もなお日本に多くの愛好者をもつヴォーリズ建築の尽きない魅力を、豊富なオリジナル図面や写真、映像でご堪能いただきます。特にヴォーリズ夫妻が毎夏を過ごした軽井沢の≪浮田山荘(旧ヴォーリズ山荘)≫(1922年)を、ウォークインの原寸大模型で紹介する等、彼がめざした「理想の住空間」とは何だったのかを彼の遺した作例や言葉のなかに探ります。

(「パナソニック電工汐留ミュージアム」HPより)


パナソニック電工・汐留ミュージアムで「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ」展を観てきました。副題は「恵みの居場所をつくる」とあります。いや、凄い、感動しました。異国に来て、もうほとんど「ミッション」だけで建築家になり、「ユートピア」を目指して生涯にわたって活動し、大きな成果を残したというのですから、建築家冥利に尽きるというものです。「ユートピア」というと思い出されるのはウィリアム・モリスの活動ですが、ヴォーリズの活動はそれらを遙かに上回って、広い範囲で実現しています。もちろん現在の建築を取り巻く状況はヴォーリズの生きた時代とは大きく異なっていますが、民間の設計事務所の「鏡」であり、「あるべき姿」です。とはいえ、ヴォーリズは元々建築家ではなかったのですから、これまたオドロキです。大きな建築もやればそれなりに一流のものができますが(大丸心斎橋店のインテリアは圧巻)、ヴォーリズが関わって設計したものは、ほとんどが近江八幡を拠点にキリスト教精神に基づくもので、しかも生活に密着した身近な建築です。住宅、幼稚園、郵便局、教会、学校、そして別荘や邸宅です。


もちろん僕はヴォーリズの名前や、例えば「山の上ホテル」の設計者で、近江八幡で活動し、近江兄弟社で事業を行い、メンソレータムの販売をしていたことなど、断片的には知っていましたが、今回の展覧会とその図録「ヴォーリズの100年」を観て、これほどまでなにも知らないとは思いませんでした。はっきり言って「建築教育の欠陥」です。僕らが建築教育を受けた時代は、建築といえば「近代建築」を指し、ヴォーリズの活動はまったく知らされていませんでした。どの教科書にも載っていません。あの藤森輝信でさえ、昭和46年(1971)に大学院に進んだときに、ヴォーリズの名前を知っている建築関係者はまれだったという。藤森が学んだ東大教授の村松貞次郎がただ一人、ヴォーリズの名前だけは知っていたそうですが。その頃は、東大の建築史の研究室でさえそんな状況でした。歴史から抜け落ちていたんですね、ヴォーリズの建築は!


街歩きの仲間が近江八幡を何度か訪れ、「よかったよ」と聞かされ、その旅行のスライドの何度も見せられています。それを見て、ぜひとも近江八幡へ行ってみたいと思っていましたが、なかなか行く機会がありません。と思っていたら、なんと、10月から11月にかけて「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展in近江八幡」という、近江八幡のまちを舞台にした展覧会が開かれるようです。果たして行けるかどうか?旧八幡郵便局舎は、玄関周りが改造されて原型を失い、朽ち果てていたという。それを平成8年頃から地元の商店主らが保存再生したいと声を上げ、「ヴォーリズ建築保存再生運動一粒の会」がかかわって、元の形に戻したそうです。


ヴォーリズは1905年に来日、その間軽井沢にも設計事務所を開いて、多くの別荘や教会を建てました。戦前の夏の軽井沢は、日本における欧米租界になっていたという。教会を中心にコミュニティが形成されました。避暑のための個人別荘も多く建てられましたが、通称「睡鳩荘」と呼ばれた朝吹山荘は、1931年に三井系の実業家・朝吹常吉によって建てられ、後年は仏文学者・朝吹登水子ゆかりの山荘として知られていました。すでに1925年に東京・高輪に本宅がヴォーリズの設計で建てられ、朝吹常吉はその住み心地の良さに満足し、別荘もヴォーリズに依頼することにしたそうです。常吉の長女、朝吹登水子は子供時代を過ごした「睡鳩荘」を引き継ぎ、仕事の関係でパリに居を構え、夏は軽井沢に来るという生活だったそうです。2005年に彼女が亡くなると、その意志を受け継ぎ、「軽井沢タリアセン」塩沢湖畔に移築、永久保存することになりました。


会場には、浮田山荘(旧ヴォーリズ山荘)の原寸模型があり、その空間を体験することができました。大正11年に軽井沢に建てられたヴォーリズが設けた山荘です。粗末な陋屋を意味する「九尺二間」と称され、翌年に出版された「吾家の設計」で「最小限の住宅設計」と題して紹介されたものです。昭和41年より洋画家・浮田克躬に受け継がれて、今日も変わらず使われているそうです。


一つ疑問だったのは、展示されていた「ヴォーリズ建築事務所の看板」です。ヴォーリズは1908年、明治41年に建築設計監督事務所を開設したそうですが、看板は「一級建築士事務所」となっています。しかし「一級建築士」あるいは「一級建築士事務所」の制度ができたのは、だいぶ後のことで、戦後になってからではないでしょうか?


1934年に近江ミッションを近江兄弟社に改称。と1961年、近江兄弟社建築部より株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所が独立し、大阪に事務所を開設します。ヴォーリズは1941年、日本に帰化し、一柳米来留と改姓しました。1964年5月7日、永眠します。享年83歳。5月16日、近江八幡市民層と近江兄弟社の合同葬が行われました。

Ⅰ 湖国のユートピア





Ⅱ ミッション建築家として







Ⅲ 軽井沢―自然の緑と住む








Ⅳ 「吾家の設計」と住宅建築


Ⅴ 都市の建築








とんとん・にっき-vories1 「ヴォーリズ建築の100年」

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展

図録

監修:山形政昭

パナソニック電工汐留ミュージアム









とんとん・にっき-oumi 「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展in近江八幡」

~アメリカから日本に渡り生涯を過ごしたまち

―近江八幡―その足跡をたどる旅へ~
2009.10.3~11.3(期間中無休)

入場料:1000円

総合受付:白雲館

会場:近江八幡旧市街一帯の

ヴォーリズ建築物群等を活用した分散展示





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