日本民芸館で「日本の民画 大津絵と泥絵」展を観た! | とんとん・にっき

日本民芸館で「日本の民画 大津絵と泥絵」展を観た!



都美術で開催されている「生活と芸術 アーツ&クラフツ展」で、「ウィリアム・モリスから民芸へ」と副題がついていたので、「これはちょっと?」と思い、それでは「民芸運動」の本家本元である「日本民芸館」を訪れてみようと思い立ったわけです。「日本民芸館」へは、僕はもう何度も行っています。とはいえ、もう随分前のことになります。ここ10数年は行ってなかったことに気がつきました。


木喰の地蔵菩薩像も何体か展示されていましたが、やはりどう考えても、ウィリアム・モリスからはそうとう遠いと思われます。たまたま「日本の民画 大津絵と泥絵」展が開催されていました。3月8日のNHK新日曜美術館のアートシーンでも取り上げられていました。大津絵「鬼の行水」は、上辺だけきれいになっても心の中をきれいにしないとという、教訓的な意味があるとのこと。以下、「日本の民画 大津絵と泥絵」展について、いただいた資料を元に書いてみました。

「民画」とは、柳宗悦が使い始めた言葉で、民間で描かれ売られた絵画のことを指します。量産のために手早く描くので、極端に略筆されていますが、のびのびとした自由な筆遣いが随所に見られるのが特徴です。なかでも、大津絵と泥絵は日本の民画を代表する絵画として知られています。「日本の民画」展では、江戸時代に多くの人々に親しまれた大津絵と泥絵を中心に展示し、その魅力を紹介しています。


大津絵とは、江戸時代初期から東海道の宿場町大津近辺で描かれ、旅人への土産物として売られた絵のことです。庶民信仰の手間の神仏画に始まり、その後道訓的な世俗画などが加わり、約250年にわたって描き継がれました。描法は合羽摺りや木版押しを併用した肉筆が出、繰り返し多量に描くという工芸的な性質を持った絵画です。


泥絵は、遠近法などの西洋絵画の影響を受けて、胡粉が基調の不透明な泥絵具で描かれるようになった江戸期の絵画を指します。最初に西洋画が伝わった長崎に始まり、上方、後には江戸へと伝播し、眼鏡絵や名所絵図として量産されました。









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