泉屋博古館分館で「近代の屏風絵」展を観た! | とんとん・にっき

泉屋博古館分館で「近代の屏風絵」展を観た!

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僕にとっては初めての美術館、しかもほとんどなにも知らない「屏風絵」、興味津々で行ってきました。この近辺はかつてはよく行っていたことがありましたが、それは泉屋博古館のお隣、「アークヒルズ」の出来る前のこと、ずいぶん昔の話です。霊南坂教会、辰野金吾の設計で知られていましたが、アークヒルズの開発で現在の地に移転しました。実は僕はここで結婚式を挙げました。山口百恵より前のことです。もちろん、現在の教会ではなく、かつての教会でした。そんなわけで、泉屋博古館の帰りに、結婚式以来初めて新しくなった霊南坂教会のなかに入りました。


泉屋博古館は、展示室は2室、大きな屏風を観るのにはちょっと引きが足りないかなと思いましたが、普通の日本画だったらこれで十分なのでしょう。展示されていた作品はほとんど全てが保存状態がよく、素晴らしいものでした。描かれているテーマはやはり日本画ですから、花鳥や季節の草花、雪景色や鶴など、あるいは祭礼図などでした。僕が行ったのは「近代の屏風図―煌めきの空間―」の「前期」でした。計14作品でした。屏風絵が大きいこともありますが、後期も入れ換えて同じ数の作品です。皆さんが前期・後期も観に行く理由がよく分かりました。画像はウェブページより、木島桜谷の「竹林白鶴」と海北友雪の「日吉山王祭礼図」を載せておきます。


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泉屋博古館については、ウェブページから引用したものを下記に掲げておきます。


泉屋博古館は住友家が蒐集した美術品を保存、展示する美術館です。泉屋博古館の名称は、江戸時代の住友の屋号「泉屋(せんおく)」と、900年前に中国で皇帝の命によって編纂された青銅器図録『博古図録』からとられています。住友家の美術品で最も有名なものは、第15代当主住友春翠が明治中頃から大正期にかけて蒐集した中国古銅器と鏡鑑です。この2つの蒐集品の写真が、分館のホールに展示してありました。泉屋博古館はこの青銅器と鏡鑑500点余りを保存公開するための財団法人として昭和35年に発足し、昭和45年には京都鹿ヶ谷の地に4室からなる青銅器と鏡鑑の展示室が完成。その後も当館は、住友家から数々の美術品の寄贈を受けて、現在収蔵品は3000点以上もあるという。東京六本木に分館を開設したのは、平成14年のことです。


泉屋博古館が所蔵する美術品は、中国青銅器・鏡鑑の他に中国・日本の書画、洋画、近代陶磁器、茶道具、文房具、能面・能装束などが極めて多様なものがあり、これら収蔵品の多くは住友家第15代当主住友春翠(1864~1926)が蒐集しています。春翠は青銅器コレクターとして有名ですが、彼の美術品に対する関心は青銅器に留まらず、大変広い範囲に及ぶものでした。春翠は、茶の湯や能楽といった日本の古典芸能を嗜み、日本家屋で日本画を鑑賞するといった伝統的な数寄者の生活を楽しみましたが、その一方で当時としては先進的な西洋風の生活も楽しみ、洋画をはじめとする近代美術にも深い理解を見せています。さらに中国文人の生活にも憧れ、青銅器や文房具に囲まれた書斎で篆刻を嗜むといった文人的生活も楽しんでいます。このように様々な文化に興味をもった春翠は、美術品も自らの美意識にかなったものを洋の東西、新旧を問わずに蒐集しており、これが今日の泉屋博古館収蔵品の母胎となりました。


「近代の屏風絵―煌めきの空間―」について


屏風は、風を防ぎ、人目を遮蔽する他、間仕切りのためにしつらえられた調度品で、その起源は、前漢時代までさかのぼりますが、そこに絵を描くことによって室内を装飾する効果が生まれ、さらに大画面の絵画制作を可能とするところから、多くの作品が残されてきました。近代に入ってから公の展覧会が開催されるようになりますと、多くの画家たちは、展示効果の大きい屏風の形式に注目し、屏風絵を会場芸術主義の発表のひとつの理念とした感があります。


本展は、所蔵の屏風作品の中から、特に木島桜谷が初春、春夏秋冬をテ-マとして金地六曲一双屏風に描いた華麗な作品を中心として、京都画壇の望月玉泉「雪中廬雁図」、望月玉溪「白孔雀図」、東京画壇の橋本雅邦「春秋山水」や、特別出品としてそれらに先行する江戸期の伊年印「四季草花図屏風」、海北友雪「日吉山王祭礼図屏風」、彭城百川「梅図屏風」なども展示いたします。これらの中には、吉祥の画題も含まれており、お正月を言祝ぐのにふさわしい内容になっております。










「泉屋博古館」 ウェブページ


とんとん・にっき-reinanzaka 日本キリスト教団 霊南坂教会

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