山種美術館で「大正から昭和へ」展を観た! | とんとん・にっき

山種美術館で「大正から昭和へ」展を観た!


久しぶりの晴れた日曜日、ということもあって、散歩がてら東京メトロ半蔵門駅で下りてぶらぶらと歩き、山種美術館の「大正から昭和へ」展を観てきました。山種美術館は根強いファンが、お年寄り層ですが、沢山いるので今日も混んでるなと思ったら、どうも最終日だったようで、それでは仕方がありません。混んでるとはいえ、他の美術館と違ってのんびりとしたものですが。僕は何をやっているのかも分からずに飛び込みましたが、川端龍子の「鳴門」の図版を使ったチラシは、どこで貰ったのかは憶えていませんが、持っていました。


副題、というか、タイトルの前に「佐伯祐三・小出楢重・速水御舟・川端龍子」とあります。山種美術館は、日本画の専門美術館と聞いていましたが、佐伯祐三とは?それはさておきやはり圧巻は、大きさから言っても、ダイナミックな構成から言っても、大胆な「青」の色使いから言っても、この「鳴門」でした。僕にはやや「青」がきついかなと思えましたが。どなたかが書かれていましたが、龍子は鳴門に行って渦を見て描いたのではなく、龍子の想像上の「鳴門」だそうです。



速水御舟の「昆虫二題 葉陰魔手・粧蛾舞戯」、これは対比的に描かれていて、一方の目玉です。小林古径の「清姫《寝所》」「清姫《日高川》」「清姫《鐘巻》」、これらは全8面のうちのそれぞれ1面ですが、物語性を感じ、全8面を通しで観てみたいものです。また古径唯一の油彩であるという「静物」も素晴らしいものでした。僕が素人目に観て素晴らしいと思ったのは、竹内栖鳳の「斑猫」、毛の先まで一本一本丁寧に描かれていて、神経が行き届いており、しかもふっくらとした猫特有の温かさが表れています。いいですね、さすがは「重要文化財」だけのことはあります。「中国・宋代の微宗高低の猫を念頭に、円山四条派の伝統の上に西洋的な写実も加味して描かれています」と解説にありました。速水御舟の「埃及土人ノ灌漑」1931(昭和6)年は、絵がどうのというよりも、題名に「土人」とあるのは、年代を感じました。



また小出楢重の自分の息子を描いた「子供立像」、西欧から帰った小出が、息子に洋風の「いでたち」をさせて描いたというものです。画面からは、西欧風の暮らしも忍ばれます。速水御舟の「写生」7点、どれも1930年に「ローマ展」の使節として渡欧した御舟が描いたものです。「ベロナの街」「塔のある風景」「聖フランチェスコ寺のあるアッシジの村」「フィレンツェ・アルノの河岸の家並」等々、僕も行ったことがあり、どれも味わいのあるものばかりです。「写生」ではありませんが、「オデオンの遺址」「オリンピアス神殿遺址」など、「絵になる」ギリシャの風景も、日本画の技法を超えた貴重な試みのものでした。ただ何点か、日本画風に掛け軸に吊すような「表装?」がなされていましたが、西欧風の画題と軸は合わないというか、違和感を感じましたが、どうなんでしょうか。


やはり会場に入って一番先に度肝を抜かれたのが、佐伯祐三の「レストラン(オ・レヴェイユ・マタン)」です。あるはずのない絵が、一番先の目につくところに展示してありました。「クラマール」という絵も並んで掛けられていましたが、佐伯祐三のこの絵を山種美術館が持ってるとは、勉強不足でした。佐伯に関してはヴァラマンクにけなされたとか、幾つかの伝説が残っているようです。僕が初めて知ったのは、自殺未遂をしていたこと、かろうじて助かったものの、そのすぐ後に僅か30年という短い生涯だったということです。ちょうど横浜のそごう美術館で「没後80年 鮮烈なる生涯 佐伯祐三展」が開かれているようなので、是非とも近いうちに行ってみたいと思っています。



「大正から昭和へ」展、時代背景はというと以下の通りです。

1920年代前後、経済の繁栄と海外との交流により、大正デモクラシーと呼ばれる自由闊達な雰囲気のもと、おおらかな民衆文化が花開きました。美術界においても、日本画と洋画が互いに影響を与えながら模索した時代といえるでしょう。本展覧会では、まず、当時きら星のように現れた画家たちにスポットを当て、大正から昭和の時代を見ていきたいと思います。・・・本展は、大正から昭和にかけての時代の空気のもとで描かれた日本画と洋画作品を約50点選び、皆さまにご紹介いたします。(以上、チラシ裏より引用)