エイミー・ベンダーの「燃えるスカートの少女」を再読! | とんとん・にっき

エイミー・ベンダーの「燃えるスカートの少女」を再読!


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朝日新聞読書欄の「文庫・新書」コーナーに、下のような小さな紹介記事が載っていました。掲載日は2008年1月27日でした。
エイミー・ベンダー著「燃えるスカートの少女」 ある日、猿になりサンショウウオへと「逆進化」を遂げた恋人(思い出す人)、戦争で唇を失った夫、彼のキスを奪われた妻(溝への忘れもの)……あまりに奇抜なのにリアル。理不尽だが、明るく清涼感をたたえた短編集。(菅啓次郎訳、角川文庫・580円)


「ある日、猿になりサンショウウオへと逆進化」という個所で、「おう、これこれ」と思い出しました。これはもうカフカの「変身」です。たしかに以前読んだ本ですが、どこにあるのか見つからない。とりあえず文庫本を購入、すぐに読み始めました。その間、本を探してみました。押入の奥にしまってある、10冊ぐらいずつまとめて紐で括った束のなかに、「燃えるスカートの少女」の単行本が見つかりました。2003年5月30日初版発行、とあります。いまから約5年前の発行、価格は1995円(本体+税)でした。


単行本の方ですが、女性の著者に会わせた表紙のイラストが目を引きます。帯に嶽本野ばらが書いています。「歪んだ世界は少女に、苦悩を知らさず、苦痛しか与えない。痛みと共にやがて少女は結晶となり、不可思議に発火する。これらの物語は現実。決してファンタジーではないのです。手術台の上に麻酔なしで括り付けられた僕達にとっては・・・」。嶽本野ばらといえば自称「乙女派文筆家」で、映画「下妻物語」の原作者です。半年ほど前、新宿歌舞伎町の路上で大麻不法所持で現行犯逮捕され、話題になりました。


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さて、文庫本の方ですが、よしもとばななの「かなしくて明るいもうひとつの現実」という赤い帯に書かれた意味がよくわからない。「言葉と想像がつむぐ、かつてない物語。各紙誌で絶賛の短編集、待望の文庫化」とあるので、なんとか「燃えるスカートの少女」のことなのかなと、無理やり思わされましたが。嶽本野ばらの帯に較べると、善し悪しは歴然としています。文庫本の売れ行きは解説者にもよるようです。「燃えるスカートの少女」の文庫は、解説が堀江敏幸です。これは興味が湧きます。


もうひとつ、文庫本を外側から攻めると、表紙のイラストと、各短編ごとの扉のイラスト、これが見事にマッチしています。調べてみると、山田緑という人の作品です。装画は以前描いたイラストを使い、「一人の少女が一瞬だけ別世界へ逃避行するイメージで描いたもの」。扉のイラストは新に描いた16枚のイラストです。「16編の短編集なのですが、どの話もおとぎばなしのようでいて、でも現実的でもあって・・・。現実の世界がすこし歪んだもうひとつの現実世界の物語と思っています」と語っています。


さて「燃えるスカートの少女」ですが、エイミー・ベンダーの処女作で、その才能に全米の作家をうならせたという作品です。「思い出す人」、「私の名前を呼んで」、「溝への忘れもの」、「ボウル」、「マジパン」、「どうかおしずかに」、「皮なし」、「フーガ」、「酔っ払いのミミ」、「この娘をやっちゃえ」、「癒す人」、「無くした人」、「遺産」、「ポーランド語で夢見る」、「指輪」、そして表題作「燃えるスカートの少女」、 全16編の奇妙な世界を描いた短編集です。


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この本の訳者の菅啓次郎は、ホノルルの書店で、偶然「燃えるスカートの少女」を手に取り、立ったまま、ぱらりと開いたページの短編を一息で読んでしまった、という。ホテルの戻ってその晩を費やしてすべての物語を読み終え、その日からエイミー・ベンダーの熱狂的なファンになったそうです。そして奇跡的な傑作、炎の手を持つ少女と氷の手を持つ少女を描く「癒す人」は、あまりにも完璧な作品であり、エイミーの作家としての天才を証明するには十分な短編だと、「訳者あとがき」で述べています。さて、16編の短編集、すべてを紹介するのは無理があるので、とりあえず、数編だけでも簡単に紹介しておきましょう。


「思い出す人」は、「私の恋人が逆進化している」、と猪突に始まります。「人間だった彼を見た最後に日、彼は世界をさびしいと思っていた」。朝になると大きな毛むくじゃらな猿になっていて、その後小さなサンショウウオになり、1ヶ月が経ちいまは海亀です。その恋人を車に積んで浜辺へ行き、海に放します。「私は両腕を海に向かってふる。彼がふりかえれば見えるように」。そして「私はくるりとむきを変え、歩いて車に戻り」ます。決して「逆進化」を止めようとはせず、見つめ続け、淡々としてすべてを受け入れます。


「私の名前を呼んで」は、接着式の壁掛けフックを発明した父の遺産でお金はたくさんある女の子の話。地下鉄の中で内気な男を見つけて、家までついていきます。彼女はベルトで縛られます。彼は何もしません。「大金持ちの娘を縛るだけ縛ってやらないなんてことは許されない、あなた、いったい何様のつもり?」。


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「溝への忘れ物」は、「スティーヴンが戦争から戻ってきたとき、唇をなくしていた」と始まります。「すごいショックだわ。唇はあるものだと思っていたのに」と妻のメアリーは思います。いかにも不思議な始まりです。彼の口には覆い保護している奇妙な形のプラスチックの円盤が付いています。もう元通りにはならない、あの爆弾が本物のキスを奪ってしまったと、妻は嘆きます。彼女は、庭に穴を掘り、戦場のスティーヴンのために編んだ3枚のセーターを埋めます。食料品店の若い男に誘われ、彼とキスをして唇の感触を思い出します。おみやげに買ったクチナシの花束を手にして、スティーヴンの待つ家に帰ります。


「マジパン」の私は10歳、姉は13歳。二人の娘の46歳の父親は、ある日目を覚ますと胃にサッカーボールくらいの大きな穴があいていました。43歳の母親は「どうやらおめでたですよ」と医者に言われます。「パパは健康。ままは妊娠?」。出産の日にはみんなで病院に行きました。母の両脚のあいだから出てきたのは、「赤ちゃんの頭ではなく老婆の頭」でした。老婆は自力で蹴るようにして出てきて、医師の手術用の鋏をつかむと、自分でへその緒を切ります。赤ちゃんが母の母親?「こんにちは、おばあちゃん、と私はいった」という、訳の分からない、度肝を抜かれる話です。


「どうかおしずかに」は、父親が死んだ日に図書館で何人もの相手とセックスする図書館員の話です。奥にある部屋で犬みたいに入れてと彼女は男に言います。その男と「おまんこ」が終わると、彼女はもう二度と彼を欲しくはならないと確信します。次の男が彼女のデスクに来てくれるのを待っています。今度はビジネスマン。彼女は奥の部屋に彼を誘い、裸になり汗をかきます。「あのね、これは一回こっきり。ありがとう」。昼食後、筋肉男が図書館にやってくると、また男を欲しくなります。


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「ユダヤ系であること」は、この作品の大きなテーマのひとつです。「皮なし」は、ユダヤ教の男性器の包皮切除を行う「割礼」を連想させます。「ポーランド語で夢見る」は、ナチスの迫害によって強制収容所で死んでいったポーランドのユダヤ人の家系の話です。ベルンハルト・シュリンクの「逃げてゆく愛」のテーマと重なるところがあります。もうひとつのテーマは、「どうぞおしずかに」にあるように、ずばり「セックス」です。「私はおちんちんをあの深くて暗いおへその穴につっこんでやりたいという欲望の波を感じる」という、「この娘をやっちゃえ」も同様です。


「燃えるスカートの少女」は、学校からお昼を食べに帰ってくると、父が石でできたバックパックを背負っていたので、下ろしなさいよというと、父はそれを私にくれました。極限まで稠密で、ジッパーの把手まで石でできていて、重さは1トンもあります。この作品のラスト、可燃性のシフォン・スカートをはいた少女が、それをパーティーに来てゆき踊っていたが、蝋燭に近寄りすぎたため、突然、火がついてしまった。スカートが燃え上がった瞬間、あの子は何を思ったのだろう?と。この辺りのイメージが作品のタイトルになったのでしょう。最後に日本の読者のために書き下ろした「夜」という、ごく短いが作品が「特別付録」として、原文と共に巻末に掲載されています。


あまりにも超現実的で、不可解な設定が作品の中にありますが、物語は普通の日常生活の中で淡々と時間が経過していきます。ひとつひとつが寓話的ですが、ファンタジックな話もあれば、グリム童話のように時には残酷な話も隠されています。その辺りを訳者の菅啓次郎は次のように述べています。「どの話を見ても、ある種の根元的な欠乏感、みたされない気持ちがある。そしてそれを埋めようとする、強い欲望。そのひたむきさがどこかで逸らされて、なんともいえない痛みやさびしさで終わる。さびしさが、ぼくらの中で何かを、見えない涙によって洗い流してくれる」と。



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堀江敏幸の解説は、「さびしいと思っていた世界に抱きしめられること」と題されています。「不在の対象をいつまでも忘れずにいること。それが仕事だと認識すること。ここにエイミー・ベンダーという作家が差し出す、冷たくてあたたかい手の秘密がある」という。「待っていたものとは異なるなにかがいきなり手元へやってきても、それを不可解だと思わずに受け止め、あって当然のものがいきなりどこかへ消えてしまっても、それをさびしさと呼ばずに黙って呑み込んでいる。彼らは触れ合いの持続よりも、その静かな崩壊の持続のほうに、より大きな価値を置いているのだ」と。そして「人間だった彼を見た最後の日、彼は世界をさびしいと思っていた」という「思い出す人」の中の一文を繰り返します。



山田緑プロフィール

「燃えるスカートの少女」装画と各扉のイラスト集