「線の迷宮<ラビリンス>Ⅱ―鉛筆と黒鉛の旋律」展を観る! | とんとん・にっき

「線の迷宮<ラビリンス>Ⅱ―鉛筆と黒鉛の旋律」展を観る!




目黒区美術館で開催されている「線の迷宮<ラビリンス>Ⅱ―鉛筆と黒鉛の旋律」展を観てきました。過去に(2002年)に「線の迷宮<ラビリンス>―細密版画の魅力」展と題した、エッチングやエングレーヴィングによる銅版画や木口木版画の、細密表現を紹介したその第二弾の展覧会です。残念ながら、第一弾の方は僕は見逃してしまいましたが。


今回の「線の迷宮<ラビリンス>Ⅱ―鉛筆と黒鉛の旋律」展は、鉛筆やシャープペンシル、消しゴムなどを画材に、微妙な筆圧による素朴な技法で、線と面をデリケートな表情で描かれているものです。それぞれ独自の世界を表現している作家9名の作品約100点が、各コーナーに分かれて展示してありました。出品作家は、磯邉一郎、小川信治、小川百合、木下晋、齋鹿逸郎、佐伯洋江、篠田教夫、関根直子、妻木良三の9名です。鉛筆は、誰でもが身近に書いたり描いたりすることでいつも使っているものです。黒鉛を素材にしたHからBまで何段階もの硬さがあることは誰もが知っています。書く、描く紙によって、また描く対象によって、その硬さを選んでいます。


建築の図面も、現在ではほとんどがパソコンで描き(入力し)、プロッターで打ち出していますが、かつてはトレーシングペーパーに描くのは硬い芯を使い、ケント紙はやや軟らかめ、そして美濃紙に書くときはもっとも軟らかい芯を使い、さらっと撫でるように書きました。朝、事務所へ出てまずすることは鉛筆を削ること、そんな時代も長くありました。それがホルダーを使うようになり、そしてシャープペンシルを使うようになりました。でも、今でもスケッチをするのはやはり軟らかい鉛筆が一番です。硬い鉛筆ではスケッチも硬くなってしまいます。


鉛筆は、描く時の筆圧の操作によって、人間の目が知覚できる微妙な差異を実にデリケートに表し、豊かな表情を生み出すことができます。また黒色の鉛筆は、黒鉛とは質の異なる闇を表すことが可能で、その黒によるトーンの幅はしっとりとした空間と空気を感じさせ、黒鉛とは違う魅力を投げかけてくれます。(目黒美術館より)



小川百合の作品は、海外の大学図書館の本棚を描いたシリーズと、人のいないオペラ座の人の階段を描いたシリーズが展示されていました。この部屋だけが照度を落としてあり、その中にぼんやりと作品が浮かび上がります。使用してるのはカーボンブラックによる黒色鉛筆で、黒鉛とは異なる「黒」を表現したと小川はいいます。



木下晋の作品は、瞽女の小林ハル氏との出会いから、鉛筆によるモノトーンの表現に入ったという。他にハンセン病患者の詩人・桜井哲夫さんら、実在する人物の「人間・生・時間」を熟視し、客観的な冷静さでその人の人生を鉛筆の濃淡で描き出します。人物に刻まれたしわが圧巻です。9Hから9Bまでの鉛筆を使いこなしています。中学時代に彫刻家の木内克から彫刻を学んだという経歴をもつ。



齋鹿逸郎の作品は、鳥の子紙に鉛筆で下地を作り、胡粉や白亜粉を置き、その軌跡を辿りながらさらに鉛筆で描いたという。ひたすら描くことが、作家の呼吸であり、生活であり、生きる証であったという。展覧会を待たずして6月19日に急逝されました。



篠田教夫の作品だけが1階に展示されていました。貝殻に刻まれる年輪のような有機物の痕跡までをも克明にとらえて鉛筆で描き、消しゴムで削りながら表現されています。銅版画のメゾチントを思わせる緻密で精細な表現です。


小川信治の作品は、もう圧倒されました。古びたフランスやイタリアの観光絵葉書を忠実に鉛筆で再現するなかで、2重に増やされている「perfect world」シリーズ。2年前の冬に僕が始めて「ピサの斜塔」を見たときのことが思い出されました。また名画の再現から何かが消される「Without you」シリーズ。時間を超えた素朴な鉛筆と紙による緻密な表現は、あまりにもリアルで観るものは驚かされます。

「これ、写真でしょ?」、「これ、ホントに鉛筆で描いたの?」とか、「すげーや」、「どうしたら鉛筆でここまでできるの?」とか、来館者は誰もが作品に近づき擬視し、また離れて見たりと、それぞれ驚いたように鑑賞していました。その執念、持続力、もちろん技術力もですが、脱帽です。具象あり、抽象あり、作家の細密な手の痕跡が克明に表現された作品が多数展示された今回の「線の迷宮<ラビリンス>Ⅱ―鉛筆と黒鉛の旋律」展は、鉛筆が素朴でありながら無限の可能性を秘めていて、それが確かな技術によって創造的な世界を作り出せる素材であるということを実証した展覧会でもありました。


目黒区美術館