小池昌代の「タタド」を読んだ! | とんとん・にっき

小池昌代の「タタド」を読んだ!


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小池昌代の「タタド」を知ったのは、第33回川端康成文学賞を伝える4月中頃の小さな新聞記事でした。川端康成文学賞は、優れた短編小説に贈られるもの。記事の末尾に、短編集「タタド」は7月下旬に新潮社から出版される予定、とありました。もともとは「新潮」06年9月号に掲載されたものです。小池昌代の略歴を見ると、昭和34年東京生まれ。津田塾大学卒業。平成9年に詩集「永遠に来ないバス」で現代詩花椿賞、平成12年「もっとも官能的な部屋」で高見順賞、平成13年にエッセイ集「屋上への誘惑」で講談社エッセイ賞を受賞。小説に「感光生活」、「ルーガ」等がある。とあります。どちらかというと「詩人」なのでしょうか、僕は初めて出会った作家でした。


まず、作品のタイトル「タタド」について、川端康成文学賞の選考会でもタイトルの意味の分かりにくさが話題になったそうです。このユニークなタイトルを小池昌代は「伊豆半島の多々戸浜から付けました。抽象的な場所にしようと思ってカタカナにしたんです」と語ります。乾いたカタカナの響きは、この作品の世界を象徴しています。「タタドはあの多々戸を母体として生まれた。けれど母から子が分離するように、生まれてしまうと、タタドはもうタタドであり、多々戸へ戻ることはできない。書くということは哀しいものだ。タタドって何だろう。波間に浮かぶ、ぶよぶよとした、気持ちのわるいニンゲンの悪汁」と、小池昌代は「受賞の言葉」でこう言います。


「多々戸浜に2、3度行き、凶暴な海を忘れていたことに気づかされた。機械音に囲まれた都会の物質生活と、ものすごい波動を持つ海との対比から小説を考えました」と続けます。そうか、音か、音の違いか、機械の音と、自然の音! 波の音、夏みかんの落ちる音、風の音、枝葉の騒ぐ音、雨戸の揺れる音、雨戸を繰る音、そしてステレオから流れるノルウェイの歌手シゼル・アンドレセンのごわごわした声。


本の帯には以下のようにあります。
「あとでまた、交代しましょう」、「ええ、そうしましょう」。海辺の家に集まった男女4人、倦怠と甘やかな視線が交差して、やがて朝がくると、その関係は一気に「決壊」する――。20年連れ添った夫婦とそれぞれの友人。50代の男女4人が海辺のセカンドハウスに集まってくる。海草を拾ったり、夏みかんを齧ったり、あどけないような時間のなか、倦怠と淡い官能が交差して、やがて「決壊」の朝がやってくる――。


皮膚が弱いイワモトは髭剃りのあとにアロエの要請という化粧水を塗っています。数滴手に落として両手でならしてぴたぴたと顔に塗った後、両方の手を自分の顔全体にじっと押し当てると気持ちが安らぎます。自分の顔はふてぶてしく醜い顔で、ブルドックみたいと人に言われたこともあります。古くなっても捨てるわけにはいかないくたびれた鞄のようだと思っています。イワモトは地方テレビのプロデューサー、中堅女優を聞き手にして各階の著名人を招くインタビュー番組をつくっています。出演している女優は岸上タマヨ、45を過ぎる頃からケンがとれていい顔になってきました。頭が良くて機転がきき、その上に努力家でもあります。


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でもイワモトは仕事に半分あきて、深い疲労をおぼえています。妻のスズコの顔は、いちめんそばかすでぎっしりです。お互いが20代の頃、イワモトはスズコに一目惚れします。いまでもそばかすを見ればイイナーと思います。夫妻は20年以上、ともに暮らしてきました。子供はありません。オカダはもともと妻のタマヨの知り合いです。二人はかつて同僚として橋に関する専門誌をつくっていました。イワモト夫妻の海の家は広い庭もある古いが大きな平屋です。東京から4時間半、3年前に購入しました。イワモトはいまはほとんど土、日をこっちで過ごします。スズコは拠点をこっちに移し、めったに東京に出ることはありません。


午後2時頃、赤いビートルに乗ってオカダが来ます。オカダはボタンダウンの黄色い綿シャツに紺色のサマーニット、質のいいものだが昔から持っているものを大切に着ています。大腸癌で15キロも痩せました。その妻はオカダが理不尽なリストラで職を失って、しばらくしてから家を出ていきます。学生の住むようなアパートで一人暮らしをしています。夕暮れてきたころ、クリーム色のシトロエンに載ってタマヨが着きます。黒のスラックスに袖無しの黒のサマーニットを着ています。暑がりのタマヨはいつだって夏のような装いです。小柄だがめりはりのきいた身体つきをしています。いつ見ても色のついていない、これからなんにでもなれそうな、本当の役者です。


風が出てきたので、オカダとタマヨは泊まっていくことになりました。4人は交代で夏みかん風呂へ入ります。風呂からあがったイワモトは、アロエ化粧水を顔に塗り始めます。オカダもスズコもタマヨもそれぞれアロエの化粧水を顔に塗り、手で頬を圧しじっと目を閉じる姿は、宗教者たちの不思議なサークルのようです。


時計が2時を過ぎた頃、みんなの目もとろけてきます。スズコはタマヨを伴って寝室へ行きます。女ふたりだけになると、「もうすぐ死ぬわね、あのひとも。あの毒気を一人で吸い取ったような、イワモトの醜い顔がひどく好きだった。いまだにね。タマヨさんは、あの顔、どう思う?」、まるでイワモトをタマヨに差し向けるようにスズコは言ったりします。男たちは、話すことなくリビングでワインを飲んだりしています。いい女だなあと思い出すようにオカダは言います。タマヨともスズコとも、どちらでもあるような言い方で。イワモトも、誰がと聞かずに黙っています。タマヨもスズコもいとおしく、彼女たちの存在じたいが掌でした。


翌日、4人は遅い朝を迎えます。トーストとコーヒーだけの朝食を皆で静かにとります。ここへタマヨを読んでおきながら、イワモトは、結局今回も仕事の打ち合わせなど何もしませんでした。スズコはステレオのところへ行ってCDをかけます。ノルウェイの歌手、ごわごわした声のシゼル・アンドレセン。タマヨは音楽に合わせて踊り出します。オカダが立ち上がって、タマヨのそばへ寄っていき、寄り添って踊り出します。「ああ気持ちよさそう」、スズコも立ち上がって二人のそばへ行きます。やがてイワモトも立ち上がって、3人のそばへ寄り添います。スズコはイワモトの手を取ったので、二人は久しぶりに繋がります。思っただけで終わるつもりの言葉が、スズコの声になってイワモトへささやきます。イワモトからの返事はないが、二人は海藻のようにゆれながら手を繋いで踊ります。


それからスズコが言う。交代しましょう。
(略)
あとでまた、交代しましょう。
タマヨが誰にということもなく、リビングの空間に向かっていう。
何かが決壊したとスズコは思う。始まった以上、それは止められない。
終わりが始まっているのかも知れなかった。
ええ、そうしましょう。とスズコは答える。


食事や談笑を通じて4人は五感が開かれてゆきます。翌日、男女は踊るうちにモラルを超えた関係に陥ります。「書いているうちに、ああなっちゃったんです。夫婦関係っておもしろい。なぜ、くたびれながらも続けているのか、一人の相手と性交を続けるのか、考えるとわからないことが多い。都会生活で固まっていた4人の身体が、場所の力で最後に開いたんです」と、小池昌代は言います。わずか50ページの短編、ゆらり、ゆらりとたゆたっているうちに、思わぬ場所にたどりついたような、不思議な味わいの作品です。


この本は、川端賞受賞作の「タタド」、海辺で夫を待つ女と、風、砂、水、光による侵食を描く「波を待って」、同級生夫婦の家での奇妙な住みこみの仕事を描く「45文字」、全3篇収録されています。