岩野亮介展「肖像の研究3」 | とんとん・にっき

岩野亮介展「肖像の研究3」




岩野亮介さんは1960年生まれの彫刻家です。写真のモデルとしての彫刻を作り始め、2004年に銀座の画廊で「青空娘」を発表、2005年「肖像の研究2」を発表、そして今回2007年「肖像の研究3」となったわけです。木の彫刻からわき出る暖かさのせいか、人なのか人形なのか、風景の中にその人(人形)がいると、その人が人形だからこそ、観る側に豊かなイメージを起こさせてくれます。と、まあ、なにを言っても、とても言葉では言い表せない不思議な世界です。展覧会で撮ってきた画像を掲載しますので、不思議な世界を味わってみてはいかがでしょうか。今回は茨城県水海道市の駅や役所、高校などで撮影を行ったそうです。以下に、岩野亮介さんの「肖像の研究展について」を掲載します。






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2006年「肖像の研究展」について
私は写実的傾向を持って彫刻を制作してきたが、人体を表現する上でポーズを決めると言うことに、一つの壁があったそしてそれを避けるようになり、頭像、上半身のレリーフ、四つ足の動物などを作ってきた。それとは別に過去の絵画を見ると、等身大のモデル人形が使われていたことは確実である。ハンス・オルバインの絵のように、複雑な衣のヒダを描くとすると、実際の人間が衣服を着ると、衣のヒダが毎回変わってしまう。(デューラー派の画家のモデル人形が残っている。)ここで一つ等身大のモデル人形を作ってみようと考えて。各関節を自由にし、自立できるものを目ざした。材料は慣れた木材にした。この作業は、ポーズから解放されて人体を作るという新鮮なものであった。




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ある日、服飾関係の学校のポスターだったか、マネキンを屋外で撮影したものが使われていた。私は一瞬だまされて、このマネキンを人間だと思って見たのである。自分のモデル人形を使って写真を撮れば、もう少し精密な写真が撮れると思った。当初、私はこのモデル人形を「人像」と称していたが、他人との会話をとおして、いつのまにか自分も人形と呼んでいた。それはどうでも良いのだが、この人像の写真を個展の案内状に使ったところ、彫刻を止めて、女の子のスナップ写真の展覧会を開いていると思った人がいたのは、説明不足の失敗だったが、ある意味では、企ては想いどおりにいった。撮った写真が最終的な作品、または実験結果であり、撮影とプリントは銀塩で行われる。デジタルを使うと、人像を造った作業が無駄になる気がするからだ。
岩野亮介



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ロバート・ジョンソン:
1922年5月8日、ミシシッピ州生まれ。農作業には不向きであったが、ギターと歌の腕を上げ、1930年代にレコードを吹き込む。1938年に死去するが、長い間、その写真が不在だった。1986年に、2枚の写真が発見される。






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