森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」を読んだ! | とんとん・にっき

森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」を読んだ!


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「全国書店員が選んだ いちばん!売りたい本 2007年本屋大賞」は、佐藤多佳子の「一瞬の風になれ」でしたが、2位は森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」でした。併せて、「第20回山本周五郎賞」も受賞したという。なにしろマンガチックなカバー(装画・中村祐介)の本が平積みされていると、読まざるを得ないのではないかという「強迫観念」がフツフツと湧き起こってきて、遅ればせながら読んでみました。


森見登美彦はどんな人なの?「モリミー」とか呼ばれて、巷では根強い熱狂的なファンが数多くいるという。なんと先日読んだ「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の著者、本谷有希子と同じ1979年生まれだという。まだ20代か、う~ん、若い!が、けっこう他作なんですね。もう人気作家の地位を築いているようです。経歴は以下の通りです。


森見登美彦、1979年奈良県生まれ。京都大学農学部卒、同大学院修士課程修了。2003年、『太陽の塔』で第15回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。独特の文体と奇想に満ちた作風を身上とする。他の著書に『四畳半神話大系』『きつねのはなし』がある。


私はなるべく彼女の目にとまるよう心がけてきた。夜の木屋町先斗町で、夏の下鴨神社の古本市で、さらには日々の行動範囲で――。吉田神社で、出町柳駅で、百万遍交差点で、銀閣寺で、哲学の道で、「偶然の」出逢いは頻発した。――我ながらあからさまに怪しいのである。そんなにあらゆる街角に、俺が立っているはずがない。ご都合主義もいいところだ。――「ま、たまたま通りかかったもんだから」という台詞を喉から血が出るほど繰り返す私に、彼女は天真爛漫な笑みをもって応え続けた。「あ!先輩、奇遇ですねえ!」(本文より)



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大学で学ぶ男子学生の片思いが物語の軸となった、京都を舞台にした「ファンタジー恋愛小説」です。男性が弱くなったと言われる昨今、主人公はまさに絵に描いたようなウブでオクテの男子学生です。物語は「私」という語り手によって話が進められていきますが、その「私」が女子学生に思いを寄せる男子学生だったり、彼に思いを寄せられる後輩の女子学生だったりして、交互に入れ替わりながら進みます。両者の異なった視点が、物語を面白可笑しくしています。登場人物は全員、とんでもなく奇妙奇天烈なキャラクターです。後輩の女子学生、一方の主役ですが、酒豪ときているから、これも凄い。全体的にレトロな感じ、ときに「擬古典調」の文体がこの作品に厚みをもたらしています。なにしろ著者の古本に対する情熱というか、知識は驚くほど広く深い、感服させられました!たとえば古本市で私が少年を無視して本を物色するところなど、「一気呵成」にこうですよ!


まずベアリング・グールドによる膨大な注釈の付いたシャーロック・ホームズ全集を見つけた。それからジュール・ヴェルヌの「アドリア海の復讐」があった。続いてデュマの「モンテ・クリスト伯」のひと揃いを眺め、大正時代に出た黒岩涙香の「厳窟王」が華々しくビニールに包んで置かれているのを見てヘエと思い、山田風太郎「戦中派闇市日記」をぱらぱらめくり、横溝正史「蔵の中・鬼火」を見て『やはり表紙の絵が怖い』と思い、薔薇十字社の渡辺温「アンドロギュノスの裔」がうやうやしく祀られてあるのに驚き、新書版の「芥川龍之介全集」の端本を見つけてこれも立ち読みし、やがて福武書店の「新輯内田百閒全集」を見て、これはさすがに足を止めたのであるが、それでも財布を開くことなく、三島由紀夫「作家論」を眺め、太宰治「お伽草子」を読んだ。


冒頭から「おともだちパンチ」に見舞われます。「親指をひっそりと内に隠して、堅く握ろうにも握れない。そのそっとひそませる親指こそが愛なのです」と、姉から伝授された「黒髪の乙女」。「妄想と現実をごっちゃにするという才能」を持ち、行動が伴わない頭でっかちの大学生の「彼女という城の外堀を埋め続ける日々」が続きますが、「本丸」にはなかなか到達しません。さてさて、先行きどうなるのかと、どんどん読ませます。こういうのを「エンターテインメント」と言うんでしょうか?「人事を尽くして、天命を待て」。「なんとも不思議でオモチロイ1年」だったと彼女は振り返り、「こうして出会ったのも、何かのご縁」と、彼のそばへ歩み寄り、小さく呟くのでした。「夜は短し歩けよ乙女」は見事に大円団?めでたし、めでたし!


本屋大賞


「夜は短し歩けよ乙女」角川書店