隅田川に架かる「橋」が重要文化財に! | とんとん・にっき

隅田川に架かる「橋」が重要文化財に!





「重要文化財に勝鬨橋、永代橋など11件 文化審答申」という新聞の記事が、先月の21日にありました。文化審議会(石澤良昭会長)は、隅田川にかかる清洲橋、永代橋(ともに東京都中央区・江東区)、勝鬨(かちどき)橋(東京都中央区)や旧松本高等学校(長野県松本市)、愛珠(あいしゅ)幼稚園園舎(大阪市中央区)、旧旭東(きょくとう)幼稚園園舎(岡山市)など11件を重要文化財に指定するよう伊吹文部科学相へ答申したという記事でした。


僕の興味は隅田川に架かる「橋」でした。永代橋と清洲橋は関東大震災の復興事業としてそれぞれ1926(大正15)年と28(昭和3)年に完成しました。40(昭和15)年にできた勝鬨橋は、国内で最大級の跳開橋(ちょうかいきょう)(跳ね上げ橋)です。いずれも当時の最先端技術を用いて建設された点が評価されたようです。銀座へ行ったついでに、ちょいと足を伸ばして「勝鬨橋」を見てきました。(上の画像はasahicomより)


勝鬨橋は、昭和15年に計画されていた東京万国博覧会の会場へ行くためのメインゲートとして、昭和15年6月14日つくられたとのこと、これは知りませんでした。勝鬨橋の開閉は東京名所のひとつでしたが、昭和45年11月29日の開閉を最後に、現在では開かずの橋となっています。再び勝鬨橋をあげようという「会」があると聞きました。実際に橋をあげるには数十億円の費用がかかることや、走っている交通をストップさせなくてはならないなどで、残念ながら現実には難しいようです。「勝鬨橋」の名称は、明治38年、日露戦争の旅順要塞陥落を契機に、京橋区民の有志が「勝鬨の渡し」を設置し、その名称が橋名に受け継がれているということです。「勝ち鬨の渡し」の石碑が築地側、「かちどき・橋の史料館」前に立っています。ベストセラー「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の第71巻「勝ち鬨橋ひらけ!の巻」としても取り上げられています。




「かちどき・橋の史料館」について
京港修築計画に基づいて架けられた勝鬨橋は、当時国家的イベントとして予定されていた万国博覧会へのメインゲートとしても利用するために、当時の最先端技術の粋を集めて建造されました。万博自体は戦争の激化により中止となりましたが、勝鬨橋は昭和15年6月14日に完成しました。
中央が開閉する勝鬨橋は、完成当時は跳開橋として東洋一の規模を誇っていましたが、隅田川を航行する船の減少、交通量の増加などによって、昭和45年11月29日の開閉を最後に、現在では開かずの橋となっています。
当資料館は、橋を開くために使用していた変電所を改修し、この勝鬨橋をはじめ隅田川の橋について、貴重な資料や関連情報等を展示・公開しています。
また、橋を開くための巨大な機械についても、予約制の橋脚内見学ツアーにより公開します。
(かちどき・橋の史料館より)













「かちどき・橋の史料館」


勝鬨橋をあげる会