綿矢りさの「夢を与える」を読んだ! | とんとん・にっき

綿矢りさの「夢を与える」を読んだ!


wa3


ちょうど1年前の1月の中頃だったでしょうか、第130回の芥川賞と直木賞が決定したのは。芥川賞は、綿矢りさの「蹴りたい背中 」と金原ひとみ「蛇にピアス 」のダブル受賞でした。綿矢は1984年生まれ19歳、金原は1983年生まれ20歳の受賞、ということで、最年少の記録更新などという以上のインパクトを社会に投げかけました。もしかしたら、時代の大きな節目なのかも知れません。作品もファッションも振る舞いも、見事に対照的な二人なので、「蹴りたい背中」と「蛇にピアス」を、ついつい比較したくなります。


二作品が掲載された「文芸春秋」は、多くの若い読者を獲得して、史上最大の売り上げを記録したようです。綿矢りさの「蹴りたい背中 」は、デビュー作「インストール 」で第38回文藝賞を受賞した受賞後第1作です。思春期の女の子が同級生の男の子に向けるいらだたしさにも似た愛情の発露を丹念につづった「高校生思春期小説」ですが、僕にはちょっと退屈な小説に思えました。ちなみに「インストール 」は、上戸彩の主演で映画化 され、現在公開中です。
やっぱり書くか「蛇にピアス」


と、このブログで書いたのがいまから2年ちょっと前でした。ということは、まだ綿矢りさは23歳ですよ、若いですね!それにしても19歳で芥川賞を受賞して時代の寵児になってしまい、受賞第一作は世間から注目されざるを得ません。金原ひとみは既に第一作「AMEBIC(アミービック)」を発表済みです。綿矢りさについても、金原ひとみと同じことが言えるのではないでしょうか。


芥川賞受賞後、次作になにを書くのか、これは本人にとっては相当なプレッシャーだと思いますね。受賞後1年半、2作目の「アッシュベイビー」は受賞以前に書いた作品ということなので、実質的に「AMEBIC(アミービック)」が受賞後に書かれた第1作目ということだそうです。作家としては当然「前作を超えるような作品を書きたい」と思うのは当然でしょうが、そう考えることでますますプレッシャーが強くなり、精神的に追いつめられていきます。そのような状況を、そのまま表現したのがこの作品、「AMEBIC(アミービック)」になるのではないでしょうか。
金原ひとみの最新作「AMEBIC(アミービック)」を読んだ!


綿矢りさの「蹴りたい背中」については、「デビュー作である文藝賞受賞作の『インストール』より100倍出来がいい。受賞からたった2年でよくここまで成長した、えらい!」と豊崎由美に言われたりしています。大森望は、「綿矢りさは河出書房新社からお嬢さん売りで出てきて、100万部突破でしょ。ってことは、金原ひとみのロールモデルが山田詠美だとしたら、綿矢りさのモデルは俵万智?」と褒め称えています。(文学賞メッタ斬り!)


「夢を与える」は芥川賞受賞後第一作、綿矢りさの第4作目の作品です。2006年文藝冬号に掲載され、2007年2月28日に初版発行、単行本として発売されました。300ページ、500枚の長編、執筆期間は約1年半、かなり難産の末に生まれたようです。「でもなかなか1つの作品を書き上げられなくて。最初のうちは『しかたない』と気楽に構えていたんですが、さすがに3年目くらいになると『どうしよう?』と。そんな時、降ってくるようにひらめいたのがこの作品なんです」長さを感じさせない平易な文章で、一人称では表現できない工夫の施された文体と言えます。


本の帯には、「私は他の女の子たちよりも早く老けるだろう。チャイルドモデルから芸能界へ・・・幼い頃からTVの中で生きてきた美しくすこやかな少女・夕子。あるできごとがをきっかけに、彼女はブレイクするが・・・少女の心とからだに流れる18年の時間を描く、芥川賞受賞第一作」とあります。チーズのCMをきっかけに芸能界に入った子役の夕子が有名になり、猥褻な動画の流出によって地位を失うまでの顛末が記されています。


正直言って、「夢を与える」のストーリーは、芸能界では写真週刊誌や女性週刊誌などで話題を賑わすよくある出来事、どうということはない「陳腐」なスキャンダルです。が、しかし、300ページもの長編を淡々と書ける作家に成長した成果です。




幼稚園の頃から通販雑誌のモデルを勤め、その雑誌を見たCM会社からオファーが来てチーズのCMでデビュー。小中学生の間、そのCMのキャラクターをずっと勤め、高校合格を機に「ゆーちゃん」はブレイクします。スポーツでも本でも映画でも、自分から熱中したことのない夕子は、掛け値なしに夢中になれるものに出会います。ストリートダンサーの田村正晃との「恋愛」で、いわゆる「舞い上がった状態」になり、入れあげます。


が、この男がくせ者でした。「ゆーちゃん」は、いわゆる「流出ビデオ」というヤツで、完全に足をすくわれます。「だめだな、こりゃ。完全にのぼせ上がっている。」と、注意した社長は匙を投げます。「またくり返すの?もう終わっているのに?」「正晃は私を愛してはいない。結果はもうとっくに出ていたのに、ずっと見て見ぬ振りをしていた。」と、夕子は自分でも知っていながら。もし、はないとは思いますが、同級生の「多摩」との恋愛が発展していたら、事態はまるっきり変わっていたでしょうけど。


無理に引き止めた男の人が、結局いつかは去っていくことを、夕子は父親を追う母親の姿を見て、いやというほど知っていました。「すがりつくことは緩慢な死だ。死んでいるのに変わりはない」、と。「愛を守ってきたつもりが、振り向けば何もなかった」「心の空洞はもう埋めようがなく、欲しいものなどもう何もなくて、ただ激しく愛した残滓だけが疲労として身体に残っているだけだった」。夕子はまだ18歳だというのに。


芸能界の母娘、ステージママ業、といえば、「りえママ」と呼ばれる母親がいつも付きっきりだった「宮沢りえ」を思い出す。中村勘九郎と京都のホテルに泊まったところを、写真週刊誌に撮られてスキャンダルになったことが思い出されます。


「撮られていたセックスの映像」「ナゾの私生活、ホテルでの乱交」。母が釈明のために段取りした週刊誌の記者に、今回のスキャンダルのことを夕子は、堰を切ったように話してしまいます。「ここに書いてあることはすべてでたらめです。」と週刊誌の記者に言う母親に、「無理やり手に入れたものは、いつか離れていく。そのことは、お母さんが誰よりも知っているでしょう」と、夕子は言います。インタビューが終わり、スクープ記事を持ち帰る週刊誌の記者は、「終わったな、ゆーちゃんは。まあ痛い目に遭ってたしかに以前よりはかしこくなったんだろうな。でも人は、痛手を負ってかしこくなり簡単には笑わなくなった女の子を、テレビで見たいとは思わないものだよ」と言いながら、病院を出ていきます。


「夢を与えるとは、他人の夢であり続けることなのだ。だから夢を与える側は夢を見てはいけない。恋をして夢を見た私は初めて自分の人生をむさぼり、テレビの向こう側の人たちと12年間繋ぎ続けてきた信頼の手を離してしまった。一度離したその手は、もう二度と戻ってこないだろう。」


「私は他の女の子たちよりも早く老けるだろう」と言う18歳の夕子と、若くして芥川賞を受賞してしまい、大人の中で暮らすことの多くなった23歳の「綿矢りさ」とが重なって見えます。