ルキノ・ヴィスコンティの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を観た! | とんとん・にっき

ルキノ・ヴィスコンティの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を観た!


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巨匠ルキノ・ヴィスコンティの1971年の作品、「ベニスに死す」はもう何度か観ています。マーラーの楽曲で始まるこの映画、トーマス・マンの原作を、主人公の設定を文学者からマーラーをモデルの作曲家として映画化したものです。静養のためベニスを訪れた老作曲家は、そこで美しい少年と出会い、その少年を思い続けます。主人公の「老い」と少年の「若さ」を対照的に描いています。ラスト、海水浴場の砂浜の椅子の上で一人で亡くなっていくさまは見事でした。


さて、先日、NHK・BS2で「夏の嵐」を放映すると聞いて是非とも観たいと思いましたが、仕事の都合で観ることができませんでした。なにしろビデオがないので、番組を録画するということができないので、テレビはすべて「生」で観る以外にありません。ルキノ・ヴィスコンテ監督の1954年の作品「夏の嵐」は2度ほど過去に観ているのですが、最近になってまた見直してみたいと思い続けていた映画です。カミッロ・ボイトの短編小説「官能」を、ヴィスコンティが映画化した歴史大作です。19世紀、オーストリア占領下のベネチアが舞台です。運命的に出会った伯爵夫人と青年将校、いままで貞節な妻だった彼女は、突然フランツのとりことなって激しい恋におちる、というストーリーです。


イタリア映画といえば、1948年の「自転車泥棒」を初め、「道」、そして「鉄道員」や「ひまわり」もあります。近年では「ニュー・シネマ・パラダイス」や「ライフ・イズ・ビューテフル」などもあげられます。「マレーナ」もありました。監督ではフェデリコ・フェリーニの作品もたくさん観ました。イタリアを代表する俳優では、ソフィア・ローレンやマルチェロ・マストロヤンニがあげられます。毎年のように「イタリア年」のイベントがあります。先日取り上げたレオナルト・ダ・ヴィンチの「受胎告知」が初来日、というのも、「イタリアの春2007」の一環としてのようです。3~6月は「ダ・ヴィンチ展」、4~5月は「イタリア映画祭」が行われるようです。


NHK・BS2では「夏の嵐」以降、ルキノ・ヴィスコンティ監督の作品を取り上げて、集中して放映していました。その後BS2で放映された1942年の作品「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を、これは「やっと観ることができた」と形容できますが、11月29日に観ることができました。これはルキノ・ヴィスコンティの監督・脚本、第1作目のデビュー作品で、「ネオ・レアリスモ」の先駆的な作品と言われています。「郵便配達は二度ベルを鳴らす」といえば、僕らの世代で言えば、ジャック・ニコルソンとジェシカ・ラングの出演した、ボブ・ラフェルソン監督の1981年の作品の方がよく知られていますし、僕もこちらの方はもう何度も観ました。30年代のロサンゼルス、安食堂で愛のない生活を送る人妻、店にやってきた流れ者に心を奪われます。キッチンテーブルの上での激しく求めあうラブシーンは、すざまじい迫力で強烈に印象に残っています。


ルキノ・ヴィスコンティの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」の方ですが、1942年の作品といえば今から64年も前の作品です。北イタリア、ポー河沿いで夫とレストランを営むジョヴァンナは、ある日店に現れた流れ者のジーノに魅せられてしまいます。当然の如く二人は関係を結び、保険金目当てに夫の殺害を企てます。ルキノ・ヴィスコンティ監督の記念すべきデビュー作ですが、原作はアメリカのジェームズ・M・ケインによる犯罪小説です。それを、当時ファシズム体制にあったイタリアに舞台を移し、男女の愛欲をサスペンス風に描きあげました。アメリカ版と比べると、官能よりも、ジーノが殺人の苦悩にさいなまれる部分に、男の逡巡がよく現れている作品です。ジョヴァンナがジーノの子どもを身ごもり、2人は土地を離れて新生活に入ろうとします。ジーノは「人生をやっとやり直せる」とつぶやきます。しかし運命は、そう簡単には展開しません。最後に主人公が、レストランの小間使いをさせている少女に「俺は悪い人間か?」と尋ねるシーンが、観る人を感動させます。


タイトルの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」ですが、解釈は多々あります。もちろん映画の中では、郵便配達は二度ベルを鳴らすシーンは1度も出てきません。郵便配達人が配達先の呼び鈴を2度鳴らし、自分が不審者ではないと証明したことに由来すると言われています。ですから1度目と2度目の殺人を対比させて、2度目のできごとこそ人生における真実なのだと作品は訴えかけていると解説する人もいます。日本では、ヴィスコンティ監督死後の1979年に、やっと劇場公開されたモノクロ映画です。