絲山秋子の「袋小路の男」を読む! | とんとん・にっき

絲山秋子の「袋小路の男」を読む!

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発売されたばかりの文庫本を購入して、絲山秋子の「イッツ・オンリー・トーク」を読んですぐに、ブックオフで「袋小路の男」と「ニート」の単行本を購入し、一気に読みました。絲山秋子の経歴などについては前に書いていますので、ここでは2004年の作品「袋小路の男」に限って書きたいと思います。本の帯には、第30回川端康成文学賞受賞。指一本触れないまま、「あなた」を想い続けた12年間。<現代の純愛小説>と絶讃された表題作、「アーリオ オーリオ」他1篇収録。注目の新鋭が贈る傑作短篇集、とあります。


帯の裏面には川端康成文学賞の選考委員二人の選評が載っています。
<袋小路の男>は純愛物語です。多くの作家が書こうとして、なかなか書けなかったテーマを、絲山秋子は達成しました。小川国夫氏
大都会の真ん中で育った子供たち特有の、過度なまでの節度、孤立したとまどいと寡黙の出口のない切なさが、読者である私にも迫ってきた。津島祐子氏


この本は、「袋小路の男」と「小田切孝史の言い分」、そして叔父と姪のやりとりが心地よい「アーリオ オーリオ」という3つの短編からなっています。「袋小路の男」と「小田切孝史の言い分」は、出会ってから12年、あまりにも長い片思いを描いた作品です。「袋小路の男」は日向子の視点で語られ、「小田切孝の言い分」は小田切の視点で語られています。この2作が、男と女の相互補完的な構成になっているのは言うまでもありません。それぞれの相手に対する思いや、複雑な葛藤を知ることができます。


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辞書によると「袋小路」とは、「建てこんだ家に行き当たったりなどして、通り抜けられない小路。また、比喩的に、物事が行きづまった状態をいう」とあります。この二つの意味が、この作品を表しています。小田切孝の住んでいる家の場所が建てこんだ家の奥、「袋小路」であり、そして二人の関係がまさに「袋小路」なのです。つまり、物事が行きづまった状態、にあるわけです。日向子が高校一年生のときに出会った「あなた」、一学年上の小田切先輩との関係、新宿のジャズバーでの最初の出会いから、片思いが現在に至るまで12年間も続きます。


私服通学をいいことに学校をサボっては新宿の街をうろうろしていた「私」。行きつけのジャズ・バーで、射るように自分を見る「あなた」の視線に気づきます。「私」はそのときから「あなた」に恋をします。しかし「あなた」はまったくその気はありません。「私」はそんなことはおかまいなしに、「あなた」をひたすらに追いかけます。「私」がストレートで大学に入ると、「なんでおまえが現役なんだ」と言う。「私」はあなたの口の悪さが好きだった。「あなた」は頭はいいのに大学は2浪する。


「私」は就職して大阪勤務になるが、偶然「あなた」と再会します。「あなた」は小説を書いているが賞には通らず、「エグジット・ミュージック」でバーテンダーのアルバイトをしています。社会的な地位も定職もないダメ男。なんでこんな男に振り回されてるの、という疑問は置いておいて。この辺、男はあとの「ニート」につながります。「私」は東京に来るたびに「エグジット・ミュージック」に顔を出すようになります。「おまえさ、俺と結婚しようったってだめなんだぜ。そもそも俺にその気がないんだからよ」二人は恋人同士ではないし、手を握ったことすらありません。そんなこんなで12年が過ぎます。


「恋人未満家族以上。それってなんなんだ。」大都会の今を生きる若者である、そんな日向子と小田切の関係を言葉にするのは難しい。「襲ったりはしない。せまったりはしない。あなたを袋小路に追いつめるようなことは一切しない。静かな気持ちだ。」しかし、この作品は、その歯がゆくてもどかしい関係を、見事に凝縮して描ききっています。絲山秋子の「袋小路の男」は、小説らしい小説であり、年甲斐もなく共感を持って読むことのできた作品です。


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