韓国映画「イルマーレ」を観た! | とんとん・にっき

韓国映画「イルマーレ」を観た!


「イルマーレ」はイタリア語で「海」の意味です。そう、この家は海辺に建っている別荘風の建物です。干潮の時は沖の方まで潮が引いて、どこまで行っても海が見えない、大きな干潟になります。満潮になれば、もうそこはひたひたと水が迫る海です。そこに建つ家は、鉄骨の柱で持ち上げられたキュウビックな形の上に、シンボリックに三角屋根がのる、ル・コルビジュエばりの現代的な建築です。鉄板を化粧ボルト止めした外壁、そして、内部への光の射し込み方がよく考えられています。


玄関までのアプローチは、柱で浮いた桟橋、そこには手すりのたぐいは一切ない、シンプルなものです。建物から干潟へ降りる階段は最小限度の鉄骨でつくられ、、満ち潮になれば階段としては用をなさないが、それがまたなかなか美しい。問題は郵便受け、建物は現代的なのに、なぜか郵便受けだけはクラシックなものです。原題の「時越愛」は「時を越える愛」という意味です。このクラシカルな郵便受けが、主役といってもいいほど大きな役割を果たします。物語はファンタジー、映像はパステル・トーンの絵画のように美しい。



1999年12月、ウンジュは海辺の家イルマーレを離れて都心のアパートに引っ越して行きます。これがまた、なかなかさっぱりしたモダンな住まいです。マンガ喫茶でバイトをしながら声優を志す、そんな若い女性が住めるアパートなのかと疑問がわきますが、ファンタジーですから細かいことは言いません。1997年12月、ソンヒョンは「イルマーレ」に引っ越ししてきます。ある時クラシカルな郵便受けに、未知の女性からの手紙があるのを見つけます。「イルマーレに住んでいた者です。私宛の手紙が来たら新しい住所に送って下さい」と書いてあります。あれっ、この家に最初に住み始めたのは自分のはず、おかしいと思います。しかも、手紙の日付は2年後の「1999年」になっています。この手紙はウンジュが引っ越したときに、郵便受けに入れていった手紙なのです。


この2年のずれが物語の核心であり、ファンタジックの最大の要因です。そうそう、ウンジュ役の女優の魅力も、この映画のファンタジック性を高める大きな要因ですね。「1998年1月9日には雪がたくさん降り、風邪が流行しました。気をつけて下さい。」という手紙を、男は女からもらう。その日は、手紙に書かれている通り、雪が降ります。手紙に書かれていることがすべて現実となります。ウンジュも自分の出す手紙が2年前のソンヒョンに届くことを知り、2人は互いに手紙のやりとりを信じるようになります。ソンヒョンは、子供の頃に高名な建築家の父親に捨てられたという過去を持つ若者です。大学の建築学科に在籍して設計を志してはいるが、休学届けを出し、土木現場で働いています。この大学は、構内はアップダウンがありよく整備された環境で、なかなかモダンでカッコいい建物群です。



ウンジュが持っていた1943年生まれの建築家の分厚い遺作集に、イルマーレは「愛する人のために設計した」と書かれています。一方のウンジュは、アメリカ留学後に連絡が途絶えてしまった昔の恋人がいまだ忘れられずにいます。元カレを取り戻したい、力になって欲しいと、ソンヒョンに頼んだりもします。互いに心に傷を持つもの同士が、イルマーレの前にあるクラシカルな郵便受けを交点にした手紙のやりとりを通して、2年の時を越えて接近していきます。そして2人は、ウンジュが住む2000年3月に会う約束を交わしますが、約束当日、約束場所にソンヒョンの姿はありません。2年の差を飛び越えて、なぜ2000年にソンヒョンが現れなかったのか?


2002年に、ハリウッド・メジャーのワーナーブラザースが、「イルマーレ」のリメイク権を50万ドルで購入しました。そのリメイク作品「THE LAKE HOUSE」が、6月に全米で公開されるようです。キアヌ・リーブスが建築家役、サンドラ・ブロックが女医役として出演することでも話題になっています。「イルマーレ」の脚本家がハリウッドにも参加しているようです。「イルマーレ」、やはり脚本がいいのでしょうね、気の利いたセリフが何カ所も出てきます。「人に隠せないものが三つある、咳と貧しさと愛」とか、「一見寂しそうに見えたイルマーレが、温かく見えたのは愛があるから」とか!また、「つらいのは愛が終わらずにずっと続いてること、失恋した後も」とウンジュが言う。「誰かを愛して、その愛を失った人は、何も失わない人より美しい」とソンヒョンも言う。



「イルマーレ」、この映画の主人公が建築学科の学生ということ、父親が高名な建築家ということで思い出すのは、金くんのことです。僕が金くんと知り合ったのは、もう30年も前の話です。父親の金さんは韓国から日本に留学、早稲田の建築を出て、ある設計事務所に入所します。その後、フランスへ渡り、ル・コルビジュエのアトリエに入ります。しかし、政治的な理由で韓国に帰ることができず、アメリカに滞在せざるを得なくなります。息子の金くんは、やはり父親と同じような道を歩みます。彼は韓国から日本に留学、早稲田の建築を出て、ある設計事務所に入所します。しかし、韓国青年の義務である兵役に付くため、志半ばで韓国へ帰国します。僕が親しくつき合ったのは、金くんの帰国前のほんの2~3年だったと思います。当時の韓国はそういう時代でした。今思うと、隔世の感があります。