佐伯一麦の「ア・ルース・ボーイ」を読む! | とんとん・にっき

佐伯一麦の「ア・ルース・ボーイ」を読む!


佐伯一麦のプロフィールは以下の通り。 1959年宮城県仙台市生まれの小説家。宮城県仙台第一高等学校中退後、上京。 電気工など様々な職業を経て、現在は作家活動に専念。私小説を生きる作家として知られている。1984年「木を接ぐ」で海燕新人文学賞受賞。1990年「ショート・サーキット」で野間文芸新人賞受賞。1991年「ア・ルース・ボーイ」で三島由紀夫賞受賞。1996年「遠き山に日は落ちて」で木山捷平文学賞受賞。 2004年「鉄塔家族」で大佛次郎賞受賞。


僕は、知人に薦められて読んだ「鉄塔家族」が、佐伯一麦との最初の出会いでした。上に私小説を生きる作家とある通り、「鉄塔家族」は小説家の斎木鮮とその妻の草木染め作家・菜穂が主人公です。斎木鮮は言うまでもなく佐伯一麦本人であり、鉄塔がシンボルとなっている町に住む人たち多くを主人公とした長編作品です。斎木は離婚した前妻や子供たちとのしがらみを抱えていますが、この物語に登場するどの人たちにも、これまでの人生で抱え込んだ何かしらの問題を抱えています。それまで見知らぬ他人同士だった人たちが、物語の中でさまざまに交錯します。人と人との触れ合いを喜び、草木の花や、鳥の鳴き声の移ろいを慈しむ生活。そこには生きる歓びや哀しみがあり、小さくとも確かで広やかな世界があります。そうした小説家本人の身の回りを書き綴った「鉄塔家族」、井上ひさしは大沸次郎賞の選評で「身辺雑記で長編を書くという実験的な試みはみごとに成功した」と書いています。


さて、佐伯一麦の「ア・ルース・ボーイ」、1991年6月新潮社刊、1994年6月新潮文庫、「内容」は以下の通り。loose〔lu:s〕a.(1)緩んだ.(2)ずさんな.(3)だらしのない.…(5)自由な.―英語教師が押した烙印はむしろ少年に生きる勇気を与えた。県下有数の進学校を中退した少年と出産して女子校を退学した少女と生後間もない赤ん坊。三人の暮らしは危うく脆弱なものにみえたが、それは決してママゴトなどではなく、生きることを必死に全うしようとする崇高な人間の営みであった。


まず初めに、この作品の読後感は、上の「内容紹介」からはとても想像がつかない、素晴らしい作品でした。お定まりの受験勉強一本槍の学校生活に反発し、高校を中退した主人公・斎木鮮と、誰が父親かも分からない子供を宿し、女子校を退学した女友達の幹、そして生まれた梢子。社会の落ちこぼれである若い彼らの生活はママゴトのような生活は危なっかしい、そのうち破綻するだろうと誰しも思うような暮らしです。職安に通い、「学歴不問」「見習可」とあっても、実際職場に面接に行くと「高校中退では」と何度も断られます。なんとか電気工事の手伝いの仕事に出会います。そしてその仕事を通じて今まで知らなかった様々なことを知り学びながら、自分自身が目に見えて成長して行きます。


偶然、公園で電球を取り替えている「沢田さん」に出会い、手伝うことになります。手取り足取り、仕事を教えてもらいます。スコップで掘ることにも理由があることを知ったりします。仕事が終わってカウンターで飲むビール。「ああ、うまい」「穴掘りの後のビールは最高」実感がこもっています。そういう沢田さんも奥さんとの確執を抱えています。「女房のやつ、客にろくにあいさつもできないような女なんだ、許してやってくれよな」と。電気工事の描写がこれでもかというほど出てきますが、どれをとっても実体験に裏付けられている詳細な描写は秀逸です。


「5歳の用事に8歳の少年暴行」という原体験、母親との確執、そして「公務員批判?」、いつも佐伯一麦の作品の底に流れています。成長した斎木鮮が「鉄塔家族」の斎木鮮かと思うと、人生、いつまでもなんらかの問題を抱えながら生きていかなければならず、苦労が耐えないものなのだと実感します。


「ア・ルース・ボーイ」は、99年に映画化,01年にNHKでドラマ化されています。映画は、細野秀昭監督、小嶺麗奈主演。オール仙台ロケ。製作の奥山和由と配給会社松竹との関係悪化で公開が頓挫。1999年に仙台市太白区文化センターで1度だけ上映されたそうです。のちに、別監督でNHKでテレビドラマ版が制作、放送されました。寂れた青春を体現した伊藤淳史と前田亜季が好演。


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