「近代建築の目撃者」今井兼次! | とんとん・にっき

「近代建築の目撃者」今井兼次!

今井兼次(1895年 - 1987年)は、早稲田大学理工学部建築学科卒業後、1938年(昭和13)早稲田大学教授就任、1965年(昭和40)まで母校の教授を長く勤め、建築作品とともに教育者として研究室から優れた建築家、研究者を多数輩出しました。例えば、今井兼次に30数年間師事して「所沢聖地霊園の礼拝堂と納骨堂」で建築学会賞を、「早稲田大学所沢キャンパス」で芸術院賞を受賞している池原義郎(1928年生)や、早大卒業後、ゲーテアヌム精神科学自由大学(スイス・ドルナッハ)へ留学し、池原研究室の個人助手を長く勤めたシュタイナー研究の第一人者である東海大学工学部建築学科教授の上松祐二(1942年生)などがいます。


ストックホルム市庁舎

森林墓地の礼拝堂

また、「近代建築の目撃者」にもある通り、ストックホルム市庁舎を設計したラグナール・エストベリや、森林墓地の礼拝堂を設計したグンナール・アスプルンドの紹介者であり、そして、サグラダ・ファミリア聖堂の設計者であるガウディ、そしてドイツのシュタイナーの紹介者としてもよく知られています。1966年(昭和41)日本芸術院賞、1977年(昭和52)日本建築学会大賞などを受賞。1978年(昭和53)日本芸術院会員。1987年(昭和62)5月、享年92歳で逝去されました。


サギラダ・ファミリア聖堂


もちろん、今井兼次は身も心も建築に捧げた建築家でもあり、作品数は多くはありませんが、ヒューマンな精神で貫かれた珠玉の作品を残しています。モダニズム全盛の時代にあって、敢然として独自の世界を築き上げた精神性の高い異能の建築家と言われています。特に代表作を挙げるとすれば、次の二つでしょう。


日本二十六聖人記念聖堂

ひとつは、1962年に建てられた「日本二十六聖人記念聖堂 聖フィリッポ教会、記念館」です。豊臣秀吉のキリスト教に対する方針転換で1597年(慶長2)に長崎で処刑された26人の信者を、1862年、時の教皇ピオ九世は彼らを聖人に列すると決定。1864年、長崎市内の大浦地区から西坂の方に向けて日本26聖殉教者聖堂が建てられました。一般には大浦天主堂と呼ばれており、現在では多くの観光客が訪れる長崎随一の観光名所になっている、端正で美しいゴシック様式の建築です。一方、今井兼次が設計したのは、二十六聖人に捧げる教会と記念館、記念碑の3点からなる建築の方です。こちらは古典様式ともモダニズムとも異なる今井兼次独特のデザインです。


桃華楽堂

もうひとつは、1966年(昭和41)、皇居東御苑内に建てられた「楽部音楽堂(旧桃華楽堂)」です。この建築は、いまは亡き皇太后陛下が皇后陛下時代に、還暦を記念して建てられた音楽堂です。内外部の壁面には、設計者自身の手になる陶片モザイク画の装飾が施こされ、工芸的な緻密な世界が展開する。モダニズム全盛の時代にあって、敢然として独自の世界を築き上げた、異能の建築家今井兼次ならではの建築です。

「近代建築の目撃者」佐々木宏編 
発行:新建築社 1977年4月25日初版 定価:1600円
この本は1900年代初期に、新しい建築デザインの担い手として西欧に渡った若きエリートたち、8人の建築家と近代建築研究者で建築家の佐々木宏との対談集である。その8人とは、堀口捨巳、土浦亀城、今井兼次、藤島玄治郎、前川国男、村野藤吾、山口文象、山脇巌、である。若き日の感動の持続は、一つの価値観を形成し、今でも光を放っている