世田谷代官屋敷 | とんとん・にっき

世田谷代官屋敷


世田谷区内で茅葺き屋根を持つ建物が保存させれているのは、「岡本公園民家園」と「次大夫堀公園民家園」、そして「世田谷代官屋敷」があります。前の二つについては、「ようこそ民家園へ 」という紹介記事がありましたので、以下に掲載します。

世田谷区では、岡本公園民家園と次大夫堀公園民家園を一般公開しています。昭和55年12月に開園した岡本公園民家園には、区の有形文化財第1号に指定された旧長崎家住宅主屋と、土蔵1棟、椀木(うでぎ)門を復元し、江戸時代後期の典型的な農家の家屋敷を再現しています。また、昭和63年11月に開園した次大夫堀公園民家園は名主屋敷(主屋1棟、土蔵2棟)、民家2棟、消防小屋などを復元し、公園内の次大夫堀や水田とあわせて、江戸時代後期から明治にかけての農村風景を再現しています。両民家園では、「生きている古民家」をテーマに、囲炉裏には毎日火がたかれ、家の中や軒下には民具が置かれています。中にも自由に入ることができ、民具などに触れることもできます。また、農村に伝わる行事等も行っており、昔ながらの生活や風習を体験するとができます。



岡本民家園と次大夫堀公園はもう何度も行きましたが、ここでは「世田谷代官屋敷」を紹介します。といっても、先日「世田谷区立郷土資料館 」へ、坂本龍馬の小さな写真を見に行ったついでに、デジカメで写した画像数枚で、ブログの記事を書いてみようということです。もう何度も行ってる郷土資料館ですが、今回一発では行けずに実は迷いました。郷土資料館へのメインのアプローチはこっちだろうと思い、世田谷通りの南側を平行して走る通称ボロ市通りから代官屋敷の表門の前を通って、次の角を左に曲がり、西側の道路から入ろうとしました。ところがこちらの入り口は職員用通路、管理の関係で一般の入場者には門扉が閉じられていました。案内板には、資料館へは代官屋敷の方から入るとあり、また代官屋敷の入り口まで戻りました。代官屋敷の表門から入ろうとしたところ、なんと屋根のふき替え工事中、茅葺き職人さんたちが屋根の上ってふき替え作業中でした。結局、郷土資料館へは駐車場側から入って、代官屋敷の南側の庭の前を通って行ったことになります。




世田谷区世田谷1丁目にある「世田谷代官屋敷」が、都史跡に指定されたのは昭和34年2月21日、昭和53年1月21日には住宅建造物としては都内で初めての「重要文化財」に指定されています。世田谷は室町時代は吉良氏、江戸時代は近江国彦根藩の井伊家領でしたが、両家の代官として世田谷を治めたのは代々の大場氏一族で、それが幕末まで続きました。その代官屋敷の前の通りで、毎年、年末年始に行われているのが、ご存じ「世田谷ボロ市 」です。戦国時代、小田原北条氏が武蔵国を支配したころから開かれた六斎市が続くもので、近隣の農家などが使いふるした物などを交換することから「ボロ市」といわれてきました。近頃はボロより新品で大半が占められているようですが。

保存されている代官屋敷、主屋は屋根を寄棟造り茅葺き、式台がつく平屋建ての建物です。規模は桁行9.5間(17.3m)、梁間6.5間(11.8m)で、間取りは多室形式で7部屋からなっています。南西の隅には蔵前を介し、文化12年(1815)に建てられた内倉があります。一方表門は屋根を寄棟造り茅葺きで、規模は桁行23尺(6.5m)、梁間12尺(3.6m)です。長屋門形式で、正面右手に番所、左手に潜戸がついています。番所には表に面格子窓、内側に与力窓が設けられています。建築年代は大場家文書などから元文2年(1737)に主屋が建てられ、宝暦3年(1753)に式台がつけられたと伝えられています。表門は宝暦3年(1753)頃の建築と推定されています。今回の屋根のふき替えはこの表門です。