なぜいじめや差別はいけないのかそもそも、なぜいじめや差別をしてはいけないのでしょうか。『いけないのです、皆が傷つく』
キーワードは「自己愛の傷つき」「否認」「確証バイアス」といった人間にもともと備わっている性質でした。
「人は人を殺さないというルールに厳密な論理も正確な理由もないはず。
それと同じように、差別やいじめも仕方ないと認めているといっしょに生きていることができないから、
『とにかくそれはやめよう』と考えてここまで生き延びてきました」と
著書「『いじめ』や『差別』をなくすためにできること」(ちくまプリマ-新書)で述べています。
部落差別問題では、戦前に発行された地名リストを入手した男性が2016年に書籍として刊行してネット上に掲載。
被差別部落出身者らでつくる運動団体の部落解放同盟が「部落差別が助長される」として出版禁止やネット掲載禁止を求めて東京地裁に提訴しました。
部落差別について「被差別部落出身ということでさげすまれたり排除されたりすることはどんなにつらいことか。
そこが差別はいけないという大原則だったのにそれが通じなくなっている」と嘆きます。
いじめや差別をしたり、「自分は関係ない」と思っていたりすると、「自分で自分の首を絞めることになる」と指摘します。つまり、
いつかは自分もいじめや差別を受けることになるかもしれないというのです。
職場などで「自分だけが損している」とか、「私は努力しているのにこんなはずじゃなかった」と思うことはありませんか。
そんな気持ちが実はいじめや差別につながっているのです。
厳しい競争社会の中、だれもが加害者・被害者になる可能性があるというのです。
『いじめる人』プライドの高い人 優位に立ちたがる 自分が偉い、強いと勘違い
『いじめられる人』正しく生きようとする人 かかわりを拒否する人
日本人も心も悪くなつてきた。
心がすさんで権利主義、自分さえよければいいと考えが多い
私はそんな人に流されないようにとお寺の門前へ行きお寺の門前一言を見救われている。