アナタの人生1区間伴走プロ
クレバーでチャーミングを目指す
 
たなかともこです。


私、アメリカ人が97%というコミュニティを持ってるんですが
需要に答える形で 時々日本語教えてます。

で、時々出るはなし。

「きもち きづかい の  ってなんですか?」





ヽ((◎д◎ ))ゝ

た、確かに考えた事、なかった!


Wiki先生はこうおっしゃってます。



そうなのよね・・・こういう「概念」を
当たり前に日本人や 日本語は内包してる。

あ、多分これってアジア全体に共通してるのでしょうけど。
(ネイティブアメリカンの言葉にもあるので
 モンゴロイドの人達の中にある、というほうがいいの?)

こんな東洋医学の考えも すんなりと入っちゃうのは
日本人とかアジアの人だろうな。
この「すんなり」がどれくらい違うかは、
目の当たりにしないと 驚きが伝えられないんだけど・・・・



日本人が他の誰よりスゴイ、とは言わないけど
近い事は思う理由がここ。
「出発点が “もっている”」の日本人は
昔からありそうだけど見えないだいじなもの を
ただ受け入れ 生活の一部にしていたんだよね。




欧米には 「気」という言葉を
当たり前にうけとっていることは 多分ないです。
学んだりすればね。別だけど。



「気」を当たり前に受け止めてしまうと
「足を知る」の言葉の奥が見えてくる。
下手すると 仙人化してしまう 笑
(これは世界各地 どこでも見ますね。仙人化したひとたち・・・)


でも
もう「自分のなかの一部」として
この言葉を知っているって
凄い事でもあるけど
人間としての迷いも生むんだよね。

だから

現実世界を離れちゃいけないし
大地を離れて生きてはいけないし(byラピュタ)
ここを選んで生まれたということが原点になければ
うまくいかないよね って話だ。