昨日のお通夜に引き続き、告別式に参列してきました。
密葬というわけではありませんでしたし、参列した山形サポーターとして伝えるべきだと思いますので、書かせていただきます。
最初に弔辞を読まれたのは高橋理事長(あ、今は社長さんでした)。
海保さんの名ゼリフを再現されましたが、穏やかな高橋社長さんの口からでは少々迫力に欠けましたね。でも、海保さんへの感謝の意をお伝えした心のこもったお話でした。
斉藤前知事は、海保さん着任のエピソードを当時の日記で振り返りながらお話されました。
「夢の請負人」と海保さんを例えておいででした。
Jリーグのチェアマン、鹿島アントラーズさんはじめサッカー界の方々もご列席、バスケット関係の方々も次々とお焼香されておりました。
奥野前監督もおいででした。
で、ね。
で。
出棺の前に、白い菊の花を手に最後のご挨拶をさせていただこうと近づいた私達は、声を失いました。
海保さん、モンテの青いTシャツをお身体にかけておいででした。
私、他人の告別式であんなに泣いたのは初めてです。
お通夜の席で、奥様は振り返っておっしゃっておられました。
たった4年間とはいえ海保さんにとって、山形は濃密な時間を過ごした思い出の場所でした、と。
でも、
山形での海保さんの4年間は、順風満帆ではなかったはずです。
サポーターだけが味方だった、と後に語っておられましたよね。
(今、当時のフロントを糾弾するつもりはありませんが)
楽しい思い出だけだったのか、と問われれば、決してそうではなかったはずです。
まして、単身赴任先で体調をくずされるほどに孤軍奮闘する夫を、奥様はどんな思いで見ておられたのか。
山形を嫌いになっても不思議ではなかったはずです。
でも、海保さん最後のセレモニーは、モンテディオ山形の海保さんそのものでした。
退任されてから4年も経っていたのにです。
最後のお見送りは、あの「海保ダンマク」を、私達と高橋社長さん、斉藤前知事さん、それに前スカウトの平野さん、奥野さんも参加して掲げました。
本当なら「山形ディオ!」で送りたかったけれど、ほとんど声になりませんでした。
サポーター団体の方を、無理にでもお誘いすればよかった。
残念ながら、山形サポーターの参列者は、お通夜と告別式を合わせてもごく少数でした。
急なことでしたし平日でしたし、特に遠路山形からでは、参列がかなわなかった方も多かったと思います。
皆さんに見せてあげたかった…見ていただきたかった。
その無念をお引き受けして、しっかりとお参りをさせていただいてきました。
しっかりとお礼を申し上げてきました。
これからも、どうぞ見守ってください、と。
改めてご報告させていただきます。
海保さんは、モンテディオ山形を愛しておられたと思います。
ご家族の皆様も、その想いを受け止めておいでだったのだと思います。
海保さんの深い愛を、私達は新たに胸に刻もうではありませんか。
海保さんをご存知ない新しいサポさんには、語りつないでいこうではありませんか。
偉そうにすみません。
では、また。
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