お天気の良かった平日に、茨城の国営ひたち海浜公園にコキアの紅葉を見に行ってきました。
GWの初夏にネモフィラ撮影に行った丘ですね。
見頃とあって平日であってもこんな風に人がたくさん!
撮影するときの工夫としては、コキアの赤を”面として”撮る場合は、屈んで目線を低くし連なった枝のなだらかなラインを撮るといいでしょう。
コキアのポンポンと”丸く愛らしい形”を重視するならば、なだらかな傾斜の下から見上げるように立ち、丸いシルエットの下の地面の部分を構図に入れるといいと思います。
コキアは和名を「ほうき草」というように、ほうきにもできる枝が中心部から丸くこんもり茂った可愛い形をしています。
いろんなアングルから楽しんで撮影できますよ^^
コキアの丘では昨日も皆さんカメラ片手に歩いていらっしゃいました。
人それぞれだと思うんだけど、私はそんな風にそぞろ歩く人を入れて映す方が自然で好き。
子どもから大人まで老若男女、カップル、車いすの人、ペットも一緒にいらしていて、なんかいいじゃないですか。
誰もが笑顔で写真を撮り合ったりして・・・。
実は花は好きではなく、被写体としても難しいと敬遠している私ですが、花が集まり絵として存在する芝桜や菜の花、ひまわり、ネモフィラといったスポットやそこに集う人の姿を見ることは大好きです。
「幸せの構図」というものがあるなら、まさにこんな感じなんだろうなと昨日もぼんやり思いました。
私は幼いころ、親に遊園地につれて行ってもらったことがありませんでした。
父が家族よりも他人のために働く仕事をしていたので、学校がない日やここぞという休日には家にいない。
母も歩けない私の弟の介護をしていたので、一緒に出かけられなかったのです。
ふびんに思ったのでしょう。
母が手配をし、私は子ども会やガールスカウトや友達の家族につれられて、たまに遊園地へつれていってもらえました。
小さな私が見上げた観覧車は、遊具ではなく工具のような殺伐とした骨のオブジェに映りました。
たぶん 一緒に遊んだみんなと違う目で、観覧車を見たのではないかと思います。
カラフルで丸い乗り物がゆっくりと回る、そうではなく。
夢の乗り物は自分の記憶の中で、言いようもなく悲しい存在に映ったのです。
大人になって
いろんなすき間を埋めるようにいろんなところに行ってみました。
たくさんの風景や人との出会いが、 自分の闇を少しずつ照らしてくれるというか
どろどろっとした部分を薄くしてくれるというか。
なんと言えばいいんでしょう。
・・・お酒を飲みすぎた気分のいい真夜中は、
封印していた記憶がすこしずつ流れ出てきてしまうようです(笑)。
キバナコスモス越しに逆光で撮っていたアンニュイな観覧車が、ぐるっと回って順光で見たらこんなに色とりどりの個室が回っていてびっくり。
立ち位置によって、いろいろなものは見方が変わってくるもの。
風景も、人生も。
今わたしは、自分の思いで、好きなところへ行くことができます。
どんなところでも
きっと。
さぁ、いつかのキオクを上書きしていく人生の作業が待っています。
おでかけって楽しいね!